8
部屋を出た私たちは、次にクドウ氏の部屋に入った。
見せたいものがある。サチエ夫人が言った。なんでも、クドウ氏の作品を見せてくれるのだと言う。
「いいんですか」
「いいのよ。どうせ試作品だし、世に出るものでもないもの。それにあの人だって、そんなにわざわざ怒ってまで止めるなんてことはしないわよ」
「ちなみに許可は」
「取ってると思う?」
そういって、サチエ夫人は悪戯っぽく笑った。
私も笑ったが、彼女とは意味合いが違う。
引き笑いだ。
悪い予想が当たっていたことに対して。
もしくは、クドウ氏にばれた時の未来を想像した時の、面倒くささを想像して。
だが、サチエ夫人は私の気持ちなんて知りはしないし、知ったことではないだろう。
サチエ夫人がドアを開くと、灰色の空間が目に飛び込んできた。
天井にはLED照明のついた大きなファン。
入り口の右脇には、書籍や雑誌やらが入った棚が置かれている。
ドアの正面には窓があり、そのすぐそばに黒い机が設置されている。
机の上にはデスクトップ型のパソコンが置いてあり、大きめのやや湾曲したスクリーンと箱型の機械とが並んでいる。
スクリーンのすぐ脇には小ぶりのスチールラックがあり、そこにヘッドフォンマイクがかかっていた。
Bluetoothが対応しているのか、ヘッドフォンはコードレスタイプだ。
部屋の左側にはオーディオコンポをしまった棚があった。
部屋は全体的にシンプル。かつ整理整頓がされている。
必要な物を最小限に揃えてあるだけで、小物や娯楽の品は少ないように感じた。
「このご時世でしょう。最近はここに籠もって仕事をしてるのよ。まあ、それ以前も似たような仕事ぶりだったけどね」
サチエ夫人はあごでヘッドフォンをさした。
「リモートって言うのかしら。あれで会社とか取引先と連絡を取ってるんですって」
「そうなんですか」
てっきり音楽鑑賞のためにあるのかと思ったが、なるほど。
確かに今の時代なら欠かせない機械だろう。
よく見れば、ヘッドホンの脇に折り畳まれたマイクがあった。
「こっちよ。ついてきて」
サチエ夫人は部屋に入ると、壁に立てかけられた開閉棒を手にとった。
天井裏収納へ行き来するため、天井から梯子を下ろすあれだ。
サチエ夫人は先端を天井に向ける。
見れば、天井の一部に、開閉棒が引っ掛かりそうな突起があった。
彼女は器用に突起にひっかけると、力を加えて引き下ろす。
すると天井が開閉し、スチール製の折り畳み梯子が現れた。
開閉棒を外し、収納された梯子の先に先端をかける。
手の届く高さまで下ろすと、最後は手で床に下ろし、固定する。
「さ、ついてきて」
「いいんですか、本当に」
「いいのよ。さぁ」
サチエ夫人はニンマリと笑うと、梯子を軽々と登っていく。
私は不安になりながらも、意を決して梯子に手をかけた。
一段一段、踏みしめながら慎重に登っていく。
天井の縁に手をかけて、体を持ち上げ、天井裏の床に膝をついた。
「ようこそ、秘密の部屋へ」
視線をあげると、サチエ夫人が笑いながら私に手を差し出していた。
彼女の手をとると、サチエ夫人がしっかりと握り、ひっぱり上げてくれる。
彼女の力に導かれながら、私は立ち上がった。
そして、この屋根裏の異様な光景に目を奪われた。
「これは……」
そこに並んでいたのは、大きな球体人形たちだ。
ドレスを着飾ったもの。髪の長いもの。少女の形を模したもの。
頭部だけのもの。体だけのもの。壁には形状も長さも違ういくつもの両手、両足が並んでいた。
異様だった。
しかし、怖いとは思えなかった。
どの人形も精巧に作られていて、その優美さと肉感とに私は息を飲んだ。
「あの人の作品。もとは腕のいい人形作家だったのよ、彼」
「そうなんですか」
サチエ夫人は頷いて、屋根裏の奥へと向かった。
そこには、背の低い机と椅子がある。
十字窓から入り込む光が、机と椅子を照らしている。
