第29話 蠍会

「俺は……上の層の崩落に巻き込まれたんだ。お前が助けてくれたんだな、ありがとう。」


 ラドルファスは青年に頭を下げた。適切な処置がなければ、今頃命を落としていたかもしれない。そもそも、落下時に死んでいた可能性もあったのだ。青年は照れくさそうにそっぽを向く。


「どうも。まさか上の階層の連中が、俺たちに何か恵む気になるとは思わなかった。降ってきたのは厄介事だったけどな」


「こら! お客さんにそんな失礼なこと言ったらダメでしょ!」


 ラドルファスが反応を返す前に、青年の後ろから叱責が飛んだ。といっても、怒りよりも慈しみの方が多い声だったが。


 青年よりもふた周りほど年上に見える女性が、安心させるように微笑みかける。


「ごめんなさいね、この子ったらちょっと……やんちゃなところがあるのよ」


「レナさん、子供扱いするなよ! 俺はもう十八歳なんだぞ?」


「あらやだ。どうも昔の感覚が抜けないわ。お客さん、怪我の具合はどう?」


 軽快なやり取りを交わす二人に目を白黒させていたラドルファスは、今更ながら怪我の様子を把握した。恐らく左脚は骨が折れているし、腕にも鈍い痛みを感じる。衝撃で身体中に打撲、裂傷ができていた。だが、これだけで済んでいるのは幸運としか言いようがない。


「ああ、お陰様でなんとか……」


「よかった! 十五メラ上から落ちたのよ、この子が下にいなかったらどうなってたか……」


 状況を把握できるまでに思考が回復したラドルファスは、焦燥が湧き上がってくるのを感じた。​──サフィラ。彼女は今どうしているのだろう?どんな目的があって連れ去ったのかは分からないが、下手をすれば今頃……


 そこまで思考が至ったところで、ラドルファスはあまりの恐ろしさに吐きそうになった。サフィラが死ぬ。考えたくもない。しかしそれを引き起こしたのは自分なのだ……


「おい、大丈夫か? 顔色が悪いぞ」


 青年の心配の声に、ラドルファスははっと我に返った。


「あ、ああ……助けてくれて本当にありがとう。後で絶対に礼をすると約束する。でも俺、行かないと」


 勢いよく起き上がろうとして、ラドルファスは苦痛に顔を顰めた。しかしそんなことはどうでもいい。一刻も早くサーベラスを追いかけ、サフィラを救出しなければ。


「バカ、動くなって! 無理に決まってるだろ、自分の怪我の具合分かってるのか!?」


「ええ、少し休んだ方がいいわ。そりゃあ上の人からすれば、こんなところに居たくないかもしれないけれど……」


 レナが悲しそうに言うのを聞いて、ラドルファスは慌てて首を振った。


「そんなんじゃないんだ。二人には本当に感謝してる。でも俺にはどうしてもやらなきゃいけないことが……」


「訳アリってことは分かるさ。ただ怪我はまだしも、おまえ一層の人間だろ? 二層を不用意に歩くなんて自殺行為だ」


「それって……」


 どういう意味か訪ねようとした瞬間、下の方で乱暴に何かを叩く音がした。


「大変! お客さんだわ。一日に二人なんて珍しいわねえ」


 どうやら玄関扉を叩く音だったらしく、レナが軽快に階下に向かう。それに対し、青年は険しい顔付きで呟いた。


蠍会セルケトセティトの奴らかもしれない。金は払ったってのに……」


 静かにするように示され、ラドルファスは疑問を飲み込みながらも階下に耳を済ませた。


「​──そうだ。すぐ近くの崩落事故​──が確認された。我々はその有力容疑者である男を追っている。黒髪赤目の若い男だそうだ。この辺りで見かけなかったか?」


「…………!」


 ラドルファスは思わず息を呑んだ。青年がじっとこちらに視線を注ぐ。


「……知らないわ。その事故の瞬間は見てないもの。誰からの情報なの?」


「先生​──サーベラスさんだ。信頼出来るだろう?」


 ラドルファスは心臓を撃たれるような心地になった。どういう手を使ったかは分からないが、サーベラスは崩落事故の罪をラドルファスに着せようとしている​──そこまでしてラドルファスを殺したいと思っているのだ。


 同時に、ショックを受けている自分に嫌気が指す。サフィラを攫われ、殺されかけたというのに、まだ自分はサーベラスを信じたいのか?


「本当に見てないんだな。もし嘘を吐けば……」


「分かってるわよ。ちゃんとお金も払ってるでしょう」


「ふん、まあいい。見つけたら報告しろ」


 毅然としたレナの態度に、男は疑いの余地を持たなかったらしく、直ぐに去っていった。


「……説明しろ。お前はなぜ崩落事故に巻き込まれた? 何が目的だ?」


 青年が一歩下がり、厳しい声でラドルファスに問いかけた。


「あの事故の犯人は俺じゃない。俺はレーヴの外から逃げてきたんだ。その途中で、黒いフードの男に、俺の大切なパートナーを攫われた。その時の衝撃で通路が崩れた」


「信じられないな」


 青年が鋭く言った時、レナが部屋に戻ってきた。


「サーベラスさんの情報とはいえ、この子は悪い人間には見えないわ。黒髪赤目の男の子なんて沢山いるじゃない。それに、通路を崩落させる意味もない。それで自分が死にかけるなんて、間抜けなことがある?」


 レナの冷静な言葉に、青年は胡乱げな目を向けた。ラドルファスは気を張りつめながらそれを見守った。嘘を吐いている罪悪感はあるが、ここで蠍会セルケトセティトとやらに突き出されるわけにはいかない。もし彼らが信じてくれないのなら、どんな手を使ってでも逃げるしかない。


 長い沈黙ののち、青年は躊躇いがちに口を開いた。


「俺は……蠍会セルケトセティトも、あの怪しい男も信じてない。奴らの敵だっていうなら信用してやってもいい」


 ラドルファスはほっと息を吐いた。彼らに短剣を向けたくはない。


「……何から何まで、本当にありがとう。二人を巻き込むわけにもいかないし、俺はもう行くよ」


「待って。最初に何をするべきか分かってる?」


 レナの鋭い疑問に、ラドルファスは返しに詰まる。濡れ衣を着せられたままで、果たしてサフィラを助けられるのか。サーベラスがなぜあんな事をしたのか​──ラドルファスを憎んでいるのかも分からないままだ。


「まずは案内人を探すべきよ。レーヴの人間じゃないのなら、危険な場所も分からないでしょ?」


「案内人か……」


 シルヴェスターにも案内人を探せ、と言われたのを思い出す。しかし、ラドルファスは今崩落事件の首謀者の疑いをかけられているのだ。そんな人間に協力してくれる案内人など、見つかるのだろうか。


「とっておきの当てがあるわ。あなたの目の前にね」


 虚を突かれたのは青年も同じだったらしい。驚いて目を瞬かせた青年をよそに、レナは得意げに続けた。


「この子​──シオン・ユーレンリィムは、最高の案内人なのよ!」






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