第81話 好きな人
机を挟んで二対一。私と美咲、その向かいに赤居という席順で座る。
「好きな人、いるんだよね?」
話の口火を切ったのは美咲だった。
マジ? もうそれ聞いちゃうの? とは思ったけど黙っていることにした。ちょっと前のめりになってしまう。
赤居は本気で悩んでいるんだろうから、さっき美咲が言っていたように面白がってちゃダメなんだろうけど、気にならないなんて言ったら嘘だ。めっちゃ気になる。
赤居は恥ずかしそうに下を向いて黙り込んでいたけど、こくん、と一度だけ頷いた。耳が真っ赤だ。
「きゃー」
美咲と声がハモる。キュンとしちゃって高い声が出てしまった。
ただ、それがはやしたてるみたいになってしまって、赤居はますます下を向いてしまった。反応がかわいい。って、だめだめ。お泊まり会やってるんじゃないんだから。先生からの頼み事なんだし、ちゃんとやらなきゃ。
誰? 誰? と聞きたいところではあるけど、あんまりがっついちゃったら赤居もしゃべりにくいはずだ。いったん話題を変えよう。
「赤居。話の前に一個だけ聞きたいんだけど、いい?」
「うん……。何?」
「何で豊橋先生に相談しようって思ったの?」
美咲も加勢してくれる。
「それ私も気になる! 何で?」
赤居はようやく私と目を合わせてくれた。
「えっと……。最初はね、お母さんに相談したんだ。けど、私の意見だけじゃなくて、豊橋先生にも相談してみたらって言ってくれて、先生だったら話しやすいし、絶対信用できるし、何でもズバッて解決してくれそうっていうか、そういうイメージあるから」
美咲がふんふんっ、と何度も頷く。
「わかる! それわかる! なんていうか、デキる女って感じ?」
「うん! そうそう!」
「それでだったんだ。納得だよー」
「うん。だからね、先生が日崎さんと土谷さんに話聞いてもらうのがいいんじゃないかって勧めてくれたんだから、僕、隠さないで言うよ」
うん。多少は赤居の緊張もほぐれてきたかな。
そう思っていると、ちょうどいいタイミングで美咲が質問してくれる。
「ね。そんでさ、赤居君が好きな人って誰なの?」
赤居が頷く。その真剣な面持ちにこっちのほうが緊張してしまう。
「僕が、好きなのは……」
息をのんで待つ。
「えと……」
うん。うん。誰?
「ああーっ! ごめんっ! やっぱ恥ずかしいっ!」
赤居は両手で自分の顔を隠す。
はあー? なんじゃそりゃあ。
隣で、美咲はあきれて笑っていた。
「なーんでー? 先生には言えたんじゃないの?」
「そう、なんだけど……。ごめん……」
脱力して背もたれに寄りかかる。あー、やってらんないぜ。
赤居がしゃべり出せないまま時間が過ぎて、美咲が一つ提案する。
「ちょっとクイズっぽくしてみるとか、どう?」
「クイズっぽく?」
美咲に聞き返す。赤居も小首をかしげていた。
「たとえば、んーと、ね……。赤居君が気になってる人って、私たちも知ってる?」
あぁー、なるほど。質問を重ねて正解を絞り込んでいくやつだ。クイズ番組でたまに見る。
確かにこれなら赤居だって答えやすいかも。さすが美咲。
赤居も流れを把握したようで、その問いに答える。
「うん。二人とも知ってるよ」
「私も綾も知ってる人、か……。それって、名前は聞いたことある、くらいの知ってる? もっとよくわかってるかな?」
「そう、だね。何回もしゃべったことある感じかな」
「もしかして、同じクラス?」
「あっ……。うん。そう……」
今ので一気に近づいた。あと二つか三つの質問でわかるかも。
ぱんっ、と美咲が手を打ち合わせる。
「私、わかったかも」
「えっ? もう?」
得意げなその笑みを見るに、どうやら相当な自信があるらしい。私は一個も質問できなかったけど、ここはもう美咲に任せよう。
美咲が自信満々の声で言う。
「赤居君が好きなのって、大塚さんでしょ?」
緊張の一瞬。
「ううん。はずれ」
ずこー。違うんかーい。
「あれぇー? あっ! そっか、中村さんだ! そうでしょ?」
