第20話 不死殺し・泥人形

大切な時に脳裏を過るのは、いつだって些細な記憶だ。


「…………え、ええと、演技、見たいの?」

「はい!」

「私の?」

「はい!」

「…………や、やだ」

「…………」

「む、無言で、ミネラルウォーターの詰め合わせを、差し出されても…………あ、でも、高級な奴……ご当地限定の奴も……」

「どうか! どうか!」


 思い出すのは入部して間もない時期。

 早枝先輩が『優しい道化師』の正体だと知り、その演技に惚れ込んだ俺は、どうにかもう一度、その演技を見てみたいと頼み込んだのである。

 もちろん、恥ずかしがり屋の早枝先輩なので、断られることが続いたのだが。


「んもう…………一度だけ、だから、ね?」

「やったぁ!」


 度重なる賄賂と、相手が本格的に嫌がる散歩手前ぐらいのしつこさで頼み込み、なんとか早枝先輩の演技を間近で見られる権利を手に入れたのだ。


「じゃあ…………一人舞台用の脚本は……」

「え? がっつり、やってくれるんですか!?」

「ん、そりゃあ、うん……やるとなったら、本格的に……まさ、か。一時間もずっと、私の演技を見ているの、嫌、とか?」

「ひゃっはぁ! どこでやります!? どこでやります!?」

「普通に、嬉しいんだ……まぁ、いいけど……でも、なんで歓声が、世紀末のモヒカンみたいな……」


 もっとも、結局、早枝先輩が本格的に一人舞台をやるのならば、やはりきちんと体育館のステージを使った方が良いということになって、観客は増えてしまったのだけれども。


「……はぁ、しょうがない、なぁ」


 ため息交じりに髪留めで前髪を上げて、しゃんと背筋を伸ばしてステージに上がる早枝先輩の姿はとても格好良くて。横顔から覗く、緑がかった黒色の瞳はとても美しく見えた。

 ――――何故か、俺はこんな時に限って、そんな些細な記憶を思い出した。

 何も知らず、些細で、けれども確かに幸福だった時の記憶を。



●●●



「まず、人を食べる理由がおかしい」

『『『えっ? そこから?』』』

「後、その自主エコーもういいですよ、聞きづらい。ちょっと真面目に話すんで、部分的にでも人型に戻ってください。口の数は一つで」

『…………くだらない命乞いだったら怒るよ?』

「もう怒っているじゃないですか」


 俺はとりあえず、刀を地面に突き刺して不戦をアピールしつつ、話を進めた。


「確認ですが、早枝先輩」

『なに?』

「早枝先輩は食らった人間の情報を取得することが出来ると言いますが、それはどの程度の精度で可能ですか? 記憶の一部だけとか、本人が思い出せないことは無理とか」

『馬鹿にしないで欲しいよ。私は取り込んだ人間の脳細胞を丸ごと我が物とするから、例え、本人が忘れていることでもきちんと思い出せるし、やろうと思えばその人の肉体から人格まで再現して演じることが出来るの』

「となると、演技力の秘訣はその能力による物が大きいので?」

『いや、それは練習』

「練習ですか」

『当たり前だよ。だって私、俳優さんを食った覚えは無いし、大体、誰かをそのままそっくりと再現するだけで演技とは呼べないんだよね? わかる? 普段通りのリアルが、最上の演技では無くて、観客に対する分かりやすさもかなり大切なの…………って、違う! そうじゃなくて! 結局、どういうことなの!?』


 ぷんすか! と可愛らしい人型の挙動で叱られたので、本題に戻して、切り込む。


「最初に、その男を食らったのであれば、もう既に男が望む妻を演じることは可能だったのではないですか?」

『…………えっ?』

「いや、男を再現するために、他の人間をたらふく食らうという理由だったら分かるんですよ? でも、あくまでもそれは副次的というか」

『…………』

「なんか、完全に妻として演じるために、より多くの人を食らうことが必要だ、という主目的がどうにもしっくりこなくて。だって、ぶっちゃけて言えば、他の人間なんて取り込んでも、所詮は関係ない人間の情報でしょう? そんなもん、いくらあっても無駄ですよ、無駄。むしろ、演じる上では邪魔ではありませんか? より、純度の高い模倣を求めるのであれば、男を蘇らせる最低限の力を蓄えたら、後は人を食うこと自体マイナスではありませんか?」

