第2話 俺は勝利した 後

 先に言っておくと、俺は飛鳥に対して恋愛感情を抱いていない。

 このような風に表現すると、最低の屑野郎に思われてしまうかもしれないが、まぁ、聞いて欲しい。

 俺はかつて、幼稚園児だった頃、若い女性の先生に懐いていて、多分、それが初恋だった。でも、幼さ故の恋心はただの憧れだ。小学生になって、一年も会わなければ直ぐに忘れてしまう程度の物。幼い恋心なんて物は直ぐに更新される。

 そこから、俺はしばしば、クラスの女子やら、他校の先輩やらに恋をしつつ、振られ、振られて、振られまくってという繰り返しを経て、ようやく俺は悟ったのだ。

 あ、自分、恋すると駄目な人間だわ、と。

 そう、覚えのある人も多いかもしれないが、恋は人を駄目にする。めっちゃ駄目にする。恋を楽しむなんてことが出来るのは、酸いも甘いも噛み分けた大人か、思いっきり恋してない浅瀬で楽しんでいる奴らだけ。

 何故なら、恋とはさながら、足の付かない水の中で藻掻くような物だから。普通に苦しい。

 ならば、と俺は考えた。

 ――――そう、本格的に恋をする前に、俺が恋に落ちそうな女の子を攻略し、恋人同士になって、そこから安心して恋に夢中になればいいのだと!


「兄貴はこう…………語るに落ちている感があるよね」


 妹からは心底馬鹿にされたが、問題ない。

 要は勝てばいいのだ。

 恋愛は戦いだ、油断してしまった方が負けである。

 俺は……負けない! 勝利する! 油断なく勝利して! 飛鳥という美少女と! まぁ、多少暴力的だけれど! ぶっちゃけ、ちょっと引くほど暴力的だけど! 心根が優しそうな女の子と付き合うのだ! そうして、安心して恋をするのだ!

 はっはっは、完璧だな。


「好きって、素直に認めろよ、兄貴」

「好きって言っても、あれだから。まだレベル1だから、問題ない」

「レベル2は?」

「好きすぎて、エロい妄想するのも罪悪感が生じるレベル」

「想いが重い!」

「大丈夫! まだ、命を賭ける程惚れていない!」

「出会って一か月で、命を賭ける男が居たら、ただのイカレ野郎だよ!」


 妹からは色々と抗議を受けたが、問題ない。

 俺の勘からすれば、もう飛鳥との関係にフラグが立っているはず。ルート確定ではないにせよ、それなりに興味のある異性となって居るはずだ! そうであってくれ!

 ちなみに、フラグやらルートなどの単語を使って恋愛を頑張ろうとすると、『ゲーム気分なの?』と不愉快に思う人もいるかもしれないが、違うのだ。経験値が低すぎて、ゲームやラノベぐらいからしか恋愛の参考になる物が無いのだ。でも、やるしかない。

 バラ色の青春を手に入れるためには、俺はどんな苦労だってして見せるぜ!



●●●



 飛鳥が待ち合わせ場所に指定したのは、課外活動以外では誰も使っていない空き教室だった。どのようにして、教室の鍵を入手したのかは分からないが、飛鳥のことだから、きっちりとした手続きの下で借りているのだろう。

 しかし、怪しい。どうしてまた、こんな手の込んだ真似を?

 本格的に怪しい…………これは、告白ワンチャンあるな!


「大丈夫……大丈夫……俺は大丈夫……きちんと歯を磨いたし、昨日の夜からブレスケアもしっかりしている……俺はクールでいかしている……」


 心臓が早鐘を打ち、胸から飛び出していきそうなのを左手で抑えて、俺は廊下を歩く。

 空き教室に向かって歩いていくほど、周囲からは人気が少なくなって、やがて、辿り着いた空き教室には、行儀よく椅子に座って待っている飛鳥の姿があった。


「ん、ちゃんと時間通りね」


 教室の扉から入って来た俺を見て、飛鳥はにやりと笑う。

 特別な笑みでは無かった。日常的に浮かべている、飛鳥なりの格好つけの笑み。同じ部活動に所属している俺にとっては、もう既にお馴染みの表情だったというのに、飛鳥と視線が合った瞬間から、心臓がやけにうるさく感じてしまう。

