第9話 同人誌を作ろう、と決断した時点でやる気の八割が削がれる現象
こういう話がある。
ある時、『最高のノベルゲームを作ろう』と決意した男が居た。男は、ネットで同志を募集しつつ、最高のノベルゲーム作成を開始したのだった。
だが、進めば進むほど変わる前提。交際費という名の、無駄遣い。会議という名の時間の無駄遣い。物語の原案も出来ていないので、当然、登場キャラクターの原型も出来ていない。イラストレーターは呆れて、グループから離脱。素人のライターは周囲からのプレッシャーで入院。最初に、『最高のノベルゲームを作ろう』と決めた男は、フルボイス作品にするために声優とのコネクションを付けなくては、という名目で、毎日、費用を使ってよくわからない素人さんと遊び惚けて。
いつの間にか、その話自体が消えていたというお話。
中々に闇が深い話だと思うかもしれないが、敦曰く、「この程度、全然序の口。夜逃げや、借金というワードが出てこない話は牧歌的ですらあるぜ」とのこと。
さて、この話を敦から世間話として聞いて、一つ学んだことがある。
船頭多くして船山に上る、と。
「駄目です! やっぱり、どうせ作るのであれば、今流行の作品の二次創作をするべきなのでは!? そうでなければ、到底、百部は売り切れません!」
「ひゃ、百部という言葉はどこから出てきた、の? あの……そんな、商売するわけでも、ないのだし……オリジナルで……挿絵だって、要らないぐらい……」
「それじゃあ、部誌と変わらないじゃないですか! ねぇ、副部長!?」
「文芸部、だし、それでいいと思うの……ねぇ、天音ちゃん?」
「ふふふふふ、知り合いの闇絵師にエロ挿絵書かせるから、全員でエロ小説を書きましょう?」
「「この人にコーヒーを飲ませた馬鹿は誰ェ!?」」
はい、俺です。
俺は美少女たちの姦しい言い争いを眺めながら、のんびりとコーヒーを飲んでいた。
この部室の設備は、妙に他の部活に比べて優遇されており、コーヒーメイカーは常に最新モデル。おまけに、部室の隣にある給湯室も使い放題。冷蔵庫すら完備しているという、今から思えば明らかに部長の作為が感じられる物になっている。
おかげで、入部してから一か月で随分とコーヒーを淹れるのが上手くなってしまったぜ。
「だって、コーヒーを飲みたいってうるさいから」
「そこは我慢させるところでしょう!? 天音先輩を酔っ払いにして、この状況が上手く収まると思う!?」
「い、言っておくけれど、私たち……このままだと、百年ぐらいずっと言い争う、よ?」
言い争いし過ぎだろう。
しかし、これは仕方ないのだ。いつもはこういう時、天音先輩が上手くまとめてくれたり、妥協案を出してくれるのだが、「今回は剣介君が言い出しっぺだから、貴方が仕切ることね?」と言いつけられてしまったのだから、俺がやらなければならないのだ。
なので、とりあえず、二人の言い争いをしたり顔で眺めている天音先輩にイラっと来たので、無力化したという次第である。
これで、天音先輩の発言力は消え去って、ただの絡み方が面倒な酔っ払いとなった。
後戻りはできない。
「それについてはご心配なく、早枝先輩。天音先輩から、この俺が取り仕切るように任じられていますので、今からズバっと解決して見せます」
「…………本当、かなー?」
「ほら、天音先輩。証明して、証明」
「うへへへへ、剣介くぅーん、もう一杯ぃー♪」
「はい、どうぞ」
「ありがとー、だいしゅきー♪」
「ほら、この通り」
「何、が……っ!?」
「明らかに、不健全なやり取りが合ったじゃない! 色んな意味で!」
「だとしても、この俺は天音先輩から副部長の権限を預かったことには変わりないね。くくく、さぁ、今からどうしてやろうか」
「ちゃんとしなさい」
「はい」
欲望のままに、『俺にどれだけエッチなことが出来るか? それによってどの意見を贔屓していくか決めようと思います』なんて叫びたいのだが、そんなことをすれば、化物に殺される前に社会的に死ぬのは明らか。
故に、俺はキリっと真面目な顔を作って二人に告げる。
「まず、同人誌を作ったからと言って、それを売るとは限りません。大体、物販系の活動を学内でやると教師陣がうるさいので」
「剣介君……信じていた……よ?」
「はぁ!? だったら、お遊びでやるの!? この四人で一緒の青春を過ごすなら、真剣にやらなきゃ! だらだらといつまでも締め切りが間延びするような腐った創作サークルの空気にしたくないわよ、アタシ!」
「ふむ、飛鳥の気持ちも分かる。よくわかる。だから聞いてくれ」
「……むー」
「振り上げた拳も降ろせ」
渋々と拳を降ろして、俺を睨む飛鳥。
こいつは直ぐに暴力という手段を選ぶな、まったく。なんなの? 愛情表現なの? それでも、男子を攻略するつもりがあるの?
