休憩

1

 ひどい頭痛で目が覚めた。

 枕に沈んだ頭が、ひどく重い。

 這いつくばるように掛け布団から体を出すと、部屋の掛け時計を見た。

 時刻は午前7時を指していた。


「もう、朝か」


 ぐったりとした気分。

 言葉を吐くと、同時に酒の匂いが鼻をかすめた。

 寝返りを打って仰向けになって、天井を見上げる。

 それだけのことなのに、ひどい気持ち悪さが私を襲った。


 昨晩のお酒のせいなのは明らかだった。

 遺影の記念すべき1枚目。それを祝して、クドウ氏がワインを用意してくれた。

 値段は明らかにはしなかったが、スーパーやコンビニではお目にかけない一本だった。いわゆる、年代物だ。


 味は言うまでもなかった。旨い。これまで味わってきたお酒を、その一本が軽々と凌駕して見せた。

 何度もおかわりした。数は記憶になかった。だが、私の人生で一番の回数だったように思う。 

 私って、こんなに飲めたんだ。ぼやけた記憶の中で、その感覚ははっきりと覚えていた。


 楽しい夜だった。それは間違いない。

 が、いつの時も楽しいことには代償が伴う。

 遊園地にて飛んでいくお金然り。

 ゲームに夢中になった時の時間然り。

 楽しい後には、後悔が尾を引いてしまうものだ。

 なかでも、飲み会の後の二日酔いほど、後悔の強いものはない。


 ベッドから立ち上がろうとしたが、うまくいかなかった。

 足がつまずき、床に転がった。

 背中を強く打って、息が詰まる。

 頭痛がまたひどくなった。


 腕をついて立ち上がる。

 カーテンの隙間から光が射していた。

 その光が、いつにも増して私を強く照らしつけている。


 今日ほど光が忌々しい時はない。

 目をつむり、眉間にシワを寄せながら両手を支えにして起きる。


 意識がはっきりとしてくると、強烈な喉の渇きに襲われた。

 部屋の中を探したが、飲み物は見当たらない。

 着替えることもせず、私は水を求めてドアを開いた。


「おはようございます」


 なんてタイミングがいいんだろう。

 まるで私が部屋から出るのを予期したように、廊下の向こうからメイドがこっちにやってきた。

 その顔には見覚えがある。

 昨日、私の案内をしてくれていた、メイドの彼女だった。


「おはよう、ございます」


 私は、私の声に驚いた。

 モンスター映画の怪物のような、ガザガザの声が私の喉から聞こえてきたのだ。

 ひどい酒焼けだ。喉まで潰れているなんて。

 顔がカッと熱くなる。

 それが酒のせいではないことは、私もわかっていた。

 時間を巻き戻すことはできるはずもない。私は取り繕うように、ため息をこぼした。


「お水を、もらえますか。その、喉が乾いてしまって」


「今、お持ちするところでした」


 と言って、彼女は両手に持ったトレーを軽く持ち上げた。

 ガラスビッチャーとグラスが載っている。

 ビッチャーの中に入った水が、日光を浴びて、光が散りばめられていた。


「昨晩はだいぶ酔っていらっしゃったようなので。二日酔いになっているのではと、タカギ様が心配しておられました」


「そう、でしたか」


 タカギの気の回しようは、まさに舌を巻くほどだ。

 こちらが何を言わずとも、先手を打つかのように品を用意してくる。

 これぞ一流の執事なのかと。私は敬意とわずかな恐怖を抱きながら、首をすくめた。


「どうぞ、入ってください」

 

