第15話 異界より来る、翼を持つ者

 借りた風呂は、古めかしくもしっかりとした造りのヒノキ風呂だった。しかも、そこに最新式の直ぐにお湯が出るタイプのシャワーも付いているのだから、ありがたい。俺は即座に体を洗い流した。


「ふぃー、極楽、極楽ぅ……」


 きちんと体を洗浄した後は、なみなみとお湯が張ってある浴槽へ体を沈める。

 体を沈めた瞬間に、体内に残っていた疲れが体から溶け出すような、心地良い快感。浅く息をすると、風呂の熱気と共に鼻孔をくすぐるヒノキの匂い。

 素晴らしい。

 例え、悪友と悪い大人に騙されて、全身全霊の鬼ごっこを四時間続けた後だったとしても、この報酬だけで何もかも許せてしまいそうだ。


「いや、やっぱり釈然としない」


 悪友は良いのだ、別に。あいつは基本、俺をからかったり、俺が生死の狭間で藻掻くのを楽しむために協力してくれているのだから。後で、立場が逆転するようなことが起きた時に、思う存分からかえばいい。

 しかし、和尚さんはもうちょっとこう、もう少し申し訳なさそうな顔をして欲しい。物凄く頼まれたから、やろうかな、という気分になったのに、まったく。


「お兄さん! 一緒にお風呂入ろうぜーっ!」

「え? やだ、直ぐに上がるから後で入れよ」

「もう服脱いだー」

「えぇ……」


 俺が大人のズルさにちょっと不満を覚えていると、曇りガラス越しに、脱衣所からクソガキの声が聞こえた。

 正直、見知らぬ他人と一緒に風呂に入るのは好きではないし、それが子供ならば尚更なのだが、ここの家主はあくまでも、クソガキと狸爺一族なのだ。俺は風呂を一時的に借りているという立場。ここで強く言うことは出来ない。


「折角のヒノキ風呂だったのにな」


 俺は手足をちょうどよく伸ばせるヒノキ風呂を名残惜しく思いながらも、渋々スペースを空けておく。


「きゃっはー!」

「おい、体と髪は洗ってから入れよ? マナーだぞ?」

「えー、お兄さん、細かーい! モテないでしょ!?」

「馬鹿言え、モテモテだぞ? …………モテモテだなぁ、ははっ」

「お兄さんが風呂場なのに、乾いた笑みを」


 クソガキがクソガキらしく、いきなり湯舟へダイブしようとしたので、そこは高校生の俺、きちんと注意しましたとも。

 クソガキはぶつくさ文句を言いながらも、髪を洗い、体を洗って…………んんん? 何だろう? 野球帽の中に隠されていたのかな? 若干、男子にしては髪が長いような? でもま、あれだろう? クソガキほど、妙に髪が長い法則、みたいな?


「はいはい、お邪魔するよー。わふっ!」

「うおっ! こら、静かに入れよ」

「えへへへ、誰かと一緒にお風呂入るの、久しぶりだから、テンションが上がっちゃったんだぜ♪」

「まったく………………んんんんんんんんん?」


 途中まで普通に話していて、俺はふと気付いたことがある。

 俺の前を跨ぐように、ざぶんと浴槽へと入って来たクソガキ。果たして、その股間には、チ〇コがあっただろうか? え? なかったよね? 待って、落ち着こう。子供のチ〇コだから、小さすぎて見えなかっただけかも…………いや、止そう。現実逃避は止めよう。俺はあの時、彼女たちに襲われた時、学んだじゃないか。

 現実逃避をしている暇があったなら、体を動かして為すべきことを為すのだ、と。


「よし、上がる」


 なので、俺は即座にこの風呂場から撤退することにした。


「えー? どうしたのー、お兄さん♪」

「放せェ!」


 しかし、撤退は失敗。

 限りなく密着状態に近い浴槽の中で、俺はクソガキの動きから逃れられず、あえなく腰に抱き着かれてしまった。

 何なの? 恥じらいという感情を母胎に置き忘れて来てしまったの?


