第23話 不死殺し・天狗

 獣は宿敵と何度も戦い、そして、時には背中を合わせることもあった。


「くははははっ! まだまだ青いなぁ、坊主!」

「クソがぁ! 絶対、テメェを焼き鳥にしてやるからなぁ!」

「百年早い! 百年早い!」


 宿敵がまだ幼い時は良かった。

 己は天下に名を轟かせる大天狗。相手は有望なれど、まだまだ己の力に振り回されている退魔師。本来であれば、美味しくいただくところであるが、必死に抗う姿は久しぶりに面白い。故に、生かしてやろうと、そういう遊びを思いついたのだ。


「ちぃっ! 逃げるんじゃねぇよ! 大天狗ぅ!」

「…………別に、逃げるんじゃない。ただ、遊びに飽きただけだ」


 獣はそれが間違いだったとは思わない。

 ただ、己惚れであったことは認めざるを得ないと考えていた。何せ、人間の成長は早い。特に天才に部類される宿敵の成長は早く、ほんの五年程度の時間で、獣が命の危機を感じてしまうほどの力量を身に着けていたのだ。

 そう、本気で戦うのであれば、互いに命のかかった勝負をせざるを得ないほどの強さを身に着けていたのである。

 だからこそ、獣は宿敵から逃げ回るようになっていた。

 理由はもちろん、怖いからだ。

 死ぬのも、殺すのも、獣は嫌だった。

 獣にその自覚があったのか分からないが、ともかく、獣は逃げた。逃げて、逃げて、逃亡の途中で気にくわない化物共と三つ巴の戦いをしている最中に、ついに獣は宿敵と戦うことになってしまう。

 もっとも、その時は既に、宿敵の力は獣のそれを遥かに凌駕してしまったのだが。


「ええい! よくぞ我を倒した、法師よ! もう抵抗はせん! 殺せェ!!」


 ここまで来れば、流石の獣も観念することにした。

 見事だ、宿敵よ。さぁ、その手で因縁に決着を付けるがいい、と弱点を曝け出した。

 しかし、そんな獣に対する宿敵の態度は曖昧な物。


「…………あー、別に殺さなくてもいいんじゃね?」

「は? 何だ、貴様、法師だろうが! 他の二体はともかく、我の殺し方は知っているだろうが! 殺せ! 情けなど無用!」

「いや、あれよ。三体が揃って、互いを監視しているからこそ、安定があるわけで」

「うるさい! このままでも、我は人を殺すぞ!」

「飢饉で人が死ぬよりもかなり低い犠牲で、村に用心棒三体が付いてくるのはとても良い取引だと村人たちは言っているぞ?」

「これだから人間は!」


 宿敵は獣を殺すことを選ばす、封印の道を選んだのだった。

 そこにどのような感情が挟まっていたのか、それは本人以外知る由もない。


「クソ法師! 今日こそ貴様を殺す!」

「はー、俺はもう立場のある人間で、忙しいのですがー?」

「何だと貴様ぁ! 貴様が生臭坊主であると、村中の噂にしてやるぞ!?」

「うわ、この大天狗、小細工を覚えやがった…………じゃあ、あれだ。ガキの世話をしてくれよ。先の戦で身寄りが全て無くなってな、俺の寺で引き取ることになったのだ」

「世話をすれば、戦うのだな!?」

「気が向けばな」


 ただ、宿敵は何故か、獣に多く人と触れ合わせて、善行をするように語り掛けた。獣は少し悩んだが、宿敵と戦うためだと割り切り、日々、坊主の真似事をして子供たちの世話をしたという。

