第16話 復讐者は協力者

 眼前で、黒服が頭を下げていた。

 土下座だった。

 明らかに、四十代ぐらいの中年……しかも、サングラスをかけた強面の……何人か殺していそうな顔をした黒服の中年男性が、俺に土下座していたのである。

 ただ、これは別に命乞いや、謝罪の意味での土下座ではない。


「頼む…………土浦天音を、あの化け物を、殺してくれ」


 不死の化物の殺害を要求する、懇願だったのだ。

 当然、俺は首を傾げた。黒服のオッサンを捕まえて、敦とボブさんも無事に集合。さて、どうしてやろうかと相談しようとしていた時、敦が黒服へ言ったのである。


「これで、証明は出来ただろう?」

「ああ、試すような真似をしてしまい、すまない」


 ここで、流石の俺にも見当が付いた。

 寺の時と同様に、今回もまた、俺だけ…………いや、静かに怒りを漲らせていたボブさんも含めて、この悪友に謀られたのだと。

 とりあえず、ボブさんは「ホーリーシット!」という言葉と共に、唾を吐き捨て、パンクした軽自動車の下へ歩いて行って。残された俺はこうして、自分よりもかなり年の離れた強面の中年から土下座をされているという始末である。

 え? 何この、わけわからない状況?


「敦」

「おう」

「説明」

「見ての通りだが?」

「俺には、明らかに只者ではない強面の中年が、必死な様子で不死の化物の殺害を頼み込んでくるという、意味不明な現状しか見えないのだが?」

「概ねその通りだぞ」

「そっか…………おい、逃げるな、流石に寺の時と合わせて二度も騙されたら、蹴りの一発でも食らわせたくなる」

「断る。今のお前に蹴られたら、尻が四つに分かれてもおかしくないからな。それに、疑問に思ったのなら当人に聞いてみればどうだ?」


 けらけらと、俺と一定距離を保ちながら敦が笑う。

 即座に距離を詰めて蹴りを入れてもいいのだが、流石に当事者を置き去りにして漫才を始めるのも失礼だろう。それが例え、いきなり襲撃を仕掛けてきた謎の人物であったとしても。


「あー、えっと、とりあえず抵抗しないのであれば、頭を上げてください。抵抗した場合はまず、手足の腱を斬りますので、抵抗はお勧めしません。いや、マジで。手加減とか全然出来ないので、最悪、骨ごとすぱーんですよ? 肉で済んだら御の字レベル」

「…………ああ」


 俺の言葉に応じて、黒服の中年男性が顔を上げる。

 うむ、やはり怖い。よくよく見たら、顔のいくつかの部分に、消え切らない傷跡があるのが見えた。駄目だよ、確実にその筋の人だよ、こえーな、おい。いやだなぁ、その筋の人と手打ちにするのって結構難しいんだぜ?

 前に一度揉めた時は、外部からさらに強大な力を持つ老舗の組に仲裁をしてもらって事なきを得たけれども、二度と関わりたくなかったもん。


「一つ一つ、聞いていきましょう。まず、貴方の名前は?」

「田中太郎…………すまないが、偽名で許して欲しい。現在の俺には、本名を名乗る権限を与えられていない」


 黒服の中年男性――もとい、田中さんの言葉で俺はなんとなく察した。けれども、一応、確かめるために言葉を重ねる。


「ご職業は?」

「公務員…………ということになっている」

「じゃあ、便宜上、『組織』と呼ぶことにしますが。田中さん、貴方の行動はその『組織』とは無関係ですか?」

「俺は、俺の個人的な私怨を果たすために、ここに来た。だが、完全に組織の意向と無関係には動けない。俺がここに来ることが出来たのは、貴方の御友人が組織の上層部と取引を行ったから、許された」

「ほほう」


 俺が敦の方へ視線を向けると、奴は不敵な笑みと共にサムズアップをかまして来やがりました。そうだね、有能だね。ありがとうね。それはそうと覚えていやがれ。


「どのような取引を?」

「俺が、貴方を試して『相応の力量』があると判断した場合、俺が派遣されて、組織が間接的に協力することになる、という取引だ。あの土地に居られる無貌神との契約で、直接手助けは出来ないが、必要な物資を融通することは可能になる」

「なるほどね」


 敦が取引した組織というのは、恐らく、『出来るだけ化物は排除したい』という方針の組織なのだろう。けれども、あの土地に居る限り、土地神である部長が守護しているので、手を出すことは出来ない。そもそも、手を出したところで不死なので、例え、攻略方法を知っていたところで、軽い気持ちで手を出すと大打撃を受けてしまう可能性がある。

