第3話 情熱

 7月5日

 介護士の越川浩正こしがわひろまさは、犯罪によって大切な人々を失い、犯罪者を自らの手で処刑する自警団となった過去を持つ男。 越川は東京で新たな婚約者、常滑とこなめあやみと穏やかな日々を過ごしていた。 しかし、婚約者の前夫は非道なヤクザであった。ヤクザは彼女を金儲けに利用しておいて用済みになるや手下に襲わせて顔面に重傷を負わせた。

  越川は知人の刑事、長瀬にあやみの保護を依頼するが警察内部には内通者がいたため、あやみは喉をナイフで切り裂かれ殺害され遺された娘、由里子ゆりこも拉致されてしまう。 婚約者の復讐を果たし彼女の娘を救出すべく越川は再び自警団となってヤクザに挑む。


 7月6日

 智也はゾンビと化した常滑あやみに、追跡される悪夢を見た。あやみは夕凪町から遠く離れた、京都市で殺された。円山公園近くにある廃墟の浴槽の中に遺体はあった。🧟

 壁には血で○を2つ重ねた奇妙な幾何学が描かれていた。あやみは優秀な数学者だった。智也は蕁麻疹が出来るくらい数学が嫌いで、3以上の成績を取ったことがない。

 智也は烏丸御池駅近くにあるビジネスホテルに泊まっていた。隣の部屋には華がいる。シャワーの音が隣から聞こえる。妙にドキドキした。

 夜のうちにコンビニで買っておいたサンドイッチを冷蔵庫から出した。ハムサラダサンドを頬張る。レタスがしゃきしゃきしていて美味かった。ツナサンドやタマゴサンドも美味かった。食後にポッカの缶コーヒーを飲んだ。

 朝ドラの『ちゅらさん』を見てるとケータイが鳴った。着メロは氷川きよしの『箱根八里の半次郎』だ。この年、『ヤダねったらヤダね〜』は流行語にもなった。

「そろそろ行くぞ」

 華からだった。

 歯を磨いて、着替えをリュックサックに入れて部屋を出た。ロビーで華と合流した。チェックアウトして、円山公園に向かった。

 あゆみが残したダイイングメッセージは、円山公園のことかも知れない。そう言ったのは華だった。

 智也は何故、○を二重にしたのか?気になって仕方がなかった。

 華が言うには幕末維新の頃は、円山公園は真葛原まくずはらという野原だったらしい。彼女は大学時代、幕末維新ゼミに所属していたそうだ。

 明治維新までは八坂神社(当時は祇園感神院)や慈円山安養寺、長楽寺、雙林寺(双林寺)の境内の一部であった。明治初年の廃仏毀釈の一環として、1871年(明治4年)に上知令によって土地が政府に没収され、1886年(明治19年)に総面積約9万平方メートルの公園が設けられた。1887年(明治20年)には京都市へ移管され京都市初の都市公園となった。園地計画は武田五一がまとめた。人工鉱泉療養所や貸席がたちならび歓楽境をなしていたが、火災で焼失したあと1912年(大正元年)に小川治兵衛により池泉回遊式の日本庭園が作庭され現在の形となった。


 1927年(昭和2年)に開堂した円山公園音楽堂は約3,000人を収容可能な屋外ホールとして利用されている。料亭や茶店、旧自由党員・今幡西衛らの尽力によって建てられた坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像などもある。雙林寺、西行庵さいぎょうあん、芭蕉庵、などの旧跡も多い。過去には乗馬場もあったが現在は廃止されている。

 1950年12月9日午後2時頃、300人から500人規模で労働組合員、学生などが集まり越年闘争総決起集会が開催。京都市警察は解散を命じたが、参加者らが応じなかったため乱闘となった。警察側の負傷者40人、労働者側の負傷者50人。拘束者は108人にのぼった。

 園内には手がかりになるようなものは何もなかった。

「もう疲れたから帰りましょうよ?」

「長瀬、そんなこと言ったら亡くなった方が悲しむでしょ?」

「死人に感情はありませんよ。それにしても暑いなぁ、アイスが食べたい」


 7月7日

 📰神戸市営地下鉄海岸線、三宮・花時計前駅 - 新長田駅間が開業。

 今日は七夕の日だ。

 円山警察署に捜査本部が置かれ、智也たちも参加していた。刑事課長、火村剛ひむらつよしの案によりホームレスをマークすることになった。

 明け方、廃墟から出て来た白髪頭の老婆が市街地に向かう。智也と華は老婆を尾行した。自動販売機の陰から老婆の様子を伺う。老婆は生ゴミ用のゴミ箱を漁っている。黒ずんだバナナや人参の芯などの入ったビニール袋を見つけ、目を輝かせた。

「ちょっとお尋ねします」

 智也が声をかけた。老婆の背中がビクッとなり、こちらを振り向いた。

「お役所の方かね?」

「ええ、景気があまりよくないですね?さぞや大変でしょう?生活保護を受給されたらいかがでしょう?もしよろしければ、お名前をお聞かせ願いますか?」

 華がやるじゃん!的な瞳になった。

細木ほそきのり子と申します」

 智也は予め調べておいた役所の番号をのり子に教えた。

「あなたの名前は?」

「長瀬と申します」

 智也たちはスーパーを後にした。

「アンタ、今日は冴えてるじゃん?」

「お腹が空きましたねぇ?」

「朝、おにぎり食べたでしょ?」

「梅が食べたった買ったのに、鮭だもんなぁ」

 

 図書館の一角に子どもたちの短冊が飾られている。🎋

 もしも願いが叶うなら英太に会いたい。

 子供の頃は病弱で、医者通いが大変だった。運動神経が悪く、小学生の時のマラソン大会のときに一緒に練習をした。

『幾何学』の本を手に取った。『ユークリッドの定理』の項目に目が止まる。

 古代エジプトや古代ギリシャなどでは盛んに幾何学が研究されていた。エウクレイデスはその成果を『原論』の1~4巻において体系化した。その手法は

まず点や線などの基礎的な概念に対する定義を与える。

 次に一連の公理を述べ、公理系を確立する

そしてそれらの上に500あまりの定理を証明する。

という現代数学に近い形式をとっており、完成されたものであったので、それ以降の多くの幾何学者はこの体系の上に研究を進めた。ヨーロッパでは重要な教養の一つと考えられていたものである。

