11
ノックの音が聞こえてきた。
クドウ氏が入るように促すと、タカギがワゴンを押して入ってきた。
ワゴンには昨日と同じように、ティーポットとカップが乗っていた。
「あとは自分たちでやるから、下がってくれて構わないよ」
クドウ氏は腰をあげると、タカギに言いながらワゴンに乗ったポットに手を伸ばす。タカギはタカギにうなずいて見せると、私に微笑んでから、静かに部屋を出て行った。
「タカギさんは、どう思われているんですか」
ドアが閉まるのを待ってから、私はクドウ氏に尋ねた。
「どうとは?」
「クドウさんの自殺についてですよ。彼は貴方の自殺を、止めたいとは思ってないんでしょうか」
タカギはクドウ氏にとって、もっとも近しい存在のように思える。
もちろん、あくまでも印象だ。
クドウ氏に確かめたわけでもなければ、タカギに直接聞いたわけでもない。
けれど、クドウ氏とタカギは主従を越えた関係。まるで血縁の親子のように、親しい間柄に見えた。
2人の見た目と年齢差が、私の目にそう錯覚させているのかもしれないが。
「もちろん、彼にも話したさ。だか、これといって反対されたことはなかったな」
「どうして」
「さてね、私はタカギではないからね。彼が何を考えているのかまでは、把握することはできないね」
クドウ氏はティーポットとカップを両手に持つ。
ポットの注ぎ口をカップの縁につける。
始めは近く、そして徐々にポットをカップから離し、高くから注ぎ入れていく。
泡立つ音。紅茶の香りが、私の鼻をくすぐった。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
クドウ氏から差し出されたカップを、私は恐縮しながら受け取った。もちろん、会釈をすることも忘れていない。
クドウ氏はもう1つのカップにも、同じように紅茶を注ぎ入れる。見ていて惚れ惚れするくらい、堂に入った所作だった。
華やかな茶葉の香りを堪能しながら、彼はゆっくりと席につく。足を組んで紅茶を飲む姿も、いちいち絵になった。
クドウ氏の姿を干渉しながら、私は華やかな紅茶を口のなかで転がした。
「君は死ぬことについて、どう思う」
私は危うく紅茶を吹き掛けるところだった。何とか醜態をさらすまいと、思い切り飲み込む。慌てて飲み込んだものだから、気管に入り、盛大に咳き込んでしまった。
結局、クドウ氏からは生暖かい心配の目を向けられ、私は取り繕うように苦笑いを浮かべた。
朗らかに笑うが、彼の笑みにどことなく影を見たような気がした。吹き出した場合を考えれば、今の方がいくぶんましだが、気まずい気分は私を悩ませた。
「死ぬこと、ですか」
「生物に生まれたからには。あるいはこの地球に命を宿したからには。死は必ず訪れる。彼は遠い未来のようでもあり、また旧知からの親友のように直ぐそばにいる。宗教、あるいは哲学。個人の思想によって幅広く考えられてきたが、いまだこの現象については多くのなぞが残っているんだ」
死を彼と呼ぶ人間を、私は始めてみたかもしれない。その昔、小説か映画かでその台詞を聞きはしたが、まさか実際に使う人間がいるとは。
「どうかしたかい」
私の視線が気になって、クドウ氏は首をかしげた。
「いえ、別に」
クドウ氏の口からは何が出てもおかしくはない。改めてそう思いながら、取り繕うように沈黙を言葉で埋める。
「死ぬことって言われても、考えたことはありませんね」
「普通ならそうだ。いや、一般的にはの方が言葉は丁寧かな。普通という言葉は便利だが、便利だからこそ固有の価値観として存在することもあるからな」
言葉なんて、ニュアンスと意志が伝われば何でもいいではないか。そこまで考えて言葉を使う人間が、果たしてこの世界にいるのか。
面倒くささと、クドウ氏へと改めての驚き。それらの意味を込めて、ため息をついた。
「では死にたいと思ったことはあるかい」