 廊下の喧騒や、窓の外から聞こえるはずの運動部の掛け声も、今は遠い。

 恐ろしいほどに、静かだ。


「しょっ…………それで、一体、何の用かな!?」


 言葉を噛み、声を上ずらせるという失態を晒しながら、俺は必死に余裕ぶって飛鳥へ尋ねる。なんかもう、この時点でコールド負けが濃厚であるが、諦めない。諦めずに藻掻いていけば、夢はきっと叶うんだ!


「まず、剣介」

「はい」

「アタシは少しだけ、アンタを信用することにした」

「何ミリぐらい?」

「ミリ!? 長さで表現するの!?」

「いや、グラムで良いけど」

「互換が分かりづらい表現はやめい! そうじゃなくて! その! 少しだけ、アタシの秘密をアンタに教えても良いかな……って、思うぐらいには、その、信用することにしたの」

「ふむ、秘密?」


 美少女の秘密!

 俺は胸をときめかせつつも、平静を装った。ここでがっついてはいけない。わざわざ、人気のない場所に呼び出すということは、他の人に聞かれたくない秘密であるということ。

 ならば、いつよりも真面目に、きちんと聞かなければ。


「それがどんな内容か知らないが、明かしてくれるなら、出来る限りきちんと聞く覚悟はあるよ」

「驚かない?」

「驚くような秘密なのか?」

「多分、めっちゃ驚くわ」

「なるほど…………わかった、心の準備はしておこう」


 真剣な表情で告げてくる飛鳥の視線を受けて、俺は頷く。

 この秘密の内容が、実は彼氏いるんだけどー、から始まる恋愛相談だったら、その場で倒れる自信はあるが、大丈夫、それ以外だったら割と何とかなるはず。

 さぁ、どんとこい!

 俺は呼吸を整えて、飛鳥の秘密の暴露を待った。


「じゃあ、はい」


 そして――――俺の目の前で、『飛鳥の背中から、大きな翼が一対生えた』のを確認した。その大きさたるや、大鷲よりもさらに大きく、天使のそれを連想させる物であり、羽が生えた衝撃で、軽く周囲の椅子や机が吹き飛んだぐらいだ。


「ん、んんんんんん?」


 首を傾げなら、俺は突如として眼前に現れた非日常をしげしげと眺める。

 飛鳥の背中に生えた翼は、観察すると、猛禽のそれに近しい。頭髪の色と似た、鮮やかな赤色の羽。純白よりも少し色あせた白の羽が混ざって、美しい羽根の色合いとなっている。


「実はアタシ、人間じゃないの」

「えっ」

「御覧の通りの妖怪なの」

「妖怪? 妖怪って、あの、え?」

「天狗なのよ」

「天狗かぁー、そっかぁー」


 真剣な顔つきで告白してくれるのは嬉しいのだが、まさか、その内容が人外カミングアウトだとは思わなかった。こういう時に、エロゲーの主人公は『天使……か?』とか『綺麗だ』とか、自然と口から出るかもしれないが、俺の口から出るのは『マジかよぉ』という驚きの言葉しかない。いや、嫌悪とか忌避感なんて物よりもまず、驚きが出るわ。驚きしかないわ。理解が追い付かねぇ。


「…………剣介は、やっぱり、軽蔑する?」

「何が?」

「アタシが、化物だから、その…………嫌いに、なる?」


 早い早い早い、展開が早い! 

 俺はまだ、衝撃の真実を咀嚼しきれていないよ!? この世界に妖怪という存在が実在すると知ったことすらついさっきだよ!? 好悪の段階ですらねぇ!