「おいこら、女子! 慎みが無いぞ!?」

「お互い、一糸纏わぬ状態で一つのお風呂に入っているんだから、今更だよー」

「今更ってなんだよ!? 何も、何一つ手遅れなんてことは無いんだ!」

「少年漫画みたいな台詞を、女子に抱き着かれた時に言わなくても」

「うるせぇ! こんな場所に居られるか! 俺は上がるぞ!」

「推理小説みたいな台詞をこんな時に言わなくても…………んもー、仕方ないなぁ、お兄さん」

「落ち着け、落ち着け、俺。大丈夫、残りの魔力を振り絞れば――」

「ここで逃げたら、お兄さんにエッチな悪戯をされたって言いふらすよ?」


 俺は、無力だ。

 即死呪文をちらつかされたのならば、もう男である俺に出来る事なんてない。無力感を噛みしめながら、ぶくぶくと湯舟に沈むのみ。


「沈まないで、沈まないで。のぼせるよ? というか、そんなに嫌なの? えー、これでも、同学年の間では発育が良い方なのに」

「やめろ、目の前で胸を揉むんじゃない……はぁ、それで一体、何の用だよ?」

「何かの用事が無ければ、一緒にお風呂に入っちゃダメなの?」

「用事が無くても、男女は一緒にお風呂に入っちゃダメなの」


 俺の言葉に、クソガキはにんまりと笑った。

 ああ、こいつはある意味、悪友と似たような性格の捻じれを持っていやがるな?


「お堅いなぁ、お兄さん。オレはね? アンタに興味があるんだよ。何せ、生まれて初めてオレを捕まえられた唯一の男だし」

「ふん。随分と狭い世界で生きていたんだな? 安心しろ、クソガキ。俺程度の人間なんざ、きっとこの世界にはごまんといるさ」

「お兄さんみたいなのがごまんといる世界って、もう修羅道じゃん、それ」


 二人入って、ただでさえ狭いというのに、さらに距離を詰めてくるクソガキ。

 俺はクソガキの肩を掴んで、ぐいぐいと離す。なんなの? どうしてこんなに懐いたの?


「オレにはね、分かるよ? お兄さんは本物で、特別なんだって」

「人間、誰しも本物で特別だっての」

「むぅー、言葉遊びぃー」

「事実だ、事実」

「んじゃあ、こう言いかえるよ? オレにとって、お兄さんは本物で、特別なんだって」

「……そんなに、鬼ごっこで捕まえられたのが悔しかったのか?」

「ううん。や、すっごく悔しかったけど、それ以上に、嬉しかった! オレに追いついてくれる誰かを、オレはずっと探していたような気がするからさ」

「…………そっか」


 しんみりとした表情を見せるクソガキに、俺は突き放す手を緩める。


「あとね! あとね! オレを捕まえる時、必死になって抱き着いて、色んな所をまさぐりつつ、息を荒くするお兄さんの姿を思い出すと……えへへへへ」

「離れろ」


 小学生女子らしからぬ蕩けた表情をするクソガキを、俺はぐいぐいと遠ざける。

 なんで特別に有能な人間に限って、性格面が歪んでいるんだろうな?


「あー、いいのかなぁ? 折角、特別に大好きになったお兄さんへ、健気な女の子が良いことを教えてあげようと思ったのに」

「あ? いいこと?」

「そう、とってもいいこと――――天狗を殺すときに、役立つ方法」


 思わぬ言葉の内容に、ぎょっとしてクソガキを見る。

 クソガキの顔は、特に変わりがない。

 身が竦むような殺意も、異常性も感じられず、だた、ちょっとばかり悪戯大好きなクソガキな顔をしていた。

 けれど、だからこそ怖いのかもしれない。


「お兄さんには、生きていて欲しいからね? だから、教えてあげる。天狗を――ううん、『飛鳥お姉ちゃん』を殺す方法を」


 そして、俺はクソガキから耳打ちをされる。

 風呂場の水音に混じりながらも、密やかに告げられたアドバイスが、決戦をどのように左右することになるのか、今の俺にはまだ、理解できていなかった。



●●●



 あの後、俺は、クソガキに絡まれながら風呂上がりの牛乳を貰ったり、『お礼と謝罪の気持ちです』と、和尚さんからやけに豪勢がご飯を食べさせてもらった。

 ご飯はとても美味しく、クソガキが絡んでくる以外は概ね満足の風呂上がりとなってので、俺は即座に和尚さんを許すことに。

 うんうん、やはり何事も許し合う世の中って大切だよね!


「簡単に言えば、天狗ってのは、異界からの侵略者らしい」


 ということで現在、補給も終えたので再び、自動車で移動中の俺たちである。

 移動中は、隣で敦が俺向けにまとめた、天狗についての説明を受けていた。


「異界からの侵略者? 実はこう、ファンタジー系の生き物だったりするの? ハーピィとか、そういう類の?」

「異界って言っても、お前が想像しているような剣と魔法の奴じゃねーぞ? どちらかと言えば、妖怪とか、神様とか、そういう類が居るような……いわゆる、人間が住んでいないような世界。異なる法則の世界とでも、思っておいてくれ」