疑問は尽きないものの、飛鳥を説得するために俺は言葉を弄する。
「真剣にやる、これは当然だ。どうせやるなら、同人誌を売ってみたい。その気持ちも分かる」
「だったら!」
「でも、真剣の方向性に売り上げも搦め手しまうと、どうしても『利益が出るように』という意識が生まれるだろう? 無論、それは悪くない。むしろ、同人誌を売るなら、それぐらいの意気込みの方が良い物を作れることが多いさ」
「…………分かっているのに、どうしてよ?」
「俺が、二次創作ではなくて、皆のオリジナルの作品を読みたいからだ。天音先輩の連載は全部読んでいますし、昨年の部誌に乗っかっていた作品も読んだ。正直、俺は二人の作品が結構好きだ。だから、他のオリジナルも読みたいと思う。例え売り上げが伸びなくても、オリジナルの同人誌を出してみたいと思う。まず、これが俺個人の理由。我が侭みたいなもんだ」
「私の作品は?」
「もうちょっと読みやすくしろ」
「…………」
「っだぁ!? 手を使わなければいいという理屈はねぇぞ!? 尻を蹴って来るな!!」
照れる早枝先輩に、酔っ払って眠くなってきている天音先輩。そして、暴力的なスキンシップを仕掛けてくる飛鳥。
三者三様の美少女たちに苦笑しつつも、俺は説得を続けた。
「だから! 飛鳥には期待しているんだ! 二次創作じゃなくて、オリジナルとして先輩の作品を超えるためぐらいの物を作って欲しいって! そのためだったら、少なくとも、俺や飛鳥は真剣に出来るだろう?」
「…………そりゃあ、そうかもしれないけれど。でも、そうなったら、先輩たちが有利じゃない。それに……アタシたちが未熟だったら、こっそりと手を抜くようなこともしそうだし」
「まぁ、手心か、面倒なのかはさておき、そういう可能性もある。そこで俺は考えました」
飛鳥が懸念しているのは、先輩が手を抜くこと。
ならば、手を抜けないような条件を盛り込めばいい。
「俺たちが作った同人誌は電子書籍版も同時に発売。作品のホームページも作って、アンケートを実施。そして、同人誌内で一番面白かった作品を決めるようにしよう、と。これなら、まず、意外と負けず嫌いの天音先輩は真面目にやるだろ?」
「すやすや……」
「負けず嫌いの天音先輩、もうお休みだけれど、大丈夫?」
「実は事前に確認を取ってあるから大丈夫」
「でも、怠け癖がある早枝先輩だったら、手を抜かない? 過去作品をこっそり使ったりとか」
「ぎくっ!」
飛鳥がじろりと睨むと、早枝先輩は気まずそうに眼を逸らす。
これで演劇部からは評判のいい脚本を作るのだから、優秀ではあるのだ。追い詰められないと、やる気を出さないだけで。
よって、ここから追い詰めていきます。
「だから、発売後、一か月間のアンケート調査で、投票数が最下位だった作品の作者には、他の部員たちが相談の後、好きなコスプレをさせるということで」
「ま、まって? はずかし、すぎる……っ!」
「じゃあ、それでいいわ」
「飛鳥ちゃん!?」
「天音先輩もそれでいいですよね?」
「裁縫は得意よー」
「お、起きていたの!? 天音ちゃん!!?」
早枝先輩は、演劇部の脚本を良く作ったり、休日にプロの演劇を見に行ったりする演劇大好きっ子のだが、本人自体は結構な恥ずかしがり屋だ。演劇部から頼まれて、物凄く頼まれて、土下座をされた時は仕方なくピンチヒッターとして出演するらしいのだが、その実力は折り紙付き。演劇部一同が頭を下げるだけの、卓越した演技力を見せてくれるのだ。
もっとも、演技の後は一か月ぐらいずっと拗ねて機嫌を損ねるので、基本的には人前に出たがることは無いし、目立つことはやりたがらない。
ましてや、部内で玩具にされることが確定のコスプレなど絶対に嫌だろう。でも、この場で何が何でも断るほど嫌では無いし、実際に最下位になったらやってくれる責任感もあるので、これぐらいがちょうどいい罰ゲームなのだ。
「絶対に、負けられない戦いが……出来て、しまった……ううっ」
「ふふーん! やるじゃない、剣介! 見直したわ! あ、でも、書籍も電子版も一部たりとも売れないというか、売れたとしても誰もアンケートしてくれなかったらどうなるの?」
「来年は俺も含めて、全員メイド服のコスプレをして売り子をします」
「「絶対に負けられない戦い……っ!」」
飛鳥と早枝先輩が揃って拳を握っている。
どうやら、二人の意志は統一されたらしい。よかった、よかった。
