12

 それから2週間。私とクドウ氏は絵の制作に取り組み続けた。

 制作は順調だった。

 クドウ氏の提案を汲み取りながら、着実に完成へ向かっていった。


 そして今日。

 クドウ氏の遺影。その記念すべき1枚めが描き上がる。

 クドウ氏はいつものように椅子に深く腰を下ろしている。

 モデルにもすっかり慣れた様子で、最初の頃に比べて緊張もほぐれていた。

 私を見る目にも、どこか余裕そうな感じがあった。


「あとどのくらいだい」


「もう少しです。じっとしていてください」


 まるで子供のように、クドウ氏は私に進度を確かめてくる。

 筆を踊らせ、最後の色を付け加える。

 椅子から立ち上がって、遠目から絵の様子を確かめる。

 久しぶりのしっかりとした自画像。

 そして、初めての遺影。

 慎重に慎重を重ね、最後の色を筆に載せて、キャンバスに加えていく。


「一応、こんな感じになりました」


 一応の目処は立った。

 筆をパレットの上に置いて、クドウ氏に

 クドウ氏はいそいそと立ち上がり、イーゼルを周って、キャンバスを覗いた。


「ほぅ……」


 クドウ氏はため息を漏らした。

 キャンバスに描かれた、クドウ氏の姿。

 セピア色の幼い頃のクドウ氏の写真。

 それを参考にした絵画は色で溢れていた。


 カラフルな内装の部屋。

 そこに不釣り合いな、分厚い背表紙が並んだ本棚。

 その背景を背負ったクドウ氏は、唇を引き結び、まるで挑みかかるようにこちらを見つめている。


 彼の顔を構成するのは、鮮やかな色。赤。オレンジ。黄色。そして、青に黒。

 エネルギーを感じさせつつも、冷静さを持ち合わせている。

 クドウ氏はキャンバスに顔を近づけ、そして私と同じように、遠目からも鑑賞する。


 私はキャンバスを離れ、クドウ氏の言葉を待った。

 満足を得られればそれでよし、もし不備があれば、その時はまた描き直すだけだ。


「これは、驚いたな。これが、私か」


「お気にめしましたか」


「気に入ったどころではないよ。これだよ、これ。私が思い描いた通り……いや、それ以上の出来栄えだ」


 クドウ氏は破顔し、私の両肩に手を載せた。


「ありがとう。君に依頼をしてよかった。本当にありがとう」


 嬉々とした声色で言うと、彼は私を硬く抱きしめた。

 突然の抱擁に驚きつつも、クドウ氏の背中に手を回し、何度か叩いてあげた。

 彼の気持ちが落ち着くように、それと早く離れてくれるように。


「ああ、すまない。つい気が昂ってしまって」


 気まずい顔を作りながら、クドウ氏はゆっくりと離れてくれる。


「いえ。大丈夫です」


 体温の検査はしているし、ここに3日は外出もしていない。

 ウィルス様を屋敷にお招きしたつもりはないが、万が一のことも考えられる。

 他愛のないことで被害を被っても、お互いにつまらない思いしか得られないだろう。


「驚かせて申し訳ない。けれど、君には本当に感謝をしているんだ。それだけはわかってくれ」


 クドウ氏の顔の色が珍しく変わった。眉根が下がり、後悔と謝罪の念とが彼の顔に現れる。


「ええ、お気持ちはありがたく受け取っておきます」


 驚きはしたけど、正直悪い気はしなかった。

 男性から抱きつかれたことなんて、考えれば久しぶりだったし。何より性的な気配を感じなかったのが、私を安心させた。


 もっとも、私みたいな女よりいい女を、彼はきっとたくさん知っているだろう。

 そもそも眼中にはないからこその、態度だったりするのかもしれない。


「どうかしたのかい」


「い、いえ。何でもありません」


 とっさに笑ってみたが、うまく笑えた気がしなかった。


「なら、いいんだがね」


 クドウ氏は不思議そうに私を見つめてきたが、それ以上聞こうとはしなかった。

 気を引き締めるように、しゃんと背筋を伸ばす。

 そして、彼はまたにこやかに笑って、唇を動かした。


「今日は絵の完成を祝って、祝杯をあげよう」


「そんな大袈裟な」


「大袈裟なもんか。君が初めて描いてくれたんだ。記念すべきことだよ、これは」


 クドウ氏はスマホを取り出した。


「お酒は飲めるかい?」


「ええ。まあ」


「それはよかった」


 クドウ氏は笑うと、画面をタップしてどこかへと電話をかける。


「ああ。私だ。すまないが今夜はワインを用意してくれないか。……ああ、1枚目が完成したんだよ。……ありがとう。だから今日は記念して、先生と2人で飲みたいんだ。……ああ、よろしく頼む」


 そう言って、クドウ氏は通話を切った。

 誰にかけたのかはわからないが、会話中クドウ氏は終始楽しそうだった。

 気を許した相手でないと、ああはならないだろう。


「タカギだよ。彼も喜んでくれていた」


 私の頭を覗いたように、クドウ氏は的確に疑問を潰してくれた。


「そう、ですか」


「夜まではまだ時間があるな。それまでは、またいつものように時間を潰していてくれ」


 クドウ氏はジャケットの襟を正し、私の肩をポンと叩く。


「お仕事ですか」


「打ち合わせが入っているんだ。夕食までには戻れると思う。じゃあ、ゆっくりしていてくれ」


 クドウ氏は私を残して、ドアを開けて出て行った。

 ドアが閉まるまで彼の背中を見つめてから、私はようやく一心地をつけた。


 これでようやく1枚目。

 残るは、あと8枚。かかる時間を考えると、やっぱり2年という時間は必要だろう。今回のはわりかし早めに完成させられたが、他の作品がそうとは限らない。


 椅子に腰を下ろし、改めてクドウ氏の絵を、遺影を見た。


「ほんと、遺影じゃないわね。これ」


 遺影も広く言えば自画像に他ならない。

 だとしても、この遺影は少々派手が過ぎている。

 自画像としてなら申し分ないが、それが死を飾る代物。

 遺族たちに残されるとなると、どんな気持ちをすれば分からないではないか。


 これをあと8枚。

 色は違えど、死に縁遠い作品が、クドウ氏の亡骸を飾る。

 想像しただけで、馬鹿げた死に化粧だ。ほとほと理解できない。


「……理解は所詮、自己満足よ。仕事なんだから、考えないの」


 自分に言い聞かせるように、呟く。

 とりあえず、今は絵の完成に安堵しておくべきだ。

 クドウ氏の奇妙な思惑も、彼の自殺も。今は考えたくはない。


 道具を片付け、色のごった煮になったバケツを持ち上げる。

 自分の描いた遺影を一瞥して、私は部屋を出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る