7
この屋敷には私の思ったよりも、多くの部屋が並んでいた。
客間、球技室、暖炉のある団欒室。
使用人やメイド、執事たちの私室。
クドウ家の家人たちの部屋。
浴室、洗濯室。ワインセラー。貯蔵庫。
少し離れたところには離れの一軒家がある。
そこまで探索の足を広げると、到底一日だけでは終わりそうになかった。
サチエ夫人の案内は簡潔だった。
廊下を歩きながら、この区画にある部屋がどんな部屋で、誰が使っているのかを説明する。
けして中に入ることはなかったし、足を止める時間も少なかった。
ゆっくりと探索するものかと思っていたから、思いの外忙しい探索だった。
だが、部屋の多さと広さを考えれば、サチエ夫人の案内は時間をかけない最適な移動だったのだと思う。
一階は主に執事やメイド、使用人のための部屋が多く、それ以外は厨房や貯蔵庫など実用向きの部屋がしめていた。
廊下の四つ角を周り、エントランスまで戻ってくると、階段を上がり2階にやってくる。
階段を上がると、正面に奥行きのある格子窓があった。
窓の手前には観賞用の小さな花が、花瓶に飾られていた。
「見えるかしら」
サチエ夫人は私を窓辺に近寄らせると、外のある一箇所を指差した。
斜面になった芝生の小さな丘。その上に日本家屋のような、古めかしい平家があった。
「うちの離れ。今はお
クドウ・ヨシノさんのことだろう。
「こちらには住まわれないんですか」
「この屋敷にいると落ち着かないんですって。まあ、わからなくはないけどね」
平家の前には洗濯竿がかけられ、ヨシノさんの着物が干されている。
「いまだに洗濯板で洗ってるのよ。物好きよね」
「そうなんですか」
木造の平屋建て。洗濯竿の前で桶を出して、洗濯板と石鹸を使ってゴシゴシと洗うヨシノさん。
きっと着物の袖をたすき掛けで止めているに違いない。
その姿はいかにもヨシノさんらしいし、あの平家の風景にピタリとマッチする気がした。
「行きましょっか」
サチエ夫人が私の肩を優しく叩く。
私がうなずくと、彼女は歩き始めた。
ヨシノさんが洗濯板を持って出てこないだろうか。
そう思ってちらと離れを見たが、曇りガラスの玄関はピシャリとしまったまま、動く気配はなかった。
2階はクドウ夫妻が主に使っていて、ほとんどの部屋に夫妻の私物があるらしい。
最も使っているのはサチエ夫人で、部屋そのものを
試しに部屋の中を見せてもらったが、衣装かけとハンガーに吊るされたドレスやコートなどが、森の木々のように部屋に詰め込まれていた。
「あなたが着てる服も、元は私のものだったのよ」
古着という時点で嫌な予感がしていたが。
まさかクドウ氏が、自分の奥さんの古着を着させるなんて。私は急に申し訳なく思えてきた。
「すみません」
「謝ることないわよ。どうせ私は着ないんだし、タンスの肥やしになっているのももったいないしね。むしろ感謝したいくらいよ。気に入ったら、持っていってくれてもいいから」
「そんな、申し訳ないですよ」
「遠慮はいらないわよ。なんなら、この部屋のものも適当に見繕って……」
「いいですから、そんな。私には似合いませんから」
今まで用意されてきた服だって、遠慮と注意を払ってきてきたんだ。
これからさらに増えたら、私は緊張から吐き戻してしまいそうだ。
「着て見なくちゃわからないわよ。例えば、こういう……」
サチエ夫人は何気ない動作で、高そうなロングコートを手に取った。
雪原をかける狼を彷彿とさせる。ふわふわとした灰色の毛で作られている。
これが似合うのは、レッドカーペットとか晩餐会に繰り出すセレブとか。
まさにサチエ夫人と同じ世界に生きている人間くらいだろう。
正直、一体いくらするのか見当もつかなかった。
だが、私の雀の涙ほどの賃金では、きっと買えない代物には違いない。
クドウ氏からの報酬があるが、それを足したとしても怪しいところだ。
「それはまた後でもいいですから。ほら、次の部屋も見て見たいですし」
これでどうにか彼女の注意がそれてくれるといいのだが。
サチエ夫人は私の顔とコートを交互に見る。
「それもそうね」
サチエ夫人は衣装かけにコートを戻した。
それを見て私は安堵した。とりあえずの危機は避けられたようだ。
「また後でじっくり選びましょ。好みの色とかあったら、言ってちょうだいね」
「……ありがとうございます」
残念なことに、危機は完全に去ってはいなかった。
彼女は諦めていなかったし、なんなら楽しみが一つ増えたくらいに思っているんだろう。
私の気も知らないで。私は内心でぼやいたが、口をついて出ることはなかった。
だが、いざもらうときになったら、私はきっと感謝を言うのだろう。
緊張しながらも、両手を差し出してありがたく頂戴する私の姿が、簡単に想像できた。
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