第21話 天狗の神隠し

 その獣は、人間が大好きだった。

 食料的な意味でも。

 友情的な意味でも。

 そして、恋愛的な意味でも。


「美味しい!」

「我が友よ!」

「愛しい君よ!」


 獣たちの一族は人間が大好きで、隙あらばついつい攫ってしまう。

 他の天狗も同じであるかは不明だが、少なくとも、その獣が生まれ育った異界はとてつもなくつまらない場所だった。

 天候は常に機嫌が悪く、空を跳べるのは屈強な翼を持った獣たちのみ。

 生物のほとんどは、鉱物のように縮こまって生活しており、それらは獣からすれば、簡単に捕食出来て、栄養が補給できるお手軽な食べ物だった。でも、そんな獲物ばかりしか居ないのであれば、強靱に育った肉体は一体何のために使えばいいのだろうか?

 だからこそ、天狗たちは異界を飛び出して、現世にやって来たのだろう。

 少なくとも、その獣の一族は、そういう理由で世界の境界を飛び越えていた。


「きゃはははは! 楽しい! 楽しい! 人間は素晴らしい生物だなぁ!」


 一族は、人間が瞬く間に人間が大好きになった。

 襲った時、必死に柔らかな肉体を守るために逃げ惑う姿が可愛らしい。悲鳴から、断末魔まで素敵な声色で鳴いてくれるのは、退屈ですさんだ心を癒してくれる。それだけでなく、攫って働かせれば、とてもよく学び、良く動く。異界にあった獲物たちとは大違い。しかも、人間たちはとても個性が豊かで、中には天狗の狩りに対抗しようとする個体も居るほど。


「ここはなんて素敵なんだ……まさに、楽園だ!」


 その獣も含めた一族は、人間に魅了され、人間と共に生きることを誓った。この素晴らしい人間たちと共に、幸福に暮らしていこう、と。

 もっとも、それはあくまでも天狗視点のお話。

 その獣を含めた、一族全ては人間にとっては厄介極まりない外敵に等しい。

 そして、


「異界より来る、翼を持つ者よ――――ここは汝らの世界ではない。退散せよ」


 共通の外敵を前にした人間という種族の、恐ろしさを、獣の一族は知らなかったのである。


「痛い! 痛い! 痛い!」

「どうして……一緒に暮らそうって、言ったのに」

「なんで! なんで、人間のあの人も殺したの!?」


 退魔師と呼ばれる人間たちによる、天狗の攻略が始まった。

 人間たちによる、天狗という外敵に対する排斥が始まった。

 人間たちによる、天狗と関わった人間の排除が始まった。

 それは、無数に存在し、瞬く間に増える人間という種族の特徴。天敵がいるのならば、とりあえず、排除を試みるという獰猛極まりない殺意。

 何せ、人間たちは古代から、己よりも性能を上回る獣を狩り、飼いならし、さらには、物理法則すら超越した化物すら討伐してきた種族である。

 自らを嗜好物とする天敵に対して、容赦はしなかった。


「…………なんで、なんで……私たちは……人間と、一緒に……」


 結局、人間たちの反撃から逃れることが出来たのは、一番狩りが上手く、強かった、その獣だけだった。

 不死身であるはずの種族的特徴はあっという間に看破され、次々と屠られていく同族たち。

 甘く、楽しい日々は夢の如く覚めて。

 天狗と分類された獣の一体は、人間に裏切られた気持ちを抱くことになったのである。それが、逆恨みという自覚も無しに。


「人間め、人間め…………覚えていろ、人間め……必ず、必ずこの報いを受けさせてやる」


 基本的に、その獣は馬鹿であったが、馬鹿の行動でも、稀に賢者の考えを凌ぐ可能性も秘めている。この場合、獣が行った『熟考』という手段がそれだった。

 その獣に寿命は存在しない。

 また、厳しい異界で生まれ育った支配種族なので、少ない栄養だけで長く生命活動を行える。加えて、その気になれば、人の形に偽装することも可能だった。

 故に、その獣は追手がやって来られないような厳しい山の奥地に住み、日々、熟考を繰り返し、作戦を練った。おおよそ、百年ぐらいずっと足りない頭で考えていた。


「よし! 騙し討ちだ! 普段は人間の形で町に潜み、いざとなったら本来の姿で戦う! これで、奴らを欺くのだ!」


 考えた結果、人間ならば五分で思いつく戦略を携えて、百年ぶりに山に下りたのである。すると、不思議なことに町の様子はがらりと変わり、おまけに、天狗の――その獣の殺し方を、人間たちが忘れている始末。

