第5話 命と釣り合うものは Ⅱ
あの後、シルヴェスターは自力で家まで戻ったものの、負った傷の治癒は遅かった。四種類ある《暁ノ法》において、傷を癒す術は呪法に属するが、シルヴェスターが主に使うのは攻法、ラドルファスが得意とするのは呪法の中でも身体強化系統であり、深い傷を癒すには時間がかかるからだ。とはいえ、彼が傷を負ったのはラドルファスの軽率な行動が原因であるので、責任はもちろん感じていた。が、同時に複雑な思いも抱えていた。
庭には相変わらず《夜》がやってくる。ラドルファスは最後の《夜》の核を真っ二つにしながら地面に着地した。空はもう白み始めていて、まもなく夜明けがやってくるだろう。サフィラもさほど消耗していないようで、てくてくとこちらに歩いてくる。
「ラド、寒い。はやく家に帰ろう」
「ああ……」
サフィラに促されるまま歩き出す。ぼうっとしている事に気づかれたのか、彼女が顔を覗き込んできた。
「どうかしたの?」
彼女は不思議、というよりも心配しているようで、ラドルファスはここ最近考えていることを打ち明けた。
「……シルヴェスターのことなんだけど」
「うん」
「もともとお前の
直感で生きているらしいサフィラは、珍しく考えるそぶりを見せた。これまでの言動からすれば、彼女もシルヴェスターにはあまりいい感情を持っていなかった気がする。
「私にはむずかしいことは分からない……だから、ラドの好きなようにすればいいと思う。でも、悪いやつは他人を守ったりしない」
返って来たのは予想外の言葉だったが、ある意味サフィラらしいとも言えた。
(俺の好きなように、か……)
「ありがとうサフィラ。お前の言う通りにしてみる」
「どういたしまして」
彼女は得意げに胸を張った。耳を覆うふわふわとした羽が風に揺れる。その子供らしい仕草を微笑ましく思いながら、扉を開けようとした瞬間。
「すみませーん」
驚いたラドルファスは、思わず短剣の柄に手をかけながら振り返った。
「あ、ごめんなさい。驚かせちゃいました?」
そこにいたのは一人の女だった。長いぼさぼさの茶髪に黒い瞳、白衣を羽織っている。それ自体は概ね普通の出で立ちだが、背後に立っていたというのに全く気配を感じ取れなかった。
「この家の人です? なら、シルヴェスターって人のところに連れてってもらいたいんですけど」
ますます怪しいが、追い返そうとする寸前、今日は来客があると聞かされていたことを思い出した。
「あんた、薬師のノアか?」
「いかにも。そういうあなたはシルヴェスターの噂のお弟子さん?」
「噂かは知らないが、その通りだ」
先程の戦闘で少し汚れたサフィラを水浴びに追いやりながら、ラドルファスは答えた。とりあえず女─────ノアをシルヴェスターの所まで連れていくことにして扉を開ける。
「知らないの? 何回連合にせっつかれても弟子を取らなかったシルヴェスターが急に、っていうんだからね。みんなあなたのこと噂してるよ」
そう言うと、ノアはラドルファスの顔をまじまじと見つめた。
「な、なんだよ……?」
「うーん、なーんか見覚えがあるなぁ……あなた、どこかで私と会ったことある?」
「ないな」
まったく身に覚えがなかったのできっぱり否定したのだが、それでもまだノアは首を傾げている。シルヴェスターが休んでいる部屋は家の奥にあるので、しばらく沈黙が続く。
「あー!」
「急に大声を出すなよ……」
「分かった! あなた、サイラスの息子さんでしょ! めちゃくちゃ似てるよ!」
「……!」
サイラス・ブランストーン。
その名前を他者から聞くのは久しぶりだった。夜狩りだった父は、四年前に死んでいるからだ。ラドルファスの沈痛な面持ちを見て、ノアは何を思ったのか僅かに笑った。
「そっか……じゃあ、いいこと教えてあげようか?」
「……?」
「あなたのお父さんはね、今までで一番大きな《夜》と勇敢に戦ったの。その《夜》はまだ狩られていないから、どこかで必ず再発生するはず。あなたの復讐相手は六翼の竜よ」
彼女はそれだけ言うと、返答の暇を与えずに突き当たりの扉を開けた。中から「ノックくらいしろ!」というシルヴェスターの文句が聞こえたが、ラドルファスはぱたりと閉まる扉を前に立ち尽くすしかなかった。
(復讐相手、か……)
◇◇◇
「別に門まで送らなくたっていいのに〜、何回か来てるから迷わないよ?」
「あんた、胡散臭いからな」
くすりと笑ったノアは、無駄に立派な門に手をかける。彼女は呪法の名手で、シルヴェスターの傷はほぼ完治したらしい。
「あ、そうそう、あなたの師匠によく言い聞かせといて。病人のくせに家に広範囲結界を張るんじゃないって」
「は?」
