第三話 銭湯
ーー旅人さんとはぐれていた数時間。
その間、神秘さんは何をしていたのかというと。
「旅人ちゃん……。うん、大丈夫みたいだ。なら、しばらくは放っておいてもいいかな」
旅人さんの安全をお得意の神秘で確認すると、神秘さんは彼女なりに調査を始めた。
旅人さんは初めての物に目を惹かれ、そして見入るままに街を歩いていたが。
神秘さんは違った。
「ふむ。差し詰め、やはり今朝の『アレ』から逃げて作られた街なのは間違いないか」
いつになく真剣な目で、神秘さんは「観察」する。
旅人さんは「壊れてるけど面白い建築」と捉えていたのに対し、この街の造りについて神秘さんは「不可解」に感じていた。
「これだけ建物がありながら、街に人が一人もいない……。だが、煙の効果は継続中ときた」
「侵入者を追い払う煙」によって、神秘さんと旅人さんははぐれてしまったわけだが、その効果が継続中ということは。
「一体……誰が、何の為に。この煙を操っているんだろうねぇ」
誰かが操っていることになるのだ。
ここで一つ。
神秘とは文字通り、何か超越したモノをぼんやりと指し示す言葉だ。
無論、そのほとんどは自然にあり、例えば「奇跡の絶景」などは偶然が重なってできた神秘であることが多い。
簡単な概念で例えるならば、「雷」「炎」「水」「森」「宇宙」「闇」などがソレに当てはまる。
当然、これらを操る事もまた神秘の芸当であり、魔術や魔法、呪いを扱う呪術や奇跡などは神秘と謳われ、密かに世に蔓延していた。
「だけど。侵入者を意図的に、あるいは自然に追い払う煙。そんな都合のいい神秘、自然に発生する事は無いはず」
そしてもちろん、神秘さんの言う通り、具体性を帯びた目的を持った神秘。
ここでいう「侵入者を追い払う煙」などは、同じ景色が続いて迷うような、霧の森ならまだ知らず。
何かを追い払う煙など、自然に発生するはずがないのだ。ましてや、この「何か」から逃げる為に作られた街に。
「状況証拠を合わせると、ちゃんと当てはまるんだけど……。ま、今考えても仕方ないか」
とはいえあくまで可能性。神秘に限らず例外は付き物。
価値観においては、愚かな人間の価値基準で自然を測ることは、それそのものが愚行に過ぎない。
(まっ。それは人間にとっての話だけど、ね)
仮に誰かが二人を分けて、攻撃を仕掛けてくるつもりなら、今頃は戦闘中だろう。
だが、旅人さんと神秘さんを別々にして、二人を攻撃してくる様子も無い。
本当に人が操っているのかは分からないが、今は旅人さんと合流する事を優先して、その傍らで街を調査すればいいのだ。
「ーー太陽の瞳。ホイッと」
神秘さんは右の手のひらを天に突きつけると、頭一個分の大きさの、橙色の球体が現れた。
神秘さんの「神秘」の一つ。太陽の瞳。
輝く光をよく見ると、爬虫類の瞳の様な、縦長の模様をしており、実はその姿は神秘を扱える者のレベルによって変わる。
また、第三の視覚として機能し、攻撃に応用すれば相手に灼熱の光線を放てる。
「そぉ〜れ!」
今度は真上に浮く瞳に手を伸ばし、瞳を花火の様に発光させる。
この光が届く範囲内は、神秘さんの探知領域内である。見たり感知したりとなんでもアリだ。
無論、光の射程範囲は言わずもがな。光そのものが範囲なのだから、何も説明はいるまい。
では何を探しているのか。それはもちろん、煙を操っているかもしれない誰かだ。
「う〜ん……」
とはいえいくら探しても、何も感じられない。
(制約が思った以上に邪魔だなぁ)
今の神秘さんはとある理由で全力が出せない。それが原因で、探知があまり事よく進まないのだ。
普段ならば、草むらの中に落とした物を探したり、森の中の野生動物を全て探知したりもできるのだが。
「この街の煙」の力も妙にうざったらしく、余計に手がかかり、上手いこといかない。
砂漠の中で一本の針を探す……とまではいかないが。
(旅人ちゃんの場所だけでも分かってるし、少し早歩きで行こうかな)
そうとなれば、手間を省くためにやる事をやる。
神秘さんは「太陽の瞳」を浮かせたまま、他にも様々な神秘を行使し。
(……アレは? 歪んでる?)
