07:血色
「顔をあげろ」
ブランドンは、硬く冷たい声で、エルミットに命令した。
初対面の時と同じように、まっすぐにエルミットを睨み付けながら。初対面の時とは違い、血の跡の残る山刀を突きつけて。
隙のない構えが、山賊とみまごうばかりの風貌に、いやに似合っている。
「今ここで、顔をあげるんだ。はやくしろ」
「あ……? んだよ、俺の顔がどうしたってんだ」
命令される意味がわからないエルミットは、苛立ちながらブランドンに向き直る。
ブランドンは無言のまま、しばらくエルミットの顔を見据えていたが、やがて息を吐きながら山刀を下ろした。
「……武器を向けて、悪かったな。
一瞬、お前の目が、赤かったように見えたんだ。モンスターの、血色の目かと思った……私の勘違いだ、すまない」
「は? なんだよ、血色の目って」
エルミットの目は、はっきりとした緑色である。今朝も顔を洗う際に、壁にかけられたくすみがちな鏡で見たばかりだ。
口元の血を乱暴に袖で拭いながら、納得いかない、と態度で主張するエルミットを見返して、ブランドンは言葉に迷う素振りを見せる。迷った後、道の上の方で立ち止まったままのフィンに、「一人は危ないから、もう少し下まで降りて来てくれ」と声をかけて、改めてエルミットの方を向いた。
「……血色の目は、燃えるような赤い目のことだ。魔物や魔族は例外なく目が赤いことから、モンスターの象徴と言われている」
「赤が血の色ってか? いや、血は黒いだろ。見ろよこれ」
エルミットは、自分の服についた猪の血を示す。赤か白かと問われれば赤になるだろうが、何色に見えるかと問われれば、少なくともエルミットは赤とは答えない。どちらかと言えば、黒だろう。
どす黒い血の色と、燃えるような赤色を同列に並べるというのは、どうにも納得しかねる表現だ。
「そうは言われても、昔からの慣用句のようなものだ。私に文句を言われても困る」
「そうかよ。
……ああ、そうだ。このイノシシ、せっかくだから持って帰って食えねぇか?」
そういうものだ、と言われてしまえば、それ以上文句を言っても仕方がない。
気分を変えるためにも、仕留めたばかりの猪のことを言えば、ブランドンも「そうだな」と同意した。
腰につけたポーチを開けて中を覗き、ナイフでも出て来るのかと思ったら、平たいケースをエルミットの方に投げて寄越す。
「何だこりゃ?」
「切り傷に効く軟膏だ。あんな無茶をしたせいで、擦り傷だらけだろう。
私が可食部を分けている間、上に上がってフィンと休んでおけ」
「……いいのか? お前の薬だろ、これ」
今日のことで、エルミットからブランドンへの悪印象は多少和らいではいたが、それでも親切にされるのは違和感がある。
訝しむエルミットに背中を向けたまま、ナイフで猪の毛皮を切り分けながら、ブランドンはぶっきらぼうに答えた。
「今回のことは、本当に危なかった。
お前がいなければ、私も怪我は免れなかっただろうし、何より……フィンは、助からなかったかもしれない。
あんな子供が命を落とすなど、あってはならないんだ。……だから……私は、お前に感謝している」
「お、おう……じゃあ、使わせてもらうぜ」
何故かエルミットには、彼の言葉が懺悔のように聞こえた。
それを差し引いたとしても、改めて言葉で感謝されると、どうにも居心地が悪い。ブランドンが背を向けているのを幸いに、エルミットはそそくさと細い道を上ることにした。反対方向からちまちまとした歩調で戻って来ていたフィンと合流して、斜面にもたれながら血の出ている腕に軟膏を塗り込んでいく。
フィンもエルミットの怪我を心配しているのか、そわそわした視線を向けられているのはわかったが、あまり子供に傷口を見せたいとも思わない。
「ミネットおにいさん、いたい? だいじょうぶ……?」
「ああ、大丈夫だ。かすり傷だから、すぐ良くなる」
良くなれよ、とブランドンに貰った軟膏に向かって念じた。
「フィンは、大丈夫だったか? 俺はあのイノシシに飛びかかって、そのまま落ちちまったから、上で何してたか見てねぇんだ。転んだりしてねぇよな?」
「うん。だいじょうぶ、なの」
相変わらずの緊張感のなさで、フィンはこっくりと頷いて見せる。
実のところ、エルミットはこの斜面をさして高いとは思っていなかったのだが、実際に滑り落ちてみれば思ったよりも擦り傷を負ってしまったし、受け身を取り損ねていたなら骨折もしていただろう。ここをフィンが落ちていたらと思うと、とても無事に済むとは思えなかった。
今だからこそ、ブランドンの心配ももっともだと同意できる。
一人で猪を解体するブランドンを待っているうちに、エルミットの傷の痛みはすっかり良くなっていた。
骨や毛皮まで運ぶには道具が足りないと言って、食用になる肉の塊だけをいくつかの包みに分けて持って来たブランドンは、そのまま疲れた様子もなく山道を歩き始める。フィンが持っている果実の籠か、ブランドンが持っている肉か、ほぼ手ぶらのエルミットはどれかを持とうとしたのだが、「怪我人は余計な気を回すな」とブランドンの一存で却下されてしまった。