 こうして基礎づけられ発展した体系は、エウクレイデス(英名:Euclid ユークリッド)に因んでユークリッド幾何学と呼ばれるようになった。

 現代的観点からは公理系に若干の不備もあり、「現代数学の父」ダフィット・ヒルベルトがより厳密に体系化している。(ヒルベルトの公理)

 ユークリッド幾何学は、言うなれば直感的に納得できる空間の在り方に基づく幾何学である。直線はどこまでも伸ばせるはずであるし、平面は本来はどこまでも果てのないものが想像できるし、どこまでも平らな面があるはずであった。また、平行線はどこまでも平行に伸びることが想定された。それは、現実世界の在り方として、当然そうであると言う前提であった。

 ユークリッド幾何学は永きにわたって「唯一の幾何学」であったが、『原論』の第5公準(平行線公準)に対する疑問から始まった研究の流れは19世紀に至ってついに非ユークリッド幾何学を生んだ。

 ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学は一方が正しく他方が間違っているというような性質のものではなく、単に独立した別個のものである。「平面や歪みのない空間の図形の性質を探求する」のがユークリッド幾何学であり、「曲面や歪んだ空間の図形を探求する」のが非ユークリッド幾何学である。

 4つある定理のうち、智也が気になったのは定理1だ。与えられた有限の上に等辺三角形を作ることが目的だ。

 線分ABが与えられたとする。点AとBを中心として、ABを半径とする円を2つ描き、円の交点のどちらかに点A、Bを結べば正三角形を描くことが出来る。

 

 金井悠介は大阪にやって来た。昼過ぎの道頓堀は人もまばらだった。

 一般的に日本橋 - 大黒橋間において、道頓堀川南岸の道頓堀通沿いに広がる繁華街を指す。なかでも戎橋以東は道頓堀五座が立地した芝居町にあたる。道頓堀通の南側に芝居小屋、北側に芝居茶屋が並ぶ構造だったため、現在も通の南側に娯楽施設、北側に飲食店が多い。

 大阪ミナミの東西基軸となる道頓堀通の両側町で、南は難波新地と千日前、北は道頓堀川を挟んで島之内の宗右衛門町や久左衛門町に接する。飲食店が集中し、道頓堀グリコサイン、かに道楽本店、中座くいだおれビル、金龍ラーメン、なんば道頓堀ホテルなど、多種多様な看板・建物の店舗であふれている。かつてはくいだおれや道頓堀極樂商店街もあった。

 道頓堀川は、東横堀川の南端から西流して木津川に合流する全長約2.7kmの河川で、西横堀川(埋立。現・阪神高速1号環状線北行き)より下流は西道頓堀川とも呼ばれる。川幅は西道頓堀川と呼ばれる下流側は約50m、上流側は約30m。

 1967年(昭和42年)に大黒橋より上流の両岸にグリーンベルトを設置。1979年(昭和54年)に噴水、1989年(平成元年)にウォーターカーテンなども設置された。2000年(平成12年)には東横堀川水門と道頓堀川水門を設置して、高潮の防御および河川水位を一定に制御することが可能になると、親水空間としての取り組みが本格化する。


 金井は病院に祖父を見舞いに出かけた。祖母も来るはずだがまだ来ていない。テラスでケータイで母に電話した。

「おかん、ばぁちゃんはまだなん?」

《今出たところや》

 祖母は病室にやって来て、しばらくは祖父と話をしていたがケンカに発展した。

 祖父が「おまえはいつも襲い、亀か」って言ったことが起因だ。🐢

「あ〜じゃかあしい」

 金井はテラスに出た。パンジーやマーガレットが咲いており、小さい風車がクルクル回っている。

「癒やされる」

 病室に戻り、祖父の着替えやトイレを手伝ってやった。ポータブルトイレから悪臭が漂った。金井は吐き気を覚えた。

「東京はどうだ?」

 小便を終え、ベッドに横たわった祖父が尋ねてきた。金井はドキリとした。まさか、あやみが殺されてしまうとは思いもしなかった。もしかしたら、この介護事態が仕組まれたものかも知れない。警察が祖父や母に頼み、病院にやって来た俺を逮捕する。金井の精神状態はピークだった。


 殺人の罪で服役していた小山内一喜おさないかずきは、かつて自分が在籍していた新大阪にある半グレ組織に潜入し、内情を警察にタレこむことを条件に釈放される。一方、心斎橋では半グレ組織と対立する、ヤクザが手榴弾で爆殺される事件が起きていた。小学生になったばかりの息子、愛翔まなとを幸せにしたい一心で警察の犬となる小山内だった。


 金井は病院を出て、タクシーで実家に戻る途中だった。祖母は隣で居眠りしている。

 実家は住之江区にある。大阪市の南西に位置する行政区である。1974年7月22日に住吉区から西部を分離して成立した。現行の大阪市24区のうちでは最も広い面積を有する。

 上町台地の西側に広がり、平坦な地形となっている。古代は地域の大半が海だったが、大阪湾の沖積活動により砂州が形成され、陸地化が進んでいったと考えられる。古代の海岸線は現在の阪堺電気軌道阪堺線付近、中世の海岸線は現在の阪神高速15号堺線付近と考えられている。江戸時代の新田開発、明治時代以降の埋め立てによって、現在の陸地が形成されている。

 区の名称は、古代から付近一帯が「住之江」と呼ばれていたことに由来する。『古事記』『日本書紀』『万葉集』など古代の文章や和歌ではこの地は墨江・住吉・清江などと記され、いずれも「すみのえ」と読ませている。

