14

 それからしばらくは、私たちは言葉を失った。

 話すべきものが見当たらず、また会話に発展するようなものも見つからない。

 お互いが時間を持て余す。いや、すくなくとも私はそうだったが、クドウ夫人の方はどうかはわからない。


 彼女は相変わらず、何をいうでもなく外を眺めている。

 何かを考えているのか、それともただすましているだけなのか。

 彼女の横顔からは、何も伺い知ることはできなかった。


 しかし、この女性もまた絵になる。

 組まれた足。肘掛に肘をつき、頬杖で顎を支える姿。

 ワンピース型の赤いドレスもまた、彼女の美しさにいいアクセントになって映えている。


 金持ちだから絵になるのか。

 彼女の美しさが絵にさせるのか。

 人間の本来の姿にはない、そこからさらに一枚皮を被せたような。

 作り物と生身の間を絶妙に配合した美に、私は沈黙をいいことに、じっくりと観察した。


「私の顔に、何かついているかしら」


 いつの間にか、サチエ夫人が横目に私をじっと見つめていた。

 

「あっ、いや、その……」


 つい見惚れてしまった。

 なんて変態じみたことは言えるわけがない。

 いや、むしろ言ってしまった方がいいのだろうか。

 下心なく、変な意味などなく。

 画家の端くれとしての目が、あなたの姿にどうしようもなく惹かれてしまったのだと。

 ……やめておいた方がいい。

 字面だけでも、気持ち悪さが伝わってくる。


「なんでもありません」


 なんでもない。なんて便利な言葉だろう。

 答えに窮した時。場を乱すような言葉や人を困らせるような発言を頭に浮かべた時。

 それを誤魔化す時には、これほど便利な言葉の壁スクリーンもないだろう。


「その割には、熱心に見ていたようだけど」


 悪戯っぽく歪んだ夫人の唇。

 その姿もまた、実に魅力的だった。


「本当に、なんでもないんです」


「そう。まあいいわ」


 夫人の腕が肘掛を離れ、ドレスに隠された太腿の上に移動する。

 すると彼女の顔も、窓から私の方へと向けられた。


「でも、あの人も困ったものね。こんな可愛らしいお嬢さんを、自分のわがままに付き合わせることにしたんだから」


「かわいいだなんて、そんなこと」


 慣れない褒め言葉に、私はどうしていいものかわからなかった。

 もちろん社交辞令ということは理解している。

 でも悪い気はしなかった。

 美人から褒められたことが一番嬉しいのはもちろん、他人からそんなことを言われたのは、随分と久しぶりのことだったから。


「でも、やっぱりあの人が目をつけていただけのことはあるわ。あなたの絵は、あの人の色を見事に表している気がするもの」


 夫人はもう一度、クドウ氏の絵を見た。

 彼女の目に、優しい温かみが宿る。

 夫人の内面に残された、クドウ氏への愛情がそうさせているのだろうか。

 憎んでいるようでもあり、愛しているようでもあり。

 クドウ氏と夫人との関係は、今一つわからなかった。


「あの、目をつけていたというのは」


「あら? てっきり話していたと思ったのに」


 サチエ夫人は意外そうだった。

 まるで俳優のように、眉毛を上げあからさまに驚いて見せる。


「話すって、何をです」


「そうね。それは本人から聞いた方がいいわ。私の口から言うより、その方が彼も満足でしょうから」


 サチエ夫人は意味深に笑って見せた。お預けをくらったペットの気分だった。

 ひどく気持ちが悪く、落ち着かない。

 クドウ氏と同じように、この夫人もまた掴み所のない人のようだった。


 ノックの音が聞こえた。サチエ夫人が応える。ドアが開かれ、タカギが現れた。


「こちらにいらっしゃったのですか」


 それはサチエ夫人に向けられたものだった。

 彼女は肩をすくめるが、悪気はなかった。ここは私の家。

 どこにいようと勝手でしょう。と言わんばかりに、居直っているようにも見えた。


「昼食のご準備ができました」


 タカギは私に微笑みながら言った。


「それじゃ、私は部屋に戻るわ」


 サチエ夫人は立ち上がり、タカギの脇を通り抜けた。

 タカギは頭を下げ、彼女の背中を見送る。廊下に出たところで、サチエ夫人が立ち止まった。

 くるりと振り返り、タカギ越しに私を見た。


「お楽しみは、後に取っておくものよ」


 そう言うサチエ夫人は、ひどく楽しそうだった。

 ひらひらと手を振り、彼女は廊下を進んでいった。

 ヒールの足音が遠ざかる。タカギは頭を上げ、ため息とともに彼女を見送った。

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