第24話 蜘蛛と呼ばれた星神
昔々の…………いや、古代と呼ぶよりもさらに遥かなる過去の話をしよう。
例えば、我らが青の惑星が地球と呼ばれる前の話。
そして、遠く、遠く、遠く、光ですら歩みを諦めてしまうほど遠い宇宙に存在する、とある神様の話をしよう。
「うーん、今日も平和ねぇ、私の世界は。ふふふふ、子供たちも健やかに育って、素晴らしいわ。この間は、軌道エレベーターなるものを作っているようだし、将来が楽しみね」
その神様は、蜘蛛の形をしていた。
蜘蛛の形をしていたが、神様が住まう惑星では、その形こそが万物の霊長。惑星の支配者たる証明だったのである。
そして、その惑星に住まう蜘蛛たちは全て、神様が生み出した子供たちだった。
「母様! 母様! ご飯ですよ!」
「母様! 編み物が上手くなったのです!」
「母様! 今年の神酒(この世界ではコーヒーを指す)ですよ!」
「あらあら、嬉しいわ。ありがとう、私の愛する子供たち」
大いなる母である神様が全ての頂点に立つことで、その惑星は緩やかな管理社会として機能しており、概ね平和な時間が流れる場所だった。
人間という、暇さえあれば殺し合いを続ける獰猛な種族とは違い、彼らは暇があれば技術の研鑽に費やし、魔導科学という分野ですさまじい叡智を積み上げていく。
そして、蜘蛛たちが紡ぐ叡智は次第に、惑星の外側の開拓へと広げられて行って。
『――――侵略者ァ!』
「あらあら? なんなの、こいつ」
ついには、異なる神様が所有する惑星での開拓を始めてしまい、それが、星間戦争の幕開けとなってしまったのだ。
何故、温厚であるはずの蜘蛛たちが、異なる惑星での侵略行為に手を染めてしまったのか? それは偏に、生態系が異なる者同士の文化の違いである。
何せ、蜘蛛たちが開拓を行った惑星では、『鉱物こそが生命体』という奇妙な生態系になっていたのだから。蜘蛛たちからすれば、資源を回収するために、えいやと開拓している行為が虐殺に繋がっていたという、すれ違いがあったのだ。
ただ、すれ違い出会ったとしても虐殺は虐殺。
『根絶やしにしてやるぞ、薄汚い害虫ども』
鉱物が暮らす惑星の神様は、鈍く光る青の結晶だった。
そして、鉱物の神様には力がありました。敵対する者の命を奪い、自らの糧とする恐ろしい力である。
「叩き割ってあげるわ、石ころ風情が」
対して、蜘蛛の神様にも力があった。沢山の眷属を作り、眷属たちの力を束ねて、自らの物とする力だ。
奪う力と、集める力。
二柱の戦いは長く、長く、長く、数千年単位で行われた。
「これで終わりよ、忌々しい青の略奪神」
『口惜しいが、その通りのようだ、悍ましい赤の地母神』
お互いの眷属がほとんど死に果てて。
力の大半が失われた状態で、ようやく二柱の戦いは終焉となったのである。
もっとも、蜘蛛の神様によって討ち果たされた鉱物の神様であるが、ただで死ぬほど往生際が良い存在では無かった。
『だが! 貴様は! 貴様だけは! 共に地獄に落ちて貰う!』
「――――っ!? 貴方って、奴はどこまで!?」
『最初に始めたのは、貴様らだ! だから、終わらせるのは、我々だ! さらばだ、愛する我らが眷属よ! 共に、逝こう』
鉱物の神様と、その眷属たちは最後に、己の住処である惑星ごと自爆した。
爆発の衝撃はすさまじく、空間を歪めてしまうほどの威力を秘めていて。
「ああ、愛する我が子たちよ……せめて、せめて、貴方たちは生き延びて……」
蜘蛛の神様も、爆発によって死の寸前まで追い詰められ、生じた空間の歪みによって、とてつもなく長い距離を跳んでしまった。
そして、太古の時代、地球に流れ着いたのである。
着陸……衝突の瞬間によって、当時、地球を支配していた恐竜種族たちは絶滅してしまったが。案外、地球の生命はしぶとく、今度は他の生物が台頭を始めていく。
蜘蛛の神様が目覚めるのは、それから長い時間が経ってから。
人間たちが、神話と呼ぶ時代になってから、ようやく目を覚まして――――彼女は絶望した。
●●●
幼い少女の死体が、眼前にある。
胸を貫かれて死んだ、少女の死体だ。しかも、裸体だ。犯罪の匂いしかしない。おまけに、犯人が俺なのだから、いい加減、飛鳥の死体はどうにかしなければなるまい。
ただ、田中さんに任せた場合、この死体は組織の手に渡り、何かしらの実験やら、素材に使われる可能性があるだろう。それは避けたいところだ。
よって、俺は素直にそれ以外の存在を頼ることにした。
「居るんでしょう? 部長」
「居るともさ、柊剣介君。いつだって、僕は傍で君を見守っているよ?」
「…………」
「おっと、心の余裕が無いのかな? こういう冗談には笑顔で返してもらわないと?」
「すみません、心の余裕がないので、ちょっと真剣に気持ち悪いな、って思っていました」
「君は心の余裕がないと、謝罪しながら人の心を刺すという高等テクニックを使うのかい?」
いけない、いけない。
