第4話 善性と悪性が感じる喜び

「ふっふふふふーんはは」

 まるで地元民のように、すっかりと煙の街を気に入って楽しんでいる旅人さん。

「おーんせんッ、おーんせんッ! ヒュー!」

 浮き足立って、馬のひづめを鳴らすように、タタンッとステップを刻む。

 そんな、少しおかしなテンションで、二日目の朝風呂を楽しもうとしていた旅人さん。

 そんな彼女を、理由しかない悪意がさっそく襲ってくることとなった。

「……はん?」


 ーーあまりにわかり易すぎる変化に、旅人さんはピタッと体を止める。


「温泉」。つまり、沸き出るお湯はあった。昨日と同じ場所に。

 しかしーー。


「……建物が。……無い?」


「お風呂」を除いて、銭湯そのものが綺麗に消え去っていたのだった。



「それで、変わってたのはそれだけだった?」

「えっ……。ごめん、ショックが大きすぎて確認してなかった」

 旅人さんは、神秘さんに事の経緯を説明する。


 いつもいつも、何かがあったらまずは報告。そして相談。

 神秘さん曰く「ほうれんそう」を大事に。そう教わった。


「それじゃあ、今から見に行こっか」

「えぇ……」

 行った道をもう一度辿るのは、単に面倒臭い……。という心の愚痴は置いといて。

 楽しみを潰された旅人さんは、とぼとぼと落ち込んだ足取りで神秘さんの後ろをついて行った。


「ふむふむ。自動販売機は何故か倒れ、コードは断線しているのか」

(……ちょっと暑いな。温泉がすぐ側にあるからかな?)

 銭湯の建物そのものが消え去ったが、「お風呂」が残ったように「自動販売機」も不完全ながら残っていた。

 しかし、何故か横倒れになっており、しかもコードが不細工にちぎれていた。

 更に、何故か分からないが小さな両生類が何匹か散らばっている。

(うるさいなぁ)

「コレってカエルかな? ……うん。旅人ちゃん、こっち来て」

 両生類を片手左手に摘んでしゃがんだまま、手招きしている神秘さんのもとに近寄る。

「コレ。どう?」

「どうって……」

「何か気づかない?」

 何かに気づかせるように誘導してくる神秘さん。

 彼女が指を指すもの。即ち「自動販売機に繋がっていたコード」の事だ。

「別に……。ちょっとえぐれてるだけじゃん」

「そう、それだよ! !!」

「はぁ?」

 そもそも、「電気」がどうやって作られてるかとか、コードとは何なのかもあまり知らない旅人さん。

 彼女にとって、今見たコードはよく分からない紐であり。

 そして何故か「えぐれている」ように、コードが不自然にちぎれているようにしか見えなかった。

 その見方こそ、この現象の答えだった。

「コードが不自然にちぎれている。普通、爆発しようがコードはこんなちぎれ方はしない」

「じゃあ何なの?」

「神秘だよ。この街の代名詞『煙』が答えだ」


 煙の街。何度も言うが、侵入者を追い払う煙が漂う不思議な街。

 神秘さんと旅人さんも、一度引き離されてしまった。

 そして、今回は宿そのものが引き離されてしまった。


「……もしかして」

「そう。この街の煙は、物を瞬時にどこかへ飛ばす力がある」

「えっ!? それはマズイのでは!?」

「そうだね。いつ、どこで僕らがバラバラになるか分からないワケだ。ハハッ、参ったね」

「笑い事じゃないんだけど!?」と心の悲鳴を叫び、頭を抱えてうずくまる旅人さん。

 それとは反対に、冗談めかして余裕をぶっこいている神秘さん。

 多種多様な反応はともかく、状況は思ってた以上にマズイ。


 例えば、もし今、二人が突然バラされてしまったら。

 しかも、バラされた場所がもの凄く遠かったら。


「……ねえ、やっぱりマズイんじゃ」

 その事を考えるだけで、段々と血相が悪くなってくる。

「うーん……。もしやり手の奴だったら、旅人ちゃんは死ぬかもね」

「うっ……」

 一番聞きたくなかった事を平然と言われ、心が傷つく旅人さん。

 今までもお荷物になったり、一人で危なかったりした事もあったが、今回はかなり特殊な部類に入る。

「……今回はかなり悪い部類に入るなぁ」

「そうそう。昨日言ったと思うけど、ちょっと様子見に行かない?」

「昨日?」

 昨日の記憶なんて、温泉が素晴らしかったのと、風呂上がりの牛乳が美味かったことくらいしか覚えていない。

(……まあ、何でもいいや)


