第27話 暗転
轟音に驚く暇も惜しく、ラドルファスは跳ね橋に向かって駆け出した。悲鳴が聞こえたのは中央回廊の先、門を模したアーチの向こう側。橋は流石に頑丈な作りで、先程の揺れにもびくともしていないようだ。
しかし──下をちらりと見たラドルファスはぞっとした。階層上に連なる居住区の光の他、底は闇に包まれている。一体どれほどの高さなのか及びもつかない。むしろ、王都から相当の距離を降りてきただけに、まだ下があるのかとすら思う。
「サフィラ、何か聞こえるか?」
問われた少女は、ラドルファスの隣を走りながら耳を澄ます。
「確実なことは分からない。でも、嫌な気配がする」
「【夜】か……!」
頷いたサフィラと共にアーチを潜る。セクト=レーヴの中心地は、まるで巨大な要塞のようだった。長く広い通路が真っ直ぐに伸び、そこから伸びる回廊が別の建物に繋がっている。現在地よりもさらに上の階層があるようで、頭上には巨大な回廊の影が翼を広げていた。
常なら、雑多だが人々の息吹を感じるような街並みだ。しかし今は悲鳴と【夜】のおぞましい唸り声に満ちていた。道端の露店はひっくり返され、建物の扉がひしゃげて吹き飛んでいる。逃げ惑う住民たちの最中に、その【夜】はいた。
強靭な四足、顎から大きく飛び出た鋭い牙。生命を憎む瞳はぎらぎらと赤く輝いている。ラドルファスの見立てではそれほど高位の【夜】ではない。逃げ遅れた住民に牙を振るうべく吠えた獣に、彼は素早く詞を唱える。
「撃て鋭氷の審槍──」
「捩れ皆既の白牙、三十九の門よ!」
ラドルファスの暁ノ法が完成するより先に、一階上の通路から人影が飛び降りた。同時に、【夜】の脚付近の空間が乱れたように揺らぐ。次の瞬間、閃光と共に【夜】の脚の一本が吹き飛んだ。剣で切り落としたかのように鋭い切り口だ。
(夜狩りだ……!)
驚きに息を呑んだラドルファスに、着地した黒髪の男が目をやる。
「君! 危ないから下がっていなさい!」
「待ってください、俺も夜狩りの一人です! 一緒に戦わせてください」
はっとしたラドルファスは叫び返す。連合証はもちろん隠してあるので、夜狩りは彼が同業者だと気づかなかったのだろう。黒髪を後ろで括った男は、ラドルファスより一回り年上のように思われた。身のこなしからも強さは分かる。
ラドルファスは自分の口が乾くのが分かった──連合に属さないであろう彼に正体が露呈すれば、ただでは済まない。彼らには連合に属さない理由があった、ということだからだ。
「そうなのか! 見ない顔だが……いや、いい。ならここは私一人で十分だ。【夜】と共に現れた怪しい男を追いかけてくれ! 右奥の通路に逃げていったらしい」
「怪しい男、ですか……?」
サフィラと顔を見合わせる。二人には思い当たる節があった。【夜】と共に現れる男──もしや、銀蛇の夜会に関係しているのではないか。
怒りの唸りをあげる【夜】を前に、夜狩りは冷静に告げた。
「そうだ。黒いフードで顔は見えなかったが、最近の【夜】事件に関係しているに違いない」
◇◇◇
「ねえ、あの男の人が言ってたのって……」
「ああ。一発目から目的を引き当てるなんて、ついてるのかついてないのか……」
言われた通りの通路を走りながら、ラドルファスは苦々しく答えた。先程の大通りと比べ、少し高さの下がるこの回廊は人影がない。それどころか、奥に進めば進むほど薄暗く、瓦礫や壊れた手摺などが散見される。
「ラドルファス! あれ!」
視力の優れる【影】の少女は、ラドルファスよりも先んじて目標を見つけた。目の前を走る黒フードの男との距離は確実に狭まっている。それに気づいたのか、男は不意にこちらに向き直った。目が合った瞬間、全身に怖気が走る。──追い詰められた者の目ではなかった。外套から覗く左腕は、肩から異形に変わっている。
「穿て閃光、三の門よ!」
ラドルファスは迷いなく、最高威力を誇る暁ノ法を唱えた。人間に使うものではないが、第六感が強く警告している。この男を逃がしてはいけない、と。
男は動かない。ただ、左腕を無造作に前へ差し出す。迎え入れるように、夜よりも暗い黒が蠢きのたうつ。
【夜】を貫く光線は、それだけで最初からなかったかのように消滅した。
理解を超えた現象に、ラドルファスは反応が遅れた。左腕の炎が五指を模して開き──それを認識した時には、青年の影に何かが突き立った。
猛烈な痺れが走り、ラドルファスは通路に倒れ込む。その痛みすら冷たい痺れが意識させてくれない。逃げろ、とサフィラに叫ぼうとしても声が出ない。
無様に這いつくばる青年を前に、男は嘲笑うように呟く。
「……愚の骨頂だな。炎に貧弱な光線で挑むなど……なあ、ラド?」
黒い炎のように、不定形に揺れる黒い腕が蛇よりも早く伸び、後ろのサフィラを掴んだ。少女は逃れようともがくが、【影】の膂力をもってしても腕はびくともしない。そしてラドルファスは、間抜けにそれを眺めているしかない。身体が動かない。視界が真っ赤に染まるほど力を込めても、気が狂うほどの痺れが返ってくるだけだ。
「叫べ風の狂槌、三十五の門よ!」
死に物狂いで叫んだラドルファスは、必死に男に追い縋ろうとするが、やはり足は強烈な痺れで動かなかった。しかし暁ノ法は、忠実にその役目を果たした。めちゃくちゃな制御で放たれた「スレイプニル」は、なんとか男の足元に直撃する。
しかしそれは悪手だった。
猛風の槌は回廊を激しく揺らし、男は確かにバランスを崩した。
同時に、老朽化した回廊が限界を迎える音が響いた。何百年にも渡って人々を支えてきた回廊に無数の亀裂が走り、次の瞬間あっけなく崩れ落ちる。身体が動かないラドルファスは、通路と運命を共にする他なかった。
「サフィラ! サフィラッ!!」
無数の思考が過ぎる中、ラドルファスは届かないと分かりつつも、血を吐くような勢いで少女の名を呼んだ。
「これは始まりにすぎない。俺の復讐は、お前のすべてを奪うまで終わらない……!」
落ちていくラドルファスが最後に見たのは、男の歪んだ笑みだった。
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