 現代の地理では墨江すみえ住吉すみよし・住之江は異なる地域を指し、また清江きよえは住之江区内の小学校の名称として採用されているが、語源としては同一の地名を由来としていることになる。

 なお「住之江区」の区名は現住之江区発足以前にも、1925年の西成区新設の際に区名候補として、また1943年の住吉区・阿倍野区・東住吉区の分区の際に現住吉区の区名候補として、それぞれ検討されたことがあるが、いずれも実現しなかった。また、分区の際には「西住吉区」などが候補に挙がっていたが、既に「住之江」の名称が住之江公園や住之江競艇場などで使われていたことで名を知られていたこともあり、協議の結果「住之江区」と決定した。


 古代・中世には現区域の大半は海で、住吉浦・敷津浦などと呼ばれる海原が広がり、南北に海浜が延びていたと考えられている。


 室町時代末期には上町台地上にある熊野街道に代わり、紀州街道が主要街道となった。これにより粉浜や安立(安立町)が街道筋として発達することになった。


 江戸時代後期には新田開発が進み、おおむね十三間堀川(現在の阪神高速15号堺線)以西に北島新田・加賀屋新田などの新田が形成されていった。この地で新田開発が進んだ背景として、大和川の付け替え工事(1704年)によって川が流す土砂の堆積が進んだことで、新田開発に有利に働いたことがあげられる。


 明治時代の町村制施行により、現住之江区の区域には住吉郡墨江村・敷津村・安立町・住吉村と西成郡粉浜村が成立した。


 墨江村は浜口村(現在の浜口付近)・島村(現在の住之江付近)と、現住吉区域の殿辻村・沢の口村・遠里小野村・南浜口村・長峡町が合併して成立した。


 敷津村は南加賀屋新田・北加賀屋新田・村上新田・北島新田・柴谷新田・桜井新田・嬰木(みどりき)新田・庄左衛門新田が合併して成立した。江戸時代後期の新田開発前、この地付近の海が敷津浦と呼ばれていたことから、敷津村の村名となった。


 安立町は、安立町と七道領村が合併して成立した。七道領村は、大和川の付け替えにより分断された住吉郡七道村のうち大和川以北の部分にあたる(七道村南部は町村制で大鳥郡向井村となり、現在の堺市堺区)。


 住吉村は大半が現在の住吉区北西部と阿倍野区南西部の区域にあたるが、現在の住吉公園周辺も住吉村に属していた。


 粉浜村は中在家・今在家の2村が合併して成立した。中世までは粉浜村として一つの村だったが、1453年の火災による移住で2つの村に分かれた。しかし村の境界が交錯するなどしていたため1886年に合併して粉浜村となり、町村制でもそのまま粉浜村となった。


 明治時代後期より大正時代頃にかけ、南海鉄道の沿線にあたる粉浜や安立など現在の区東部に相当する地域では、市街地化・人口の増加が進んだ。また北加賀屋付近は明治時代後期頃までは農村だったが、第一次世界大戦(1914年)を契機に木津川筋に造船所が進出し、これに伴って住宅地・工業地帯へと変化していった。


 大阪市の第二次市域拡張により、1925年に現区域にあたる町村が大阪市に編入された。大阪市編入の際、当初案では西成郡今宮町・玉出町・津守村・粉浜村と東成郡敷津村・墨江村・安立町(現在の住之江区と、西成区の大半・住吉区南西部に相当)で一つの行政区を設置することも検討されたが、最終的には旧住吉郡の全町村に東成郡天王寺村を加えた形で住吉区が設置された。一方で粉浜村は西成区に属している。


 大阪市編入の際の新町名については、原則として旧町村時代の大字をそのまま引き継いだが、例外として旧墨江村島は住吉区住之江町に改称された。旧粉浜村は全域が西成区粉浜町となったが、2年後の1927年に4町への細分化が実施されている。


 町名についてはその後、土地区画整理などにより細分化・複雑化していった。


 1943年には大阪市の行政区境界見直しがおこなわれた。住吉区は住吉・阿倍野・東住吉の3行政区に分離したが、現住之江区域は住吉区に属した。この時に粉浜を西成区から住吉区に編入している。


 現在の平林は明治時代以降埋め立て・開発が進んだ地域である。平林は太平洋戦争中には高射砲陣地などとして使用されたが、1950年代以降大正区小林から移転されるかたちで貯木場として再整備された。製材業者は大正時代以降大正区に集中していたが、地盤沈下や大正内港造成などに伴う代替地として平林が選ばれ、製材業者が移転している。


 区の西部の南港については、昭和初期より開発計画が始まった。大正区船町にあった木津川飛行場の代替として、南港に国際空港を建設する計画もあったが、計画は中止されている。現在の南港東の南東部まで埋立造成が進んだ時点で太平洋戦争による中断が入った。1958年より埋め立て・開発が再開され、1980年代までに完成した。南港(咲洲)内のニュータウン・南港ポートタウンについては、1977年11月より入居が開始されている。


 区南部の北島地区は1960年代まで農地で、金時にんじんの畑が広がっていた。しかし当時の都市化の動きや、隣接する平林や南港の開発を背景に、1966年に都市計画が決定した。都市計画は1970年に着工し、北島地区は宅地へと変化していった。


 1974年7月22日に住吉区から西部を分離して住之江区が発足した。細江川(細井川)以北は南海本線を、細江川以南は阪堺電気軌道阪堺線を区の境界とした。


 住之江区発足と同時に、南港地区を除く全域で住居表示を実施した。大半は旧来の地名を生かして町名を設定したが、この時に旧来の釜口町(現在の平林北・平林南)、庄左衛門町(現在の西加賀屋)、嬰木町(現在の西加賀屋)の町名が消え、また従来の南加賀屋町の一部と北島町の一部で新たに泉の町名を設定している。また南港地区は1982年に住居表示を実施した。

 