 そして、そして、そして。

 宿敵にとっては、長い時間。獣にとっては瞬くほどの短い時間が過ぎて。


「おい、クソ法師」

「…………」

「おい、なんだ、おい」

「…………く、くくく、なんて、顔だよ、大天狗」

「お前、死ぬのか?」

「死ぬさ。見ろよ、こんなよぼよぼになるまで生きたんだ、大往生って奴さ」

「我は、どうなる?」

「俺の子供や、孫が相手してくれるさ」

「我は、我は…………貴様が、貴様を………………くそっ」


 結局、最後の最後まで、獣は宿敵に己の想いを告げられなかった。

 これはただ、それだけの後悔の物語である。



●●●



「いい? お兄さん、大切な物は目には見えないんだぜ? だから、臭いで探すの。オレンジと獣の匂いが混ざったような不思議な匂い。それを探してみればどうかな?」


 無人の廊下を駆けていく中、思い出したのはクソガキの言葉だ。

 あの時、何のことだかさっぱり分からず、「はいはい、そうですねー」と適当に頭を撫でて拗ねられたわけだが、まさか、こんな時に役立つとは。


「本体を探す策は色々あったが、急襲で予定が狂ったし――――やるしかねぇな」


 ヒントは嗅覚。

 だが、俺は犬じゃない。僅かな空気の流れで、何かの匂いを判別することなんて出来ない。だから、考えるんだ。逆の立場になって考えろ。

 二か月程度だが、散々、飛鳥とは絡んだだろ? 好きな女の子を攻略するために、必死で色々やっただろう? どんなものが好きなのかとか、どういう風な態度で接すれば、好かれるのとか、考えただろう? まぁ、大抵が空回りだったけどさ。

 分かることも、少しだけある。

 飛鳥はうっかりをやらかしたり、馬鹿でポンコツなところもあるけれど、子供たちと接する時は丁寧だ。子供に怪我をさせないように気を付けている。そういう、冷静で几帳面な部分もきちんと存在している。

 故に、飛鳥ならばこう考えるんじゃないか?


「隠すなら、室内じゃない! 外ぉ!」


 校舎内であれほど遠慮なしに暴れたのだ、ならば、絶対に近くには居ない。己の攻撃や、俺の攻撃の余波を受けて、間違って負傷する可能性があるからだ。そして、校舎内にも隠れない。何故ならば、本体には戦闘能力が無いから。いざという時、壁をぶち壊したり、不測の事態が起きて天井が崩れた際、取り返しがつかない。

 だから、潜むのならば外だ。

 そして、あの驚異的な修復速度から考えるのならば、そう遠くには隠れていない。義体は、本体と近ければ近いほど能力が発揮するのもそうだが、俺の脅威度は明らかに他の二体と戦っていた時よりも低い。ならば、慎重と攻撃的な性格の境界を冷静に取り持ち、ギリギリのラインでこちらを観察しているはず。


「――――ビンゴぉ!」


 一階の窓から、校庭へと駆け出した俺は、匂いを察知する。

クソガキから受けた通りの、オレンジと獣の匂い。

 どこだ? 近くに居るはず。遮蔽物を探すか? いや、間に合わない。恐らくは、不可視。耳を澄ませても足音すら聞こえないなら、何らかの要因でそういう音も消し去っている? 匂いを探せ。視界が邪魔。邪魔なら、閉じろ。


「………………そこか」


 瞼を閉じることによって、より鮮明に匂いが感じられる。

 だから、分かった。標的が先ほどこちらとすれ違い、そのままグラウンドを通って、遠くへ逃れようとしている動きが。

 届くかどうかなんて考えず、気付けば俺は退魔刀を振り、最速の速さで斬撃を飛ばしていた。斬撃は、威力が抑えられて、当たっても多少痛いだけで致命傷にはならない。だが、もしも、資料の記述にあるように、本体に戦闘能力が皆無だったら?


「――――ひゃあ!?」


 声が聞こえた。斬撃を放った場所から、着弾したと思わしき空間から。

 捉えた、という手ごたえと共に、止めを刺さんと一歩踏み出す。


『剣介ぇ!!』


 駆け出した直後に背後――校舎から聞こえたのは、壮大な破壊音と共に叫ばれた、焦りと恐怖と怒りが混じった本気の声。

 振り向くな。

 防御も後でいい。

 とにかく、近付け!