「ふんふん……それで、何のために天狗はこっちに侵略してくるわけ? 領土を切り取って、植民地にでもするつもりなの?」

「いや、食料調達だ」

「食料調達」

「厳密には違うが、こういう表現が一番、お前が理解しやすいからな」

「なんだとぅ! この俺を馬鹿だと思っているな!? よかろう、一から説明してみるがいい!」


 ご飯を食べて元気を取り戻した俺は、無駄に見栄を張ったが、三分後、「俺は馬鹿です」という言葉と共に自省することになった。

 やはり、エネルギーを取り戻しても俺の頭の回転はいまいちらしい。


「話を戻すぞ」

「うい」

「天狗がどういう理由から、こっちに食料調達に来るのか分からない。生存競争に負けた結果、こっちに逃げて来たのか、それとも、異界では食料に出来る生物を全部食らい尽くしたのか、幾つも説はあるらしいが、聞き出した天狗によって言っていることが異なるので、実は、一つの異界ではなく、それぞれ異なる複数の世界から来ているんじゃないか、という話もあるぐらいだ」

「コンビニに行く感覚で、人間を食べられても困るのだけれど」

「だよな? 僕もそう思う。当然、天狗に襲われていた人間たちもそう思った。だからこそ、天狗を退治するために様々な試行錯誤を繰り返して、天狗の殺し方を見つけ出したらしい」

「ほほう」

「ちなみに、大体の天狗は不死じゃないらしく、攻略方法の大体が『物理で殺せ(意訳)』だったぞ」

「雑ぅ!」


 確かに、不死でなければ極論はそうなるかもしれないけどさぁ!

 それって、どんな強者も大体首を落とせば死ぬから頑張れ! って言っているようなもんだぞ? 昔の人たちって、どんだけ脳筋だったの?


「ま、逆に言えば不死っていう特性をもった奴は少なかったからな。それらしい攻略法には辺りを付けることが出来た」

「おお! どんなの!?」

「落ち着け。まず、あくまでもこれは僕の予測であり、この通りの攻略方法で殺せるとは限らないことを念頭に置いて――――」


 などと、俺と敦が言葉を交わしている最中の出来事だった。


 ――――ばんっ!


 突如、破裂音が響いたかと思えば、車体が激しく揺れて、路面をスリップしていく。

 俺と敦は、振動の中でも互いにアイコンタクトを交わし、意見を一致させた。

 即ち、これは走行中の車のタイヤを撃ち抜き、こちらの移動力を奪った一撃であると。


「ボブ!」

「イエェア!!」


 運転手であるボブさんの行動は迅速かつ、的確だった。

 即座に周囲の状況を確認した後、遮蔽の多い入り組んだ道路へ入っていくように自動車を制動。自動車を縦にするような形でドアから飛び出て、各自、散開して襲撃者を探す。


「…………ふー、現れろ」


 不思議なことに、つい先ほどまで自動車の行き来があったはずの国道には、車の音も人の気配もなくなっていた。

 たった一台、俺たちの後ろからずっと付いてきたジープ以外は。


「っしゃぁ!」


 よって、狙いはまず、そのジープのタイヤ。

 遮蔽物に隠れながら移動していた俺は、出現させた退魔刀により、斬撃を飛ばす。すると、思った以上に威力が出て、タイヤを狙ったつもりが、車体が縦に切断されてしまう。

 おっと、中に人が入っていたら人殺し確定だな、はっはっはっは!

 ――――まぁ、問題ない。人の気配があるのは、俺たち以外に、俺の背後からするりと現れた黒服の男だけなのだから。


「動く――」

「遅い」


 黒服がこちらに銃口を向けるよりも先に、手の中にあった拳銃を切断した。

 今度は手加減ばっちり。男の手を切断することは無く、銃身だけを斜めに切り捨てた。


「ちぃっ!」


 黒服は舌打ちしながらも、腰のホルスターに手を伸ばそうとするが……言っただろう? 遅い、と。


「おらぁっ!」


 俺は魔力を込めて、黒服の腹部を蹴り飛ばす。

 黒服は、くぐもった呻き声を上げると、遮蔽の影へと転がっていった。


「なん、て、魔力密度、だ……くそっ」

「――――動くな」


 俺は黒服の胸を踏みつけて抑え込み、首元に切っ先を突き付けた。


「仲間がいるなら、動かすな。少しでも俺が不審に思った場合、お前の首を落とす。本当に出来るか試そうと思うな。俺はまだ、手加減が苦手なんだ」

「…………わかった、降参だ」


 黒服が脱力し、大きく息を吐いて戦意を消したが、油断はしない。

 俺は仲間が集合するまで、この体勢を崩さず、警戒を途絶えさせない。

 かつて、絶体絶命の状況を覆したことがあるからこそ、どんな予兆も見逃さず、拘束を終えるまで警戒を最大に引き上げる。

 この程度で死ぬような人間では、きっと、不死殺しなんて夢のまた夢だろうから。

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