 金井邸は競艇場の近くにあった。競艇場は『さんまの名探偵』というゲームの中にも出てくる。ファミリーコンピュータのソフトで、昔結構ハマっていた。

 鍵でドアを開けて中に入った。金井は魚屋みたいな生臭い匂いに吐き気を覚えた。

 二階の寝室で、母の金井かずえが首をかき切られ惨殺されていた。

「かずえ〜!かずえ〜!」

 祖母は娘の亡骸にすがりついて泣いた。

 電話線が切断され自宅内を物色された痕跡が会った。金井は恐ろしいほど冷静だった。 

「計画的犯行」

「このままじゃ、私たちもあぶない」

 金井はある逃がし屋の顔を思い出した。

 三角瑞樹みすみみずきという狸みたいな親父だ。現在は岸和田に住んでいるはずだ。

 金井はケータイで三角にかけた。すぐに行くから鍵をかけて、夜になっても灯りをつけないようにとのことだった。

「犯人が戻って来る可能性もないとは言い切れないな」

 17時過ぎ、トラックに乗って三角が助けにやって来た。金井と祖母は荷台に乗り込み、三角は夜の街を走り抜けた。


 7月9日

 📰 名古屋地方裁判所(石山容示裁判長)は大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件(1994年に発生)で4人を死亡させたとして殺人罪・強盗殺人罪に問われていた事件当時少年の被告人3人(2人は事件当時19歳・1人は18歳)のうち、主犯格とされた1人を死刑、残り2人を無期懲役に処する判決を言い渡した。その後、2005年に控訴審・名古屋高裁で3人とも死刑判決を受け2011年に確定。少年事件における死刑判決は連続ピストル射殺事件の被告人・永山則夫に言い渡された上告審判決(1983年)以降では当時3件目だった。

  

 女が原因で父親としても、夫としても、ビジネスマンとしても冴えない朝倉勇あさくらいさむ。 クビのかかった大事な商談も台無しとなり、自棄になり溺れるほど酒を飲んで、意識を失う。 目が覚めた場所はとある安ホテルの一室。扉は鍵がかけられ、窓のない部屋に監禁された朝倉は混乱し、助けを呼ぶが誰も応えず、部屋の片隅にある隠しカメラが、監視を続けるだけだ。やがて据え付けられたテレビからショッキングなニュースが流れる。

 彼の友人の宇喜多英二うきたえいじが首を斬られて殺され、犯人が朝倉だというのだ。自暴自棄になり錯乱する朝倉だが、「誰が?何の目的で?」「何故宇喜多が殺されたか?」何も分からないまま、長い期間監禁され続ける。自身をハメたのは誰なのか?脱出と復讐を果たす為、朝倉は腕立て伏せや腹筋などで身体を鍛え始める。やがて部屋を白いガスが覆い、深い眠りに落ちた朝倉が目を覚ましたのは戦国時代のとある城の中だった。


 8月10日

 大阪にある迫水組さこみずぐみで殺し屋として働いている智也は、ドンの孫娘の結婚式で由衣ゆいに一目惚れする。ほどなく智也と由衣は愛し合うようになるが、実は由衣はフリーランスの殺し屋で、ファミリーから金を奪い取った張本人だったのだ。その事実にショックを受けつつも由衣の言い訳を信じた智也は由衣と結婚する。

 その後、ドン・迫水剛さこみずごうの命令で由衣は奪った金を利子を付けて返すことになる。


 8月15日、ファミリーが大株主となっている銀行の頭取・中村大地なかむらだいちが横領を働いていることが明らかになり、智也は中村の誘拐を命じられる。由衣のアイデアで誘拐自体は成功するものの、偶然に犯行現場に居合わせた、大阪府警の池上龍臣いけがみたつおみ警部の妻を、顔を見られた由衣が射殺してしまったため、これまでファミリーとは「協力」関係にあった警察も迫水組をはじめとするヤクザへの締め付けを強める。これにより、巻き添えを食った他のヤクザは迫水組に反発を示すようになる。

  

 オニール・悟志さとしはアイルランド系の父とアジア系の母を持ち、物心がついた子供が俳優やサッカー選手に憧れるように、マフィアの一員になる事を夢見ていた。

 アイルランドは地質学的には、島は区別された地域で構成されている。西部のゴールウェイとドニゴール周辺には、カレドニア造山運動に関連した中~高品位の変成岩と火成岩の複合体がある。アルスターの南東部、南西のロングフォードから南のナヴァンまで伸びている地域には、スコットランドのサザン・ハイランド地域に似た特徴を持つオルドビス紀とシルル紀の岩石の地域がある。さらに南下すると、ウェックスフォード海岸周辺には、オルドビス紀とシルル紀の岩石への花崗岩の侵入によって形成された地域があり、コーンウォールのものと非常によく似ている。南西部、バントリー湾とマギリカディーズ・リークス山地の周辺には、実質的に変形しているが、わずかに変成したデボン紀の岩石の地域があり、コーンウォールの岩石と非常によく似ている。

 この部分的なリング状の硬岩は、島の中心部に向かって炭素質の石灰岩の層で覆われており、比較的肥沃で緑豊かな景観を生み出している。リスドゥーンバーナ周辺の西海岸にあるバレンは、カルスト地形がよく発達している。その他の地域では、銀鉱山とタイナ周辺の石灰岩に亜鉛と鉛の成層状鉱床が見られる。

 探鉱は、炭化水素を求めて行っている。最初の重要な発見は、1970年代半ばにマラソン・オイル社によって発見されたコーク/コーヴのキンセールにあるアイルランド最大のガス田である。

 彼は17歳という若さで、アイルランドに眠る秘宝、アイリッシュダイヤモンドを洞窟から盗み出したり、闇煙草の密売や、偽造クレジットカードの使用などを皮切りに、トラックの荷物強奪や違法賭博・ノミ行為・八百長試合の設定といった犯罪に手を広げていく。彼の一味はマックイーンを長とし、パイロキネシスを得意としたマクドナルドや、あらゆるマシーンの操縦に秀でたオライリーが同僚であった。