「え? まさか聞いてないの?彼、《極夜病》なの。私の薬が効いてるからなんとかなってるけどね。ま、とにかくよろしく言っといてね!」
ノアは軽く告げると、ラドルファスが聞き返す前に去っていってしまった。
(くそ、嵐が通り過ぎたみたいだ……)
流石に疲れてきた。とにかく、シルヴェスターを問い詰めるのと、また家の中を彷徨っているのだろうサフィラを回収するのが先だ。家に向かって走りながら、ラドルファスはため息をついた。
《極夜病》については、夜狩りならば全員知っている。《夜》と戦っているならば、誰でも発病する可能性があるからだ。《夜》の有害な粒子を吸い込み続けることで、徐々に身体が侵されていき発症する。が、誰でもなる訳ではない。
一生健康な夜狩りもいれば、
部屋にずかずかと踏み込むと、ベッドの上で分厚い本を読んでいたシルヴェスターが顔を顰めた。
「おい、さっきもノックくらいしろと言って……」
「あんた、《極夜病》なのか? あと、結界ってなんだよ」
「……いきなりなんだ」
「ノアから聞いた」
端的に答えると、彼は読んでいた本をその辺に放り捨て、深いため息を吐いた。
「くそ、あいつ、余計なことを言いやがって……」
「どうして教えてくれなかったんだよ?」
「別にお前に言う必要はねえだろ。まだ仮の弟子だってことを忘れたか?」
言われてみれば、ラドルファスはまだ彼に認められていないのだ。確かに言う必要はないかもしれないが、《極夜病》に罹った後は極力暁ノ法を使わないことが推奨されている。病気の悪化を防ぐためだ。ノアの言う薬を飲んでいるとはいえ、なぜラドルファスを試すようなことをしているのか。余計に手間がかかるだけだというのに……
「それは……そうだけど」
「で、結界だったか? 面倒事を防ぐために張ってただけだ。別に大したものじゃあない」
(……家に戻るついでに確認した結界は夜の侵入を和らげるものだった……完全に夜を防ぎたいなら朝の灯火を使えばいい。そんな面倒なことをする必要はない)
ラドルファスは彼の嘘を悟っていた。何十回も嘘をつかれれば、流石に癖くらい把握する。しかしそれを追求するより先に、シルヴェスターは話は終わり、とでも言うようにこちらに向き直った。
「そんなことより、さっさとサフィラを回収してこい。どうせ水浴びにやったんだろ?家の中が水浸しになるのはごめんだぞ」
「分かった……」
「ああ、出る前にそこの薬を取ってくれないか。高いから落とすなよ。六十五ルミアだからな」
大人しく言う通りにしようとしていたラドルファスは、その言葉で危うく薬を落としそうになった。六十五ルミアあれば、ちょっとした家なら買える。改めて慎重に小瓶を持ち直す。中には澄んだ水色の液体が入っていた。
「六十五ルミアって……高すぎないか?」
「《極夜病》の治療薬なんて貴重なもの、そうそう手に入らないんだから仕方がないだろう」
シルヴェスターは薬を受け取ると、動物を追い払うかのように手を振った。さっさと出ていけということだろう。
(こっちだって一応心配してるのに……)
多少イラッときたが、彼のこういった性質にはもう慣れた。それに、弱った自分の姿を他人に見せたくないタイプなのだろう。ラドルファスもそうだが、まるきり手負いの獣だ。
とにかく、次の任務はサフィラを回収する事だ。忌まわしき《影》として幽閉されていた彼女は、まだ常識が分かっておらず、水浴びしたはいいものの身体を乾かさずに家中を歩き回ったりするのだ。そうなったら掃除するのはラドルファスなので、二回目は避けたい。とはいえ、結構長い間サフィラを放置していたので、水浴び場にはいない可能性も高いが。
「サフィラ、もう水浴びは終わったか?」
扉を勢いよく開け放ったラドルファスと、ちょうど扉の前にいたサフィラの目が合った。なぜか全裸の彼女の角にはシャツが引っかかっていて、驚きのあまり彼女のしっとりと濡れた白い肌をまじまじと見てしまう。
(…………って何やってんだ俺!)
「お、おまっ、なんて格好してんだ服着ろ! 服!」
「着ようとしたけどなんか着れない……私は別にこのままでもいい」
「俺がよくない! ちょ、ちょっと待て、こっち来るんじゃない!」
サフィラの身体を見ないように全力で目を背けようとする努力も虚しく、彼女はこちらに寄ってこようとする。
「どうして? ラド、待って」
「待たない! だから服を着ろっ!」
角に引っかかった服を着るのが面倒なのか、サフィラはそのままラドルファスを追いかけてきて、結局家中を追いかけっこする羽目になった。もちろん、シルヴェスターにこっ酷く叱られたが、これに関してはサフィラが悪いのだと異議を唱えたい。
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