8  めんどうな訪問者 ②



「で、似たようなものってどういうこと? 兄さん?」


 綺麗な顔で微笑みかけるシュニーに、薄ら寒さを感じる。ここで黙っていると変な想像をされかねない。

 頭の切れる弟を誤魔化しきれる自信もなく、どう切り出したものかと逡巡して、ロイアルドはゆっくりと口を開いた。


「庭師の中に女性がいてな、珍しくて眺めていた」

「それなら知ってる。僕の奥さんも話してた」


 シュニーの意外な言葉に一瞬驚くも、それもそうかと納得する。

 頻繁にお茶会に参加している弟の婚約者であれば、花の手入れを担当している庭師と顔を合わせる機会もあるだろう。それが女性ともなれば尚更、その珍しさから記憶に残っていてもおかしくはない。


「その人がどうかしたの?」


 しつこく聞いてくる弟に、これは適当に話しても解放されないだろうと悟り、ロイアルドは観念したように言葉を紡ぐ。


「見つけた……かもしれない」


 ぽつりとこぼした兄の言葉にシュニーは一瞬疑問符を浮かべるが、すぐに思い当たるものを見つけたようで、その水色の瞳を見開いて問いかけた。


「見つけたって……まさか、あの娘を?」

「ああ」


 机の上を見つめながら、小さな声で頷く。

 記憶の中に残る、頬をりんごのように真っ赤に染めた、幼い少女の姿が思い浮かんだ。


「だが、平民だと言っていた」

「平民? ロイ兄さんを助けたのは貴族の女の子だよね?」

「それはそうなんだが……」


 歯切れの悪い兄の返事に、シュニーは何かを感じ取ったのか質問を続ける。


「人違いだとしても、その娘が気になるんだ?」

「それはっ……」


 相変わらず、この弟は鋭くて困る。この会話の流れから全てを察するとは。

 眉間に寄せたしわを解くことなく、ロイアルドは小さく息を吐いた。

 それを見たシュニーが、苦笑してから困ったような顔で言う。


「でも平民だとすると、ちょっと厳しいよねぇ……」


 いくらロイアルドが気になると言っても、平民の娘であればさすがに身分がつり合わない。そのことを弟は指摘しているようだ。


 ロイアルドだってそんなことは最初から分かっていた。それでも記憶に残る少女と、彼女の姿が重なって仕方がなかったのだ。

 それを認識してからは、余計に彼女のことが気になり出した。時間が空く度に、この執務室の窓からその姿を探してしまうほどに。


 頭の上でまとめたダークブラウンの髪を下ろし、女性らしい服装をしたらどうなるのか、毎日そんなことを考える。

 あの若草色の瞳に映る男が自分だけであったらいいと、くだらない願いに何度自己嫌悪に陥ったことか。


 まだ出会って二週間と少し、数度逢瀬を重ねただけだと言うのに、制御の効かない己の感情がひどく疎ましかった。


「それは、俺自身が一番理解している。それに――」


 続く言葉を、声にすることを一瞬ためらう。

 口にしてしまえば、認めたくない現実を嫌でも突きつけられるのだから。


「彼女には……、慕っている男がいるのかもしれない」


 本日の逢瀬の会話を思い出す。

 彼女は同僚の男を特別な相手だと言っていた。それはもう、二人がそういう関係だとしてもおかしくはない。


 切なげな表情で誰かを思い浮かべているだろう兄に、シュニーはあきれを滲ませた声で諭すように言った。


「それでも欲しいと思うなら、攻めて攻めて奪えばいいんだよ」

「……おまえと一緒にするな」


 この弟が言うと、妙に説得力がある。

 それもそのはずで。彼が三日後の結婚式を迎えるためにやってきたことを考えれば、仕方のないことだ。


「結婚はいいものだよ?」

「まだ正式に結婚してないだろ」

「こだわるね、そこ」


 頑なに否定するロイアルドに、シュニーは疲れたとばかりに息を吐いて、ソファの背もたれに体重を預けた。

 別に難癖をつけたいわけではないが、むきになっているのは確かだ。


「まあ、最悪身分はどうにでもなると思うけど……」


 そう、身分に関しては王族の力をもってすれば、どうにかならないことはない。

 全員を納得させることは難しいが、やれないことはないのだ。


 では、問題は何か。


 もちろん彼女の気持ちを無視することはできない。それは最重要だ。

 だがそれ以前に、ロイアルド本人にもやんごとなき事情があった。


「兄さんがあきらめるって言うなら僕はこれ以上口出ししないけど、あまり無理してもろくなことにならないよ? ただでさえ10年以上拗らせて――」

「うるさい」


 全て自覚しているから、もう黙っていてほしい。

 銀灰色の瞳を光らせ氷のような視線で睨むと、シュニーは肩を竦めて言葉をのみ込んだ。


「ごめん、余計なお世話だった。でも、その顔は他人には見せないほうがいいと思うな。冷酷王子様」

「ほっとけ」


 ロイアルドの鋭い視線を受け止めたシュニーだったが、さして気にした様子もなくそれを受け流す。嫌みのひとつを追撃とばかりに添えてくるのは、こういったやり取りが珍しくはないからだろう。


「それじゃあ、僕は戻るよ」


 そろそろ時間だと立ち上がった弟に、早く帰れと片手を振って退出を促す。

 扉へと歩き出したシュニーだったが、途中で振り返りロイアルドを見た。


「そういえば、あの件はどうなった?」

「誘拐の件なら、こちらに任せておけ。おまえの式が終わったら動く」

「そう。気をつけてね」

「ああ」


 弟が去った執務室で、ロイアルドは天井の一点を見つめながら思う。

 任せておけとは言ったが、己の今の精神状態で果たしてうまくいくのか。

 その原因である人の姿が頭をよぎるが、打ち消すように首を横に振った。


「本当に、厄介な呪いだ……」


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