『…………そ、それは、こう、あれだよ……より多数の視点を得ることによって……客観的で成功なる演技を……』

「再現した男を騙すのに、そんなの必要ないでしょう?」

『いや、それは、その』

「それとも――――男の情報を閲覧した時、妻を演じることが出来ない理由でも、見てしまったんですかね?」

『――――っ!』


 早枝先輩は泥の肉体を震わせて、動揺をこれ以上無く分かりやすく表現してくれた。

 ありがとう、早枝先輩。無意識下でも、誰かに分かりやすい挙動を心掛けてくれたおかげで、確信を持てたぜ。


「早枝先輩。間違っているなら、間違っていると言ってくださっても構いません」

『ま、間違っている! 間違っているから!』

「貴方は五百年前の時点で既に、相当な力を蓄えていたはずです。多くの人間を食らい、他の二体の化物たちと三つ巴になるほどには、強い力を持っていたはずです。ならば、人間の一人ぐらい複製が可能だったのではないですか?」

『違う! 違うっ!!』

「可能であるという仮定で話を進めましょう。ならば何故、実行に移さないのか? 男は貴方に、本物の妻であることを求めた。しかし、本物であることと、男を愛するという二つはもしかして、矛盾していたのではありませんか?」

『ちがっ! 私は――――』

「何故なら、男の妻は『自ら命を断つほど』に、男のことを嫌っていたのだから」


 これは推理ですらない、簡単な答え合わせだ。

 何せ、俺は神社であの巫女さんと出会った時点で、古い文献を漁らせて貰い、早枝先輩の事例だと思わしき資料を読ませて貰ったのだから。

 そして、その文献にはきちんと書かれていた。

 先ほど、早枝先輩が語った内容に前置きする形で、『男は乱暴者であり、妻に自ら命を断たせてしまうほどの外道であった』と。

 だから、最初から間違っているのだ。

 男を愛していた妻など存在しなかった。それでも、男が早枝先輩に本物を求めたのは、既に、狂っていたからだろう。考えて見れば当たり前だ。死者が蘇るなんて噂話を信じて居た時点で、男にまともな正気などは残っておらず……死者が蘇ってしまった時点で、男は完全に狂ってしまったのだ。


「なので、早枝先輩はとても困ってしまった。当然でしょう。明らかな無茶ぶり。男がそもそも、愚かすぎるのです。仮に、男の要望通りに本物の妻となってしまえば、早枝先輩はその瞬間、自ら命を断たなければいけません。男に都合の良い妻を装ったところで、偏執病となった男は『自らを嫌わない妻』の存在を認めない」

『う、ううう……』

「だから、現実逃避のために、早枝先輩は自分でも無理がある理論を立てて、人を食らうことに――」

『うるさいっ!』


 と、ここまで語っているところで、思いっきり俺は早枝先輩の泥に殴り飛ばされた。

 油断していたわけでは無かったが、人間の反射速度では避けられないほどの一撃だったので、普通に避けられなかったのである。いやはや、とっさに魔力を集中して防御していなければ、上半身が吹き飛んでいたかもしれないな。


『う、うるさいっ! うるさいよ! そ、そんなことない! 私は! 私は、あの人を、あの人のために、今まで、ずっと!』


 俺は喚きながら追撃しようとする早枝先輩の攻撃を、地面を転がって避けた。

 大丈夫。感情的になっている所為か、単調だ。先ほどの一撃で、良い感じに血反吐を吐きそうであるが、まだまだ動けるぜ。


『私は愛するあの人のために! 今まで――』

「それも嘘でしょう?」


 俺は一度、退魔刀を消してから、もう一度手元で出現させる。二歩程度の距離で取りに行けたが、暢気に取りに戻って居たら泥に圧殺されてしまう。


「早枝先輩っ! 貴方は、そんな男のことなんて愛していない!」


 荒れ狂う泥の触手を全て切り払うために、俺は取って置きの必殺技を発動。

 素早く、小刻みに刀を振るい、その振りに合わせて魔力を込めて、斬撃を飛ばす。飛ばす距離とか考えず、回数を重ねて、ひたすら周囲の空間を筆で塗りつぶすつもりで。


『なんで、そんなこと言えるの!? 私の事を、たかが二か月で、一体何を知ったつもり!?』

「ええ、知ったつもりになりますよ! だって俺は、過去の部誌まで全部きっちり、早枝先輩の作品を読みつくしましたから!」

『んぎゃぁあああああああ!!?』


 飛ぶ斬撃の嵐が、泥を切り払う。

 遠慮なく放った言葉の刃が、早枝先輩の心を穿つ。

 そう、俺は持ち帰った部誌をきちんと読み、各部員の過去作を全部読み終えているのだ。何かしら攻略のヒントを得るために。何より、彼女たちを理解するために。


「作中に出て来るイケメンって大抵、やれやれ系で優しい朴念仁じゃないですか!」

『うう、やめてぇ……』

「暴力系男以前に、オラオラ系すら出てこないですよ!? 完全に! 甘やかされて、いちゃいちゃしたいだけの私小説とかも部誌に乗せてたじゃあないですか! 恥ずかしげもなく!」

