第17話 最後の平穏
「ずるい!」
月曜日の放課後。
無事に、不死殺しの情報を得るための小旅行は成功した。帰りは車内で睡眠を取りながらの移動。自宅に帰ってから即風呂に入って、二時間の仮眠。その後、登校という中々にきついスケジュールだったわけだが、そこは流石の俺、授業中にバレないように仮眠を取る方法など熟知しているので、放課後までにはしっかりと睡眠不足を解消することが出来ていた。
しかし、問題が起こったのは文芸部の部室に顔を出したその時である。
両手に沢山のお土産を抱えた俺に対して、飛鳥はいつになく不機嫌そうな顔で尋ねてきたのだ。「アンタ、旅行に行ってきたの?」と。
俺はもちろん、笑顔でこう応えた。「ちょっと美少女巫女さんと会える神社があるということなので、悪友と一緒に見学に行ってきました」と。そこからがもう、飛鳥の癇癪が大変だった。
「ずるい! ずるい! 旅行ずるい!」
「えぇ……でも、野郎二人の旅行だし……適当に遠出してぐるっと回っただけだぜ? しかも、夜中に拉致られて、謎の運転手と共に何時間も高速道路を走ることになるわ。大体、ホテルなんて上等なところで眠れず、ほとんどが車の中での仮眠だし」
俺と二人きりになると、妙に攻撃的になり、我が侭に振る舞うことが多い飛鳥であるが、普段、文芸部の二人が居るところでは多少なりとも体面を取り繕う。それがどういう心理での行動かは分からないが、飛鳥は割と、早枝先輩やら天音先輩に対して見栄を張りたがるところがあるのだ。
なので、大抵、文芸部内では行動がやや落ち着いた物になるのだが、今回ばかりは酷かった。具体的に言えば、俺にしがみ付いて肩を揺らすわ、関節技を決めるわ、おまけに人前で俺に噛みつくという駄犬ムーブをかます始末。
一体、何がそんなに飛鳥の琴線に触れてしまったのだろうか?
まさか、嫉妬? 悪友に嫉妬? 男に嫉妬は無いよね? というか、よしんば嫉妬だったとしても、どういう感情での嫉妬なんだ? 俺は狩るべき獲物だろうに。
「落ち、つこう? 飛鳥ちゃん……その、気持ちは、分かるけど……剣介君に、八つ当たり、格好悪い、よ?」
「だって、旅行よ!? 町の外に出て、自由に動いて楽しむイベントよ!? アタシも、アタシも行きたかった! ローカルな旅番組みたいに、適当な予定を立てて行き当たりばったりで、色んな所に行ってみたかった!」
「あらあら、飛鳥ちゃんは旅行が大好きよねぇ?」
おっと、ここに来て新情報だ。
どうやら飛鳥は旅行が大好きらしくて、この学校生活の中で、まるで旅番組みたいなノリで旅行に出た俺が羨ましくて仕方ないらしい。
えぇ……失礼ですが、歳はおいくつですかぁー? どれだけ少なく見積もっても、俺よりも数百年単位で年上の癖に、こんなことで癇癪を起すの? とちょっとドン引きした俺であったが、とある事実を思い出して、直ぐに考えを改めた。
そういえば、三体の不死者たちは、この土地に縛り付けられている存在である、と。
詳しい制約は分からない。むしろ、学校生活という縛りの中でならば、街の外に行けるのかもしれないが、実際の所分からない。けれど、力を所有したまま、自由自在に世界を闊歩出来るというのはあり得ないだろう。その場合、土地神の力が及ばない場所に行ってしまえば、契約は反故……あるいは、何かしらの工作が可能となってしまうはずだから。
そういう興ざめなことを、あの土地神は、我らが部長は許さないはず。少なくとも俺は、あの怪人は横紙破りを許さない存在であると考えていた。
なるほど。確かに、こういう点を考慮すれば、飛鳥の癇癪にも納得できるかもしれない。
「…………はぁー、仕方ないなぁ、飛鳥は。この我が侭お子様ガールめ!」
「なにおう!」
「あ、こら噛むな! なんで俺の腕を率先して噛むの!? ちがっ! 腕じゃなければいいとは言っていない! 首は駄目だ! 色んな意味で!」
「がうがう!」
俺は駄犬と化した飛鳥を何とか凌ぎつつ、言葉を続けた。
