第26話 不死殺し・星蜘蛛

「エイリアン? 天音先輩が?」

「荒唐無稽かもしれないが、留意はしてくれ。そういう記述が、我々が持つ、一番古い文献で見つかったんだ。どうにも、神話の時代に存在していたが、あえて、一部を除き記述を隠されていた遠い宇宙から来る星の神々。その一柱かもしれない」


 最初、田中さんからその考察を聞いた時は、正直、信じていなかった。

 だって、今まで異能伝奇バトル系のあれこれを必死で考えていたところにエイリアンだ。思考が一気に、SFまで飛んでしまう。


「土蜘蛛、という言葉は聞いたことがあるか? かつて、朝廷に逆らった『まつろわぬ民』の一種なんだが、その大本があの化物だという説がある。これは、俺が組織で生きて来た三十年の間に、様々な専門家に尋ねて回った結果、一番可能性が高い推論だ」

「うーん、仮に、エイリアンだったとして、何が問題なんですか?」

「殺せない」

「はい?」

「この惑星とは異なる法則で生まれた生命であるから、この惑星に住む我々では、殺せない可能性がある」

「…………異なる世界からやって来た天狗には、殺す方法があるのに?」

「天狗に関しては詳しくは分からない。だが、俺はこう考える。恐らく、あの三体の化物の中でも、土浦天音という存在は別格なのだと」


 田中さんが恐れを含んで告げた言葉を、偏執病だと馬鹿にしたわけでは無かったが、それでも、大げさに考えているのではないか? という疑問はあった。

 何せ、そんな存在が相手であるのならば、そもそも、戦いに挑むこと自体が間違いだ。大いなる自然そのものと戦うような物だ。人間が戦う相手ではない。よしんば、相手になるとしても、ハリウッド映画だと、個人ではなく、国家か、人類の力を束ねないといけない類だろう。


「だから、俺は三十年かけて探し出した。あいつを殺す方法を…………それが、これだ」

「うわぁ。あからさまに呪われている感じの物体。ええと、これは?」

「間違っても包みを解くなよ。これは、今まで数々の怪物殺しの伝承と共に、使い手の命を啜って来た魔剣…………否、原初の石剣の一種だ。最初に、この物体が象っていた形状こそが、数多の剣の原型となったとされているほどの物。迂闊に触れば、剣の中に潜む力に人格が飲み込まれて、最終的に死ぬぞ」

「なんか、天音先輩よりも明らかに物騒じゃありません? この物体」

「化物を殺すには、化物をぶつけるのではない……それを凌駕する化物の力を使うのだ」

「最終的に、自らが破滅する奴じゃん」

「俺は、破滅しても良いと思っていた」


 だから、田中さんが持ってきた『切り札』――呪布に包まれた石剣だって、出来れば使いたくは無かった。明らかに、使えばろくでもないことが起きるし、死なないために戦うのに、死のリスクを背負うのは御免だと、今だって思っている。

 故に、使う時があればきっと、一瞬だけ。とどめの一撃か、絶好の隙を穿つ時に用いるのみ。それ以上使えば、ろくでもない結末が待っているのだと、呪布越しにでも俺に直感させるだけの何かが、それにはあった。