「しぃっ!」


 鋭く息を吐きながらの一閃。

 それは切っ先だけではあるが、手ごたえがあった。何か、布のような物を切り裂いたような手ごたえがあって。

 その直後、俺の眼前に突然、透明な布を被った物体が現れた。ちょうど俺の胸ぐらいの高さの物体であり、気を抜けば見失ってしまいそうなほど周囲の景色に溶け込んでいる。

 しかし、先ほどの一撃で、その恐ろしいほどの認識阻害は薄れた。

 この瞬間こそ、唯一にして最大の勝機。


「お、おぉおおっ!」

「――――ひぃ!」


 怒号と共に踏み込むと、意外なことに、声と共に眼前で透明な迷彩が一気に剥がれた。どうやら、間抜けなことに標的は転げたらしい。

 ならば、容赦なく、確実に相手を仕留めてやればいい。


「こ、殺さないで」


 そのはずだったのに、俺は膠着してしまった。

 退魔刀を振りかぶったまま、目を剥いて、膠着してしまう。それは、透明な迷彩を剥がして出てきたのが、一糸まとわぬ裸体の少女であったということも要因の一つなのだが。

 何より、その少女がとても飛鳥に似ていて――――十歳にも満たない子供であったことが、俺の動きを止めてしまった。

 敗因があるとすれば、俺は化物を殺す覚悟も、飛鳥を殺す覚悟もしていたが、『子供の姿をした存在に命乞いをされてなお、躊躇わず殺す覚悟』なんて物は持ち合わせて居なかったということ。


「くはっ、ありがとう、剣介」

『やっぱり、アンタは優しいわ…………死ぬほど、ね』


 そして、俺は刀を振り下ろせぬままに、背後から迫っていた無数の羽に襲われることになった。



●●●



 走馬灯のように思い出すのは、俺が本格的に飛鳥を好きになったきっかけの出来事。


「アンタ、何やってんの? 上半身裸で」

「な、謎の怪異現象に襲われて、ね……」

「いや、それはアタシも文芸部だから分かるけれど、なんで、上半身裸? こわっ」


 文芸部に入部届を出すという偉業を成し遂げた後、俺は廊下で気絶していたわけだが、当然、誰にも注目されていないわけがない。ただ、誰しも皆、上半身裸で廊下に倒れている異様な男子に近づきたくなかったのだろう、気持ちは分かる。

 そんなわけで、気絶してから十分ほど放置されていた俺は、飛鳥に声をかけられてようやく目が覚めたというわけだ。


「大体、充分噂になっているんだから、止めればいいのに。馬鹿じゃないの?」

「男なら、美少女の先輩が居る部活に入部するために命を賭けるもんだぜ?」

「馬鹿、本物の馬鹿…………はぁ、立てる?」

「問題ない! 上着は不在だが、俺はこれでも健康が自慢……っとと」

「ほら、危ない」


 控えめに言っても、珍妙な不審者でしかない俺に、飛鳥は肩を貸して保健室まで連れて行ってくれた。道中、何度か『え!? どういう状況!?』みたいな目ですれ違った人たちに見られたら、こちらが説明して欲しい。誰だ、俺の上着を剥いだ奴は。


「はい、ここまで来れば大丈夫でしょう?」

「す、すまねぇ、助かった」

「ふん。ちょっとした一身上の都合で、出来る限り善行をすることにしているのよ、打算的にね? だから、気にしなくていいわ。結局、自分のためだもの」


 同学年の美少女に助けられた俺は、申し訳なさと羞恥を感じながらも頭を下げた。

 何せ、普通に女子に助けられるのは恥ずかしいと思ってしまうお年頃の俺だ。その上、強くて綺麗な美少女相手に、上半身裸で肩を貸してもらうなんて、恥ずかしすぎる。


「それに、同じ部活の仲間なんだし、助け合いは基本でしょう?」

「え? マジで?」

「うん、マジなのでした」


 そんな俺に対して、飛鳥は「にひっ」と悪戯っ子のような笑みを浮かべて。

 多分、この時だったと思う。俺が、不覚に心をときめかせてしまい、飛鳥に惚れ込んでしまったきっかけは。

 まったく、単純極まりない。

 本当に馬鹿みたいだ。

 その後、いくら暴力を受けても、我が侭を聞かされても、齧られても――殺されかけても、未だ好意が薄れていないなんて、中々の重症じゃないかと思う。

 でも、ごめんね、飛鳥。

 俺は、殺されてやるほど、君を愛してはいないんだ。



●●●



 俺は敗北した。

 言い訳のしようがないほどの敗北だった。

 初手の奇襲によって、待ち伏せ前提の作戦は破綻して。何とか時間を稼ぐも、本体の姿に動揺し、躊躇った俺は、飛鳥が飛ばす羽根の集中攻撃を受けた。

 疾風の刃を使わなかったのは、恐らく、近距離に居る本体を傷つけないための配慮だろう。それに、疾風の刃には威力は劣るものの、精密度と多角的な攻撃の手数は羽根での攻撃の方が圧倒的に上。それに、魔力で強化されていようが、俺に向かって放たれた羽根の群れは十分、人間の肉体を貫く威力を秘めている。