『当時の流行だったんだよぉ!』

「作中に暴力男が出てきたとしても、完全に悪役じゃないですか! 一切の恋愛要素を絡めず、ボコボコにしているじゃあないですか! ぶっちゃけ、嫌いでしょう!? そもそも、早枝先輩の元になった肉体的に考えて、嫌うのが普通でしょうが!」

『う、うるさい! うるさい! そーだよ! ずっと、ずっと誤魔化していたけど、私は、あの男が大嫌いだったよ! 殺せばよかった! 食い殺さずに、適当に殴って、殺せばよかった! 知りたくなかった! 縋るしかなかった相手が、ただの屑なんて知りたくなかった! 私の未来が、どうしようもなく行き詰っているなんて! 知りたくなかった!!』


 ここで、先ほどまで猛威を振るっていた泥の触手が、力なく崩れていく。


『あの時の私は馬鹿だから! 真実を知って、逃げたんだ! 私が馬鹿だから、行き詰ったんだって! もっといろんな人を食べて、情報を沢山手に入れれば、何かが変わると思ったんだ! でもね、食べれば食べるほど、情報を得れば得るほど、分かっちゃうの。私は無茶ぶりされていて! 生まれて来た意味なんて、最初から無かったんだって!』


 早枝先輩の嘆きと共に、泥は段々と力を失っていく。

 つい先ほどまでは、不気味な肉塊を連想させるほどの脈動を見せていたそれが、ただの泥へ変わっていき、残ったのは人間の形をした部分だけ。


『気づいた時には、もう遅かった。馬鹿な私が信じた間違いの所為で、沢山の人を、食べた。老若男女問わず、沢山! 食べて、取り込んだから、その人たちがどんな人生を送っていたのか! 私に食われる時、どれだけ怖かったのか! どれだけ――生きたいと願っていたのか、嫌でも理解できた。だから、余計に現実から目背けて……いつの間にか、私はもう後戻りが出来なかったの。五百年前からずっと。自分の罪を認められず、現実逃避を続けているだけの紛い物…………それが、私の正体だよ、剣介君』


 その人間の部分も、段々とひび割れていく。

 水分が失われていくのではなく、氷のように固まって、ぴきぴきと音を立てて割れていくのだ。まるで、早枝先輩の心が具現化したかのように。


『ねぇ、殺してくれないかな? 私は…………もう、逃げ続けるのは、疲れたよ』


 予定通りだった。

 何もかもが、予定通り。肉体面で無敵を誇る早枝先輩は、精神面は驚くほど脆い。これが、赤の他人ならばともかく、二か月共に部活を過ごした後輩に指摘されれば、嫌でも己の弱さと向かい合ってしまう誠実さが、早枝先輩自身を追い詰めたのだ。

 いや、ひょっとしたら五百年という時間の中で、もう限界が来ていたのかも知れない。

 化物として、己を愛する者を食らう日々は、どれだけ現実逃避を続けたとしても、早枝先輩の心に傷をつけ続けてきたのだ。

 だから、二か月程度の付き合いの後輩に指摘されて、死にそうになる。

 後は、この退魔刀で、早枝先輩を両断すればきっと、死ぬだろう。今ならば、確実に命に届くという気配があった。


「――――甘えるな」

『えっ?』


 だというのに、俺の口は勝手に、予定外の言葉を紡いでいた。


「情けないですよ、早枝先輩」

『あ、あの?』

「俺は今日、早枝先輩と殺し合いに来ました」

『う、うん』

「テメェの罪悪感に押しつぶされて、自滅するような雑魚女を殺しに来たつもりはありません」

『――――っ!』


 何をやっているんだ、俺は? 自分で狙って追い詰めた癖に。馬鹿じゃあないかと思いながらも、言葉は止まらない。胸の中から湧き上がる衝動は止められない。


「俺の知っている早枝先輩ならば、己の罪と向き合ってなお、先に進もうとするはずです。少なくとも、途中で諦めて命を投げ出す人ではない」

『い、いや……私は、そんなに強く――』

「例え、どれだけ内心が弱って居ようとも、早枝先輩ならば諦めない。本当の自分とか、そう言う面倒なことは全部蹴飛ばして、後輩が見ているのならば、きちんと演じて、強く、俺の前に立ちふさがってくるはずです…………違いますか!?」