 故に、不死に挑む資格を持つ俺に対して、間接的な協力をすることによって、最低限のリスクで最大の利益を取ろうとしているのだろう。

 その思惑に対して、すっきりとしない感情は抱くけれども、専門の組織のバックアップがあるのはやはり助かる。俺と敦だけでは、所詮は平和な日本国家の範疇でしか準備を整えられないのだから。

 どれだけの協力があるのかは不明であるが、これでいくらか戦いやすくなったと考えよう。


「それで、田中さん。組織の意向はなんとなくわかった。だから、改めて聞こう。貴方は何のために俺へ協力するのですか?」

「土浦天音を、殺すためだ」

「何のために?」

「復讐のために」


 復讐、という言葉でなんとなく思い至ったことがある。

 だが、それがそれを出す前に、田中さんが言葉を続けた。


「姉を食い殺した、あの化け物を殺すために、俺はここに居る」


 その言葉に、どれだけの覚悟と怨念が込められていたのか、俺には分からない。

 何せ、俺は散々偉そうなことを言っておいても、ただの男子高校生だ。未だ、両親に扶養されているに過ぎない程度の存在だ。

 三十年間、誰かに殺意を抱き続けた男の想いなんて、分かるわけが無いのだ。



●●●



 田中さんが所属する組織には、『人除けの結界』などという便利な代物があるらしい。というか、俺たちを襲撃する時はそういう術を使っていたようなのだが、流石に、いつまでも国道を封鎖して話し込むわけにはいかない。

 運転手のボブさんは、田中さんの組織の人達と事後処理。主に、壊れた自動車や、路面に付いた傷についての後始末をするようだ。


「ここは、うちの組織が直営している店だ、融通は利く。直ぐに、防音処理を施した個室へ案内しよう」


 そして、俺と敦、田中さんは用意された別の自動車で移動。隠れ家的な小料理店に案内されて、現在に至るというわけだ。


「好きな物を頼んでくれ。流石に、アルコールは出せないが、それ以外であれば、ここに書かれてある物ならばすぐに出せる」

「いや、お気遣いはありがたいけれど、ちょっと遅めの昼食を終えたばっかりなので。だから、必要ないです。それに…………ご飯が美味しくなることを話し合うわけでもないでしょう?」

「そうだな、失礼した」


 店の奥の個室で、俺たちは田中さんと向かい合って座敷に座っている。

 田中さんは、外見は強面だというのに佇まいは妙に礼儀正しく、背筋を伸ばしての正座。しかも、自然体でこちらと向かい合っているのだから、堂に入る姿だ。

 まぁ、俺たちは正座とか面倒だから胡坐で楽をさせて貰っているのだけれどね。


「では、詳しい話をお聞かせください、田中さん」

「…………詳しい話、と言ってもな? そこまで語る何かがあるわけでもない。俺はただの、復讐者だ。それ以外、語ることはほとんどない程度の男だ」


 それでも、なんとなく佇まいを正してから、俺は田中さんへ改めて尋ねる。


「かもしれません。ですが、言葉を交わして分かることもあるでしょう。例えば、貴方の目的は、天音先輩――土浦天音を殺すこと。それでいいんですね?」

「ああ、そうだよ。俺は今まで、あいつを殺すためだけに生きて来た」

「復讐とおっしゃっていますが、身内を殺されたので?」

「…………そうだ。姉を、二つ上の姉を、殺された」


 殺された、と告げる田中さんの表情は、特に変わりは無かった。

 漫画やアニメでよく表現されるよな、『殺意』は感じられない。ただ、なんと表現すればいいのだろうか? 田中さんの言葉は乾き切っていた。もはや、この言葉の中に注ぎ込むだけの感情は全て、枯れ切ったとでも言わんばかりに。


「あの土地神が何故、俺の記憶を見逃したのか? 理由は分からない。ただ、俺は覚えている。あの夜、公園で…………姉を食らう化物の姿を。三十年も経ったのに、覚えている。いや、忘れられない、と言った方が正しいか」


 語る田中さんの表情にはもはや、怒りも、悲しみすら浮かんでいない。


「三十年間…………ずっと忘れられないんだ。忘れたくても、忘れられない。いっそのこと、忘れられるのならば、それを願うかもしれない。だが、駄目なんだ。あの時、あの瞬間、笑いながら殺されていった姉さんの顔を思い浮かべる度に、俺はどうしようもなくなる。あいつが、この世界に存在していることを許容できなくなってしまう。駄目なんだ。俺は、三十年経ってもあの時のガキのままなんだ…………いい加減、進みたいんだよ。解放されたいんだ。あの夜から」


 あるのは、乾いた苦しみだけだった。

 砂漠を長い間さ迷い、体中の水分が全て枯れ果ててしまったというのに、崩れて消え去ることを許されない咎人の如く、この人は苦しんでいる。

 復讐とは、ここまで人を苦しめて、縛ってしまう物なのだろうか?


