第4話 命と釣り合うものは Ⅰ
家に戻ると、遠くと連絡が取れる共鳴石を握ったシルヴェスターが待っていた。彼は机の上に無造作に転がしてあった朝露石を、ラドルファスに放りつつ立ち上がる。
「仕事だ。近いからお前も来い。ただし、俺の命令があるまで絶対に【夜】に攻撃するな」
素直に頷きながら、ラドルファスは不思議に思った。何か事情があるのだろうが、よく分からない指示だ。が、どこからか飛んできた黒い小竜、ランディが肩に止まると同時に、シルヴェスターが身を翻したので質問のタイミングを失う。疑問は残りつつも、ラドルファスは彼の後を追った。
旧王都サン=ライティアから衛星都市へ、そこから高速馬車で一日。丸三日移動に費やし、辿り着いたのは寂れた村だった。移動中も続くシルヴェスターの講義に疲れ果てていたラドルファスは、久方ぶりの地面に息を吐いた。村を観察するシルヴェスターの横顔は険しい。彼はひっきりなしに使い──恐らく連合からの──を受け取っていた。会話を聞くに、どうやら緊迫した状況らしい。
夜はもう間もなくという中、一行は村で一番大きい家屋に招かれた。その間にもラドルファスは衝撃を受けていた。ラドルファスが幼少期を過ごした場所も小さな村だったが、ここまで貧しくはなかった。
粗末な家屋がぽつりと並ぶ中、集会所らしきそこに朝の灯火がひとつだけあった。最低限の祭壇に載せられた灯火は今にも消えそうなほど頼りなく、村人たちは皆集まって震えている。王都で激動の日々を過ごしただけに、その光景は余計にショッキングだった。
「配給はないんですか?」
思わず村の代表に問うと、壮年の男は沈痛な面持ちで目を伏せた。
「ありますが、微々たるものです。辺境のここにはほとんど回ってこないのです」
その現実は、改めて言葉にされると胸が痛くなった。連合は核を配給しているが、優先されるのは大都市や人口の多い場所だ。確かに合理的とも言えるのだが、賄賂の噂もある。
「シルヴェスター、どうにかならないのか? もっと大きい核を渡すとか……」
「忘れたのか? 大きな火を燃やすためには、それに見合った祭壇が必要になる。そもそもここ一帯は
彼に一蹴されるより前に、ラドルファスは自分の考えの欠陥に気づいていた。核の配給問題が解消されない限り、根本的な解決にはならない。強力な【夜】を放っておくのも危険だ。よって、連合は多少の犠牲を許容して対処療法を取っているのだった。犠牲、とラドルファスは考える。──そういえば、家の数に対して明らかに人が少ない。
「すでに二人の
「私たちの中からも五人やられたんです。奴は……奴は、みんなを食って……その遺体の一部をわざと置いていったんです! 見せつけるかのように──」
ラドルファスはぞっとした。既に八人も死んでいるとなれば、その【夜】は相当手強い相手になっているはずだ。【夜】の生態には不可解なところも多いが、数少ない分かっていることのひとつに人間を喰らうということがある。それも様々で、殺すだけで遺体を放置する【夜】もいれば、骨まで食べてしまう【夜】もいる。民衆の間でまことしやかに囁かれているのは──彼らは人の魂を喰らうのだ、という噂だ。
「…………」
男の言葉を聞いたシルヴェスターは、考え込むような素振りを見せたが、すぐに顔を上げた。
「あんた、俺たちにいくら出す?」
「そ、それが……夜狩り様、村はこの有様でして、連合から派遣された方たちは……働き手も何人も食われてしまいました。このままでは冬が越せません。どうかお慈悲を……!」
男は地面につくのではないかという勢いで頭を下げた。周りで様子を伺っていた村人たちも慌てて続く。ラドルファスは哀れに思ったが、銀髪の夜狩りは深く溜息を吐いた。
「つまり……お前たちは、俺を雇う金もないのに呼びつけたと? 話にならないな」