『私、は……』

「俺が、柊剣介っていう後輩が! 命を賭けて殺し合いに来たのは! そういう先輩だ! 偽物とか! 本物とか! どうだっていい! 立て! 立って、戦えよ! 俺は……俺はっ!」


 退魔刀の切っ先を向けて、俺は叫ぶ。

 駆け引きとか、打算とか、そういう物を全部投げ捨てて、叫ぶ。


「俺は今日! 菱沼早枝っていう! 超すっげぇ、先輩を! 憧れの先輩を! ぶち殺しに来たんだ! 自分が生きるために、そういう覚悟をしてきたんだ!」


 まったく、我ながら最低の言葉だ。

 相手の事情をまるで無視して、こちらの考えを押し付けるだけの言葉。しかも、本人に対して解釈違いを叫ぶなんて、最低極まる。


『…………ぷっ。は、はははっ! あはははははははっ! 中々に、最低だと、思うよ……剣介君。でも、ね? ありがとう』


 だが、そんな最低でクソ塗れの言葉でも、早枝先輩は応えて立ち上がってくれた。

 全身はひび割れ、まともに人を象っているのは、その表情だけだけれども。

 それでも、先ほどには感じらなかった覇気が、確かに俺へ向けられている。

 ああ、やはり早枝先輩は凄い。


『おかげで、最後の一瞬ぐらいは、君の尊敬する先輩で居られると、思う、よ』


 これでこそ、菱沼早枝だ。


『さぁ! 英雄よ! 五百年の停滞を砕き、我らが不死を殺していく者よ! 私が一番目だ! 数多の人間を食らい、山を崩し、川すら飲み干す、不死なる泥が相対する! 死の運命を乗り越え、先へと進みたいのであれば! 力を示せっ!!』


 全身ひび割れ、氷のように凍てつき、まともに動けないはずだというのに、早枝先輩は覇気を纏う。演者として、舞台に立ち、相対すべき敵として俺の前に立ち塞がっているのだ。

 正直に言おう。

 満身創痍であるはずなのに、俺は今までで一番、早枝先輩が恐ろしく、そして凄いと思った。

 そうだ。俺は、この先輩と殺し合いに、今日ここまで来たんだよ!


「――――承った。この一刀をもって、不死殺しを示そう」


 だからこそ、俺は全身全霊で応じる。

 後先なんて考えずに、ありったけの魔力を退魔刀に込めて。


『いざ!』

「尋常に!」

『「勝負!!」』


 俺は、偉大なる先輩と殺し合った。



●●●



『げほっ…………あーあ、負けちゃった』

「とても足が痛い」

『ふ、ふふふ、左足を抉って、あげちゃった……動けるけど、凄く、痛いよ?』

「この後、二人ほど予定があるんですけど?」

『わぁ、モテモテ、だね? 精々、足を引っ張られると、いい、よ?』

「まぁ、支援を受けている組織からある程度の治療を受けるインターバルぐらいあるんですがね!」

『感傷を台無しにしていくスタイル…………あーあ、最後に見るのが、こんな最低な後輩の顔なんて、うんざり、だよ』

「そりゃあ、すみません。どうせだったら、歴代の中でも一番好みの男に抱かれて死ねれば良かったんですけどね?」

『そう、だね……歴代の男にすると……正直、君は番外……』

「ひっどい!」

『でも、ね? 後輩、としては……うん、迷うまでもなく、私の、一番だった、よ…………あははは、二か月なんて、とっても、短い、間だけだったのに……ね?』

「はは、そりゃあよかった」

『…………ねぇ』

「はい」

『今、私が言って欲しい言葉、わかる?』

「はい、さっぱりわかりません!」

『うっわ、最低』

「何せ、番外ですから…………でも、後輩としての言葉で良ければ、差し上げますが?」

『…………ん、それで、いい、よ』


 俺は上半身だけになった先輩を抱きかかえて、夜空を見上げる。

 こんな日だというのに、いや、こんな日だからこそ、少しだけ歪な月が、爛々と俺たちを照らしていて。


「月が綺麗ですね、早枝先輩」

『そう、だね……剣介君――――私、死んでもいいわ』


 文芸部らしい、最後のやり取りを終えた時にはもう、腕の中から、温もりは消え去っていた。

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