お題「たずねる」
ピンポーン。
俺は古いアパートの一室の前で手に汗がじんわりとにじむのを感じた。
新任で埼玉の公立中学校に赴任してから5ヶ月、そして教師という職業についてから5ヶ月、さらに社会という大海原に出て早5ヶ月、ついにこの日がやってきてしまった。
家庭訪問である。
生徒のご家庭を一軒一軒周り、親御さんと生徒を交えて悩みなどがないかを聞き、生徒と親の関係や家庭環境などを観察する。しかし、俺は知っていた。俺がご家庭を観察するとき、同時に私もご家庭に観察されているのだということを。
そしていま、まさにその恐怖の扉が開かれようとしていた。チャイムを推してからどれくらい経っただろうか。おそらく5秒くらいだが1時間経ったようにも感じる。最初の訪問は女子学生で名前は
「先生、あがってください」
ドアの隙間から前髪で隠れた目でこちらを見遣って、彼女は俺を迎え入れた。
自分よりふた周り背の低い芒原にリビングに通されると、そこには驚くほど殺風景な内装が広がっていた。机がひとつ、椅子がふたつある以外はほとんどものが存在しない。彼女は本当にこの部屋で生活しているのだろうか?
「まあ座ってください」
「あの、親御さんは……」
「親は今日いないので」
じゃあ駄目だろ!ただ女子中学生が大人の男を勝手に部屋に上げてるだけじゃねえか!
畜生、最初から家庭訪問失敗だ!という俺の心の動揺とは裏腹に、芒原は表情一つ変えずに同じセリフを言い放った。
「まあ座ってください」
「あのなあ芒原、親がいる時間を指定しろって」
「座ってください」
彼女は髪に隠れた瞳をこちらに冷たく向けて言い放つと、先程とは全く異なる本当に嫌な汗が背筋にじんわりと滲んで突如身動きが取れなくなった。彼女が表情を崩しニコリと微笑んだことで私は正気に戻り、へたりこむように椅子に座った。
「相談があるんです」
そう言って彼女はまっすぐこちらを見つめた。ここで俺も思い直す。もしかしたら親との間の問題かもしれない。このリビングの感じだとまともに子育てできていない可能性もある。そうであればこの時間帯を選んだのも何らかの意図が
「クラスの鈴木さんを殺してください」
「へ?」
思わず間抜けな声が出てしまった。
つづく
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