「そんなに旅行行きたいのなら、合宿に行けばいいだろうが!」
「合宿!」
合宿というワードに反応したのか、飛鳥の動きがぴたりと止まる。しかも、こちらをじっと見据えて、興味津々と言った顔だ。
「文芸部の合宿という名目で……まぁ、うちの学校は流石に、許さないだろうから非公式扱いになるだろうが、伝手で観光地近くの温泉宿ぐらい取ってやるさ。もちろん、相応の合宿費は貰うが、たまには文豪気分で作業するのも悪くないと思わないか?」
「おお! 剣介、たまにはいいこと言うわね!」
「やる時はやる人間だからな、俺は…………それで、天音先輩。副部長の意見としては、どのような感じでしょうか?」
俺が問いかけると、天音先輩は少し考えるように目を細めた後、スマホを取り出す。
「ちょっと待っててねー? 責任者に聞いてみるわぁ」
「責任者?」
「こ、顧問、だよ……」
「え? あ、うん、そうね!」
いや、恐らく部長に対して許可を取れるかメールで尋ねているのだろう。この部では、部長の存在は基本的に口に出さないのが暗黙のルールとなって居るので、俺は素知らぬ顔をしてすっとぼけていればいい。あまりに不自然ならばともかく、この程度ならば、部長の認識操作の影響であると三人も考えてくれるはずだ。
うん、そのはず……なのだが、最近、飛鳥の鍍金が剥げてきて、ポンコツ化しているのはどういうことなのだろうか? 初対面は本当にもう、毅然としていて格好いい美少女だったのに、付き合う時間が長い相手ほど、駄犬化してくるし…………そういうところが可愛らしく思えてしまうのが、とてもずるい。
「…………よーし。皆ぁー、合宿の許可、とれたわよー」
「「いやったぁ!!」」
などと考えていると、いつの間にか天音先輩が部長から許可を取っていた。
半分以上駄目元だったのだが、どうやら、こういう申請はありらしい。あるいは、俺の目的に対するささやかなサービスかもしれないが。
「み、水着……新調しないと……」
「トランプや麻雀、将棋、囲碁、ふふふ、寝る前に遊ぶ準備は欠かせないわね!」
どちらにせよ、この文芸部の美少女たちにとって、合宿という響きは特別な物のようだ。何せ、いつもテンションが高い飛鳥はともかく、基本、ダウナーにミネラルウォーターを飲むぐらいしか活動しない早枝先輩ですら、ハイテンションになっているのだから。
しかし、そんなハイテンションな二人に対して、戒めるように天音先輩は言葉を紡ぐ。
「ただし、条件が二つあります。一つ、合宿は夏休み中に限ること。一つ、合宿前に、同人誌の原稿を終わらせておくこと」
「げ、原稿をするために、合宿するの、では?」
「観光地で、皆と一緒にお泊り…………この条件で原稿に集中できる部員は、てぇーあげて?」
天音先輩の言葉に対して、手を上げることが出来たのは一人も居なかった。
他の二人は、絶対にはしゃであろう自分を予想して。
俺の場合は、美少女たちと夏の合宿! 夏のひと時! なんてイベントに突入してしまえば、絶対に頭脳よりも下半身で物を考えてしまいそうになることを予期して。
「あらあら、予想通りの反応ねー? ふふふ、でも、これで意地でも本気で同人誌の原稿を完成させないといけなくなったんじゃないかしら?」
天音先輩の朗らかな笑みを受けて、俺たち部員三人は互いに視線を合わせた。
目的は異なるかもしれないが、絶対に合宿に生きたいのは三人とも一緒。ならば、なんとしてでも夏休み前に原稿を終わらせる必要がある。
「早枝先輩! 剣介! 急ピッチで原稿を仕上げるわよ!」
「お、おー!」
「急ピッチは良いけど、内容をもうちょっと面白くしろよ、君は」
「ふんっ!」
「みぎゃっ!?」
プロである天音先輩以外のひよっこ部員三人は、改めて気合を入れ直し、同人誌に挑むことになったのだった。
●●●
鼻先に人参を吊らされた馬の如く、俺たちはいつもよりもハイペースで原稿を進めていった。
天音先輩から科せられたノルマは、一人五万文字程度の中編小説。