心の余裕が無くて荒んでいるからといって、誰かを傷つけていいことにはならない。俺は素直な気持ちで謝罪しつつ、さりげなく部長へ頼みごとをした。
「部長。この死体を弔ってあげてください」
「えー、面倒」
「そこを何とか」
「んんんんんー」
「ほら、俺も現在進行形で頑張っているんだし。出来る限り…………自然な形で、クソつよ法師関係の場所で弔ってあげて欲しいんです。駄目ですか? 駄目だった場合、こちらにも考えがあります」
「ほう? この僕を脅すつもりで――」
「泣きますよ?」
「えっ?」
「この死体の前で、男子高校生である俺が、駄々っ子のように泣きます」
「あんなやり取りがあった後で!?」
「同じ部活の仲間を弔うため、ですからね。俺は手段を選びません」
「少しは手段を選ぼうよ!?」
交渉の結果、渋々ではあるが、部長は飛鳥の亡骸を弔うように手配してくれるみたいだ。よかった。どうにかこれで、心おきなく最後の戦いに挑むことが出来る。
「じゃあ、僕はもう行くけれど、最後に部長としての忠告を一つ」
ぱちんっ、という指鳴り一つで眼前から消えた飛鳥の亡骸。その後に残った、僅かな気配のような物を呆然と眺めていると、部長に肩を叩かれた。
視線を向けると、部長の口元は笑っていた。しかし、それは嘲る笑みではなく、どちらかと言えば、試すような笑み。出来るのならば、やってみるがいい、とでも言うような。
「土浦天音は強いよ、気を付けた方が良い」
「いや、それはもう重々承知というか」
「気を付けた方が良い」
繰り返される部長の言葉で、俺はふと気付いた。
ひょっとして、そういうことなのか? と。
「ヒントはここまで。では、最後の殺し合いを楽しみたまえ」
けれど、問い返す間もなく部長の姿は消えた。瞬きの間に、最初から居なかったかの如く。
…………なるほど、どうやらそういうことらしい。まったく、これはどうした物か。
「困ったな」
夜空に呟いてみても、答えは帰って来ない。
途方もなくなって、俺は少しだけ地面に座り込んで休む。なんだか、とても疲れた。体中が鉛になったみたいな感覚だ。魔力だって、ほとんど無理やり絞っている。多分、寿命が何年か削れているかもしれない。
「…………おい」
「おう」
地面に座り込んで休んでいると、いつの間にか悪友がやって来ていた。
不味いな、まったく気配に気づかないとは。俺もそろそろ限界が近いようだな。
「コンディションは?」
「左足は痛みを通り越しているけれど、まだ動く。動くけど、少し鈍い。胴体は何とか貫通は逃れたけれど、衝撃の所為で色んな骨が軋んでいる気がするし、多分、内臓もどこか傷ついているぜ」
「死ぬのか?」
「まだまだ、死なない」
「戦えるのか?」
「戦うさ」
「勝算は?」
「皆無」
悪友は目を細めると、手に携えていた物体――一メートルほどの長さで、何重にも『呪布』とやらで保護されたそれを放り投げてくる。それは、重々しく、どすんと音を立てて地面に落ちた。
うん、なんか漫画やアニメに出て来る呪文っぽい文言が沢山書かれた布で、元の形が分からないほど包装されてあるという、確実にろくでもない一品。これが俺たちにとっての切り札なわけであるが、さてさて、どうしたものか。
「こいつなら殺せるんだろ?」
「ああ、お前と田中さんの推測が合っていれば、倒せる。というか、これで倒せなかったら、多分、何やっても駄目だ」
「じゃあ、勝算は皆無じゃねーだろ?」
「そうだね。そうだといいんだが…………大人しく当たってくれるかどうか」
「難しいのか?」
「難しいね。何せ、多分、大体予測されているから」
「…………飛鳥って奴は殺せたんだろ? 不死殺しがバレていても」
「殺せたよ。でも、天音先輩は違う。あの人は多分、不死殺しを始める前から、俺が彼女たちの正体を知っていたことに気づいていたと思うぜ」
俺の言葉に、珍しく悪友は顔を顰めた。
本当に珍しい。こいつが不機嫌な時は無表情だったり、逆に笑顔になったりするものだが、露骨に感情を出すのは割と少ないのだ。
「お前が返り討ちにした記憶は封印されているはずだが…………まぁ、何事にも絶対はない。何かしらの小細工で、返り討ちにされた記憶ではなくとも、お前が不死殺しを企んでいるというのを推測出来てもおかしくない」
「だよね。後、この切り札の正体にも気づいているかもしれない。いや、違うな。多分、自分に立ち向かってくる人間相手なら、常に心構えをしているんだろうね。『こいつは私を殺す手段を持って戦いに挑んでいる』ってさ。確かに、殺しきる手段が一つしかないなら、そういう心構えは有効だけれども、止めて欲しいね、不死の化物が慢心をしてないなんて」
恐らく、田中さんが数年前に実行しようとした暗殺も、実は気づいていたのかもしれない。遠くから眺める田中さんに視線に気づいていたのだが、素知らぬ振りをして、実は迎撃態勢を取っていたのかも?