 銭湯があった場所に置き去りにされた、自動販売機と数々の証拠を後に回して。

 二人はとある場所へと向かった。



「……なんか暑くない?」

 神秘さんに案内されて、辿り着いた場所は「妙に暑い」だけの場所。

 辺りを見回しても、小型の両生類がちらほらいたり、煙が濃かったりしているだけだ。

「濃い……」

「流石。どうやら勘づいているみたいだね。前世はやり手のスパイだったんじゃないかな」

「すぱい?」

 訳の分からない冗談をかます神秘さん。

 彼女の言った「勘づいている」事の意味。

(もしかして……)

 もう一度、辺りを見回す。

(……周りは。特に変わった場所でもない。そして何故かいる小型の両生類。濃くなった煙。妙な暑さ)

 更に、両生類が生きるには必要なはずの「水場」はこの辺りには無かった。

両生類は水場で産卵し、個体を繁殖させる。霧の中では生きられるかもしれないが、個体の増殖ありえない。

(……そうか!)

 ポーンッと頭の中で答えが閃く。

 モヤモヤが解けてスッキリした顔を見て、神秘さんがニヤリ。続いて、二人の真正面の空き地を指さす。

「そう。そしてトドメはコレ。もったいぶらずに言うけど、ここも転換された場所だよ」

「転換……」

 その転換された場所というのは、丁度人が三人くらいで立てこもれる位の広さ。

 そこだけ、不自然に散らばっている様々な工具と、木の板の破片が点在している。

 しかも、雑草が生い茂る空き地にも関わらず、唯一草が禿げている空間となっている。

「つまり、この街には意志を持った生物がいるってことね」

「まったく、詰めが甘いね。それともワザとかな? だとしたら、よっぽどの自信家だろうさ」

 左手に両生類を携えしゃがんだまま、「フフフ」と不敵に笑う神秘さん。

「ところでその両生類……。何なの?」

 見たところ、色は緑色で葉っぱの中だと見分けがつかない。それでいて小さくて愛らしい見た目だ。

「さあ。品種は分からないけど、カエルだと思うよ。ふむふむ、手触り神秘で調べた感じ、毒腺も無いか。……そうだ」

 考え事を中断して、神秘さんは「カエル」という両生類を手当り次第に乱獲する。

「……?」

 神秘さんは両手一杯に持ったカエルたちを、魔法のように「消し去り」、手の汚れを払う。

「ああ、今のは消し去った訳じゃなくて。『倉庫』に持っていっただけだからね」

「ふーん」

 何に使うつもりなのか分からないが。

(……まあ、概ね食べるつもりなんだろうなぁ)

 儀式とかするような人でもないので、食材にでもするつもりなのだろう。

「よし! それじゃあ答えは得た訳だし。本業、始めちゃう?」

「街に入って二日目だってのに、嫌な幸先だなぁ……。まあ、やれるだけの事はやっとくか」

 旅人さんは現場に落ちていた工具を一つ拾って、背中のカバンに引っ掛ける。

 こうして、せっかく見つけたお気に入りのお風呂を、跡形もなく消し去ってくれた奴らの手がかりを探すこととなった。



 とはいえ、街中を歩いても目星がつく収穫は無かった。

「見つけたのは木のスプーンとボウルみたいな、まだ使えそうな食器。有難いけど、コレじゃないのよねぇ〜」

「やっぱり、僕達はどこかの誰かさんの思惑通りに動いてるのかな」

「どうゆう意味?」

「気にしないでいいよ。それより、今日は睡眠を取った方がいいんじゃない? 美容と健康の為にも、そしてボロボロのお肌の為にもね?」

 そう言って、わざとらしく旅人さんの頬を突っつく神秘さん。


 褒められたことじゃないが、確かに旅人さんの肌は荒れている。ニキビが酷い訳ではなく、お肌や髪の毛の手入れが満足にいかないので、ボロボロになりやすいだけだ。


「なーんでお肌ってボロボロになるんだろうなぁ。そう思うよね、神秘さん」

 あんまり触ることの無い頬を、右手でスリスリしてみる。

 ーー確かにちょっとアレかもしれない。

 しかし、旅人さんにとってこの問題は些細な事。当たり前なだけだ。

 なので、別に指摘されても怒らないし、仕方の無い事だと割り切っている。

 そんな様子を見て、神秘さんは「じゃあさ」とある提案を申し出た。

「今度はお肌の手入れでも教えてあげるよ。僕みたいな美人になりたいだろぉ?」

 さりげなく自分を美人呼ばわりする神秘さん。満面の笑みで自分の顔を指さし、ドヤ顔を決めてくる。

「美人になっても、見てくれる人間なんていないじゃんか……」

「いいからいいから。行くよ!」

 神秘さんは、冷静なツッコミをする旅人さんの手を握り、面倒くさそうな彼女の手を引っ張って行った。


「お腹空いた……」

「ちょーっと待ってて。今が一番大事なんだから」

 連れていかれたのは、お風呂だけになってしまった銭湯。

 そこで既に入浴を済ませた後、寝巻きに着替えて、神秘さんが調達してくれた椅子に座る。

「ソレ。盗っちゃっていいの?」

「いいのいいの。どうせ使

 神秘さんが握るのは、使い切りタイプの、小指よりも小さいサイズのチューブ。中に何が入っているのかは分からない。

 コイツは、横に倒れていた自販機を、神秘さんが建て直して、中身をぶち抜いてきたヤツである。

 盗みが悪いことなのは分かっているし、旅のお天道様に見限られるのも嫌なので、悪手は極力避けて通っていたのだが。

(まあ、盗ってしまった物は仕方ないか)

