第20話 無自覚な怒り

「珍しく怒っていましたね」


まだ話し足りなさそうにしていた兄を残してガゼボから離れるとヨハナに声をかけられる。


「誰が?」

「リーザ様ですよ」

「私?怒っていたのはルド兄様でしょ」


苛ついていたけど怒りを感じた覚えはない。怒りを滲み出していたのは兄だった。

ヨハナを見ると「いやいや」と首を横に振られる。


「ルド様がエトムント殿下に関して酷い言葉を発する度に悪魔のような形相になっていましたよ」

「は?誰が?」

「リーザ様以外に誰が居ると言うのですか…」


何を言っているのだと言ってきそうな表情を向けられる。

ヨハナは絶対に嘘を言わない。

兄がエトムント殿下を卑劣な人間扱いしている事にムカついたけど悪魔のような形相になっていたとは思わなかった。


「まるで好きな人を馬鹿にされて怒る乙女みたいでしたよ」

「な、何言ってるのよ!別に好きじゃないわよ!」


どうして私がエトムント殿下を好きにならないといけないのよ。

お茶会を通じて苦手な人からちょっと良い人に変わったくらいだ。牙を剥くように言うとヨハナは呆れたように深く溜め息を吐いた。


「ものの例えですよ。何を焦っているのですか」

「他の例えを使いなさいよ!」


どうして出てきた例えが好きな人を馬鹿にされて怒る乙女になるのよ。

友人を悪く言われて怒りを向ける人とか他にも言い方があったでしょう。

エトムント殿下とは友人ではないけど好きな人扱いされるより遥かに良い。


「顔真っ赤ですよ。もしかして図星だったとか?」

「違うってば!」

「冗談です」

「真顔で冗談を言うのやめなさいよ」


優秀な侍女は何の嫌がらせなのか全く表情を変えず冗談を言ってきたみたいだ。

冗談を言うのなら普段みたいに揶揄うように言えば良いのに。いや、馬鹿にされたらそれはそれでムカつくから駄目ね。

それにしたって冗談だと伝わりやすく言って欲しい。


「そこまで焦られるとエトムント殿下を好きなように見えてしまいますよ」

「だから」

「分かっています」


しれっと返してくるヨハナ。主人の言葉を遮るとは良い度胸だ。


「ヨハナ、今からちょっと付き合ってくれない?」

「絶対に嫌です。どうせ訓練場に行くと言うのでしょう」

「あら、よく分かってるじゃない。憂さ晴らしに付き合って」


にこりと笑いかければ今度は分かりやすく嫌そうな表情を返された。

そうやって分かりやすくしていれば良いのに。


「良いから行くわよ」

「分かりましたよ…」


着替えてから訓練場に向かうと軽く準備運動を済ませてからヨハナと打ち合う。護衛も務められるだけあって簡単には勝たせて貰えない。

それにしてもどうやってエトムント殿下に兄の剣技を教えたら良いのかしら。

彼とは学園でしか会う事が出来ない。学園の訓練場を使えれば良いのだけど生憎と今は兄の存在があって邪魔を受けるだろう。


「考え事ですか?怪我しますよ!」


金属音が大きく響いたかと思ったら手に握っていた剣が弾き飛ばされる。

慌てて拾おうとするが中腰になったところで動きを止める。右肩に剣先をくっ付けられたせいで少しでも動けば怪我をするからだ。


「目の前の相手に集中しないと危ないですよ」


見下ろしてくるヨハナは冷たい目をしていた。

本当に剣を持たせると人が変わるのだから。

優秀な侍女は冷酷な一面を持っている。過去に私を狙おうとした馬鹿達をたった一人で斬り殺した事があるくらいだ。


「悪かったわよ。離して」


ゆっくりと右肩にくっ付いていた剣が離れていく。

地面に落ちた剣を拾い上げると手を差し伸べられるので掴まって立ち上がる。


「何を考えていたのですか?」

「ちょっと色々とあってルド兄様とエトムント殿下が戦う事になりそうなの」

「それは……エトムント殿下に勝ち目があるのですか?」


兄は権力者に媚を売ったりしない。勝負となれば誰が相手であろうと必ず勝つ気で挑むような男だ。

ヨハナもそれを知っている。だからこその質問なのだろう。


「エトムント殿下の剣の腕がどんなものか知らないけどルド兄様に勝つのは難しいわよ」

「ですよね…」

「ただ負けるとしても惨敗って結果には終わらせてあげたくないの」


惨敗という結果に終わったらきっとエトムント殿下は落ち込むに決まっている。最悪の場合は剣をやめてしまうかもしれない。

彼と兄を焚き付けてしまった身としてはそんな事にはなって欲しくないのだ。


「相手は隣国の王子ですからね、当たり前の事だと思います」

「だから兄様の剣技を彼に教えてあげようと思うのだけど」

「良い考えですね」

「ただ問題があって」


首を傾げるヨハナは「問題ですか?」と尋ねてくる。


「どこでエトムント殿下に教えてあげたら良いのか分からないのよ」

「学園で良いじゃないですか」

「兄様が居なかったらそれで良いのだけど…」


そこまで言うと「ああ…」と力ない声が聞こえてくる。

全てを言わなくても伝わったのだろう。


「クリストフ殿下とリア様にご相談されてみては?」

「迷惑じゃないかしら」

「事が事ですし、お二人も協力してくださると思いますよ」


確かにクリストフ殿下とエミーリアなら協力してくれそうだ。

ただクリストフ殿下には揶揄われそうな気がする。

ちょっとだけ言いづらいけど背に腹は変えられない。エトムント殿下の為にも協力して貰うしかなさそうだ。


「そうね。明日話してみるわ」

「話は終わりましたね。では、エトムント殿下に教えられるようにその鈍った腕をどうにかしましょう」

「え?」


訓練場に来るまで嫌そうにしていたくせに途端にやる気満々で剣を向けてくるヨハナに戸惑う。


「リーザ様、最近全く剣を握られていませんでしたね?腕が鈍っていますよ。それではエトムント殿下に教える事は出来ません」

「い、いや、お腹も空いたし、今日は…」

「駄目ですよ、さっさと構えてください。私が叩き直しますから」


本当に剣を持つと人が変わるわね。

ただ剣の腕が鈍っているのは自分でも感じていた事だ。ヨハナも看過出来なかったのだろう。

仕方ないと剣を構える。


「手加減してよ」

「出来るほど器用な人間ではないので気合いで乗り切ってください」


それが主人にかける言葉かと思うがこれくらいが丁度良いのだろう。

明日は筋肉痛になると覚悟しながら地面を蹴り上げた。

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