「だが、君が破滅していいは思わない。なので、これの使用は自由だ。強制することでもないし、強制できる立場でもない」

「…………でもなぁ、現状、悪友ですらも、殺せそうな手段がそれしかないって言っているからなぁ。なぁ、田中さん。三秒ルールって、適用されると思う?」

「知らん」

「だよなぁ…………まー、破滅しないように気合で頑張ります」

「そうか」

「最悪、封印とかで戦いが避けられるなら、そっちに移行できるようにしたいね。田中さんは、そっち方面も探っておいて欲しいです」

「わかった。微力を尽くそう」


 この時の俺は、まだ知らなかったのである。

 出来る事なら使いたくないと思っていた『切り札』こそが、まさか、心の支えになる時が来るなんて。

 土浦天音という先輩が、それほどまでに絶望的な存在だったなんて。



●●●



 巨大である、というのはそれだけで力だ。

 有無を言わさず、たった一目でその脅威を知らしめることが可能なのだから、最も原初的で、けれど、今なお、誰もが否定できない力の象徴だ。


「…………は、はははっ」


 そして、絶望の象徴でもある。

 俺は現在、紅蓮の光を帯びる巨大怪獣を目の前にして、とてつもない無力感を味わっていた。

 今までならば、あるいはどうにかなったかもしれない。無敵の泥人形だろうとも、神速の天狗だろうとも、相手が俺よりも少しばかり大きな程度ならば、まだ、戦意を保つことが出来た。

 いや、百歩譲って、現在地である、このビル程度の高さの化物であったのならば、畏れを持ちながらも、まだどうにかして戦おうと抗ったかもしれない。

 でも、これは駄目だ。魔力を見ることが出来る俺だからこそ、分かるのだ。あれほどの巨体であるというのに、その魔力が充満する密度すらも、俺を遥かに凌いでいるということに。

 仮に、万全の体調であったとして、俺が全身全霊の斬撃を放ったとしても、精々、かすり傷を負わせる程度が関の山。どこをどのようにしたところで、勝てるわけがない。


『【この姿を取るのは、実に二千年ぶりぐらいかもしれないねー。ふふふ、誇っていいよ、剣介君。君は、確かに、私をこの姿にするに足る、英雄だったんだから】』


 鐘が鳴るが如き声が、脳内に響く。

 それはさながら、世界に終焉を齎す終末の鐘だ。

 いや、ひょっとしたら俺は、今、神話に等しい事象に遭遇しているのかもしれない。


『【でも、手を抜いているわけじゃあなかったんだよ? この姿は、とても燃費が悪くてね? 滅多に使おうと思わないの。それに、この姿になったら、あまりにも簡単に命が滅んでいくし。何より、食事の時に使う物ではないから。ほら、例えばね? 戦場ならともかく、食事の時や、友人との戯れの時に、鎧や剣を本気で纏う人は少ないでしょう? それと似たような物。だって、私みたいなのが本気で戦おうと思えば、こんな空間でも無ければ惑星に害があり過ぎるもの】』


 性質の悪い冗談を聞かされているような気分だった。

 つまり、前提が違っていたのである。

 三体の不死の化物による均衡?

 とてつもなく強い法師が、三体の化物を倒して封印した?

 神様を召喚して、化物の力を封じた?

 なんだよ、それは!? そんなの、結局は――――土浦天音という存在が、『許容する範囲でのお遊戯』に過ぎなかったんじゃないか!


「全部…………全部、やろうと思えば、破綻させることが出来たんですか? 契約も……封印も! あるいは、部長が施した記憶の処理すらも!」

『【ん? あー、やっぱり無貌神が何かしらの細工をしていたみたいだねー? 勘違いして貰ったら困るけれど、私は万能無敵の存在じゃあないんだよー。そりゃあ、封印だって契約だってその気になれば破れたけれど、破ったところで力を余計に失って疲れるだけ。五百年前の時だって、あの法師はとても強かった。殺せないほど強いわけじゃあなくて、結果的には期待外れだったけれど、彼を殺した場合は人類との全面戦争が始まりそうだったからね。余計な浪費を避けて、暇つぶしを提供してくれるのであれば、私はそれで満足だったんだ】』


 視点が違う、と俺はその時、直感した。

 あまりにも、見ている物が違い過ぎている。

 土浦天音という存在にとって、力を奪われて契約を結ぶなんて、ただの娯楽だったのだ。俺たち人間が、ゲームをあえて縛りプレイで楽しむように。

 今まで、楽しんでいただけだったのだろう。


『【んんんー、いや、勘違いしていそうな顔をしているけれど、力は一割ぐらい奪われているし、自由に行動できるわけじゃあないんだよ? 実際、この状態でも、三山の土地だと無貌神と戦ったところで、勝てるかどうかは精々五分五分程度だし。君が思うほど、私は強くない。でも、そうだね。とても、とても、とても、君が思うよりもずっと長く生きて来たからねー。達観した物言いが、超然とした存在だと感じさせているのかもしれないよー】』