普段、小説を書かない俺たちからすれば、その文字数は途方もなく聳え立つ地獄に相応しいのだが、天音先輩にとっては一週間程度でさくっと書ける分量というのだから驚きだ。
しかも、五万文字をただ、埋めればいいというわけではない。敗北者には、屈辱のコスプレ大会が待っているのだ。ぶっちゃけ、中学時代に女子の制服を着こんで、好きな女の子に告白するという罰ゲームをこなした俺からすれば、今からコスプレ程度恥の上塗りにもならない。しかし、俺が敗北すると美少女のコスプレが見られなくなるという事実に気づいてしまったので、手抜きは出来ないのだ。
「なんだよ、起承転結って! もう、転転転転! でいいじゃねーか!」
「た、ただの、投げっぱなしだよ……それ、は」
「出来たわ、早枝先輩。ふふん、自信作よ?」
「…………読みにくい、ね?」
「一言目がそれ!?」
「改行を、上手く、使ってね?」
しかし、一年生組は気合を入れたところで、所詮は素人。
俺と飛鳥は共に、早枝先輩と相談しながら物語を書き進めていくことに。
「改行したわ! これでどうですか!?」
「………………表現がくどい、けど、うん……………………待って? ひょっとして……そ、その、序盤で、主人公がチンピラを殺して、回想シーンというか、オリジナル武術の、解説に入った、けど…………これ、残りは、全部解説?」
「主人公の強さを説明するためには仕方なかった感じです!」
「序盤の雑魚敵を、倒すだけで終わらないで……せめて、その、中ボスぐらいは、倒して?」
「むむむぅ、難しいわ」
特に、飛鳥の作業は難航しているらしい。
早枝先輩を突き合わせて、色々と試行錯誤をしているみたいだが、その様子を見ていると俺は少しだけ安心できた。良かった、俺よりも下の存在は確かに、ここに居たんだ。
「早枝先輩! 早枝先輩! あの馬鹿が、アタシを見下してるぅ!」
「ま、まぁ…………見下されても、仕方ない、かな?」
時折、俺の視線に反応して飛鳥が文句を言っていたが、それを見守る早枝先輩の表情は生温かい物だ。恐らく、何度も文芸部に所属している癖に、一向に上達しない飛鳥に呆れているのだろう。
ともあれ、同人誌の締め切りが間に合うかどうか、定かでは無いのは、今のところ、俺と飛鳥のみ。天音先輩は当然の如く問題なく、早枝先輩も数百年の経験値のおかげか、それでも元々文才があったのか、演劇部が頭を下げて脚本を頼みに来るのは伊達ではない。
つまり、俺が競うべき相手は飛鳥だ。
いくら飛鳥が致命的にちょっとポンコツな部分があるとしても、油断は出来ない。早枝先輩が付きっ切りで指導しているというのならば、万が一もあり得る。ならば、俺も部活動中は集中して、自分の原稿に挑まなくては。
「剣介君、剣介君」
「ふっ、何ですか? 天音先輩。心配せずとも、俺はきちんと貴方の教えを守りつつ、原稿を進めていますよ? 安心してください、もうしばらくすれば、俺の最高傑作が――」
「君は私と一緒に、同人誌の作り方を学ぼうかー」
「えっ? でも、原稿……」
「君が言い出し始めたのだから、ちゃんとしようねー?」
「あっ、はい」
しかし、事はそう簡単に運ばない物だ。
物事の責任は取らなければならない。特に、自分が同人誌を作ろうと言い出したのだから、天音先輩に諸々の雑事を押し付けるわけにはいかないだろう。
俺はもちろん、快く天音先輩の言葉に従って、手伝いをすることになった。
「印刷所は私が贔屓にしているところを教えてあげるねー?」
「ふむふむ」
「それで、この料金プランの方がー」
「ふむふむ……天音先輩?」
「なにかなー?」
「とても近い」
「ふふふふー、そうだねー」
その作業の傍ら、妙に天音先輩と接近することがあったのだが、これは危ういかもしれないね。ああ、なんというか、ルートがもう一つ出来た感というか、大人っぽい美少女に惑わされる男子の喜びというか…………おっぱいは最高だぜ!