その光景はまるで絵画のようで、職人が道具を使って人形を作る姿が、ありありと想像できた。
「子供の頃から器用な性格で、本で読んではこういうのを作ってきたみたい。確かこの辺りに……あった。これ、あの人の子供の頃の作品」
机の引き出しから、サチエ夫人は小さな人形を見せてくれた。
素体人形に見た目は近いが、不格好さが目立つ。
腕の部分は片方が異様に太く、足に至っては長さが違う。子供らしい不器用さが滲み出ている。
「これはいつ頃つくったんですか」
「確か、5歳とかそこらだったはずよ。彼の口から聞いたから、間違いはないと思うけれど」
その頃の私なんて、絵筆の絵の字も知らない頃だ。
その頃から人形趣味を嗜んでいれば、制作に至ってはベテランの域だろう。
「試作品のまま終わったものもあれば、商品化間近でなくなく断念されたものまで。彼が手掛けた後に使われなかった人形たちが、ここに安置されてるの」
「今も、クドウ氏はこの部屋を」
「たまに来ては、掃除はしているみたいよ。でも、制作の方はからっきし。最近は会社の人間に制作を任せて、自分でやることも少なくなったみたい。前は屋根裏から、作業の音が聞こえてきたんだけど。てんで聞かなくなっちゃったし。……まあ、私が家にいないから聞いていないのかもしれないけどね」
サチエ夫人は肩をすくめた。
幼い頃のクドウ氏の傑作を引き出しに戻し、サチエ夫人はあたりを見渡した。
「でも、懐かしいわね。ここにくるのも久しぶりだわ」
「前にも来たことがあるんですか」
「ええ。結婚した当初にね。初めて見たときは、ここまでの数はなかったけど」
サチエ夫人は人形たちに目を向けながら、ゆっくりと部屋の中を歩いていく。
「これは、あの頃からあったわね」
とある人形の前で、彼女の足が止まった。
それは少女型の人形だった。金髪で青い瞳。
赤茶色のドレスを着飾った、綺麗な人形だ。
大きさは5歳くらいの少女と同じ大きさで、この中の人形の中では小さい方だが、一般的な人形と比べれば大きいだろう。
「はーい、元気にしてた」
まるで親類の子供にするように、親しげに声をかけながら、サチエ夫人は人形の髪を軽く撫でた。
そうしてしまいたくなる気持ちは、私にもわかった。
その人形は、よくできていた。
服装も肉感も実にリアルで。まるで今にも動き出しそうな、生命力を感じさせる。
人形という事前情報と関節部位を思わせる接合面さえなければ、私もサチエ夫人同様、挨拶をしてしまったかもしれない。
「人形って不思議よね。どれだけ精巧に作っても人間にはならない。けれど、人間以上に美しくすることはできる」
少女の人形を見下ろしながら、サチエ夫人はため息まじりに言う。
「もちろん美しさは人によって変わるのは、わかってるけど。でも人形の美しさは、いつの時代も不変で、私たちの目と心を癒してくれる。そうは思わない」
「でも、怖い人形もありますよね。ほら、魂が宿るとかで神社に預けられた人形とか、よく聞きますよ」
「あれはただ、人間が面白がってつけた印象に過ぎないわよ。人間の一瞬の娯楽のために、この子たちは犠牲にされているのよ」
サチエ夫人の眉間に、深い溝が作られる。
まるで自らも人形になったかのような、彼女たちの気持ちを代弁するように、サチエ夫人は吐き捨てた。
「人間が人間の形を作ったのだから、魂があったとしても不思議はないじゃない。自分たちのことを棚に上げて、どうして人形には魂がないだなんて、思い込めるのかしら」
彼女の言葉は次第に熱を帯びるのを感じた。
人間に対する不信感と苛立ち。
そういうものが、彼女の口に現れているような気がした。
「言葉を使う人間なんかより、言葉を失った人形の方がずっと美しいわよ。ずっとね」
サチエ夫人は人形を見下ろしながら、まるですがるような口調で呟いた。
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