 天音先輩の物言いは、まるで言い訳のようだったけれども、仮に、その言葉が全て正しいとしても、現在の俺の絶望が無くなるわけではない。

 勝てない。

 勝てるわけがない。

 でも、今更、逃げられない。

 物理的にも、心理的にも、俺には逃げる道なんて無いんだ。


「一つ、聞いても良いですか? 天音先輩」

『【いいよ、いいよー。これが最後だからね、どんどんトークしよう。剣介君、君の頼みだったら、どんなことでも答えてあげる。でも、エッチなことはほどほどにね?】』

「ははは、そりゃあ、残念です…………貴方は」


 だから、戦うしかない。

 右手で退魔刀を構えて。

 左手に包んだ『切り札』を携えて。

 巨大なる怪獣を見据えて、問う。


「貴方は何故、人を食うのですか?」

『【それはね? 私が、故郷に帰るための燃料補給だよ】』

「燃料補給?」

『【知っているかどうかわからないから、説明するとね。私は遠い、遠い、遠い、すっごく遠いう場所から、偶発的に生まれたワープゲートでこの惑星に落とされた存在なんだ。多分、その時の衝撃で恐竜とか滅んだっぽい】』

「歴史で習ったレベルの出来事じゃないですか」

『【ねー? 歴史の話を聞いていると、私がちょくちょく出てきたり、私が漫画やアニメで、私がモデルのキャラクターが出ていると、少し気恥ずかしくなっちゃう。実は、昔からこっそりとサインの練習をしていたんだけど、誰も気づかないから合法的にサインをするために、歴史上では何度か作家をやったよ】』

「作家をやる動機ぃ!」

『【ちなみに、歴史上の偉人とは結構知り合い。詳しいエピソード知りたい? この際だから語っちゃうよ? 頼光に斬られた時の失敗談とか】』

「天音先輩にとってはそれ、すべらない話程度の失敗談なんですね…………というか、脱線していますが」

『【おっと、いけない、いけない】』


 言葉を重ねていく度に、俺はなんだか笑いたくなってきた。

 それは開き直りなのかもしれないが、多分、それだけではない。絶望で笑いたくなっただけではなく、安心したのだ。

 こんな時、こんな場所で、あんな姿であっても…………俺たちは、文芸部の仲間なのだと。


『【私が人を食う理由は単純だよ。魔力というエネルギーをストックするため。故郷に帰るには、沢山のエネルギーが必要だからね。だから、燃料を蓄えるつもりで、人間を食べているの】』

「なるほど。つまり、魔力の量が特別に巨大な個人である俺は、貴方からすれば、絶好の獲物という、そういう訳ですね?」

『【うん、そうだよ…………いや、そうだったよー。君が、あの二人を殺すまでは】』

「…………敵討ち、ですか?」

『【あははは、違う! 違う! むしろ、あの子たちの友達として、お礼を言ってあげたいぐらい。私たちは化物同士だから、互いのレゾンテールに踏み込めなかった。でも、君は踏み込み、終わらせることが出来た。終わらせてあげてくれた。私は、それを素直に喜ばしいと思う】』


 もはや、真偽を判別できるかどうか不明であるが、少なくとも、人として接していた時の天音先輩は、こういう時に嘘を言わない。

 故に、この人は本当に、俺が彼女たちを殺したことを喜ばしいと思っているのだ。恐らく、俺の知らない、彼女たちを知っているからこそ。


『【喜ばしく思うからこそ、私は君に期待するんだよ、剣介君。本気で戦うに値する相手だってね?】』

「ははは、それは…………過大評価かもしれませんよ?」


 既に、緊張による硬直は解けた。

 恐怖は噛み砕いて、飲み干してある。

 震えはあるが、この程度なら、無理やり体を動かせる。

 満身創痍に疲労困憊が重なったようなコンディションだが、どうせ、万全であったとしても、あの巨体相手ならばどうせ、誤差だ。

 それに、巨体だからこそ、付け入る隙もある。

 俺の『切り札』は、田中さん曰く、一撃で相手を屠るだけの効果を持つ魔剣だ。あれほどの巨体ならば、近付きさえすれば、こちらの攻撃は避けられない。加えて、部長が天音先輩にとって、障害物がたくさんあるフィールドを作ってくれたからこそ、なんとか隠れながら隙を伺うことになるだろう。