 マクドナルドを首謀者とした彼ら3人は共謀し、8月20日に近傍のスライゴ空港で輸送機から現金強奪事件を成功させ、50万ドルを手に入れる。

 スライゴは、アイルランドのスライゴ県の県都。コノート地方においてはゴールウェイに次いで人口の大きな町である。名称は『貝の地』に由来する。町のほぼ中心に流れるギャラボーグ川に沿いにJFKパレード道、ロックワードパレード道、リバーサイド道があり、パブ、喫茶店、店など立ち並んでいる。町には、中規模なショッピングセンターが2つある。キーサイドとジョンソンズコート。

 マクドナルドとオライリーは証拠物件の処分に失敗した人物を皮切りに、関わった人物を口封じのために次々と殺害していく。悟志はスライゴ事件には直接関わった訳ではないが、計画立案段階からの詳細を知る人物であった。また、悟志はマックイーンの組織ではタブーとされていた麻薬密売に関わった事が発覚し、たった2,000ドルの退職金をもらい受けて『破門』状態となっていた。

 悟志は自身を消そうとするかつての同僚の追及を逃れるため、優秀な殺し屋・智也を頼ることに決めた。

 また、マックイーンとマクドナルドは逮捕され、オライリーは他組織からの報復で眉間を銃で射抜かれて殺害されていた。


 8月25日

  📰トヨタ自動車が「ヴェロッサ」を発売(これにより「チェイサー」は24年、「クレスタ」は21年の歴史に幕)。

 智也はアイルランドにやって来た。キラケーにあるダウワーハウスは詩人のマーガレット・オブライエとその夫のニコラスが使っていた家だが、この家に中型犬ほどもある巨大な黒猫が現れるようになった。この黒猫は鍵の部屋の中にも突然現れるそうだ。

 キラケーのゴミ捨て場で宝物を見つけた。

 🇮🇪アイルランドの旗を手に入れた!

 悟志は病人みたいに痩せ細った若者だった。

 既に上層部は逮捕されており、出る幕はなかった。

「せっかく、遠いところからいらしたんだ、アイルランドを案内しますよ」

 

 智也は悟志に連れられて、モハーの断崖にやって来た。アイルランドのクレア県ドゥーリンに近いバレン高原南西端のリスカナーに位置する。

 大西洋から聳え立つ崖の高さはハグ岬で120m、8km離れた最高地点オブライアン塔の真北で214mに達する。アイルランド中でも壮観な眺望を誇り、晴れた日にはゴールウェイ湾に浮かぶアラン諸島やコネマラの谷や丘が見られる。

 オブライアン塔は崖のおおよそ中間地点に聳える円形の石造の塔である。アイルランド上王ブライアン・ボルの子孫サー・コーネリアス・オブライアンによって1835年に、当時すでに幾百人に及んでいた見物客を監視するために建てられた。塔の頂上からはアラン諸島とゴールウェイ湾、北はモームターク山地、トゥエルヴ・ベンズの山々、コネマラから南はループヘッドまでが眺望できる。

 ハグ岬に建つ四角い石の廃墟モハー塔はヨーロッパのナポレオン支配の時代の見張り塔の残骸と言われる。


 崖の地層は主にナムリアン期の頁岩と砂岩であり、最古の岩石は崖下で見られる。3億年前の川筋が崖下を切って走る。

 多くの動物が崖に生息しており、その中で鳥が多く、3万羽29種に及ぶ。特に興味深いのが隔絶された崖とゴート島に集住するニシツノメドリである。またタカ、カモメ、ウミスズメ、ウ、ワタリガラス、ベニハシガラスも生息する。

 智也は黄昏ゆく海を眺めていた。

 銃声が響いた。敵はオブライアン塔から攻撃して来た。智也は体が震えて動かなかった。

「おい!何してんだよ!助けて……ウギャアッ!」

 狼狽していた悟志は蜂の巣になり死んだ。

 バララララ!とロータ音が聞こえた。🚁

「大丈夫か!」

 助っ人に現れたのは死んだはずのオライリーだった。

 敵兵はオライリーの登場により逃げてしまった。

「ゾンビか、アンタは」

「俺は心臓が3つある」

 つまり2回は生き返る計算になるのか。

「優秀って聞いていたが大したことはないな?」

「突然攻撃してきたからビビっちゃって」

「何か匂うぞ?」 

「もらしたみたい」

 股間が濡れていた。

 智也とオライリーはオブライアン塔に向かった。

 空薬莢と煙草の吸殻が落ちていた。

「マックイーンの吸ってた煙草だ」

「まさか、脱獄したってのか?」

 智也はオライリーのヘリに乗り込み、モハーの断崖を後にした。


 2人はドゥーリンにやって来た。

 ドゥーリン はアイルランドのクレア県の大西洋側の海岸沿いにある村である。村のアイルランド語の名前は「黒い教会」の意味である。この村は温泉の町リスドゥーンバーナの近隣にある。この村は伝統的アイルランド音楽の中心地であると知られており、村の3つのパブで観光客に対して実演されている。この村の周辺では、鉄器時代前の考古学的な遺跡がたくさん存在する。ダンガイアー城やバリナラケン城が同じエリアに存在する。

「ドラクエに出てきそうな村だ」

 智也は呟いた。

 服屋でパンツを買って智也は履き替えた。  


 ドゥーリンの町から見ることのできるアラン諸島へのフェリーの航路が3つでている。(ゴールウェイへが1本と、残りがゴールウェイ湾の北の海岸沿いにある村ロッサヴィールへのものである)。ドゥーリンはモハーの断崖の近くにあり、リムリックとエニスそれぞれからガルウェイへ行くバスの停留場が崖とドゥーリンにあり、どちらの方向行きでも停車する。この地域は、バレン地域の南西の隅に位置している。