 …………だが、ここで引くのは無いだろう、うん。


「飛鳥」

「うん」

「正直に言うと、さっぱりわからん!!」

「えぇ……」

「いやだって、分かりやすく君の言動を例えるとだな、俺が『実は外宇宙からやって来た邪神のアバターなんだ……こんな俺のこと、嫌いになる?』って言われているようなもんだぞ? 分かるか! 判断できねぇよ!!」

「あ、うん、まぁ、それは…………ごめん」

「よし、許す!!」

「許された!?」


 そりゃ、許すわ。特に悪いことをされたつもりも無かったし。まぁ、一世一代のカミングアウトみたいな物で緊張していたのだろう。それを責めるつもりは無い。


「だからまぁ、飛鳥。マジで言うけど、そういうのはさ、もっとよく互いを知り合ってから判断すればいいと思う。好きとか、嫌いとか、まだ俺たちは互いに知らないことが多すぎるんだからさ…………とりあえず、互いに友達になれるように努力するってのは、あり?」

「…………秘密、言いふらさない?」

「乙女の秘密を言いふらすような奴は屑だね!」

「…………じゃあ、分かった」


 俺が元気よくサムズアップを決めると、そこでようやく飛鳥は表情を綻ばせた。うん、やはりシリアスな表情よりも、いつもみたいな顔の方が君には似合っているよ。


「ところで! こんな重要なカミングアウトをしてくれたということは、将来的なフラグというか、恋人的なお付き合いも視野に入れていただいているという感じでよろしいので!?」

「うーん」

「うーん!? 今の流れで断られるの!? いや、友達! じゃあ、友達からお願いします! 今までも友達のつもりだったけど! 恋人に昇格する可能性がある友達ってことで!!」

「ふふふ…………そうねぇ、返事は…………じゃあ、目を瞑って?」

「は、はひゃいっ」


 やや頬を染めて囁く飛鳥の言葉に、俺は胸を抑えて目を瞑った。

 こ、これが噂のキス待ち…………いや、キスじゃなくて、なんかこう、じゃれ合う感じの触れ合いでも、もう胸いっぱいの青春を味わえるぜ! でも、キスはしたい! ほっぺでもいいので、キスをして頂きたい! ああでも、気持ち悪くないかな!? 男のキス待ち顔なんて、ぶっちゃけ、俺からすれば、見た瞬間、思いっきり殴りたくなるような物だし!

 なので、出来れば早めに決着を付けていただきたい! これ以上、俺の心を弄ばないで!


「――――いただきます」


 などと、愉快な思考の途中、俺は脊髄に氷柱を突き刺されたような悪寒を得る。

 最悪の感覚。

 内臓がひっくり返るが如き、吐き気を催す衝動。

 それに導かれるまま、俺はとっさに横へ跳んだ。


 ――――がぁんっ!!


 直後に聞こえるのは、破砕音。次いで、ばきばき、べきべきなど、何か……そう、椅子のパイプや、机の板が力任せに砕かれる音が、俺の耳朶を打つ。


「…………は?」


 化物が居た。

 先ほどまで、九島飛鳥という美少女だった物が――見るも恐ろしい怪鳥へと変貌していた。もはや、天使などと呼べる存在ではない。ファンタジー漫画に出て来るようなハーピィと呼べる類の物でもない。

 赤と白が混じった羽毛を持つ、巨大な怪鳥。

 ぎりぎり、頭部は人間だった頃の名残を残しているが、口元は巨大な嘴に変わっており……それらは、先ほどまで俺が居た箇所の机や椅子を挟み、砕いていた。

 妖怪。

 その言葉と共に、俺は思い出す。

 人の形に近しい物ではなく、明らかな異形として、絵巻に描かれた化物の姿を。


『あーあ、キスしてあげようと思ったのに、酷くない? 剣介』

「は、はははは、なんだよ、これ?」


 飛鳥の声をした化物が、こちらを見る。

 金色の、猛禽の瞳で、こちらを見る――――獲物を見定める目で!