 問題が、巨体が動くたびに建物が壊れて、瓦礫が降って来た時の対処だ。うん、下手をしなくとも余波だけで充分死んでしまうクソゲー感よ。


『【過大評価、ね…………剣介君。私は、長いこと生きてきたし、私以外の色んな化物を見て来た。でもね? 大抵の場合、化物が英雄に殺されるのは、油断や慢心があったり、相手を過小評価していたからなんだ。正面から、互いに全力を尽くして殺し合って、人間が勝利したことは少ない…………だけど、私は期待する。君に――貴方に、期待する】』

「天音先輩? なんだか、とても嫌な予感がするのですが?」

『【油断なき、私の全力全開を乗り越えられる英雄であることを】』


 …………などと、暢気に攻略方法を考えていた俺は、馬鹿だった。

 違う。天音先輩は違っていた。天音先輩はわざわざ、こちらに倒す猶予を与えるほどの時間を与えない。

 出来るのならば、やるのならば、そう、最初の一撃で殺し来る。

 現在、俺の目を焼くほどに光を迸らせる、この時のように。


『【これなるは数多の文明を滅ぼし、我が眷属に栄光を齎した絶滅の光。かつて、青の略奪神を討った、全身全霊の劣化再現】』


 ぎぎぎぎぎぎ、という空間が軋む音が聞こえる。

 体全体がねじり切られるような、痛みが奔った。でも、違う。これは、攻撃ですらない。目を焼く光も、空間が軋む音も、この痛みも。

 ただの予備動作に過ぎなくて。


「お、おぉおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」


 俺はただ、全てが赤く染まっていく中で、がむしゃらに『切り札』を振り回すことしか出来ない。


『【赤き滅びを受けよ】』


 そして、滅びを告げる天音先輩の声が――――――



●●●



 土浦天音は、絶望と感傷の中で生きている。

 神話の時代。

 人間たちに掘り起こされ、目覚めた時から、天音は絶望してしまっていた。

 理由は簡単である。余りにも長くの時間を眠り過ぎ、また、余りにも遠くの場所へと飛ばされてしまったと気づいたからだ。

 青の略奪神との熾烈な戦いにより、天音の眷属たちは既に絶滅寸前だった。加えて、眷属たちは、地母神である天音の許可が無ければ子孫を増やすことは出来ない。

 文明の進歩により、眷属たちの寿命は大分長くなったが、それでも、千年を超える時間を過ごせるだけの性能は無い。まして、一億年も過ぎてしまえば、文明の跡地が残っているかどうかさえも疑問だ。


「…………一体、私は何のために」


 よって、覚醒と共に事態を把握できるだけの性能を有していたが故に、天音は絶望した。絶望し、狂乱し、化物となって思うがままに人間たちと、人間たちを守護する神々と殺し合うことにしたのである。ただの八つ当たりで。

 神々と人間たちとの戦いは、どの時代でも概ね一進一退。

 ほとんどの力を失ったとはいえ、自在に眷属を増やし、かつて星間戦争で一つの惑星を滅ぼした天音は強く、人類史に於いて何度も人類の脅威として立ち塞がった。


「はぁー、虚しい」


 ただし、それも長くは続かない。

 幸か不幸か、天音は賢い存在だった。自暴自棄に憑りつかれている愚かさを悟ってしまい、それからは、歴史の影で暗躍する黒幕を気取って、人間たちを関わるようになる。

 天音は、多くの人々を触れ合った。

 時に殺し合い、時に笑い合い、時に国を滅ぼすきっかけになって。

 天音は、愚かしくも美しい人間が好きになった。

 好きになったからこそ、己の寿命の長さに絶望した。

 どうして、どうして、自分はこんなにも長く生きなければならないのだろう? どうして、誰かと共に眠りにつくことが出来ないのだろう? いっそのこと、英雄にでも討ち取られて死んでやろうか? しかし、どの英雄の武具でも天音を完全に滅ぼすことは出来ない。この惑星で生まれた生物は未だ、天音を滅ぼす可能性を持ち合わせていないのだ。

