25 凶報
初夏の風が頬を撫でる。
まだ幾分か涼しさを含んだ風が、額に浮かんだ汗を冷やしていく。
午前中の訓練を終え、ロイアルドは執務棟へと続く道を歩いていた。
本日の訓練はトーナメント形式の模擬戦だ。
ロイアルド自身は勝ち残った者と一戦交えただけのため、そこまで疲労感はない。
それでも、夏に近づくにつれ気温が高くなってきたこともあり、自然と汗がにじむ。
身体の熱を逃がそうと、訓練着のボタンを胸の辺りまで外した。
思ったより時間が押してしまった。
今日は午後から打合せが控えていたが、今から休憩を挟むとなると、だいぶ遅い時間になってしまうだろう。
早めに昼食を済ませようと、早足で執務棟の入り口までやってくると、なにやら騒々しい声が聞こえる。
「だから! 早く騎士団か第二王子に取り次いでくれ!」
「落ち着いてください、騎士団の受付はあちらです。ロイアルド殿下にお取り次ぎの場合は手続きを……」
「そんなもんしてられるか!」
作業着を着た茶色い髪の青年が、受付の男性に詰め寄っていた。
この男は知っている。
スーリアと親しい同僚だ。
執務室の窓から彼女を見るたび、距離の近さに悶々としていたことを思い出す。
そんな男が自分に何の用があるのか。
「俺に用か?」
背後から声をかけると、茶色い髪の男は驚いたように体を跳ねさせて振り返った。
「第二王子!?――大変なんだ! スーリアがっ……!」
「スーリアがどうかしたのか?」
この男の口から彼女の名前は聞きたくないのに。
そんな風に思考の隅で思ったロイアルドの顔色が変わる。
次に、目の前の男が発した言葉によって。
「スーリアがいなくなったんだ!」
「……どういうことだ?」
「彼女を馬車に乗せて、俺は荷物を取りに行ったんだが……戻ってきたら誰もいなかった。近くを散歩でもしてるのかと思って探したんだが、見つからない」
そもそもスーリアには荷物を見ているように言ったので、彼女が勝手に出歩くことは考えられないと言う。
さすがにこれはただ事ではないと判断し、急いで王城へと戻りここにやってきたのだと青年は言った。
「まさか……」
ロイアルドの頭に、ある出来事が思い浮かぶ。
ここ最近は起きていなかった、とある事件が。
それは貴族の娘が誘拐され、国外に連れていかれるというもの。
国を出た後の足取りは掴めておらず、行方不明になった娘の消息は確認できていない。
そのため国を出られる前に対処するしかないとして、大規模な捜査を行った。
しかし、なんとか犯人一味のアジトを突き止めはしたものの、あと少しのところで主犯を取り逃してしまった。
直接の指揮は王宮騎士団の方で行っていたが、作戦にはロイアルドも参加しており、その時のことはよく覚えている。
もしスーリアの行方不明がこの事件と繋がっているとしたら、一刻も早く見つけ出さないと手遅れになる可能性が高い。
アジトを潰してからここ二カ月近くは大人しかったので、あきらめたかと思っていたのだが……
「部屋を用意する。詳しい内容を教えてくれ」
焦る内心とは裏腹に冷静に言葉を紡ぎ、青年を促した。
*
「殿下! スーリアは……!」
勢いよく扉を開き、部屋に入ってきた人物に視線が注がれる。
部屋の中では数人の男たちが机を囲んでいた。
「フロッド、落ち着け。今状況を確認中だ」
ジャックの一報を聞いてから、すぐにスーリアの父であるバース伯爵に連絡を入れた。
彼は知らせを聞いて、慌てて駆けつけてきたようだ。息を切らせながら、部屋の中央へと歩いてくる。
「スーリアを最後に確認したのは市場の裏通りらしい。姿を消してから2時間近くは経過している。今までの傾向からして、被害者は一度どこかに集められている可能性が高い。まずはそこを突き止める」
ロイアルドが状況を説明すると、白い隊服を着た30台半ばくらいの男性が口を開いた。
「先ほど王都に検問を敷きました。奴らはしばらく王都内に潜伏して、警備が薄くなった隙に行動に移ると思われます。動きがあるまでは、こちらも下手に動かせませんが……」
彼はこの誘拐事件を統括している、王宮騎士団、第一師団の隊長だ。
王都から出るには馬を飛ばしても数時間はかかるため、犯人らはまだ王都周辺に潜んでいるはず。そのためまずは検問を敷いて、奴らの逃亡を阻止する魂胆だ。
しかし、いくら出入りを制限したとしても、アレストリアの王都はかなり広いため、通常の捜索では相当な時間がかかる。
犯人側から動きがない限りは、闇雲に探すだけになってしまうのだが、ロイアルドには秘策があった。
「アルを出す」
「殿下、今の状態で可能なのですか?」
「……なんとかする」
不安そうに確認してきたクアイズに横目で頷いた。
手段を選んでいる場合ではない。
出来るか出来ないかではなく、やるしかないのだ。
「しかしロイアルド殿下に婚約者がいらしたことも驚きですが、まさかその方が狙われるとは…」
「エルイン、余計なことを言っているとおまえの首が飛ぶぞ」
「……失礼いたしました」
意味ありげな視線を向けて発言した第一師団長に、鋭い視線を返して窘める。
ロイアルドは、今まで他人とほとんどと関わりを持とうとしてこなかった。そんな第二王子に婚約者がいたという事実が、相当意外だったようだ。
不機嫌な表情を滲ませたロイアルドに、横から遠慮がちな声がかけられる。
「殿下、実は娘の他にも行方が分からなくなっている者がおりまして……」
「どういうことだ?」
「親戚の娘が昨夜から家に戻っていないようで、私に連絡がありました」
表情を曇らせて、バース伯爵が言う。
遠縁にあたる男爵家の令嬢が行方不明になっており、今朝がた捜索願を出したばかりらしい。
「その話なら伺っております。こちらも貴族の娘ということで私の隊で預かっておりますが、無関係ではなさそうですね」
同時期に貴族の娘が行方不明になるなど、これはもう数カ月前にあった誘拐事件と関係があるとしか思えない。
その場に沈黙が続いた。
最初に重苦しい空気を破ったのは、スーリアの父であるバース伯爵だった。
「……殿下、少々気になることがあるので、私はそちらを調べてみます。捜索に関しては騎士団の方にお任せしますので――」
「分かった、指揮は第一師団に任せる。今後、俺に連絡を取る場合はクアイズを通すように」
全員が頷くのを確認して、ロイアルドは部屋を後にした。
廊下を慌ただしく駆ける足音が聞こえる。
普段は静かな執務棟の通路だが、今日ばかりは違った。
今すぐ駆け出したい気持ちを押さえつけ、低い声で言う。
「クアイズ、夜までには出られるようにするから、いつもの場所に迎えに来い」
「はい」
後ろに着いてきていた副官に指示を出し、外へと続く扉に向かった。
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