「ええ、それなら何度か」
死という言葉は同じたが、そのあとに続く単語によって思考の頻度が変わる。日本語特有のややこしさだろう。
「最初に考えたのは、いつ頃だい」
「それを聞いてどうするんです」
「どうもしないさ。ただ聞きたいだけだ」
クドウ氏は前のめりになって、私の方を見つめてきた。その目は好奇心で輝いている。まるで少年を相手にしているような、錯覚に陥った。
こういう手合いが一番苦手なんだ。他人の過去に、遠慮なしもなしに、好奇心の旗を振りかざして土足で踏み込んでくる。
クドウ氏でない誰かなら、おそらく相手にしなかっただろう。誰が自分が死にたいと思った瞬間を答えたがるだろう。
そっと心のなかに隠しておきたいし、ましてやあからさまにしゃべるようなことでは消してない。
だけど、クドウ氏は違った。あからさまに自殺を公言し、私はその為の遺書を製作している。私は彼の死に荷担しているのだ。
そんな私が自分の死を語らずにいるのは、クドウ氏にとってはフェアじゃない。死にフェアのくそもないが、共有するものとしては、いささか不公平感はあるかもしれない。
「……中学生の頃に、何回か」
私は過去の自分を探しながら、記憶の一端をクドウ氏に披露した。
「それは、どうして」
「深い意味はないんです。ただ、なんとなく生きるのが面倒くさくなって。休み明けとか、学校がだるくて。クラスの人たちと会うのが億劫で。なんとなく、死にたいなって」
「それは瞬間的に死にたいと思ってしまった。ということかな」
「まあ、そんなところですね」
私は肩をすくめた。他人の死にたくなった瞬間なんて、つまらないし、聞きたくもない話に違いない。けれど、クドウ氏にとっては違う。彼は真剣に私の目を見て、何度も頷いた。
そして今は、かのロダンの彫像のように。思考に耽っている。
「自殺には3つの種類があるんだ」
クドウ氏は突然指を3本立てて、私の前につきだした。
「3つの、種類?」
「瞬間的に死ぬこと。使命感によって死ぬこと。絶望によって死ぬこと。大きく分けて、この3つだ」
「はぁ」
「君はこの中の瞬間的な自殺にあてはまるな。むろん、自殺をしていないのだから、当てはまるわけではないがね」
「そうですか」
「実際に実行しようとしたことは」
「ないですよ」
「では、思考だけの自殺かね」
「たぶん、そうなりますかね」
私はだんだんと辟易しつつあった。彼のこの問答に、いったい何の意味があるというのか。今のところクドウ氏の暇潰しにしか、聞こえなかった。
クドウ氏は黙りとして、しばらくは沈黙が続いた。私はその間に紅茶を飲み干して、キャビネットにカップをおいた。
もうそろそろ休憩を終わりにしようか。そんなことを考えていると、クドウ氏の口が動いた。
「では、君の死に方を一度考えてみてくれないか」
「……は?」
私はついに顧客であることも忘れて、悪態紛れの返事をしてしまった。はっとしたが、もう遅い。直ぐに謝ろうと思ったが、クドウ氏はさして気に止めてもいなかった。
「答えを直ぐに出せとは言わないさ。私が生きている間に、教えてくれ。君はどんな状況で、どんな風に死にたいのか。考えてみてくれ」
「それを知って、どうするんです」
「どうもならないさ。ただ私は興味があるだけなんだ」
「他人の死について色々と訪ねるのは、失礼だと思いますけど」
「私に言ったところで、何の意味もないよ」
クドウ氏は苦笑した。
確かに。その通りだ。
やっぱりクドウ氏の思考は、私には理解ができない。
いや、そもそも他人の思考を理解するということ自体、おこがましいのかもしれない。
「おかわりはいるかい?」
クドウ氏は空になった私のカップを見て言った。
「いえ、結構です」
「そうか。では、続きを始めるとしよう」
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