05:山中

 やきもきしながらも、エルミットが教会で過ごし始めてから、五日あまりが過ぎた。

 庭の野菜に水をやるのを手伝っている時などに、いちいち睨むようにエルミットを見ながら教会に入るブランドンが視界に入るたび、また来たのかと尻の座りが悪くなるエルミットではあったが、そんな意思とは無関係に体調はみるみる回復した。さすがは特産品と言うだけあって、この村で作られている薬は良く効くようだ。今日からは好きなように身体を動かして大丈夫、とジュアンからの許可も出たので、昼から果実を採りに山に入るフィンと一緒に、踏み固められただけの山道に入る。

 ジュアンには、野生動物の影が見えたらすぐに戻るように、と念を押されたが、見る限り山の中は平和そうだ。村と山とを隔てる柵に、大型の動物がぶつかったらしい跡が見つかったと聞いてはいるが、それ以外には被害も目撃例も出ていないらしい。


「なあ、フィン。果実が生えてる場所ってのは遠いのか?」

「ちょっとだけ……あっちはね、がけがあって、がらがらするとあぶないから、くるくるしないと、なの」


 フィンの言葉選びには、擬音が多い。

 エルミットは村の近くにも「崖に注意」と手書きされた看板が吊り下がっていたことを思い出して、フィンがえっちらおっちら遠回りしながら果物を探している様子を想像する。それは何というか、頼りないのを通り越して、危なっかしい光景だ。

 小さな歩幅で山道を歩きながら、こっちこっちと先導するフィンの後を追いつつ、エルミットは周囲に視線を巡らせた。昨晩にわかに雨が降ったため、足元の地面からも、頭上の枝葉からも、濃い森のにおいが立ち込めている。そのにおいに紛れてしまって、近くに野生動物がいるのかどうか、エルミットは自信が持てないでいた。


「ミネットおにいさん?」


 フィンのまろやかな声で、柔らかくなった名前を呼ばれるのも、今ではすっかり慣れてしまった。

 木々の間を見通そうと力を入れていたエルミットは、眉間を軽く揉みほぐしながら、自分の腰の高さにある黄色い頭に視線を落とす。


「ん、ああ、悪い。考え事してたんだ。

 なあ、この辺り、村は近いが、野生動物ってそんなに出るのか?」

「ブラドーおにいさんや、みんながいるから、だいじょうぶ、なの」


 エルミットの問いに応えるフィンの言葉は、ぽやんとした、ややピントがずれたような楽観的なものだった。

 音に味などないはずだが、不思議と耳に甘く響く声で、ブラドーお兄さん、とフィンが呼ぶのは、いかつい山賊のようなブランドンのことだ。お世辞にもお兄さんと呼ばれる歳には見えないのだが、フィンにしてみれば、自分より年上の男女は全てお兄さんとお姉さんらしい。年上に媚びるでもなく、自然体でそう呼ぶものだから、彼女は年配の女性を中心に大変可愛がられている。

 そうやって見ていると、この村の住人は善人ばかりに思えてくるので、エルミットは自分に向けられる疑いの眼差しを思い出しては、村での立ち位置がわからなくなってモヤモヤしてしまう。

 苛立ちを紛らわせるように、地面に落ちていた枝を踏む。雨が掛からない陰になっていたのか、乾いた枝はバキン、と予想外に大きな音を立てて折れ、エルミットの方がぎょっとしてしまった。


「うおっ」


 思わず声を上げると同時に、離れた場所で物音がした。

 肌がひりつく、不快な感覚が走る。


 思い出すまでもなく、自然に身体が動いていた。エルミットは音を立てないように態勢を低くし、フィンを後ろに庇うように前に出る。その間にも、ガサガサと、茂みをかき分ける音は近付いてくる。すん、と一層集中してにおいを嗅ぐが、こちらが風上になっているためか、何もわからない。

 ただ、茂みの動きと音の大きさからして、ウサギなどの小動物ではなさそうである。フィンは危機感もなくぼーっと突っ立っているが、エルミットは危惧した野生動物に襲われかねない状況で、彼女にあれこれと指示を出す余裕はなかった。

 相手が見えたら、こちらから飛びかかって抑え込む腹づもりで、エルミットは揺れる茂みを睨み付け──


「うおっ!?」


 予想外の、いかついブランドンの顔がぬっと頭上から現れて、エルミットは目を白黒させた。

 思考が固まって動けずにいる彼の頭上を、のんびりしたフィンの声が通り過ぎていく。


「ブラドーおにいさん、こんにちは、なの」

「……ああ。物音がしたから、様子を見に来てみれば、フィンだったのか。

 それで、余所者は地面に這いつくばって、何をしているんだ」

「うっせ! お前が無言で寄ってくるから、野生動物かと思ったんだよ!

