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 この屋敷には私の思ったよりも、多くの部屋が並んでいた。


 客間、球技室、暖炉のある団欒室。

 使用人やメイド、執事たちの私室。

 クドウ家の家人たちの部屋。

 浴室、洗濯室。ワインセラー。貯蔵庫。

 少し離れたところには離れの一軒家がある。

 そこまで探索の足を広げると、到底一日だけでは終わりそうになかった。


 サチエ夫人の案内は簡潔だった。

 廊下を歩きながら、この区画にある部屋がどんな部屋で、誰が使っているのかを説明する。

 けして中に入ることはなかったし、足を止める時間も少なかった。

 ゆっくりと探索するものかと思っていたから、思いの外忙しい探索だった。

 だが、部屋の多さと広さを考えれば、サチエ夫人の案内は時間をかけない最適な移動だったのだと思う。


 一階は主に執事やメイド、使用人のための部屋が多く、それ以外は厨房や貯蔵庫など実用向きの部屋がしめていた。

 廊下の四つ角を周り、エントランスまで戻ってくると、階段を上がり2階にやってくる。

 階段を上がると、正面に奥行きのある格子窓があった。

 窓の手前には観賞用の小さな花が、花瓶に飾られていた。


「見えるかしら」


 サチエ夫人は私を窓辺に近寄らせると、外のある一箇所を指差した。

 斜面になった芝生の小さな丘。その上に日本家屋のような、古めかしい平家があった。


「うちの離れ。今はお義母かあ様が1人で住んでるの」


 クドウ・ヨシノさんのことだろう。


「こちらには住まわれないんですか」


「この屋敷にいると落ち着かないんですって。まあ、わからなくはないけどね」


 平家の前には洗濯竿がかけられ、ヨシノさんの着物が干されている。


「いまだに洗濯板で洗ってるのよ。物好きよね」


「そうなんですか」


 木造の平屋建て。洗濯竿の前で桶を出して、洗濯板と石鹸を使ってゴシゴシと洗うヨシノさん。

 きっと着物の袖をたすき掛けで止めているに違いない。

 その姿はいかにもヨシノさんらしいし、あの平家の風景にピタリとマッチする気がした。


「行きましょっか」


 サチエ夫人が私の肩を優しく叩く。

 私がうなずくと、彼女は歩き始めた。

 ヨシノさんが洗濯板を持って出てこないだろうか。

 そう思ってちらと離れを見たが、曇りガラスの玄関はピシャリとしまったまま、動く気配はなかった。


 2階はクドウ夫妻が主に使っていて、ほとんどの部屋に夫妻の私物があるらしい。

 最も使っているのはサチエ夫人で、部屋そのものを物置クローゼットがわりとして使っていた。

 試しに部屋の中を見せてもらったが、衣装かけとハンガーに吊るされたドレスやコートなどが、森の木々のように部屋に詰め込まれていた。


「あなたが着てる服も、元は私のものだったのよ」


 古着という時点で嫌な予感がしていたが。

 まさかクドウ氏が、自分の奥さんの古着を着させるなんて。私は急に申し訳なく思えてきた。


「すみません」


「謝ることないわよ。どうせ私は着ないんだし、タンスの肥やしになっているのももったいないしね。むしろ感謝したいくらいよ。気に入ったら、持っていってくれてもいいから」


「そんな、申し訳ないですよ」


「遠慮はいらないわよ。なんなら、この部屋のものも適当に見繕って……」


「いいですから、そんな。私には似合いませんから」


 今まで用意されてきた服だって、遠慮と注意を払ってきてきたんだ。

 これからさらに増えたら、私は緊張から吐き戻してしまいそうだ。


「着て見なくちゃわからないわよ。例えば、こういう……」


 サチエ夫人は何気ない動作で、高そうなロングコートを手に取った。

 雪原をかける狼を彷彿とさせる。ふわふわとした灰色の毛で作られている。

 これが似合うのは、レッドカーペットとか晩餐会に繰り出すセレブとか。

 まさにサチエ夫人と同じ世界に生きている人間くらいだろう。


 正直、一体いくらするのか見当もつかなかった。

 だが、私の雀の涙ほどの賃金では、きっと買えない代物には違いない。

 クドウ氏からの報酬があるが、それを足したとしても怪しいところだ。


「それはまた後でもいいですから。ほら、次の部屋も見て見たいですし」


 これでどうにか彼女の注意がそれてくれるといいのだが。

 サチエ夫人は私の顔とコートを交互に見る。


「それもそうね」


 サチエ夫人は衣装かけにコートを戻した。

 それを見て私は安堵した。とりあえずの危機は避けられたようだ。


「また後でじっくり選びましょ。好みの色とかあったら、言ってちょうだいね」


「……ありがとうございます」


 残念なことに、危機は完全に去ってはいなかった。

 彼女は諦めていなかったし、なんなら楽しみが一つ増えたくらいに思っているんだろう。

 私の気も知らないで。私は内心でぼやいたが、口をついて出ることはなかった。


 だが、いざもらうときになったら、私はきっと感謝を言うのだろう。

 緊張しながらも、両手を差し出してありがたく頂戴する私の姿が、簡単に想像できた。

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