 だが、かといって、己で己を滅ぼすなんて真似は出来ない。

 かつて、多くの眷属たちが死んだのは、種族の地母神たる自身を生かすためなのだから。自殺なんて許されるわけがない、というのが天音の考えだった。


「愛しい子供たちよ…………私は、どうすればいいのだろうね?」


 己を殺せる存在など英雄など居ない。

 けれど、己を殺せる神格相手に命を差し出すのも、間違っている。それに、どうせ殺されるのであれば、神格なんて癪に障る存在では無くもっと、儚くも強い存在がいい。

 殺されるのならば、人間が最高だ。

 だから、天音は絶望と感傷に塗れながら、己を殺せる英雄を待ち望んでいた。油断なく、全力を尽くし、それでもなお、己を殺せる英雄を探していたのである。


「…………あらあら、駄目だったのねー」


 それは、現在に至ってもなお、変わらず、理不尽な期待は柊剣介に向けられていた。そう、『向けられていた』、過去形である。

 何故ならば、つい先ほど、天音自身が剣介を…………否、無貌神が作り上げた大都市の戦場を全て破壊してしまったのだから。


「貴方なら……突然変異として、英雄存在として生まれた貴方ならば、と思ったのに」


 勝手な言葉を吐き出しながら、天音は瓦礫の山と化した都市の跡を闊歩する。

 怪獣でも、化物でもなく、人間の姿で。


「あの子たちを殺せた、貴方ならば……特別な貴方ならば、きっと、乗り越えてくれると思ったのに…………どうして……」


 酷く身勝手な言葉と共に、天音は涙を流す。

 化物の複眼ではなく、人間の両眼で。

 瓦礫の山を乗り越えて、歩いていき…………そして、天音は見つけた。


「…………ごめんなさい。そうね、私が、私が殺した癖に、ね」


 瓦礫の山から逃れるように出ている、一本の腕を。剣介の左腕を。


「………………は、ははは、このために、お守りなんて言って、渡した癖に。どこまで、私は、身勝手な」


 その左手首には、天音が渡したミサンガが身につけられていて。

 けれど、周囲には濃厚な血の匂いと、血の跡がある。仮に、天音が放った滅びの光を受けてなお原型を保っていたとしても、見上げる程の瓦礫に押しつぶされている状態では、生存の見込みはない。

 念のため、生きているんじゃないかと天音が気配を探ってみるが、駄目だった。少なくとも、天音が感知する限りでは、生命の反応はない。


「おやすみなさい、剣介君。せめて…………君がやるべきことは私が代わりにやるから」


 涙を零しながらも、天音は無理やり笑みを作って、剣介の左腕を見下ろす。

 今まで殺して来た多くの英雄たちと同じように。

 過去となった者へ、せめてもの手向けとして感傷を捧げて。



「背中ががら空きですよ、天音先輩」



 とんっ、という軽い衝撃を背中に受けた。


「…………えっ?」


 呆然と、天音が己の胸を見ると、そこからは刃が生えていた。

 否、背中から鋭い刃物によって心臓を貫かれたのである。

 かつて、嫌というほどに目にした、青の鉱物で象られた刃によって。


「剣介君?」

「はい、貴方の剣介君ですよ」


 ゆっくりと天音が振り返ると、そこには青の石剣を己へ突き刺した姿の剣介が居た。

 ただし、左腕はごっそりと肩から切断され、上着で乱暴に止血した程度。代わりに、剣介の肩から迷彩の如く透明な布が被さっている。

 ここでようやく、天音は状況を理解した。


「左腕は、囮? で、それ、は……天狗の、隠れ蓑?」

「はい。飛鳥のドロップアイテムです。死後どれだけ使えるか分かりませんが、この『切り札』を隠すために包装として使っていたわけですよ。そして、貴方が俺の死を確認しに来るまで、この布に包まって気配を遮断。唯一、匂いだけは隠せないんですが、ほら、こうして……血の匂いが充満している場所に隠れていれば、分からないでしょう?」