冷たい声に、ラドルファスは次第に彼への怒りが湧き上がるのを感じた。夜狩りは慈善事業ではない。れっきとした職業である──すなわち、仕事に対して対価を要求することは当然だ──が。明らかに支払い能力が欠如している人々には、必要以上に対価を要求しないのが夜狩りたちの通例だ。
「おいシルヴェスター、それはないんじゃないか。この人たちを見殺しにして帰るっていうのか!?」
「然るべき対価を払わないと抜かすならな」
「ふざけるな! あんたそれでも──」
激情のままに叫びかけ、ラドルファスは周囲の不安げな視線に気づく。ここでシルヴェスターと揉めるのは悪手だ。そう言い聞かせつつ、青年は苦労して口を噤んだ。
「お前の悪い癖のひとつだ。情に流されやすい上すぐに熱くなる。よく考えろ、俺と連合は騙されたわけだ、生きるために仕方ないと言い訳するのは簡単だが、夜狩りは危険な仕事だろ。それにどうせお前のことだ、こいつらを哀れにでも思ったんだろう。なら俺にも多額の金が必要な切実な理由があると言ったら? お前はどっちに流される?」
静かな口調だったが、ラドルファスは反論の言葉を完全に失った。彼の言うことが本当は分からないが、村人が連合に嘘をついたのは事実だ。その上、彼はラドルファスの考えを全て見抜いていた。青年はなんとか彼を説得しようと必死に考えるが、有用な言葉は何一つ浮かんでこない。そんな中、サフィラが進み出てシルヴェスターを真っ直ぐ見つめる。
「シルヴェスター、みんなに力を貸してあげて」
ラドルファスは、普段大人しいサフィラの毅然とした言葉に驚いた。シルヴェスターは彼女の言葉を聞いてみることにしたらしく、足を止める。
「お金より命の方が大切。この人たちだってほんの少しでも蓄えはあるはず。このまま帰るよりはあなたにとってもいいと思う」
長い沈黙の中、ラドルファスはサフィラの緊張を自分のことのように感じた。
「……まあ、いいだろう。さっきよりは建設的だ。値引きしてやるよ……十ルミア、これ以上は下げねえ」
「じゅっ、十……!?」
代表の男が目を見開く。一ルミアは六十テスカ、小型の核は大体一つ五ルミアだ。その二倍。払えなくはないだろう。しかし、核は毎月補充しなければならない。村にはかなりの負担となるだろうが、命を天秤にかけるならば、払ってもおかしくない額。シルヴェスターはそれを見極めて言ったに違いない。
「あんた、十ルミアなら払えなくはないだろ? 金か命、どちらか選びな。もしかすると俺たち以外の夜狩りが来るかもしれないが、まあ間に合うかは微妙だな」
「……分かりました。払います。払いますからどうか【夜】を……」
「賢明な判断だ。間もなく日が沈む。──いくぞ」
不信がシルヴェスターに促されて建物を出る。西に輝く赤明星が光を降ろす中、しんと静まり返る村は不気味だった。【夜】の気配はないが、いつ襲ってきてもおかしくない。警戒しながら通りを進む。周囲を山林に囲まれた村の気温は低く、ときおり吹く強い風は容赦なく体温を奪っていく。後ろのサフィラがくしゃみをした途端、ラドルファスは異臭に気が付いた。シルヴェスターが呟く。
「あれを見ろ」
彼が指し示すのはちょうど建物の陰になった場所だった。激しい戦闘があったらしく、壁に焼け焦げた跡がある。同じものを見たらしいサフィラが息を呑んだ。荒らされた低木の茂みに寄りかかるようにして、二つの死体が折り重なっている。一瞬怯んだラドルファスをよそに、つかつかと歩み寄ったシルヴェスターは死体を検分した。
「致命傷は胸の傷だな。相当な力がないとこうはならない。厄介なのがいるみてえだな」
彼の言った通り、胸の傷は反対側まで貫通していた。巨大な槍で突かれたような傷口だ。ぞっとしながらも、ラドルファスは今まで読んだ文献を思い浮かべる。力に特化した【夜】は低級に多く、油断さえしなければそう苦労しないはずだ。
しかし護法に優れた夜狩りならまだしも、このタイプの【夜】に返り討ちに遭う見習いは多い。改めて気を引き締めた瞬間──誰かの悲鳴が遠く木霊した。