●●●
「あ、あの……剣介君、ありがとう、ね?」
「んっ?」
部活終わり。
今日も地味に生死の境界線を反復横跳びしたなぁ、と自分を褒めていると、早枝先輩から声をかけられた。
珍しい。
早枝先輩は部室で話すことは多いのだが、こうして部室から遠く離れた廊下で……しかも、小走りで俺の下まで来るのは珍しいことなのだ。
「一体、どうしましたか?」
軽く周囲を見回して警戒しながら、早枝先輩へと笑みを向ける。
飛鳥は部活が終わった後、「最下位だけは絶対に嫌!」と飛んで帰った。恐らく、自宅に帰って一生懸命に小説のアイディアを練るつもりなのだろう。
天音先輩は、いつも通り最後に部室の施錠があるので、この場には居ない。ただ、周囲に人の気配はあるので、ここで襲われるという可能性は低いと見た。
まぁ、それでも突然体を溶かされるのは嫌なので、警戒は解かないようにしておこうか。
「も、もう、そんなに警戒しなくても……っ!」
あ、駄目だわ、完全に警戒をしていたことがバレている。
演劇を見慣れている所為か、それとも、長い時を生きた化物である所為か、観察眼で俺の緊張と警戒を読み取っているらしい。
とはいえ、この程度は予め予想していたことだ。
「いや、だって早枝先輩…………賄賂とか、裏工作とか得意そうだし」
「酷い……そ、そんなイメージなの? 私?」
「いくら積んでも、俺は部員の誰かに肩入れすることはありませんよ! あ、でも、エッチなお願いをされると、少しばかり揺らぎます」
「ぐっらぐらの決意だね?」
「男子高校生なんてそんなもんですよ。美人の先輩にこんなところで声を掛けられたら、その、ちょっと驚きますって」
「…………えへへへ」
この先輩、美少女の癖に褒められると直ぐに機嫌が良くなるんだよな。飛鳥の場合は、まずキレながら殴って来るけど。
とまぁ、このように、早枝先輩からは多少疑われていても問題ない。大抵の疑いは褒め殺しによって誤魔化されてくれる……というか、あまり深く考えない人なのだ。やろうと思えばきっと、名探偵顔負けの推理とかを披露してくれるかもしれないが、基本的に無気力な小動物スタイルで、だらだら生きている人なのである。
そんな人が、小走りで後輩である俺を負ってきたのだから、そりゃあ、化物だという真実を知らない場合でも俺は身構えるだろう。
「あの、ね……剣介君。ありがとう…………二次創作、却下してくれて……分かっていた、んだよね? 私が、二次創作、嫌いなの」
だから、早枝先輩の言葉に俺は内心で安堵した。
なんだ、そんなことか。
「いえいえ、なんとなく分かりますとも。話の話題の中でも、意図的に避けていますし」
「…………ごめん、ね? 私も、その、二次創作の理念、とか、分かっているんだけど、ね? どうしても、肌に合わないの――――『偽物』って」
申し訳なさそうに言う早枝先輩だが、そこら辺は個人の価値観なのでどうでもいい。
ただ、なんというか、この先輩の主張は、ネットで吐き出されている言葉と比べようもないほど重い何かを感じるのだ。
実際、先輩は二次創作だけではなく、物語によく出てくる『主人公の偽物が出て来る話』は蛇蝎の如く嫌っているし、コピー能力すらも認めたくないという頑固ぶりである。
それが果たして、早枝先輩にとってどういう意味を持っているのか、今の俺には分からない。けれども、真剣なのは確かだ。珍しく、飛鳥と言い争うぐらいには。
「剣介君は、さ。どう思う? 二次創作とか、そういうのって」
「面白ければいいんじゃないですか? 色々とグレーゾーンが多いですけど」
「そ、そっかぁ……ドライというか、拘らない、人、だね?」
「拘るほどの信念を持ち合わせていないだけですよ。漫画やアニメのエロ同人を読んだ後に、より、没入感を深めるために原作を読もうと決意することもありますし」
「なんで、このタイミングで、態々、あの、最低の例えを出す、の?」
「分かりやすいでしょう?」
「分かりやすさのために、犠牲にすることが、多すぎる、よ?」
俺と早枝先輩は、盛大に話を脱線させながら隣に並んで歩く。
夕日が差し込む廊下を、くだらない話で盛り上がりながら、歩いていく。
もう一度、こんな風に早枝先輩と廊下を歩くことは無いのだろうと思いながら。
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