「は、ははは、わからなかった、なぁ」


 自分は剣介という英雄によって討ち取られ、敗北したのだと。


「…………その、忌々しい切り札も。うん。青の、鉱物は、蜘蛛切りにも、使われていたから、あるとは、思っていた、けど、さぁ……そんな、形で、残って、いる、なんて」

「この『切り札』は、俺だけでは探し出せなかったでしょう。天音先輩、貴方が三十年前に殺した女子生徒の弟さんが、探し出して俺に預けてくれました……覚えていますか?」

「うん、うん…………覚えているよ。何度か、私を遠目から見ていた、ね。ああ、彼か、そうか。彼が…………ふ、ふふふふ、素晴らしいなぁ、人間って」


 天音は己の胸を貫く痛みも構わず、歓喜の涙を零した。

 それは、今まで流して来た感傷と悲しみの涙とは比べ物にならないほど熱く、熱く、自然と笑みが零れてしまう物だった。


「何故、嬉しそうにするんですか?」

「嬉しいからよー、とても、とても」

「…………やっぱり、俺には貴方の考えは分かりません」

「ふ、ふふふ、乙女心は複雑なの、よ? それと、剣介、君? 聞いても良い? 一つだけ、分からないことが、あるのだけれど?」

「何でしょう?」

「不意打ちの、仕組みは分かった、けれどー、どうやって、私の、全身全霊を、受け止めたの? あれ、控えめに言っても、君の存在を、消し飛ばすつもりで、やったのにー」

「斬りました」

「へっ?」

「こう、ずばっと」


 あまりにもあんまりな剣介の説明に、涙を流しながら天音は目を丸める。

 え? なにそれ? と死に際で純粋な疑問を覚えたのだ。ここで詳しく聞かずには流石に死ねない。天音は気合を入れて寿命を延ばし、完全に聞く態勢に入った。


「も、もうちょっと詳しく……」

「えーっと、あの、まぁ、信じられないかもですが。こう、『あ、やっべぇ死ぬな』と直感して、防御も多分無意味だから、なんかズバッと斬ればギリギリ生き残れるかなぁ、と考えまして。何とか『切り札』――こいつに魔力を通して、僅かな時間を素振りして練習していたら、『よくぞここまで至った、英雄よ……我が力を貸そう。今度こそ、この滅びを乗り越えるために』みたいな幻聴が聞こえて…………後は気付いたら、ぎりぎり生き残れたというわけです。あ、左腕は自力で斬り落としました。流石に、罠を仕掛けないと今度は確実に死ぬと思ったので」


 剣介の解説に、天音はここ数千年の中で一番の衝撃を受けた。

 期待はしていた、英雄であると。特別なのだと。しかし、まさかこんな…………限りなく光に近く、魔力を用いた破壊術式の中では天音が知る限り頂点に君臨する『滅びの赤光』を切り拓くとは思わなかった。予想すらしていなかった。例え、青の略奪神の恩恵を受けたとしても、この土壇場で、その石剣を手に入れてなお、認められるということ自体が規格外。