はっと通りの先を見る。斜面から森に続く道の向こうで、何かがちらちらと光っている。あれは──剣だ。月明りを反射するそれは、徐々にこちらに近づいてくる。【夜】のおぞましい吠え声に追い立てられ、人影が必死に距離を取るが、その速度は明らかに遅い。
「炎よ! 灯せ炎! ……クソっ、どうして効かない!?」
半狂乱で暁ノ法を叫ぶ男は、足を引き摺っていた。その声に引き寄せられたのか、夜の森に次々と赤い目が光る。「ティンダー」は下級の暁ノ法だ。
現に小さな炎を浴びた獅子のような【夜】はなんら痛痒を感じていない様子で、むしろ音で【夜】を引き寄せている。おそらくはまだ見習いの夜狩りだろう。シルヴェスターが舌打ちをして構えを取る。
「低級でもあそこまで群れると厄介だな。親玉はどこだ? ……まあいい、狩れば分かることだ」
ランディが羽ばたき、圧倒的な
その本体は
「待ってくれ! シルヴェスター、俺が彼の所まで行って退避させる。あんたは残りを足止めしてくれないか。十分な距離まで離れたら……」
「なぜそんなことをする必要がある? あいつごと吹き飛ばせばリスクも減る。取り逃がしたらどうする気だ」
「頼む! 時間がないんだ!」
「ラドルファス! 先走るな馬鹿!」
シルヴェスターの咎める声を無視して、無防備な【夜】に切りかかる。十分な助走からの二撃の威力は相当で、【夜】の首に相当する部分を構成する、黒靄が大きく乱れた。しかし、残念ながら核はそこにはなかったようだ。構わずに身体を捻って触手を避け、返しの一撃で何本かを切り落とす。思った通り、それほどの強さではない。
「逃げろ、早く!」
男は呆気に取られた顔で必死に頷くと、半ば転がるように【夜】から逃れた。獲物を失った獅子は、憎しみに満ちた赤い目でラドルファスを睨みつける。その鬣は蠢く何本もの触手となっており、酷く冒涜的な姿だ。この形態の【夜】は以前にも戦ったことがある。覚悟を固め、ラドルファスはある呪法を唱えた。
「駆けろ疾風の大鷲、六十六の門よ!」
あの夜以来の、ぐっと身体が加速する感覚。前回の二の舞を避けるべく、法力を慎重に調整した「
「なっ……!?」
切ったはずの触手が、倍の数になって再生している。今までの数ならかわせたが、増えたなら話は別だ。しかし加速し切った身体を、急に方向転換させることはできない。死んだ二人もこの手でやられたのだ、と気づくと同時に触手がラドルファスの心の臓を貫く──視界が反転する。肉を掻き分ける嫌な音、恐ろしい速さで心臓が脈打つが、なぜか痛みはない。
急に思考の速度が戻ってきて、素早く【夜】の方を見ると、触手がシルヴェスターの脇腹を貫通していた。彼がラドルファスを思い切り突き飛ばしたのだ、と理解すると同時に、彼の口から大量の血が溢れた。が、流石に歴戦の夜狩りは冷静だった。シルヴェスターは脇腹を穿たれたまま、静かに呟く。
「
弾けた光は予想に反し、【夜】を穏やかに包み込んだ。前に見た激烈な朝の光とは異なる、優しい夜明けが訪れる。そして光が消え去ると共に……彼の身体がぐらついて、そのまま力なく地面に崩れ落ちた。血の気がざっと引くのを感じながら、我に返ったラドルファスは彼に駆け寄った。
「シルヴェスター!」
何かを呟いているのは、治癒を始めているのだろう。現にじわじわと傷口に光が集まっていくが、その速度は鈍い。ラドルファスが近づいてきたのを察知したのか、彼は弾かれたように顔を上げた。
「この馬鹿が……油断するな! 死ぬかもしれなかったんだぞ!」
顔色は青白いにもかかわらず、物凄い剣幕だった。かつてこれほど強く叱られたことはなかった。シルヴェスターは今、自分のためではなく、間違いなくラドルファスのために怒っているのだ。前にも一度だけ、同じように叱られたことがある。ラドルファスは初めて、彼のことを亡き師──父と似ていると思った。
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