「ならば、何故、仇を自分の手で討とうとしないのですか? 貴方が所属する組織への配慮? それとも、殺すだけの準備が足りていない?」

「…………いいや、この際だから、正直に言おう。俺にとって、組織は手段だ。あいつを殺すために所属しているに過ぎない。その後の保身など、俺にとってはどうでもいい。そして、殺す準備ならば整えた。俺が考えうる限り、恐らく、あいつを――――あの『星蜘蛛』を殺しきる方法は存在しないというほどに」


 乾いた言葉を淡々と紡いできた田中さんだったが、ここで言葉に感情が乗った。


「だが、俺には資格がない」


 ぐしゃり、と己の髪をかき乱し、卑屈な笑みを浮かべる田中さん。

 乾いた言葉にはいつの間にか、濁流の如き悲しみに浸されていた。


「三十年間、ずっとあいつを殺すために鍛え上げて、手段を講じて、ようやく『殺せる』と確信を持てる手段を見つけたというのに…………駄目なんだ。弱いんだよ、俺は」

「弱い、ですか? 貴方が?」


 俺に強さの判別は出来ないが、果たして、この人がそんなに弱いだろうか?

 そりゃあ、なんとか俺は襲撃を凌げたが、もっとやり方を変えていれば……例えば、拳銃ではなく、狙撃銃での長距離狙撃を選ばれていたら、もっと苦戦していたし、為す術無く倒されていた可能性が高い。

 武器や魔力の差で、あの時の攻防は俺が制したが、次に戦えば分からないと思うのだが。


「弱い……呆れるほど弱いんだよ、俺は」


 俺の考えを否定するように、田中さんは言葉を繰り返した。


「力もそうだが、何より、心が弱い。俺は、三年前にもう、あいつを殺す手段を手に入れていた。上手くいけば、殺せるはずだった。充分に勝算はあるはずだった。居場所も突き止めていた。土地神は俺に、あいつの居場所を隠さなかった。だから、許されていると思っていた。復讐の機会が与えられるというのは、そういうことだと思っていたんだよ……でも、違った。まるで違っていた。恐らく、あの土地神は俺が、『ああなる』と分かっていたんだろうな」


 両手で頭を掴み、狂気すら感じる笑みを浮かべて、語る。


「俺は、動けなかった。いや、あいつの前に姿を現すことも出来なかった。遠くから、奴を双眼鏡で覗き込むのが精一杯だった――――怖かったんだよ。返り討ちにあって死ぬのが、じゃない。あいつの前に姿を現すのが、怖かったんだ。今まで、どんなに悍ましい化物とだって戦って来たっていうのに、駄目だった」


 引き攣った笑みで、泣き笑いの顔で。


「あいつと目を合わせた瞬間、あいつを『許してしまいそうな自分』が、怖かった。あいつの姿を遠くから見ただけで、怒りや緊張とは別の意味で高鳴る心臓が怖かった。笑えるだろう? 俺は、三十年経っても…………あいつを殺せるだけの覚悟なんて、無かったんだ」


 告解の如く、田中さんは俺に心情を吐露した。

 一体、どのような心境だっただろうか? 長年追い求めていた仇を、殺せなくなってしなうほどの感情とは、どのような物なのだろうか? 

 生憎、あるいは幸いなことに、俺にはそんなものなどは存在しない。

 そんなものが芽生える前に、俺は殺し合いの舞台に上がってしまった。


「…………だから、君に問いたい。不躾な問いだと嗤ってくれても構わない。君は、本当に、彼女を……土浦天音を、殺せるのか?」


 田中さんは――心折れた復讐者は、俺に問いかける。

 可能、不可能ではなく、俺の決意を聞きたいのだろう。

 俺は一度、大きくため息を吐いてから、ちらりと隣の敦へと視線を向けた。敦は、こんな状況だというのに、『さて、お前はどうする?』と愉快そうに視線を返してきて。

 ああ、まったく。


「殺しますよ」


 性格がクソな癖に、本当に有能極まりないな、こいつは。


「ただし、俺が生きるために殺します。貴方の復讐のためではありません。それでもいいのならば、協力してください」


 果たして、俺はどんな顔をして、この言葉を紡いだのだろうか?


「…………はは、やはり、君を選んで間違いなかった」


 俺には分からない。

 田中さんが、救われたような顔をしていた理由も、まるで分からない。

 きっと、この疑問の答えは、俺が天音先輩を殺した後にしか、分からないのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る