 その獣は気付かない。

 人間は百年も経てば、大体一つの世代が死に絶えて、化物の殺し方などは御伽噺として失ってしまうこともあるのだと。


「なんだか分からないけれど、やっぱり、私は強い! これが知略の力だ!」


 その獣はよく分からないまま、自分が賢いのだという謎の自信を持ちながら、現世で思うがままに振る舞った。

 馬鹿であったとしても、その獣は天狗の中では上澄みの力を持った個体である。加えて、今度は群れではなく、個での狩りを行っていたが故に慎重に行動を重ねていたおかげか、討伐されること無く力を蓄えていった。

 一度、痛い目を見たその獣は強く、愚かさと慎重さが奇妙に噛み合い、やがて、大天狗として恐れられるほどに強大な存在へと成長して。


「がっはっは! テメェが噂の大天狗だな!? 俺の名声のために、大人しく討ち取られるがいいぜぇ!!」


 そして、その獣は、己が宿敵と出会ったのである。



●●●



「…………」


 月が綺麗だと思った。

 人を殺した感慨など無く、後悔も罪悪感すらもなく、ただ、月が綺麗だという感情が俺の中にあった。

 逆に言えば、それ以外の感情は抱けない。

 何故だろうか? こんな時はもっと、取り乱したり、悲しんだり、もっと違う反応があるはずなのに。どうして、俺は。


「――――オラぁ!!」

「尻が痛い!!?」


 などと、俺が感傷に浸って居ると、悪友が背後から忍び寄って尻を蹴ってきやがった。

 ちょっと、何するの? かなりシリアスな場面なんですけど?


「何をぼさっと突っ立っているんだ? おら、次行くぞ、次ぃ」

「あの、悪友? 俺ね? 殺したの。三人の内の一人を殺したのよ? ぶっちゃけ、記憶にある限り、初めての殺人なのですが?」

「人じゃねーだろ」

「人類では無かったけれども! 俺の中では人という範疇なの! 文芸部の一人というノリなの! 分かれよ!」

「知らんわ。ほれ、行くぞ、後二人だ。ぼさっとしてんじゃねーよ、予定つっかえてんだよ、お前がさくっと殺さない所為で」

「お前ねぇ、言っておくけれど、一体でも倒しただけでも凄いと思うよ? 我ながら偉業を成し遂げたと思うよ?」

「全員殺してから言え、そういうのは、ほら、田中の奴から貰った軟膏!」

「んがあああああああ!!? めっちゃしみるぅ!!」


 安川敦という人間は、こういう奴である。

 人がシリアスに感傷に浸って居ると、背後から蹴り飛ばして、文句が言えないように手早く傷の処置をしてくれる奴である。こいつの性格はクソみたいな物だし、恐らくは心配しているわけでもなく、『はぁー、予定狂うんだけど、早くしろよぉー』という気持ちでの行動だろう。

 だが、そのおかげでどうにか動けるよになった。

 不本意ではあるが、礼は言わなければなるまい。


「敦」

「なんだ?」

「…………ありがとう」

「お前、めちゃくちゃ痛がりながら礼を言うと、すげぇマゾみたいだな」

「殺すわ」

「そのダメージで僕を捕まえられ――なにぃ!? なんだ、その回復速度!? 人間!?」


 うるせぇ、痛いのを我慢してお前を殴ろうとしているんだよ。

 俺たちはしばしの間、取っ組み合いの醜い争いをしていたが、しかし、その争いは直ぐに止まることになった。

 今後の予定が詰まっている、という理性的な理由で止まったわけではない。

 強制的に、止まらざるを得ない理由があったのだ。


「――――ちっ」

「うおわっ!? おまっ、いくら何でも、こんな勢いで投げなくて、も……お?」


 とっさに悪友だけでも、逃がせてよかったと思う。


『くははっ!』


 声が聞こえたと思った瞬間には、既に衝撃が体を包んでいた。

 一瞬、全身を蹴り飛ばされたかと思ったのだが、違う。掴まれたのだ。大鷹すら及ばない、頑強なかぎ爪によって。さながら、猛禽類に捕獲された小動物の如く、俺の肉体は急速な加速と共に、夜空に連れ去られていく。


「ぐ、が……っ!」

『馬鹿だと思った!? ねぇ、アタシが馬鹿だと思った!? のうのうと! 五百年付き合った同類が! 殺されるのも感知できない間抜けだと思った!?』

「あす、か」

『違うわ! 違う! アタシたちはそこまで間抜けじゃあない! 間抜けに狩られるだけの化物じゃあないわ! 何せ、敗者だもの! あの忌まわしい法師に敗れて! 封印され! 弱者としての立場を味わっているもの! そりゃあ、小細工の一つでもするわ!』


 急速に過ぎ去っていく眼下の光景を確認しながら、俺は冷や汗を流していた。

 まずい、想定以上だ。一応、戦いの際は外に情報が漏れないように結界を敷いてもらうように頼んでいたのだが、そうか、考えてみれば納得だ。

 化物だからといって、魔力があるのだから同系統の術が使えないと考える方がおかしい。むしろ、五百年の間、本来の力を封印されているのだから、それを補うために、田中さんが扱っているような結界――それ以上の技術を会得していてもおかしく無かったのに。