太陽の瞳で探知した違和感。そこを瞳経由で視認して見るとーー。
ーーそれから数時間後。
そして旅人さんと合流したのであった。
「って訳だよ。何か凄い違和感だったけど……」
「そんな事よりも、コレ見てよ! 何これぇ!」
ここまでの経緯を大雑把に解説した神秘さん。
しかし、初めて見たモノに気を囚われている旅人さんは、そんな話なんて耳に入ってなかった。
ーー結論から言うと、旅人さんたちが入ったのは「銭湯」である。
煙の街の名物である温泉が、ふんだんに湧き盛る、街の宝物だ。
「温泉ねぇ……。思った以上にキレイなナリをしてるね」
「コレ、温泉って言うの!? うひゃー! 何この機械!」
何かの容器かびっしりと並んでいて、沢山のボタンが付いている機械。
歩く度に軋む音がする、年季の入った木の床。
何故か二つ用意されている、ドアもない出入口。
これら全てが、旅人さんの好奇心を刺激した。
「のれんがない……。もしかして混浴?」
ここで何でも知っている神秘さんは、出入口は二つあるのに、色の違うのれんが掛かっていない事に気づく。
通常、銭湯は男女分けられているものだが、やはり終わった世界。
男女の隔たりすら気にする余裕など無いほど、この街が追い詰められていたのだろうか。
それとも経年劣化により、のれんだけ飛ばされたのか。
「それでいて自販機は動いている……。なるほどー」
試しにボタンを適当に触ってみると、問題なく作動した。
(このタイプの自販機って、何て名前だっけ?)
「なあに分析してんの!? ホラ、行きましょ! 温泉って入ってもいいモノ何でしょ?」
旅人さんが指を指しているのは、脱衣場への出入口。せわしなく動いている様子から、早く行きたくてしょうがないらしい。
旅人さんと神秘さん。お互い興味の方向が異なっているようだ。
「やれやれ……。慌てんぼだなぁ。旅人ちゃんは」
ここまで旅人さんが好奇心を高まらせるとなると、もはや止めるのも野暮というものだ。
何も知らない子には、冷たくするのではなく、教えてあげるのが上に立つ者の義務である。
「ねえ、これってどっちに入ればいいの? 」
「どうせ誰もいないんだ。どっちでもいいよ」
「じゃあ左!」
左の出入口に飛び込む旅人さん。
「そこで服を脱ぐんだよ〜」
「おっけぃ!」
勢いよく帰ってくる返事と、何故か出入口に投げ捨てられた服と荷物。
「そこに脱ぎ捨てちゃダメでしょ〜」
それを拾って上げて、神秘さんもその後を追った。
「これが……温泉!」
「結構、和風テイストだなぁ。ご丁寧に木の仕切りとはね」
「わふう?」
「可愛い(そうそう、和風って言うんだよコレ)」
「かわっ……」
聞きなれないワードにキョトンとする旅人さん。
その愛くるしい仕草にグッと来るのを堪えて、神秘さんは彼女の背中を押して、シャワーへと連れて行ってあげた。
「いいかい? コレをこうやって……。こうしてお湯が出るんだ。温度はこの摘みを回すんだよ」
「な、何コレ……。捻っただけでお湯が出てくる……」
神秘さんが試しにシャワーのつまみを緩く回す。
最初は少しぬるま湯だったが、源泉が近い場所故なのか、数秒もしない内にお湯へと様変わりした。
「かつて人類にとって当たり前だったモノの一つ、『シャワー』だよ。うーん……。流石に石鹸はないか……」
「昔の人間ってコレで体を洗っていたのね……。……うわっ! 勢い凄ッ!?」
旅人さんはシャワーのつまみを全開にして、勢いよく出てくるお湯に腰を抜かす。見ていて面白いし可愛らしいが、その欲を心の奥底にしまって蓋をする。
ーーシャワーの使い方を教えて体を洗った後。
近くにあった桶を手に取り、マナーについて教えてあげた。
「それでコレが桶。お風呂に入る前のマナーとして、掛け湯ってモノがあったんだよ」
「へぇ〜」
「あと髪は湯船につけないこと。まっ、今は人がいないし、そこら辺は好みに任せるよ。それとお風呂では泳がない」