だとしたら、結果的に田中さんの判断は正解だった。もしもその時、田中さんが暗殺を試みていれば、かなりの確率で返り討ちに遭い、命はどうか分からないが、確実に切り札が破棄されていただろう。
「つまり、慢心を失くした不死の化物が、お前を確実に『敵』だと認めて戦いを挑んでくる可能性があるわけか」
「可能性があるいというか、実は既に、さっきからスマホのメッセージに『今から行くわ』という、天音先輩からの予告が」
「殺人予告じゃん」
「もうね、ヤバいよ。絶望的」
「逃げるか?」
「…………いいや、戦うよ」
俺は『切り札』を手に取り、呪布越しにその重さと感触を確かめながら、頷く。
敵は強大。
勝算は皆無。
密かに用意した『切り札』すらも、敵の想定に入っている可能性が高くて。
何より、既に二人の不死を屠った俺は満身創痍。後、どれだけ全力で戦えるか分からない。
「二人、殺したんだ。もう、逃げるなんて選択肢はない」
それでも、戦おう。
殺し合おう。
それが、恋を選べなかった俺の、最低限の務めだ。
●●●
「ごめんなさい……待ったかしら?」
「いえ、なんなら後一時間ほど遅れてもいいぐらいですが? こちとら、満身創痍で、出来るだけ回復したいので」
「あらあら、だったら、急いで来たのは正解だったみたいね?」
「…………油断、してくれてもいいんですよ」
「ふふふふ、しないわよ、油断」
しばらくすると、天音先輩がやって来た。
もう真夜中だというのに、いつも通りの恰好で。
綺麗な天然の茶髪。垂れ目だけれども、大人びた風貌。すらりと伸びた手足に、起伏に富んだ体型。学校指定のセーラー服は、膝の下までスカートを長めに。
何度見ても、化物には到底見えない姿で、俺の前に現れた。
「だって、貴方はもう、彼女たちを殺したのでしょう?」
だからこそ、脳髄が軋むほどの違和感を俺は得ている。
何せ、普段通りの口調で紡がれる言葉には、一切の憐みが存在しなかったのだから。それどころか、穏やかで暖かく包み込むような労り……いや、むしろ、賞賛の感情さえ含まれていたかもしれない。
「ああ、俺が殺したよ。早枝先輩も、飛鳥も」
俺は、その温もりを切り捨てるような気持ちで言葉を返し、相対した。
「辛かった?」
「…………さぁ、忘れました」
「辛くても、きっと、戦うことを選んで、ここに来たのねぇ…………ふ、ふふふふ」
相対していたつもりだった。
しかし、俺は睨みように見据えていた天音先輩の表情に変化が生まれたのを察知した。しかも、その変化は怒りでも、嘆きでも、苦しみでも、愉悦でもなく。
「素敵よ、剣介君。貴方で、良かった」
頬を僅かに朱に染めて、瞳を潤ませる姿は、まるで恋する乙女のようで。
『――――私たちと殺し合うのが、貴方で良かった』
だから、次の瞬間には己の思考すら切り捨てた。
退魔刀を携えて、刃と共に天音先輩の下へと踏み込む。
天音先輩もまた、骨が砕けて、肉が捻じれるような異音と共に、その身を化物へと変えて、否、戻して待ち構える。
「天音先輩、貴方で最後だ」
『そうね、剣介君。これが最後よ』
俺と天音先輩は、最後の殺し合いを始めた。
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