つまり、柊剣介という存在は、英雄以上の何かだったのだ。


「ふ、ふふふふっ…………あるのねー、こんな、奇跡、みたいな」


 そのような結論に至った天音の中にあるのは、祝福だった。

 世界中全てが美しく見え、体から命が抜き取られていく感触すらも愛おしく思える。

 けれど、それ以上に、この結末まで導いてくれた眼前の後輩が、輝いて見えた。


「何を笑っているんですか、まったく。見てください、ほら。俺は貴方たちの所為で、こんな有様ですよ、もう!」

「ふふふっ、ごめんなさい…………でも、おめでとう。君はきっちりと、私たちを乗り越えた。うん、人類史に残るレベルの快挙だよー。栄光と共に偉業が語り継がれるよー」

「はんっ! そんなことどうでもいいですね! 俺は………………俺はさ、天音先輩。自分で殺しておいて本当に馬鹿みたいだけど――――皆と、合宿行きたかったんだよ」

「あらあら、死に際に可愛いことを言ってくれるわね、この後輩は」


 そこで、天音の足が、文字通りに崩れ落ちる。略奪神の力により、生命力を吸われて、肉体が崩れて行っているのだ。

 がしゃん、と両足が陶器の如く砕けた天音は、その勢いで背中から石剣が抜かれた。それでも、手遅れだった。もう既に、彼女の中には命が無く、辛うじて、その残骸で存在を繋いでいるような物。


「ふ、ふふふ、こんな体じゃなければ、エッチなことを、して、あげたのにー」

「それは、とても残念です」


 胸元から赤い血を流し、それでも仰向けに剣介を見上げる天音。

 右手で石剣を油断なく構えながら、天音を見下ろす剣介。

 天音はこれ以上無く満足そうな笑みを浮かべて。

 剣介はこれ以上無く痛々しい笑みを張り付けて。


「もっと、話したい、けど、そろそろ、死んじゃう、から」

「それは…………とても、残念ですね」

「だから、剣介君」

「はい」

「一回しか、言えないから、よく聞いて、ね?」


 化物(天音)と少年(剣介)は相対する。

 不死を殺し尽くした少年は、化物の最後から目を離さずに、最後まで油断しない。

 例え、泣きたくなっても涙は流さない。

 それが殺すべき者の最低限の流儀と言わんばかりに。


「剣介君――――私は、貴方のことを、世界で一番愛しています。出来れば、忘れないで?」


 そして、最後まで油断せずに化物と向かい合った少年は、最後の最後で祝福(呪い)を受けた。魔力も、何も媒体としない、言葉だけの祝福(呪い)だが、それは恐らく、少年が今までに受けたどんな痛みよりも鮮烈で、甘く、苦く、深々と抉っていく。

 何故ならば、それは果てしない時を生きた化物の初恋で。

 世界で一番、無責任な愛の告白だったのだから。


「天音先輩、俺は………………は、ははははっ」


 少年は告白の痛みに苦悶しつつも、それでも目を逸らさずに言葉を返そうとして。


「なんだよ、ずるいだろ、それ」


 化物は、少年が言葉を紡ぐよりも早く、全てが灰となって崩れ去った。身に着けていた衣服すら残らず、灰しか残っていない。


「…………あーあ」


 少年は力なく石剣を落とし、そのまま、仰向けに瓦礫の上に倒れ込む。不思議と、まるでそうであるのが当然とばかりに、少年が倒れた位置に尖った瓦礫などは無く、怪我一つなく、少年は倒れることが出来た。


「疲れた」


 倒れた後は、茫然と作り物の夜空を見上げて、じわじわと斬り落といた左腕の傷口から血が染み出て来るのを感じる。

 忍び寄る死の冷たさに、苦笑しつつも、大きく一呼吸。


「疲れたけど、眠るにはまだ早い、」


 鉛のように重く、気合を入れなければ指一本すら動かすのが億劫な体を無理やり叩き起こして、瓦礫の上で立ち上がる。


「俺は、死にたくない」


 石剣を拾い、杖代わりにして歩き出す。

 もはや、それが魔剣だろうが、持ち主に破滅を齎す曰く付きだろうがどうでもいい。


「俺は、生きたいんだ」


 少年は歩いて、未来へ進む。

 例え、瓦礫の上だろうとも。

 夜明けが遠くとも。

 腕を失おうとも。

 胸が痛もうとも。

 少年は、選んで、歩いて、進んでいく。


 それが、柊剣介という少年の在り方なのだから。

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