 あー、くそ、先に飛び掛かんなくて良かったぜ……」


 立ち上がるついでにパンパンと手を叩いて土を払いつつ、「お前に飛び付くなんぞ最悪だ」と舌を出すエルミットに、ブランドンは怪訝そうな顔をする。敵意を剥き出しにしたような顔しか見ていないエルミットにとって、違う表情を見るのは何だか奇妙な感覚だった。


「……なんだよ、その顔は」

「野生動物が来たから飛びかかるなど……よくもそんな無謀なことを思いつくな。

 素人考えで、命を危険に晒すのはやめておけ」


 予想外の、心配とも取れる言葉を向けられて、エルミットは再び困惑する。

 ブランドンは、こんな男だっただろうか? 意味もなくエルミットを敵視し、根拠もなく突っかかって来る、山賊まがいの嫌な男だと思っていたのに、今日はまるで様子が違う。

 出鼻を挫かれた気分になり、エルミットはふいっと顔を背けた。恒例のように睨み合いになった時を含めて、ブランドンより先に視線を逸らしたのは、今回が初めてだった。


「な、なんだよ。もしも鉢合わせちまったら、フィンの足じゃ逃げ切れねぇぞ。

 俺が何とかする以外に、どうしようもねぇだろうが」


 正論を言ったつもりなのに、ブランドンは心底呆れたとばかりに大きなため息をつく。エルミットは隠そうともせずに舌打ちをするくらいには心外であった。


「お前は野犬か……。

 まあ、いい。教会で妙なことをする気がないなら、お前もついでに面倒を見てやる。

 魔物が掃討された弊害か、ベリーのなっているあたりは獣が増えているから、手短にすませるぞ。

 いいな、フィン」

「うん。よろしくね、なの」


 ブランドンは、フィンが持っている籠を見て、山に入って来た理由を理解したらしい。

 しかしフィンだけでなく自分まで足手纏い扱いをされて、さらには自分には同意も取らずに歩き出され、エルミットは面白くなかった。面白くはないのだが、ブランドンの話が本当なら、目的地に着くまでに、今度こそ本物の野生動物と遭遇する危険もある。

 武器を持ち、山に慣れている様子のブランドンは、認めたくないが有用な相手であった。


 先頭をブランドン、次に歩幅の小さなフィンを挟み、最後にエルミット。

 三人連なって歩き出してから、時間にして数分も経っていないだろう。フィンは鼻歌など口ずさみながら、楽しそうに山の中を歩いているが、エルミットは段々と口を閉じていることに耐えられなくなってきた。

 原因はと言えば、ブランドンだ。慎重に山を歩く彼の緊張がピリピリと伝わって来て、エルミットの気分は落ち着かない。まるで気付いていない様子の、フィンののんきさが心底羨ましかった。


「……なあ」


 耐えきれなくなって、エルミットは声をかける。きょとんと振り返るフィンとは反対に、ブランドンは無反応だが、その気配で聞いていることは読み取れた。


「おい、フィン、ちゃんと前見ろ。危ないぞ」

「はあい」


 まずは目の前に見えている危険を排除するべく、ちゃんとフィンが前に歩き出すのを確認してから、エルミットは言葉を続けた。

 それは、この村でずっと疑問だったことだ。

 疑問に思いながらも、ジュアンやフィンには尋ねられずにいたことだ。


「村で何度か聞いたけどよ、最近この山に、討伐軍が掃討作戦に来たんだろ?

 魔物より先に野生動物が戻って来るって、そんなことあるのか?」

「お前……掃討作戦は知っているのに、内容までは知らないのか?」

「記憶喪失なんだよ、悪かったな」


 聞こえよがしにブランドンがため息をつくのは、今日で何度目だろうか。


「確かに野生の獣は、危険な相手でもあるが、ここのような山間の村では、貴重な肉であり、資源だ。

 いかに討伐軍と言えども、無用に狩ることはかたく禁じられている。討伐の対象は、あくまでも魔物のみ」

「それで今度は、魔物がいなくなって野生動物が増えすぎてんのか?」

「……魔物の被害に比べれば、村の柵を少々壊すくらいは、可愛いものだ。

 この先は、道が細くなるぞ。足を取られれば斜面を転げ落ちる羽目になるから、用心しろ」

「へいへい」

「はあい」


 話題を切り上げるように、ブランドンは足元を確かめながら、細い獣道に入る。

 目当ての果実がなる場所は、まだ先のようだ。

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