 油断…………いや、違う。

 九島飛鳥という化物が、俺の想定を凌駕するほどの強者であったというだけの話だ。


『でもね、正直、驚いた! アンタがまさか、あの人を本当に殺しきったなんてね……てっきり、街の外から契約を破棄した退魔師どもが襲撃したのだと思ったのだけれど、くくくく、予想以上よ』

「ぐ……現れ、ろっ!」

『認めるわ、剣介――アンタはアタシが食い殺す価値のある男だ!』


 しばしの飛行時間の後は、急旋回からの地面への叩きつけだった。

 食い殺すと言っているというのに、これで潰れて死ぬのならばそれまで、とでも言うような、上空から地面への射出。乱暴にかぎ爪で投げ飛ばした所為か、体の背中を引っ掻かれて痛いが、それをどうにかするよりも着地で死ぬ方が先だろう。


「お、おおおおおおっ!!」


 魔力による強化?

 否、骨や肉を強化しても、着地の衝撃で内臓がやられる。

 ならば、答えは一つ。

 俺は退魔刀から何度も斬撃を放ち、その反動で落下速度を調整。普段は、研ぎ澄まして放つ斬撃であるが、あえて鈍く、斬るというよりは『叩く』という意識で魔力を放った。


「お、おおおおっ―――っだ、あぐっ、くそが! 練習しておいてよかったぜ!」


 斬撃ではなく、あえて『打撃』を放つ練習。小学校の頃に会得した五点着地。何より、着地したのが固い路面ではなく、高校のグラウンドというおかげで、俺は何とか衝撃を受け流すことが出来たらしい。

 いやぁ、まさか飛鳥が高いところから獲物を落とすという攻撃方法を使うとは。


「――――流石、鳥類!」

『なんだかんだ、馬鹿にしているでしょ? アンタ』


 俺が着地を終えると、飛鳥もまた怪鳥の姿で隣に降り立った。俺は、そのまま戦闘を開始することも覚悟したのだが、何故か、飛鳥は美少女形態へと戻って。


「アタシの巣へようこそ、剣介」


 ずるりと、何か皮を被せられたみたいに、周囲の光景が変わった。

 先ほどまでは夜。しかも、屋外に居たはずなのに、いつの間にか屋内…………見覚えのある学校の廊下に立っている。窓の外から覗く空の色は青。雲一つない蒼天。

 つまり、俺はあの時と同じ空間に閉じ込められたのだと、悟った。


「剣介。アンタが、一体どういう伝手でその退魔刀を手に入れたのかは分からない。何故、アタシたちあの正体を知っているのかも、どうでもいい。でも、試してみたいことがあるのよ」


 声が聞こえて、俺は反射的にそちらへ視線を向ける。

 すると、何故か、俺と同様に剥き身の刀を正眼に構えて、飛鳥がこちらに視線を返して来た。


「アンタが知っているのかどうかは分からない。だから、勝手に語らせて貰うわ」

「あ、はい」

「五百年。アタシは五百年、封印され、まともに力を扱えない姿にされた。ふふふ、分かる? 人の姿をしている時よりも、本来の姿で居る時の方が疲れてしまうという絶望が。だから、私は考えて、実行したのよ――――そう、五百年間、人間の武術を学べば、この姿のまま、強くなれるんじゃないか? ってね」

「五百年間、鍛錬を続けていた、と?」

「ええ、その成果、アンタで試させて貰うわよ、剣介」


 いつになく凛々しい表情で告げる飛鳥の姿は、確かに隙が無い。佇まいもまるで、風を受け流す柳のように、しなやかで強い。お互い、四歩距離が開いているというのに、一歩踏み出すだけで切り裂かれてしまいそうな気配を感じる。


「まずは、人間としてのアタシに勝ってみなさい」


 自信満々に俺を見据える飛鳥の姿は美しく、思わず見惚れてしまった。だからこそ、ついつい、いつもの悪癖が出てしまったのだろう。


「…………飛鳥」

「言葉は不要。いい? 剣介、アタシたちは互いに剣を通して――」

「スカート」

「えっ?」

「スカート捲れて、パンツ丸出しだぞ」

「ひゃっ! う、うそっ!?」


 俺の言葉を信じて、慌てて己の下半身を確認する飛鳥。

 悪い癖だぜ、俺。飛鳥が格好つけていると、からかいたくなるという小学生ソウルが疼いてしまい、こんなシリアスな場面でも茶々を入れてしまうなんて。

 でもまぁ、はい。隙は出来たので。


「うん、嘘」

「え? あっ、ずる―――」

「チェストぉ!」


 俺は斬撃を飛ばして、飛鳥の肉体を両断した。

 どうやら、前哨戦はこちらの勝利らしい。

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