 ドアを支えて、私はメイドの彼女を招き入れる


「失礼します」


 彼女は頭を下げてから、私の前を通って部屋に入った。

 そして顔をしかめ、鼻を指で撫でた。


「……匂いますか」


 尋ねてみると、メイドは苦笑しながら私を見た。


「少し」


 彼女の少しは、おそらくかなりとイコールだろう。

 二日酔いのせいで嗅覚が鈍っているだけで、この部屋にはかなり酒臭いらしい。

 その証拠に、メイドはテーブルにトレーを置くと、早速部屋の窓を開きにかかった。


 カーテンが開かれ、日差しんが満遍なく部屋に入り込む。

 頭痛がさらに酷さを増した。

 日中の吸血鬼の気持ちが少し分かった気がした。

 こんな不愉快な痛みを味わうくらいなら、そりゃ夜に活動したくなる。


「お加減はいかがですか」


「あまりいいとは言えませんね。絶賛、二日酔いです」


「そうですか」


 同情するように、メイドは肩をすくめた。


「お酒がほどほどがよろしいですよ」


「まったくですね」


 いくら高くても酒は酒。 

 調子に乗って浴びるように飲めば、手痛いしっぺ返しをくらいものだ。


 私がベッドに腰を下ろすと、メイドがグラスに水を注いだ。


「どうぞ」


「ありがとう」


 差し出されたグラスを、私は手に取る。

 そして迷わず口に運んだ。

 冷たい水が乾いた体に染み渡る。空にするまで数秒と立たなかった。 

 歓喜の吐息を吐き出す。乾きは満たされ、気持ち悪さも気休め程度に治った。


「少し、楽になりました」


「それはよかったです。いまスープを持ってきますから。少しお待ちくださいませ」


「ありがとうございます」


 彼女はお決まりの笑みを浮かべて、頭を下げた。


 彼女が部屋を出てから、私は着替えを始めた。

 寝汗の染み込んだローブを脱ぎ捨て、下着も取っ替える。

 昨日よりは、服に対する抵抗はなかった。

 古着と言ってもまだ新しいそれらの服を、少しは自分のものとして思えるようになってきた。


 だが、それでも他人のものだ。乱暴に扱うことはできない。

 選んだのは淡い青のジーンズと紺色のシャツ。

 インナーには半袖のブラトップシャツにした。

 色こそ違えど、昨日とあまり変わらない格好にまとまった。


 それから10分ほどが立っただろうか。

 ムカムカする腹を撫でていると、ノックの音が聞こえてきた。

 入ってきたのはメイドだった。

 新たに持ってきたトレーには、湯気のたったお椀を載せていた。


「どうぞ」


 トレーを脇に挟むと、メイドはお椀を私に差し出した。

 味噌の香ばしい香りが、鼻をくすぐる。

 私は両手で包み込むように、お椀を持った。

 味噌汁だ。具材はしじみと、細切れにしたネギだけ。

 シンプルだが、その見た目以上に香りが私の食欲を刺激した。


「こちらをお使いください」


 メイドのポケットから割り箸が出てきた。彼女はそれを手に取ると、私に差し出してくる。


「ありがとう」


 短い間に、彼女には何度も礼を行っている気がする。

 二日酔いの私を気にかけてくれているのだ。

 お礼は何度したって、悪気にさせるものじゃないだろう。


 箸で具材を避けながら、まずは汁を飲み込んだ。

 これがまた旨かった。貝の旨味が味噌に溶け込み、ネギの食感と絡みがいいアクセントになった。

 貝の身にはしっかりと味が染み込み、噛めばほろりと口の中でほぐれた。


 体が、温まる。

 二日酔いがじんわりとだが、私の体から抜けていくようだった。

 割り箸をメイドから受け取り、より丁寧にしじみの身を食べていく。

 最後の一雫までを担当に、空になったお椀をメイドに預けた。


「美味しかったです、とても」


 割り箸を親指の間に挟み、私は手を合わせた。


「ごちそうさまでした」


「お粗末様です」

 

 メイドはお椀と箸を重ねたトレーの上に乗せた。


「午後から旦那様がお話をしたいとおっしゃっておられました。体調の方は、よろしいでしょうか」


「ええ。もちろん」


 午後からなら、二日酔いもだいぶよくなっているだろう。私は迷わずに返事をした。


「かしこまりました。では、そのようのお伝えいたします。また何か御用があるときは、声をおかけください」


 言い残して、メイドはまた部屋を出ていった。午後まではまだ時間がある。

 ちびちびと水を飲んで、私はベッドに体を投げ出した。

 味噌汁のおかげで、体はぽかぽかと暖かい。


 日差しも頭痛のトリガーになることなく、心地の良い光で私を包んでくれている。

 うつらうつら、微睡が私の意識を夢の中へと誘い始める。

 いけないとわかりつつも、惰眠の誘惑から逃れることはできなかった。

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