 回避の手段はない。


「…………ご、ぽっ…………あ、あ?」

「見事だぜ、飛鳥。最後の最後、本体を『殺しにくい姿』に変えているなんて、俺は考えも、いや、考えたくなかったから、除外していた。その隙を突かれて、俺は完全敗北した。本来であれば、勝利していたのは君だっただろう」


 だから、俺が撃ち込まれた羽根を全て受け切ったのは、俺すらも想定外の事象だった。いや、何かあるとは期待していたが、まさか、ここまでの効果を発揮するとは思っていなかったのである。

 そう、天音先輩から貰ったミサンガが、俺の危機に応じて高強度の魔力障壁を生み出すなんて、俺は思いもしていなかったんだ。


「でも、生憎……どうやらまだ、俺に死んでは困る人が居るみたいでね?」


 俺は申し訳ない気持ちで苦笑しながら、左手首に着けたミサンガを見せる。

 右手に携えた退魔刀で、本体の胸――心臓部分を貫きながら。


「あん、の、腹黒、め…………は、はははっ」


 本体の飛鳥が、引きつった笑みを浮かべると、背後で何かが崩れ去る音が聞こえた。義体が壊れたのかもしれないが、振り返らない。

 今だけは、油断せず、飛鳥だけを見て相対する。


「…………あーあ、駄目、だったか」

「ギリギリだったけどな。というか、ほとんど運だ、運。勝てるとは思っていなかった」

「アタシも、アンタが、子供を、殺せるとは、思わなかった、よ?」

「俺もびっくりしたというか、混乱していたというか、反射的に体が動いたというか……思ったよりもすんなり刺さったから、驚いたぜ。え? なんか致命傷を与えてるぞ? みたいな」

「締まらない……全然、締まらないわ、ね…………でも、まぁ、うん。殺して、くれたのなら、それなりに、うん…………悪くは、な、結末、ね…………ねぇ、剣介?」

「なんだ?」

「ひどいこと、言っていい?」

「いいぞ」


 飛鳥は、幼い顔立ちで力なく笑う。

 強くて美しい彼女とは違う、にへら、という気の抜けた笑み。

 けれど、この笑い方こそがある意味、飛鳥がひた隠しにしてきた本質の一部なのではないかと思った。

 多分、飛鳥はずっと誰かに殺されたかったのだ。


「アタシね、剣介の事、結構好きだったの、よ?」

「…………本当に酷いことを言いやがる。つーか、何番目? 絶対、一番じゃないよね? よしんば、結構好きという言葉が真実だったとしても、どうせ、歴代六番目ぐらいだろ?」

「く、ははは、野暮、な、奴、ねぇ……相変わらず」

「生憎、これが俺でね?」

「だから、モテない、の、よ?」

「かもしれないな」


 俺は、言葉と共にずるりと退魔刀を引き抜いた。

 退魔刀が引き抜かれた後、飛鳥は胸から一度、大きく流血したかと思うと、直ぐに血が流れる量が減っていく。

 こちらを見据えていたはずの視線すら合わなくなり、段々と小さく痙攣が起きて。


「ねぇ、剣介」

「なんだよ?」

「アタシ、死ぬ、から、さ……あの、子供、たちの、世話、お願い、ね?」

「分かった。クッソ面倒だけど分かった」

「く、は、ははは、それと、最後、に、もう一つ、だけど」

「なんだよ?」

「アタシ、化物、だけ、ど、さぁ。死んだ、ら、あいつと、おなじ、ところに、いけ、る、のかなぁ?」

「知らねぇよ。でもまぁ、会えなかったら探しに行けばいいだろう? 顔を忘れていたら、蹴飛ばしてやれ。いつもみたいにさ」

「は、ははは、そう、だねぇ、あいつの、おどろくかお、みるの、たの、しみ…………」


 やがて、動かなくなった。

 代わりに、主人の死を知らせるかのように空がひび割れて、現実がこの空間を排除するかの如く夜空が広がっていく。


「飛鳥、お前は死ぬほど恋愛が下手くそな奴だったよ」


 そして、空間が崩壊し、現実に戻った後でも、消え去ることなく飛鳥の死体が地面に横たわっていた。

 まるで、人間の死体のように。


「まぁ、俺も人のことは言えないんだけどさ」


 これが長く生き過ぎた化物の終焉であり、俺にとっての失恋だった。

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