「ふんっ!」
「んぎっ!!? なんで俺の背後を通るたびに、俺の尻を蹴るの!?」
「知らないっ!」
「あらあら」
なお、その様子を見ていた飛鳥が、結構な頻度で俺の尻を蹴って来るという、微笑ましくも痛々しいエピソードがありました。
ねぇ、嫉妬に偽装して上手く小説書けない鬱憤も晴らしてない?
「うんうん、良く出来ました。これで、来年からは一人でも出来るわね、剣介君」
「おっと、ひょっとして雑事を任せるために?」
「年末には手伝って貰うかもー?」
「個人的な同人誌を手伝わせるための策でしたか」
万事順調とは行かないけれども、同人誌製作の日々は瞬く間に過ぎ去っていった。
一つのことに、文芸部の仲間たちが全力で取り組み、時々、揉め事も起こるけれども楽しい時間だったと思う。
多分、俺が高校入学当時に思い描いていた、理想の部活動そのものだった。
「…………」
「あらあら、どうしたの? 一人、廊下でたそがれて。遅めの中二病が発症したの?」
「あはははは、そうかもしれませんね…………でも、天音先輩には言われたくないですね。結構、部活動中でも窓から空を見上げてぼーっとしていますし」
「…………それは、恥ずかしいところを見られちゃったわね?」
だからこそ、俺はふとした瞬間、一人になりたいという要求が増えていった。これが、良くない傾向であることは分かっているが、もう既に時間も残っていない。今更、多少行動に違和感を抱かれたところで、大局には響かない…………けれども、油断は禁物か。
「いやぁ、天音先輩の恥ずかしいところを見てしまったなんて、なんか厭らしい響きですね!」
故に、いつも通りに、偽らず、本音の中から馬鹿な部分を汲み上げて笑う。
例えそれが、滑稽な独り芝居だったとしても。
「ふふふ、そうかもね? じゃあ、これは口止め料と、手伝ってくれたお礼」
「…………へ?」
だからこそ、俺は驚いてしまったのだ。
天音先輩から、密やかに渡されたカラフルな彩のそれに。
「手作りのミサンガよー。私の手編みだから、お守り代わりに持っておくといいわ?」
「え? フラグです? ルート来ました?」
「どうでしょう? 余談だけど、飛鳥ちゃんがガチで起こった時は芯が入っている類の木刀を持ち出すから注意してね?」
「おっと、ルートに入る前に撲殺されそうだ…………まぁ、女子の手作りなんて貰ったのは初めてなので、これはありがたく」
カラフルな彩で編まれたミサンガは、途中で幾何学模様が組み込まれており、まるで、本物のシャーマンが作り上げたアーティファクトのようにも見えた。
ああ、本当に鮮やかだ。
「お守りだから、大切な時に身に着けるといいわよー?」
「じゃあ、将来、初めての風俗行く時……天音先輩のことを思い出しながら、このミサンガを付けますね?」
「控えめに言っても、最低過ぎる答えだわー」
けらけらと、天音先輩が笑い、俺も苦笑する。
互いに視線を合わせて、言葉を交わさずに意志を確認する。
「…………流石に、冗談ですよ。同人誌を売る時に、付けさせてもらいます」
「ああ、それは…………きっと、飛鳥ちゃんが嫉妬するかもね?」
「嫉妬して貰えれば、嬉しいことこの上ないです」
俺は天音先輩と笑顔で言葉を交わして、その場を後にした。
廊下を歩いていく途中、ふと、彼女の真似をして窓の外から空を眺めると、既に空は燃え上がるように赤く染まっていて。
「楽しい部活動だったな、うん」
どちらにせよ、今日と同じ夕暮れを見ることはもう二度とないのだと、俺は覚悟を決めていた。
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