 意外とあっさりモットーをへし折る旅人さんであった。

「んうっ、冷たっ……」

 両頬に塗られたのは、白色の液体。牛乳よりもしっかりしていて、肌に馴染んでくるのがよく分かる。

「ほわ……。なんか凄い」

「流石の技術ってとこだね。中身が腐らずにそのままだ。よし、コレで寝れば明日には良くなってると思うよ」

「あんがとね」

「それじゃ、ご飯でも食べて寝ちゃおうか」

 ランプを拾い、荷物を纏めて銭湯を出発する。


 手頃な空き家に移動するべく、生きて稼働している街灯の下を歩いていく。

 昨日分かった事だが、ご丁寧な事に夜の時間になると、煙が濃くなり周りが見えにくくなる。

 更に暗さも増して、下手すると地上よりも過酷な夜だ。

「それにしても……。意外と高い場所よね」

 ここら銭湯がある地域は、街をある程度見やすい位置にある。

 しかも、どこの家にも庭があり、それなりに立派な建造物が多い。空き家にするのが勿体ないと感じる。

「ここって富裕層のエリアだったのかな」

「本物の富裕層は、ここよりももっとに住んでたんだろうね。わーかるマップさんで街の全体を見てみなよ」

 言われた通りにマップを見ると、確かに奥に進むと、家の一つ一つが大きくなっていく。

「……ここからじゃ見えない更に奥に、なんかお城みたいな家もあるんだけど」

「ああ、そこが僕らの探している場所かもよ。城っていうより、大きな刑務所? うーん、なんだろうねぇ。行ってみないと断定できないや」

「はぇ……」

 旅人さんには分からないオーラ的な、そんな物が漂っているのだろうか。

 そんなヤバい空気を醸し出す場所が、この街のゴールならば、やはり今回の旅は思った以上のレベルだろう。

(街に入る前の情報と入った後の情報。なんでこんなに差があるんだろ……)

 わーかるマップさんは、思ったよりポンコツなのかもしれない。

 生きてるのなら、コレを設計した奴にクレーム付けてやりたい。

(……まっ、多分死んでるんだろうけどね)

「へっ」と卑屈なため息を吐く。

「あーあ。銭湯は無くなるわ、ヤバい奴の気配はするわ。ウチらが一体何をしたってんだよ〜」

「前世で悪行ばかりしてたんじゃないかな」

「前世ぇ?」

 前世の自分が何をしたってんだよ。と心の中でやり場のない怒りとして叫ぶ。

 あまりにムカムカするもんだから、自然と早足になって、いつの間にか神秘さんの前を歩いていた。

「ここにしよう。テラスもあって素敵だよ」

「……おっと。ごめん、我を忘れてた」

 どれくらい歩いたか分からないが、やっと本日の宿を探すことが出来た。

 二階建て、テラス付きのお家、

 とはいえツタが絡んで、見事に自然に侵食されてしまっている。

 滞在するとしたら二階のどこかであろうか。


「お邪魔しマース」

「お借りします」

 先に神秘さんが扉を開ける。

 中を覗くと、確かに自然が侵食していたが、利用できないほどでは無かった。

 この程度なら、二階は間違いなく住めるであろう。


「ほほう」

「いい光」

 二階に上がるや、テラスから差し込む外の光がいい感じの雰囲気である。

 地上と違ってほんのり暗く、外は煙が濃く、テラスと二階部屋を仕切る窓によって室内に煙は無い。

「寝るには眩しいかもだけど、アイマスクすれば大丈夫だね」

「そうね。それじゃ、飯でも頂きますか」


 ーー本日のディナーはカエルの丸焼き。そして昨日の残りである。


「場所によっては、カエルの姿焼きとも言うらしいね」

「へぇ〜。初めて食べたけど、この両生類、美味しいわね。見た目はヌメヌメしてるモツみたいなのに」

「アハハ。その言い方は食欲が減るから、人前じゃ言わないでね」

 カエルを食べながら、昨日の残りを食し、そして寝る前の一息。

 この妙な時間が、地味だが毎日の楽しみの一つでもある。


(……思えば、一人で旅をしていた時は、こんな思いもしなかったなぁ)