『あれぇー、言わなかったっけ? アタシは、妖怪なの。天狗なの』


 異形の化物で、人間らしい姿など頭部以外、まるで残っていないというのに、声だけはいつもの飛鳥そのもの。まるで、鳥が人間の声真似をしているが如き悍ましさを感じたが、違う。違うのだと、俺は直感した。

 逆だったのだ。


『人間を食べちゃう、化物なの』


 今まで俺が慕い、共に過ごした少女は、『人食いの化物』だったのだ。



●●●



 走る、走れ、駆けろ、息をしろ、早く! 足を動かせ!


「ぜっ、ぜっ、ぜっ…………んだよ、これは……っ!」


 自分でも驚くほどの速さで廊下を駆け抜け、俺は化物――いいや、変貌した飛鳥から逃げている。途中、偽装工作も兼ねて教室の扉を開けるが、駄目だ。

 人が、一人も居ない。

 職員室にさえも! どこにも居ない!

 あれほど喧しくグラウンドに響いていたはずの運動部の掛け声さえ、まったく聞こえない。途中、警報装置を思いきり叩いても、警報は鳴らなかった。


「…………はっ、はっ……あー、うん。そういえば、あったね。こういうの。こういう、閉鎖空間で化物と追いかけっこするゲームとか」


 こんな時、普通の男子高校生ならば、混乱して泣き喚く所かもしれないが、生憎、俺は脱出ゲームもそれなりに嗜んでおり、こういう状況は慣れている。慣れているんだってば! だから、うん、色々と隠れる手段は思いつくのだけれど。


『ちょっ、速い! 早い早い、逃げるのが早い! なんなの!? どこで身に着けたの、その逃走技術!? びっくりするんだけど! びっくりするぐらい気配が消えているんだけど!? 剣介、どこかの組織のエージェントだったりするの!?』


 遠くから飛鳥の声が聞こえるが、当然、返答はしない。

 かつて、地元の小学校で校舎全体を使った隠れ鬼大会に於いて、『インビジブル』の異名を欲しいままにした俺ならば、しばらくは逃げ回れるだろう。

 問題は、これは現実であるということだ。

 フィクションであるのならば、出口に繋がる仕組みを用意しなければクソゲーと罵られるだろうが、現実であるのならば、態々逃がすような場所を作るとは思えない。

 蟻地獄の巣のように、一度獲物を捕らえたら離さないような空間を作るに決まっている。


「まぁ、そんな絶望的な推測で動いでもどうしよも無いから、出口があると信じて足掻くしかないんだけどね……っとぉ?」

「ひゃうっ」


 ぶつぶつと、小さく独り言を呟きながら移動する俺だったが、ある曲がり角で軽い衝撃を受けて、思わず立ち止まってしまう。

 だが、ぶつかった際に聞こえた声は、飛鳥の物ではない。

 俺は慌てて、ぶつかった相手を確認すると…………そこには、早枝先輩が居た。小柄で、小動物みたいな先輩が、「いたたた」と暢気に尻もちを着いている。

 何故、ここに? という疑問が脳裏を過ったが、それよりも早く、俺は反射的に早枝先輩の手を掴み、立ち上がらせた。


「ここは危険です、早枝先輩。逃げましょう」

「え? あの、え?」

「詳しい説明は後で。走れますか?」

「…………あ、う……実は、足を、捻って、歩くのはともかく走るのは―――ひゃんっ!?」

「静かに。俺が背負って走ります」


 そして、有無を言わさずに背負って、再び走り出す。

 早枝先輩は幸いなことに小柄で、背負いやすい。さほど俺の速度が落ちることは無い。多少、動きづらくなるが、そこは背負った女体の柔らかさで気合を入れ直すのだ! そう、俺は女の子を背負いながら、頑張れる男の子!


「い、一体、どぉ、した、の?」

「ぜっ、ぜはっ……早枝先輩、は、どうして、ここに?」

「私は普通に、部活に行こうとして……気づいたら……」

「そう、ですか。だったら、とりあえず、しばらくは俺の背中にしがみ付いてください。絶対に離さないように」

「…………うん」


 もっとこう、夏のアニメ映画みたいな展開でこういうことやりたかったなぁ、と思いつつ、俺は走る。走る。走る。

 俺一人だけならばまだしも、部活の尊敬する先輩が背中に居るのだ。

 絶対に、この柔らかくて、温かくて、とても柔らかすぎる感触を手放しは…………んん?