 ドゥーリンの村は3つの地域に分かれている。丘の部分が、ロードフォードと呼ばれる部分で、2つのパブ、レストラン、カフェ、宿屋やB&Bが何件かある。浜辺に向かって1kmほど進むと、フィッシャーストリートがある。ここにはオ・コーナーのパブ、ホステル、店舗、レストランが何件か、B&Bがある。その2つの間には新しい2件のホテルがある。さらに海に向かって下ると、ドゥーリンの海岸とキャンプ場が道の終わりにある。

 智也たちがいるのはロードフォードだ。

 アイル川はバレンの丘から、ドゥーリンを抜け海に至る。小さなクラブ島がドゥーリンの浜辺からすぐ近くにあり、19世紀の石造の警備隊の前哨基地の跡地が荒野に存在している。

 

 レストランに入り夕食を摂った。

 アイルランド料理は、伝統的に肉や乳製品をベースに、野菜や魚介類を加えたものだった。また、牧畜業が盛んなため、乳製品や肉、その加工食品が多く食されている。ジャガイモは多くの食事に添えられている。人気のあるアイルランド料理の例としては、ボクスティ、コルカノン、コードル、アイリッシュシチュー、ベーコン・アンド・キャベツなどがある。アイルランドのフル・ブレックファストは、一般的にラッシャー(薄切りベーコン)、卵、ソーセージ、ホワイトプディング、ブラックプディング、フライドトマトなどの揚げ物やグリル料理で構成されている。近年の経済発展と共に海外の食文化も取り入れられ、伝統料理と組み合わせた多くの創作料理で外食産業を賑わせている。島国にもかかわらず魚の料理は少ないが、西部に行くと魚介類の料理が増え、新鮮な野菜や魚、牡蠣、ムール貝などの貝類を使った料理がある。特に貝類は、全国の海岸線から良質な貝類が手に入ることから人気が高まっている。最も人気のある魚はサーモンとタラである。最近では全国各地で作られるようになった手作りチーズの種類も豊富になってきている。伝統的なパンには、ソーダブレッドがある。バームブラックは、サルタナとレーズンを加えた酵母パンで、伝統的にハロウィンに食べられている。

 アイルランド人の間で日常的に飲まれている飲み物には、紅茶やコーヒーがある。アルコール飲料には、ポティーンやアーサー・ギネスの醸造所であるダブリンのセント・ジェームズ・ゲートで生まれた辛口スタウトのギネスなどがある。アイリッシュ・ウイスキーも人気があり、シングル・モルト、シングル・グレーン、ブレンデッド ウイスキーなど、さまざまな形で提供されている。

 智也はシングル・モルト、オライリーはシングル・グレーンを頼んだ。

「この近くには洞窟があるんだ」

 オライリーが言った。

 テレビではマックイーンたちが脱獄したニュースをやっていた。


 8月26日

 凶悪ギャングのマックイーン率いるギャング団は、リムリック駅で列車を襲撃し乗務員を殺して現金を強奪した。リムリック駅はエニスというエリアにある。

 エニスはアイルランド中西部に位置する。リムリックの北西、ゴールウェイの南、シャノン川河口へ注ぐファーガス川流域にあたる。

 エニスのゲール語名"inis"は「島」を意味する単語だが、この名前はフランシスコ会修道院が建てられたファーガス川の中洲に由来する。

 エニスは歴史的に、アイルランド上王ブライアン・ボルの子孫であるオブライアン家と関係が深い。12世紀に、トモンド王であったオブライアン家がリムリックの権力の座を降りて、当時島だったエニス近郊のクロンロードに王宮を建てた。

 1240年頃、トモンド王ドナハ・オブライアン は、当時組織化されたばかりだったアッシジのフランチェスコの信者に彼が後に寄付する土地への、大きな教会の建設を命令した。


 続く数世紀は躍進の時期であった。修道士の住居が拡張され、神学を学ぶための大学に多くの学生が通った。自由に移動することのできた修道士は土地の人々の精神的なニーズを満たした。この場所はヘンリー8世により修道院解散が行われるまで、宗教上の中心であった。


 クレア県はエリザベス1世直轄のカウンティとなり、エニスはカウンティの中央に位置することとトモンド伯爵の影響からそのカウンティ・タウンに選ばれた。エニスは1610年代に自治憲章およびそれを構成する市長、自由市民、民衆、役所の職員を得た。


 エニスには一度も城壁がなかったことから、刑法によってカトリック教徒が町の城壁の内側への居住を禁じられた時にリムリックから多くのカトリックの商人がやって来ることになった。そして、過去の繁栄はこの流入に多くが起因している。18世紀後半には市場町として繁栄し、この拡大は1850年前後のジャガイモ飢饉の期間を除く19世紀を通じて衰えることなく続いた。


 植民地時代には、製粉所や裁判所といった今に残る歴史的な建造物の多くが造られた。第一次世界大戦には、多くのパブがイギリス海軍に利用された。クレア・ロードとクロンロードの周辺は20世紀前半に兵士向けに建てられたテラスハウスがある。ステーション・ロードはジェイル・ロードとも呼ばれ、一時期、刑務所があった。

 

 マックイーンは同じ日に遠隔地であった事件の犯人として自首・収監され、アリバイを得るという知能策で強盗殺人の重罪を逃れる。

 母親で犯罪の師でもあるキーラに溺愛されて育ったマックイーンはマザコンのサディストに成長した。その妻のアイリーンはマックイーンに愛想を尽かし、マックイーンの右腕であるマクドナルドと内通するようになっていた。  

 ちなみに、キーラは暗黒、アイリーンは輝いているものを表している。

 列車強盗をマックイーン一味の仕業と見る捜査当局は、秘密潜入捜査官ディアミトを囚人に偽装させて刑務所に送り、マックイーンと同房に置いて真相を探り出そうとする。

「マックイーンってのは敵のいないって意味だよな?平和な暮らしぶりをしてきたのか?」と、マックイーン。

「どうだろうな……」

 マクドナルドは刑務所内の手下を使って、事故を装いマックイーンを殺そうとしたが、ディアミトの機転で阻止される。マックイーンはディアミトの正体を知らぬまま強く信頼するようになる。