「なるほどなるほど」
「ではどうぞ」
先を越させてあげると、旅人さんはお風呂に勢いよくダイブした。
(しまった……。
今は誰もいないが、だからといってお風呂に飛び込むことを止めない訳にはいかない。
理由はマナー以外にも色々とある。
まず一つ。
「あっっつ!!」
お湯が熱いとやけどする。
温泉のお湯は温度が高めなので注意しよう。
二つ。
「イッッ……タァァ……」
お風呂の底に指をぶつける。
場所によっては意外と底に体が届くので、ホントに気をつけよう。
「次からは静かに入ることだよ」
慌ててお風呂から這い上がり、寝っ転がってぶつけた足を手で擦る旅人さん。
「くっ……。い、痛い……。せめて楽に殺してくれ……」
神秘さんはやれやれと肩を落として、しゃがんで旅人さんの足を触り、「神秘」で軽く痛みを和らげてあげる。
「お風呂に飛び込んで死ぬ人なんて、人類史で初めてなんじゃないかな」
「う、うっさい!」
そんな適当なやり取りを終結させて。
二人でお風呂に浸かって、明日の事やこの街の事を軽く話し合った。
ーー街に蔓延する煙の正体は水蒸気で、思ってたのと違うこと。
その水蒸気はかなり濃く、霧と言っても差し支えない。
その水蒸気が侵入者を惑わし、二人をバラしたように妨害をしてくること。
街は意外と生活感があったが、人の気配はぜんぜんなかったこと。
「みんなどこに行ったんだろう」
「さあね。実はどこかにひっそりと暮らしてて、僕たちが気づいていないだけかもしれないよ」
「だとしたら、もしかすると私たちを観察してるってこと? もしかして今も……」
温かいお湯の中に入浴しているというのに、旅人さんは思わずぶるっと身震いをする。
その事について「それは大丈夫」と念を押して、神秘さんは軽く解説してくれた。首元の位置で指をくるくると回しながら。
(変な癖ね)
「この辺りには既に僕の探知領域だし、万一に備えて色々な結界とか張ってるから。相当な事じゃない限り大丈夫だよ」
「最強の神秘さんが言うなら安心だぁ」
「ハッハッハ。褒められると素直に嬉しいな〜」
わざとらしく高笑いをする神秘さん。
「「……ふぅ〜」」
天然の温泉水が、二人の体によく染み渡る。
旅人さんは生まれて初めての温泉。そのあまりの気持ちよさに、思わず黙り込んでゆったりとしてしまう。
「ふへぇ〜」
「ふふ、気持ち良さそうだね」
「ホント、温度もいいし広々としてて最高よ〜」
「そうだねぇ……」
「「……」」
しばらくの間、二人とも黙り込んで、水滴の音のみが響いていた。
「……ねえ旅人ちゃん」
その沈黙を破ったのは、少し神妙な面持ちでどこか遠くを見る神秘さんだった。
「ん〜?」
旅人さんは声だけで返事をする。
「もし、この世界が滅んだ原因が、人間にあったとしたら。君はどう思う? 恨むかい?」
こりゃまた突然、難儀な質問である。
旅人さんは少し黙り込んだあと、「うーん」と喉を唸らせて、言った。
「そんな昔の事を恨んだって、今の私たちには意味がないでしょ。私は恨まないかな」
「へぇ……」
恨まない。思った通りの返答に、神秘さんは得意げな顔をする。
「やっぱりね。君ならそう言うと思った」
「改まって何よ」
「いやね。やっぱり君みたいな特効薬が、この世界には必要なんだなぁと思ってさ」
「?」
神秘さんの考えは難しすぎて、思わず旅人さんは眉間に皺を寄せて、しかめっ面となる。
とはいえ、勝手に一人で納得されても訳が分からないが、考えるだけ無駄なのでそっとしておく事にした。
「でも、まっ……。この街にいた人達は違ったんだろうね」
「……ふーん」
どうも引っかかる言葉だが、お湯にまったりと浸かってしまっている今は、思考が上手くまとまらない。
「ふあぁ……」
「それにしても、やっぱり気持ちいねぇ」
「そうねぇ……」
