第82話 いつもと同じ

 豊橋先生に報告するために職員室へと向かったものの、先生はほかに何か用事があったようでどこにも姿はなかった。


「先生が戻るまで待ってる?」


 と美咲は提案してくれたけど、


「遅くなるかもだし、明日にしない?」


 と私が言うとすぐに頷いてくれた。

 先生の机に書置きを残して職員室を出る。


 下校のときはいつも、徒歩通学の美咲に合わせて私は自転車を押して歩いて、銀行がある交差点の横断歩道までおしゃべりをしてそこで別れる、というのがお決まりのパターンになっていて、それは今日も同じだったのだけど……。


「ね、聞いてよ、美咲。ほんと困ってる話なんだけどさー」

「なにー?」

「この前、ちょっと出かけようって思って玄関開けたら隣で月坂が水浴びしててさ」

「水浴び? どこで?」

「庭のとこ。ホース使って水浴びしてんの、あいつ。それもパンツ一枚でさ」

「ええーっ」

「道路からも普通に見えちゃうんだけど、注意しても裸じゃないんだし別にいいだろって、あいつ全然気にしてなくてさ」

「だめだよー。それはもう逮捕だね」

「でしょ? 汗かいたんだったらお風呂のシャワー使えばいいじゃん、って言ったんだけどさ、何か外の解放感がいいんだって」

「へえー。あ、風が気持ちいいのかな?」

「あぁー。かもね。せめてこそっとやってくれるんだったらまだいいんだけどさ」

「そっか。お庭で水浴び、ね……」

「ちょっと美咲。私もやってみよう、とかやめてよ?」

「水着だったらセーフかな?」

「ダメだって! 庭先はアウトだからね」

「えー。でもさー」


 とそんなふうにいつもの調子で話していてもどこか違和感があって、今まで気にしたこともなかったけど、二人ともが黙っていたって全然平気だったはずなのに、それが今だけは、ほんの少しの沈黙がとても息苦しく感じられてしまっていた。

 どうにか会話が途切れないようにと、自分でしゃべりながら、次はこの話題で時間を稼ごう、なんていうふうに頭をフル回転させて話をつなぐ。


 美咲と並んで歩いていると、何にもなくたって、一緒にいるだけで心地よくて、気が楽で、リラックスできていたのに、いつもと同じ道が、景色が、何もかもがいつもと同じじゃなくなってしまっていた。

 そりゃあ、赤居のことで少し衝突はあったけど、別にケンカをしたわけじゃないし、謝るにしても何をどう謝ればいいのかわからなかった。

 全部美咲の言うとおりだよ、私が間違ってた、ごめんなさい、そう言えば簡単に仲直りできたのかもしれないけど、上辺だけで謝ったってきっと一時しのぎにもならないし、そんなの無意味だ。何より、大好きな美咲に嘘をつくなんて絶対に嫌だった。


 ちょっぴり気まずいまま横断歩道まできてしまって、


「また明日ね」


 と言ってくれた美咲に、


「うん。バイバイ」


 と何でもないふうを装って手を振ったけど、別れ際の美咲の笑顔はやっぱりぎこちないままだった。

 一人きりになったあと、たぶん私の焦りだって見透かされているんだろうな、と考えて深いため息をつく。


 大丈夫。美咲とは親友なんだから。何にも言わなくたって明日になったら元通りになってるよ。ううん。やっぱダメかも……。今はまだ小さな亀裂だとしても、だんだんと距離ができて挨拶もしなくなっちゃうのかも……。いやいや、私と美咲にかぎってそんなことあるわけないでしょ、って具合にいろいろと考えては否定してを繰り返して、整理なんてつけられやしなくて、思考はずっとぐちゃぐちゃのままで、気づけば家の前まで自転車を押して帰っていた。

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