 そこに思わぬ知らせが届く。留守にギャング団を束ねていたキーラが、マクドナルドの裏切りで殺されたのだ。パイロキネシスによって焼き殺され、屋敷は真っ黒焦げになっていた。

 マクドナルドはマックイーンを裏切り母殺しに荷担したアイリーンと共に、ギャング団の頭目となっていた。逆上して暴れ回ったマックイーンは復讐を誓い、仲間を集めて人質を取り刑務所から集団脱走。その中には智也やオライリーもいた。

 ディアミトも同行する羽目になる。

 この日は29日、9月7日にならないと智也は活躍できない。

 マックイーンはマクドナルドを射殺し、アイリーンを脅して自分の元に戻らせると、智也たちと共に人里離れたアジトで強奪計画の準備に取りかかる。母親を失ったマックイーンは自らの精神の均衡をも失いつつある中、『親友』である智也に全幅の信頼を置くようになる。


 ガソリンスタンドからの現金強奪を計画したマックイーン一味は、タンクローリー車を改造して中に隠れる作戦で、コーク県にある工場構内へ潜入。

 コーク は、アイルランド南部、マンスター地方にあるコーク県の都市。アイルランド共和国ではダブリンに次いで2番目に大きな都市。コークという名前はアイルランド語の"corcach"(ぬかるんだ場所)から来ている。2005年の欧州文化首都である。コークはウィスキー工場が立ち並んでいた。

 首尾よく工場事務所に侵入したマックイーンたちだったが、そこで落ち合った仲間が智也の正体を見破ってしまう。

 智也は迫水組を壊滅させるために潜入し、迫水組がマックイーンと取引していることを突き止めたってわけだ。


 もっとも信頼していた人物が潜入捜査官だったというあまりに大きな裏切りにマックイーンは錯乱状態になる。折しも捜査当局が急行してギャング一味を包囲、手下たちは警官隊の銃弾に次々と倒れた。

 追いつめられたマックイーンは完全に正気を失い、駆け上った大きなガスタンクの頂で哄笑しながらタンクに発砲した。

「あの世で待ってるぜ!」――次の瞬間、タンクはマックイーンもろとも大爆発した。💥


 9月4日

 冒険の前日はいつでもワクワクする。智也は宇都宮駅周辺をブラブラしていた。

 宇都宮駅西口は宇都宮市の中心部に面し、ビジネス客や観光客が訪れる宇都宮の玄関口である。宇都宮市の中心部は、駅西側を流れる田川の対岸1 - 2km西方の東武宇都宮駅周辺であり、オリオン通りなどの商店街や東武宇都宮駅と直結する東武宇都宮百貨店などの商業集積地であり、栃木県庁や宇都宮市役所などの行政主要機関なども所在する。


 宇都宮駅は日本鉄道第二区線大宮 - 宇都宮間の開業に伴い開設されたが、当時より国内有数の人口を擁する地方都市であった宇都宮では、線路が街中(市街地)を避けた田川対岸、宇都宮の東側にいわば追いやられた格好で設置された。一方で路線敷設工事が急ピッチで進められたこともあり駅周辺整備が十分でないまま開業となったこともあって、当初は駅と現中心街を結ぶ大通りが開通しておらず、日本鉄道第二線区の開通式に参列し栃木県庁を訪問した伊藤博文、井上勝、渡辺洪基らは田川下流部にかかる押切橋を渡って宇都宮の街中に入り県庁を目指した。その後小袋町(現在の上河原付近)と簗瀬村の土地を買い上げて道路とし、田川には宮の橋を架けることによって現在の大通りが開通した。


 9月5日

 智也は、宇都宮駅から函館行きのブルートレイン『北斗星』に乗り、愛する元妻の穂波ほなみに会いに出かけた。穂波とは大学時代に知り合った。穂波は新しい男とよろしくやっているようだった。 

 青函トンネル(津軽海峡線)が開業した1988年(昭和63年)3月13日に、初めて東京と北海道を乗り換えなしで直行する列車として運行を開始した。定期運行当時、走行距離 1,214.7 kmはJRグループが運行する定期旅客列車として最長距離であった。このうちJR線 1,010.8 kmである。定期運行末期の段階では、臨時列車も含めた全旅客列車で、『トワイライトエクスプレス』に次ぎ、同一経路で運行される『カシオペア』と同順位の2位であったが、『トワイライトエクスプレス』の廃止後は1位となった。

 運行開始当初は1日3往復が運行され、うち1往復は臨時列車扱いだった。1989年(平成元年)3月11日には3往復全てが定期列車となった。

 1999年(平成11年)7月16日の『カシオペア』運行開始後は1往復が臨時列車に格下げされ、2往復の運行となった。

 天体の北斗七星・北極星が由来となっており、『夜行列車は天体名にちなむ』とかつての慣例や『宇宙的なイメージ』からとされる。急行『はまなす』・快速『海峡』とともに、一般公募により決定された。なお、一般公募で募られた候補は「北海」が得票数1位で、以下『タンチョウ』『オーロラ』などが続いたが、結局はわずか15票で108位の『北斗星』が採用された。

 

 食堂車『グランシャリオ』(7号車)にはポアロ智也の他、様々な職業・地域の乗客が乗り合わせ、季節外れの満席となっていた。

 その中の1人、大阪の富豪三角瑞樹みすみみずきが智也を見知り、話しかけてきた。彼は脅迫状を受け取っており、身の危険を感じて智也に護衛を依頼したのだった。しかし、智也は三角の態度に良い印象を持たず、事件そのものにも興味を示さなかったため、彼の依頼を断ってしまう。

「若い奴が年寄りの依頼を聞き入れるのは当然だ?俺はオマエと同じくらいの歳なんだよ」

 ベッドに横たわりつぶやいた。整形してるので外見は20代だが、中身は50代だ。三角は1947年生まれ、46年生まれの智也より1つ年下だった。


 列車は八雲駅と長万部の間で急停止、立ち往生する。運転士が心筋梗塞になったらしい。翌朝、三角の死体が彼の寝室で発見される。死体には刃物による5箇所の刺し傷があった。現場には燃えさしの手紙があり、『小さい由里子のことを忘れ』という文章が読みとれた。