『――――やっぱり、優しいねぇ、剣介君、は』


 どろりと、背中に粘り気のある泥のような何かが崩れる感触を得て、俺は真っ先に上着と共に、先輩を床へ放った。


『え? 判断はや――みゃんっ!?』


 案の定、べちゃり、という、到底人間が落ちた時に鳴らす音ではない物が聞こえて、俺は見る。俺の学生服をずぶずぶと飲み込んだ、不定形の化物を。

 早枝先輩が、沼から生まれたスライムみたいに、緑色の混ざった泥の塊へと姿を変えていく光景を。


『やっほ。化物、でぇーす…………って、だから判断早いってぇ! ちょっ、この、形態だと、私、あんまり速く、走れな……うぁーん、まってぇー? 食べないからぁー』


 嘘だ。

 だって、とっさに脱いだ学生服が明らかに謎の消化液で溶かされていたし、何なら、学生服の下のシャツすらボロボロだ。危うく、半裸男が再来するところだったぜ。


「は、はははは、なんだ、これ……なんなんだよ、これ」


 俺は二人の化物から逃げている最中、笑みが引きつるのを自覚した。

 まだ、一人なら耐えられた。

 でも、二人は辛い。一か月の付き合いだったとしても、それなりに親しい同級生と、尊敬していた先輩から、殺意でもない『食欲』を向けられるのは辛い。普通の失恋の三倍ぐらいは辛いのだ。

 俺が今、泣いていないのは、泣くと涙で視界が歪んで走りにくい以外他にない。


「誰か、誰か、説明してくれ――ぐっほ!?」

「あら? 大丈夫? 剣介君」


 ただ、ちょっと思考が混乱したまま全力疾走していたのが悪かったのだろう。再び、曲がり角で、聞き覚えのある声の主とぶつかってしまう。

 まぁ、ぶつかると言っても、俺の腹部に相手の肘が叩き込まれただけで、相手は無傷なのだが。俺? 俺は普通に痛いよ、泣きたい。


「う、ううう……天音、先輩ぃ」

「あらあら、どうしたの? そんな顔して。何か哀しいことでもあったの?」


 俺が腹部を抑えて顔を上げると、そこには心配そうな表情でこちらを覗き込む天音先輩の姿が。いつも通りの顔。いつも通りのおっとりとした雰囲気。けれど、今の俺にはそれが信じられない。


「天音先輩は、その……普通、ですよね? 化物、じゃないですよね?」

「化物? んもう、失礼しちゃうなー。ほら、ちゃんと人間の温かさでしょう?」

「…………あっ」


 怯えて、竦む俺だったが、天音先輩は優しかった。

 優しく、俺の体を抱きしめて、幼子にやるように背中を撫でてくれた。


「う、ううう……天音ぜんばぁい……」

「よしよし、何があったの? 私に言ってみなさい」


 少しコーヒーの香りが混ざった天音先輩の匂いと温かさに包まれながら、俺は緩む涙腺を抑えて、口を開いた。


「――こぉっ!!」


 口を開き、大きく息を吸った後、思いきり背負い投げを決めた。相手に受け身を取らせない類の、投げっぱなしの奴である。直後に、ひゅんひゅんっ、という幾度かの風切り音と、硬質的な何かが壁や床を引っ掻くような音が聞こえた。


『ふ、ふふふふっ、賢いわねぇ、剣介君は』

「ははは、ははははっ! 流石に、この状況で疑わない奴は、馬鹿でしょう?」


 二度あることは三度あるというが、そんな諺をここで実感したくはなかった。

 ――――化物が居た。

 アラクネという、下半身が蜘蛛で、上半身が人間のそれに近しい化物に似ているが、アニメやライトノベルとして見かけるそれよりも、遥かに化物の部分が多い。人型の蜘蛛と呼んでも差し支えないほどに化物だ。