 一人旅をしていた時期は、旅人さんの半生以上もある。

 二人で旅をしてまだ数年。なのに、ずっと昔からこうだったのかと思うような、言葉では表せない不思議な感覚がある。


「ねえ旅人ちゃん。さっき、前世の話をしたでしょ?」

「うん」

 前世。概念や言葉の意味として理解しているつもりだ。

 それが何なのかと疑問に思っていると、神秘さんはふところから変な絵を取り出した。

「どこから出したのソレ……」

「神秘さんですからね。まあ、それはそれで。この絵に書かれている人が誰か分かる?」

 絵を見ると、木の下であぐらをかいている男がいる。かなり特徴的な髪の毛で、両目を閉じて、変なポーズをとっている。

「神様?」

「まあ、人によってはね。この人はとある宗教の礎を築いた人。その教えの一つが、『前世で善行を積めば来世で報われる』事だよ」

「希望の塊ね」


 宗教。これも言葉の意味などでは理解している。

 昔、一人で旅をしていた時に、とある場所で出会ったおじいさんがいた。

「人は何かに夢中になれないと、死んでしまう。何でもいい、例えば宗教や趣味。これらも立派なーー」


「ーーって感じの事を、昔聞いたことがある」

「その通り。人は何かに夢中にならないと、心が虚無になる。のさ。それで質問。君は『善行を積めば来世で報われる』と思っているかい?」

 いきなり心を測るようなテストだ。

 とはいえ、迷うような問題でもない。意外とあっさり、答えは出ていた。

「他人を助けて幸せになるかって? 冗談じゃない。ゴメンだね」

「へぇ」

「だけど、善行を積むような生き方は悪くはないと思う。単に、私と反りが合わないだけ」

 色々と思うところはあるが、旅人さんにこの教えは合わない。悪くはないが、人の善性に訴えるこの教えが気に食わない。

「第一、この教えが通用する世界なら、そもそも滅ぶかっての」

「はは、確かに」

 神秘さんは絵をしまって、雑味のあるホットティーを継ぎ足してくれた。

 有難く受け取って、二口くらいすする。

「ふぅ」

「うん。……そうだね。善行に意味を感じる人間。それとは逆に、善行を疎ましく思い、ソレを『くだらない』。『意味などない』とする奴らもいる」

「あっ。私は断定してないよ」

 そんなのは分かってるといった顔で、神秘さんは微笑んでくれる。

 別にスマイルが欲しかった訳じゃないが、そのスマイルもほわわんと受け取ってあげる。

「人類が滅んだ原因は、そうした『善行に意味を感じない』一定数の人間がいたからかもね。善行に意味を感じられるのは善人だけど、意味を感じられない人達は『悪性』だ。少なくとも、僕はそう思っている」

「悪性……。でもそれって、人に限った話じゃないよね」


 人は悪を悪と感じられる生物だ。

 すなわち、普通は一定数の善性を抱え持つはずである。


「そうだね。まるで、ウイルスの様に現れる悪性。それは人に限った話じゃない。『理由の無い悪意』と同じ、『悪行』に心を救われる奴らもいるってだけさ。彼らは生きているだけで悪であり、愉悦を見出す方法がそれしかない。欠陥品だね」

「ちょっと待って。愉悦を見出す方法?」

 ここにきて突然湧いてくる「愉悦」。すなわち喜び。

 その話の持っていき方に、一瞬戸惑ってしまったが、よくよく考えればそうかもしれない。

「そう。さっきも言ったでしょ? 人間は何かに酔いしれる生き物だって。善性も悪性も、その行動原理は『愉悦』を感じることだよ。人に感謝されて嬉しい。物を盗んで楽しい。ベクトルは違えど、人は愉悦を求めて動くんだ」

「確かに……。言われてみればそうだけど……。う〜ん、なんか考えると眠くなってきた……」

 一気に会話のテンポを進めすぎた。

 外の景色は相変わらず変わらないが、一徹の体は睡眠を求めている。

「ふふっ……。分かった。それじゃ、最後に質問。君は何に『愉悦喜び』を感じる?」

「私の……喜び……」

「そんじゃおやすみ!」

 神秘さんはアイマスクを付けて、捨て台詞のように最難関の質問を投げつけて、そのまま横になった。

 ご丁寧に耳栓までして、「答えは聞かない」という心の声が伝わってくる。

「はぁ……。おやすみ」

 恐らくこの質問は、今考えて出せる答えじゃない。

 これから時々思い出して考えるとして、今は眠ろう。

 旅人さんはランプの明かりを消して、アイマスクを付けて寝巻きにくるまった。

(……私の喜びってなんだろ)

 そのことをもんもんと考えているうちに、気づけば眠ってしまっていた。

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