 調査の結果、三角は常滑あやみの娘である由里子の誘拐殺害犯であることが判明する。

「あのときのダイイングメッセージは三角を意味していたのか……」と、智也。

 その事件ではあやみの姉の美咲みさきは身重だったが事件のショックで早産して母子ともに死に、越川浩正はあやみの後を追って拳銃自殺していた。

 事件の顛末を知っていた智也は三角の正体に気づき、捜査を始める。智也は車掌の武者小路芽衣子むしゃのこうじめいこと、乗り合わせた医師の桃山靖幸ももやまやすゆきと共に事情聴取を行う。犯人は立ち往生している列車から逃げられないはずだが、乗客たちのアリバイは互いに補完されており、誰も容疑者に該当しない。

 明日になればもっと捗るはずだが、昨夜は寝る前にウィスキーを飲んだせいか頭がズキズキする。


 6日の昼前、食堂車にやって来た。

 蓮城六郎れんじょうろくろうという青年と意気投合した。彼はジブリ作品が好きで、最近『千と千尋の神隠し』を映画館で見たらしい。

「千尋の声を出している柊瑠美ひいらぎるみは数年前の朝ドラ『すずらん』で主人公の子供時代を演じてました」

「『おしん』はよかったな〜、特に父親役の伊東四朗いとうしろうが」

「長瀬さんってまだ若いですよね?」

 いかんいかん!20代の長瀬は、1983年(昭和58年)4月4日から1984年(昭和59年)3月31日まで放送されていた『おしん』をよく知ってるはずがない。

「あぁ、レンタルビデオで見たんですよ」

「なるほど、そーゆーことですか」

「『となりのトトロ』もよかったですよね?」

 智也は慌てて話題を変えた。

「うん、メイちゃんがトウモロコシをトウモコロシって間違えるシーンは面白かった」 

 蓮城は若いわりに白髪が多かった。

「そんなシーンありましたっけ」

「長瀬さんって仕事は何をしているんですか?」

 考えあぐねた末に「食品会社で働いてます」と答えた。

「どこの?」

「『セグロ食品』です」

「珍味を扱ってる会社ですよね?アソコのアンキモは美味いですよ」

「ところで蓮城さんは何の仕事をなさってるのですか?」

「ニートです。大学出ても、どこにも就けなくて」

「そりゃあ大変だ」

 

 困惑しながらも智也は真相を導き出し、翌朝食堂車にて乗客たちに2つの解答を提示する。1つは、何らかの理由で正岡と対立していたギャング等の人物が途中の駅で列車に乗り込んで三角を殺し、すでに列車から降りたというもの。列車がすでに違う標準時に入っていることを三角や乗客たちが忘れていたとすれば、乗客たちの証言との辻褄は合う。

 しかし、それはあり得ないと反論する桃山に対し、智也はもう1つの解答を話し始める。

「湯川さん、嵐山夫妻、蓮城さん、若狭さんの5人が共謀して三角さんを殺したのです」

 智也は頭の中で5人のプロフィールを整理した。

 湯川洋介ゆかわようすけ(60)群馬県出身・印刷業

 嵐山隆太らんざんりゅうた(42)静岡県出身・整体師

 嵐山瑠美らんざんるみ(隆太夫人)(40)静岡県出身・専業主婦

 蓮城六郎れんじょうろくろう(25)東京都出身・無職

 若狭鴈治郎わかさがんじろう(72)滋賀県出身・無職


「ちょっと待ってくれ?何で俺たちが?」

 若狭が言った。

「若狭さん、滋賀の珍味は何でしょうか?」

 智也が尋ねると、若狭は首を傾げた。

「鮒ずしですよ」と、智也。

 フナを用いた熟れ鮨(鮓)で、滋賀県の名産である。飯と塩で作られ、独特の発酵臭がする。ただし上手に漬けてあるものは臭いがそれほどきつくない。飯に漬けた後に酒粕に漬け直すこともあり、その場合は発酵臭が抑えられる。独特の香りがあり、魚肉のタンパク質がうまみ成分であるアミノ酸へ分解されたものである。江戸時代以来、主に琵琶湖の固有種であるニゴロブナが最適とされてきたが、ゲンゴロウブナも使用されている。オスもメスともに使われるが、子持ちのメスのものがより高価である。

「隆太さん、静岡の珍味といえば?」と、智也。

「いりこ味のおでん?」🍢

「正解はクサヤです」

「越後製菓じゃないんですか?」 

 芽衣子がおどけて見せた。

「珍味を答えられないだけで犯人扱いされたんじゃ溜まったもんじゃない」

 湯川が舌打ちをした。

「湯川さん、中折りってご存知ですか?」

「長瀬さん、こんなときに下ネタですか?」

 湯川が頬を赤らめた。 

「中折りってのは、ページ数の少ない小冊子などを外と内の二折りでつくる場合、外側の折りに差し入れて綴じる内側の折り丁です。中折れではない。印刷業に携わっているのにそんなことも知らないんですか?」

「………」 

「蓮城さん、アナタは三角の下で働いていたんではありませんか?ニートなんて真っ赤な嘘だ」 

 蓮城は三角に首を切られたことを根に持っていた。

「それと、武者小路さんアナタには失望しましたよ。ワトソン役としては適任だと思っていましたが、アナタの父親はギャンブル中毒症で多額の借金をし、三角から金を借りていたが返さないことに腹を立てた三角に自動車事故を装って殺された」

 5人のアリバイを調べたのは芽衣子だった。

 嵐山瑠美の旧姓は常滑、あやみは瑠美の実の妹。若狭は常滑あやみの父、由里子の祖父に当たる。

 事件を解決した智也は、巡査部長から警部補に昇進した。

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