 何せ、人間らしい部分である上半身でさえも、その背中からは硬質的な節足が幾つも生え、顔面には二つ以上の瞳が。口元は蜘蛛のそれに似た、鋭い牙もある。

 ここまで来て、俺はいっそのこと、笑ってしまうほどのショックを受けていた。

 まさか、文芸部の美少女三人とも、化物だったなんて。

 本当に、笑い転げてしまいたくなるほどショックであるが、そんなことをしていたら死ぬ。だから、先ほどまでと同じように、俺は足を動かそうとして。


『でも、足元が疎か』

「――――っだぁ!?」


 強烈な力によって、足が吊り上げられて、そのまま廊下の窓ガラスへ叩きつけられてしまう。

 突如として横転する視界の中で、俺は必死に腕を交差させて、ガラスの被害を最小限に抑えたつもりだが、全身が痛い。そもそも、ガラスを突き破って結構な距離を飛ばされたので、地面に落ちた衝撃だけで悶絶物だ。

 …………加えて、足元に繋がった真っ白な糸。その糸は、先ほどの衝撃でも切れることなく平然とワイヤーの如く俺を絡めて逃がさない。

 そして、その糸の先には、蜘蛛の化物――天音先輩が。


『ふふふっ、獲物を捕らえる時は、逃がさぬようにするのが定石。領域の中に捕えたところで、競合相手が居るのなら、こうやって横槍も入る…………相変わらず、詰めが甘いわね。九島の天狗』

『仕方ないじゃない、避けられると思わなかったの。目を瞑った状態で、必殺を避けるとか、時代が違ったら間違いなく英雄の器よ、こいつ』

『勘も、良いし……否定しない……』


 天狗を名乗る、妖怪。

 怪鳥の如き化物、飛鳥が。

 不定形で、泥の集合体。

 悪夢が具現化したような化物、早枝先輩が。

 三人の―――いいや、三体の化物が、グラウンドに倒れている俺を見ていた。

 まるで、これから誕生日パーティーの御馳走を食べようとしているみたいな、期待と食欲に満ちた目で。


「…………何で、俺なんだよ?」


 逃げられない。

 糸は頑丈過ぎて切れない、解けない。

 だからせめて、俺はこの理不尽を問うことにした。

 何故、俺なのかと?


『だって、アンタは特別だもの』

『く、ひ……うん、十万人に一人ぐらいの特別……』

『ええ、君は特別なのですよ、剣介君』


 化物たちは、嬉しそうに、声を揃えて答えた。


『『『特別に、美味しそうなんだもの』』』


 は、はははは…………ははは、なんだよ、それ。


「俺は……っ! 一か月の間だけど………………いや、もう、いいか」


 俺は力なく項垂れて、涙を零した。


「死にたくない」

『駄目』

『ご、ごめんねぇ』

『君は見逃すには、余りにも美味しそうだから』


 情けない命乞いなんて、化物たちは聞いてくれない。

 一か月の間、文芸部の面々と過ごした楽しい時間が走馬灯のように駆け巡るが、その時間を眼前の化物たちが否定してくる。

 わけわからない。

 だが、これだけは分かる。

 彼女たちにとって、俺はどこまでも『獲物』に過ぎなかったのだ。


『じゃあ、逃げられなくしたしー』

『私の獲物よ。私の方が好感度高い』

『でも、逃がしたのは、その、失態だよ、ね?』


 聞きなれた声が、何かを言い争うやり取りが、頭上の上を過ぎ去っていく。

 俺に出来る事なんて、頭を抱えて、呻きながらその時を待つしかなかった。



●●●



 一時間後。


「………………はぁっ、はっ、はっ……はぁー」


 俺は額の汗を拭い、眼下で倒れる三体の化物たちの姿を見下ろした。

 怪鳥の胴体は、泥の溶解液によって溶かされて。

 不定形の毒は、繭のように真っ白な糸に包まれて身動きが取れない。

 大蜘蛛は、切断された自らの節足で頭部を貫かれている。

 …………ヨシ!


「やれば、出来るもんだなぁ」


 俺は、勝利した。

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