二人ともお湯に溶けるように、段々と体がお湯に沈んでいく。
そうしてしばらく入浴した後、気づいたらかなりの時間が経っていた。
「……ハッ!」
「あ、起きた?」
「寝てたの!?」
「うん」
神秘さんが微笑ましそうに、こちらの事を見てくる。
寝てしまっていたのなら起こして欲しかった。
「いけないいけない……」
旅人さんはバシャバシャと騒がしく音を立てて、ぐでーんとだらけていた首と体を起こす。
いくら隣に神秘さんがいるからといって、温泉で寝てしまうほど油断するのはよろしくない。
顔をバチンと叩いて、温泉から勢いよく立ち上がる。
「ご満足でごさいますか? 旅人ちゃん」
「これ以上入ってたら、いつの間にか溺れて死にそうだからね」
火照った体が急激に冷やされて、頭がボーッとしてくらくらする。
その危なっかしい姿を見て、「仕方ないなぁ」と小さくため息を吐く神秘さん。しかし何故か嫌がらず、それでいて少し嬉しそうな表情である。
「ほら掴まって」
彼女も温泉から上がり、旅人さんの体を支えて、一緒に出口まで連れ添ってあげた。
そうして、衛生的に少し危ない匂いのする、古びた更衣室にて。
「あづぅーい」
「のぼせちゃったみたいだね」
「のぼせる……。これがのぼせる……かぁ」
「うへへぇ」と暑ぐるしそうに呻く旅人さん。そこら辺にあった長椅子にて横になり、下着だけ着けて寝っ転がっている。
「今のうちに服でもお湯で洗う?」
「いやぁ、流石にここだとバチが当たりそうだしね。やめとくわ」
これは余談だが、旅人さんたちの衣食住事情は、完全に崩れ去っている。
飯は必要な時に取る。
睡眠時間も二日に一回、運が良くて連続で寝れる。
衣服に関しては、綺麗な水があれば洗って干すだけ。
昔の人達からすれば、不衛生きまわりない無人島生活も同然である。
「そっか。まあ、僕は洗うよ。無論、君のもね」
「今の質問は何だったの……」
そう言うと、神秘さんは二人の服を拾って、近くの藁のカゴに詰め込んだ。
服を整理しながら、神秘さんは他愛のないお風呂情報を耳に流してくる。
「あ、ちなみにお風呂で眠るのは、意識を失って気絶してる状態なんだよ」
「うえぇ!?」
神秘さんがいなければ、いまごろ温泉で浮かぶ死体となっていた。
(次に行く時も一人だと危ないか……)
温泉、恐るべしだ。次回も必ず誰かと行かないと、本当に溺死してしまうかもしれない。
「ああ、それとね」
カチャン。
ーーピッ。
ガコンッ。
(何の音?)
音のした方を見ると、妙な機械の前に神秘さんが立っていた。
神秘さんよりも大きいその機械は、縦に細長く四角柱の形をしている。
「腐ってない……。人間の技術もここまで来ると恐ろしいね」
「それ何?」
神秘さんが手に持っているモノは、白色の液体が入った容器。どこかで見たような覚えがあるが、イマイチピンと来ない。
「コレね。 どこか遠くで製造され、時間凍結をされた人間の遺品さ。お風呂の後の至福のひとときだよ」
「ホレッ」と容器を渡してくる神秘さん。
試しに振ったり底を覗いたりするが、特に異変はない。
「飲んでみて」
言われた通り、開け口と思われる部分を開く。
そして容器の口を開けた瞬間、少し良い香りが漂ってきた。
「香り付きだね。拘りが独特だな〜」
「いちいち突っ込まない! 体に悪いモノだったらどうするのよ」
「大丈夫大丈夫。それは飲んでも平気だよ」
「むぅ……」と、出かけた反論を引っ込めて、大人しく口にする。
「 ……お?」
「美味いでしょ。これが、風呂上がりの『牛乳』だよ。少しアレンジが加わってるけど」
「へぇ〜」
素っ気ない返事に合わず、旅人さんは牛乳を一気飲みする。
風呂上がりの牛乳。
また、面白いことを一つ覚えることができた旅人さんであった。
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