08:困惑

 血も汚れも落とせるだけは落とし、どこかで引っ掛けたらしい髪もフィンに結び直して貰ったのだが、村に戻ったエルミットを最初に迎えたのは、井戸の近くで談笑していた女性たちの悲鳴だった。

 甲高い声に、耳がキーンとして固まってしまったエルミットへと、次々と心配の声が掛かる。


「ちょ、ちょっとアンタ! どうしたんだい!?」

「獣にでも襲われたの!? やっぱり、あの柵の傷はそうだったのよ!」

「あ、いや、これはだな……」

「ああ、ブランドンさんとフィンちゃんは大丈夫かい!?」


 エルミットは弁解しようとしたが、まるで伝わっていないようだ。フィンも同じく勢いに圧倒されてしまっているのか、ぽかんとした様子でエルミットの困り顔を見上げるばかり。

 どうするんだこれ、と途方に暮れていると、徐にブランドンが咳払いをし、水を打ったように女性たちが静かになる。どうやら、彼は村ではそれなりの発言権を持っているらしい。


「山で、中型の猪と遭遇した。そこで、私の不注意のために、フィンをかばって彼が段差を落ちてしまったんだ。

 これから、ジュアンさんのところで傷を診てもらう」


 誤魔化しを含んだブランドンの話に、彼女たちはまだ先を聞きたそうな様子ではあったが、怪我人がいるとなれば引き留める真似はしなかった。

 憐憫と感謝の混ざる眼差しをエルミットに向け、「大変だったね」「早く良くなるといいね」「フィンちゃんを助けてくれてありがとうね」とそれぞれに労るような言葉をかけながら、教会へ続く道を開ける。これもまた、村人たちに敵意を向けられてばかりだと思っていたエルミットにとっては、予想外の反応だった。

 咄嗟にろくな言葉も浮かばずに、「ああ……」と頷くしかできなかったが、相手が怪我人だと言う同情のお陰か、手まで振って見送る彼女たちの対応は、最後まで優しいままだった。


「ミネットおにいさん、だいじょうぶ?」

「あ、ああ……大丈夫だ」


 一人状況に置いて行かれたような顔で、ぼんやりと不規則な石畳の上を歩いていると、フィンにまで心配されてしまった。そんなに心配になるような顔をしていたのだろうか、とエルミットは頬を軽くつねってみる。

 しかし、そんなことをしたところで、今の自分の顔が見えるわけもなかった。


 わからないことだらけだ。

 最初に宿で目覚めた時に見た、自分を追い出すかどうかで揉める男たち。顔を合わせる度に、敵意を込めて睨んでくるブランドン。教会の近くを通る度に目を逸らし、まるで腫れ物に触れるような、よそよそしい態度を取る女たち。

 最初からエルミットを受け入れようとしたジュアンとフィンを除き、村人たちは誰も彼も、エルミットにとっては愉快な相手ではなかった。それなのに、今日は一体どうしたことだろうか。

 村の中心から離れた、小高い丘にある教会までは、距離がある。その道のりは決して短いものではなかったはずなのに、モヤモヤした気分をどうにかしようと考えていると、あっという間に古い門の前まで着いていた。

 扉を開けたフィンが中に向かって声をかけると、ぱたぱたと足音がやって来て、ジュアンがひょいと顔を出す。

 おかえりなさい、と言おうとしたのだろう口を半開きにしたまま、彼は大きく目を見開いてエルミットを見ていた。


「ど、どうしたんですか……!?」


 やはり、自分の格好は相当悲惨なままだったらしい、とエルミットは悟った。

 ジュアンに心配されるのは、フィンに心配されるのと同じくらいに、悪い気がしてくる。できればうまく誤魔化したいところだが、そう簡単に良くできた言い訳なんて降ってこない。


「こ、転んだ」


 なんとか無難な答えを絞り出したつもりだったが、ジュアンは形のいい柳眉をきゅっと吊り上げて、「エルミットさん」と語気を強めた。完全に失敗である。

 腰に両手を当てて、子供を叱るような顔をするジュアンに、エルミットはたじろぎながら半歩下がった。親に叱られる子供というのは、誰もがこんな気持ちにさせられてしまうものなのかもしれない。


「ジュアンさん、そう叱らないでやってくれ」


 逃げ場のないエルミットに助け舟を出したのは、あろうことか、ブランドンだった。

 声をかけられ、初めて彼が一緒にいることに気付いた顔で、ジュアンは小さく声をあげる。


「ブランドンさん?」

「山でたまたま顔を合わせたから、私も同行させてもらったんだ。だが、帰り道の途中、猪に近付かれていることに気付けずに……フィンを庇った彼に、怪我を負わせてしまった。私がついていながら、すまない」


 ブランドンの説明は、村の入り口でしたものよりはいくらか真実に近いものではあったが、やはり誤魔化しが入っていた。

 ジュアンはしばしブランドンの顔を見ていたが、不意にエルミットの方に視線を動かし、「そうなんですか?」と静かに問う。エルミットはドキドキする心臓を抑えつつ、フィンがうっかりボロを出さないよう、彼女の頭をぽんぽんと撫でながら頷いた。


「……わかりました」


 ため息に似た声をこぼしながら、ジュアンはゆっくりと目を伏せた。

 灰色のまつ毛が影を落とし、目の下にある隈が濃くなる。その顔は、酷く疲れているようだった。


「フィン、すみませんが、果実を台所に置いて来てください。ジャムを作る約束は、明日にしましょう。楽しみにしていたのに、ごめんなさい」

「ううん、だいじょうぶ、なの。

 あした、ミネットおにいさんも、ジャムつくろうね」


 フィンは素直な返事をして、とことこと台所に向かって行った。普段、刃物や火を扱う台所にはフィンを一人で行かせないようにしているので、エルミットは不安になったのだが、荷物だけ置いてすぐに戻って来たのでほっとする。

 そうしてエルミットの注意がフィンに向いている間、ジュアンに近付いたブランドンが何事か耳打ちをしたのが視界の端に見えたのだが、生憎その内容まではわからなかった。


「……わかりました」

「それと、猪の肉がいくらか手に入った。明日にでも、加工をして持って来る」

「ありがとうございます」


 それでブランドンの用事は終わりらしい。

 くるりと踵を返して、出口に向かって歩き出す。

 明日の食卓に肉が並ぶというのは、エルミットにとっては大変喜ばしいことではあったが、今は二人のやり取りの方が気になった。

 けれども、今はどちらにも、さっきの話は何だったのかと聞く隙がない。それでも、好奇心が首をもたげた。


「あ、おい」


 いかつい背中に、エルミットはなんの気無しに声をかけた。さっきの話に繋げられなくとも、薬の補充はしなくて良いのか、などと誤魔化すための話題には困らないだろうと思って。

 しかし、振り返ったブランドンは、山の時とは打って変わり、凄みをきかせた眼光をエルミットに向けた。


「余計なことは、するな」


 山でエルミットのことを心配したり、薬をくれたりした男とは、別人のようだった。

 呆気に取られるエルミットから、視線を引き剥がすように前を向き、ブランドンはそのまま去って行く。

 今日一日で少しは印象が良くなったかと思ったのに、彼は再び、山賊まがいの嫌な男に戻ってしまった。

 呼び止める際に、前に出しかけた手は行き場を失い、エルミットはその手を無理矢理自分に向けて、理不尽に対する苛立ちを誤魔化すように頭を掻いた。


「んだよ……意味わかんねぇ」

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