暗に戦力外通知を受けたようで、エルミットは面白くない。
「お前が薬を寄越したんだろ。もう普通に歩けるっての」
「だめだ。あれだけの無茶をしたんだぞ。今はただ、ショックで痛覚が麻痺しているだけかもしれん。
山を降りたら、ジュアンさんにきちんと見てもらえ。いいな」
言ったそばから却下されているが、どうにも真剣に心配されているらしいとわかるからこそ、むず痒い。
「それから……お前が、素手で獣を倒したなどと、村では絶対に言うなよ」
「なんでだよ。別にいいだろ。山に入る時にフィンに聞いたが、お前や他のみんながいるから、野生動物が出ても平気だとか言ってたぞ」
「……」
「みんなってのは、他の村のやつか? イノシシ倒せるやつが大勢いるなら、あれくらい珍しくもねぇだろ」
「あ、あのね、みんなは……」
「やめろ!!」
不満をこぼすエルミットに、フィンが何か説明をしようとして。
まるで破裂するような鋭い声が、先頭を歩いていたブランドンから発せられ、フィンもエルミットも驚いて足を止めた。
突然の大声にも関わらず、フィンは怯えるでもなく、不思議そうにするくらいの調子で、エルミットも驚いたわりに恐怖は感じなかった。だからこそ、萎縮することもなく、口から言葉が出る。
「なんだよ、急に大声出しやがって」
「フィン、その話は、だめだ。頼む……言う通りに、してくれ」
「おい……」
エルミットを除け者にするような発言に、本来なら、腹を立てるべきだったのかもしれない。しかし、ブランドンの低い声には、場違いな感情が滲んでいた。縋るような、詫びるような、そんな声だ。
頼み込まれたフィンの方も、ブランドンの後ろ姿とエルミットの顔を交互に見て、諦めたエルミットが頷いたのを見てから、「わかったの」と返事をする。どうにも、憎まれ口を叩く雰囲気ではなかった。
数秒の沈黙の後に、何事もなかったかのようにブランドンが歩き出す。相変わらず、散歩を楽しんでいるようなフィンを挟んで、押し黙った男が二人というのは、来た時と同じく居心地の良いものではなかった。けれど、ブランドンにまたもやおかしな言動を見せられて、これ以上困惑するよりはずっとマシだろう。
そう考えて、エルミットは黙り込んだまま、村へと続く山道を下って行く。
まだ日が傾く時間でもないのに、気の早いランタンが吊り下げられた煉瓦造りの屋根が見えて来た時は、無意識に入っていた肩の力が抜けたものだ。
「村に戻る前に、川に寄る」
そのまま村まで戻って行くのかと思ったが、途中でブランドンは、言われなければ見落とすような脇道に入って行った。
「川?」
「血を落とす」
水が欲しいなら井戸があるだろう、とばかりに眉根を寄せるエルミットに、ブランドンは短く答えた。
言われてようやく、エルミットは血で汚れたままの服を見下ろす。すっかり鼻が利かないままだったので失念していたが、今の自分の格好は、危険な状況でもぼーっと突っ立っているフィンに心配されるようなものだ。つまり、相当悲惨なのだろう。
所々が破れた服と、すっかり乾いてこびりついた血だけは、今更水で洗ったところで取り繕いようもないけれど、顔や手足に飛んだ少々の血の跡なら洗い流せるはずだ。
今まで歩いていた山道よりも、さらに足元が見にくい脇道を、山刀で雑草を払いながらブランドンが進む。幾分歩きやすくなった後ろからついて行けば、すぐに視界が開け、流れの穏やかな川に着いた。
わー、と歓声を上げたフィンがちょこちょこと寄っていき、小さな手を水面に浸けてきゃっきゃと笑っている。もしかすると、ここは村の子供たちの密かな遊び場になっているのかもしれない。
「この辺りならば水深が浅く、勢いも弱い」
「おう、さっさと落として来る」
「……気にするな。私も、道具についた血を落とすのに、少々時間が掛かる」
ぶっきらぼうな口調で伝わりにくいが、これは、急がなくていいと気遣われたのだろうか。思わず変な顔をしそうになるエルミットに背を向けて、ブランドンは山刀やナイフを川につけ、手入れを始めた。
その様子を見て、エルミットはひとつ、返しそびれている道具のことを思い出した。
「おい、オッサン。
あー……薬、ありがとな。結構使っちまったけど、残りは返しとく」
軟膏の入った平たいケースを差し出せば、ブランドンはちらりと視線をよこした後で、「ああ」と短く言いながら受け取った。
薬を貰ったので礼を言う、という当たり前のことをしただけなのに、どうにも尻の座りが悪い。ぶんぶんと首を振ってから、水遊びをするフィンの近くにまで移動して、エルミットも顔を洗うことにした。
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