「ううん。また外れ」
くいっ、と美咲の裾を引っ張る。これ以上は野放しにできない。
「美咲。ちゃんと根拠あって言ってる?」
「だけど、大塚さんも中村さんもおっぱい大きいよ?」
「たはっ……。もしかして理由それだけ?」
「だって、男の子はみんな胸の大きい人が好きだって。花岡先生もそうだし……」
「いや、まぁ、それはあながち間違いじゃないのかも、だけど……」
どう説明すればいいんだ、これ……。
「あの、さ……」
申し訳なさそうに割って入ってきた赤居に、すぐさま謝る。
「ごめんね、赤居。ちょっと待って。今、次の質問考えるから」
「ううん。もう同じクラスって言っちゃったし、ちゃんと言うよ」
「あ……。そう?」
赤居はすうっと息を吸ってから、小声だけど力を込めて言う。
「森白、ゆうき……」
ゆうき、と読む名前は男性に多いけれど、女性の名前としても何らおかしなことはない。実際に、ゆうき、の名前を持つ女性の有名人は大勢いる。
それは、そうなんだけれど……。
問題なのは、私たちのクラスに森白の名字を持つ生徒は一人だけで、そいつの名前は、勇ましいに輝くと書いて勇輝。つまり、そいつの性別は……。
美咲が言う。
「赤居君って、おホモさんなの?」
おっ、お、おっ……、おホモさん? えっ、丁寧に言うときって、そういうふうに言うものなの? って、今はそんな話じゃなくて。
赤居は神妙な面持ちで頷く。冗談で言っているわけじゃないらしい。
マジ、なんだ……。
赤居が好きなのは、森白勇輝。
難しい話、協力してほしい、引き返せなくなる……、こういうことだったんだ。
先生の様子がおかしかったのも頷ける。
赤居が自嘲するみたいに笑う。
「ごめんね……。引いちゃうよね、こんなの……」
「何で?」
そう言った美咲の声色は、どこか冷たささえ感じられた。つなげて言う。
「赤居君がおホモさんだからって、引いたりなんかしないよ」
「そ、そう?」
「うん。だって十人十色って言うでしょ。いろんな人がいて当たり前なんだから、何もおかしくなんてないよ」
「ありがとう……。土谷さん……」
「うん」
美咲の言葉に嘘はない。
哀れみだとか同情だとか、そんな薄っぺらい気持ちで言っているんじゃない。本当の本当だ。だけど美咲みたいに、抵抗なく同性愛を受け入れられる人っていうのは少数な気がする。
世界中で抗議活動があったり、国会で議題にされたりして徐々に理解が深まりつつある状況ではあるんだろうけど、でも……。
「そういや赤居君って森白君としゃべってるの多い?」
「うん。小学校からずっと一緒だから。幼馴染み」
「あ、そうなんだ。じゃあ仲良しさん?」
「うん。あ、でも、最近は部活で忙しいみたいで、あんまり遊んでくれなくなっちゃったんだけどね……」
「森白君って、サッカー部だったっけ?」
「そうそう。うまいんだよ、サッカー」
「へえー。あれ? でもさ、そんなに仲いいんだったら私たちが手伝うことなんて何もないんじゃないの?」
「あ……、うん。仲良しは仲良しなんだけどね、その、さっきのは、ずっと秘密にしてて……」
「おホモさんってこと?」
「うん……。言えてなくて……」
「どうして? 私たちにはちゃんと言ってくれたのに」
「あっ……。えっと……」
赤居が言葉を詰まらせる。
美咲には説明が必要だ。ちょっと嫌な役だけど、赤居に押しつけるわけにはいかないし……。それでも話を進める以上はわかってもらわなきゃいけない。
「赤居。ごめん。先に謝っとくね。私、たぶんひどいこと言っちゃうから。大丈夫?」
「日崎さん……。うん……」
赤居から美咲に目線を移す。
いぶかしげにこっちを見つめる美咲の表情はとても強張っていた。きっと私の声がとげとげしくなっているせいだ。
「簡潔に言うよ、美咲。同性愛者っていうのは差別の対象になりやすいんだよ。それはつまり、赤居のこと気持ち悪いとか排除してやろうって思う人がいるってこと。だからそういう人たちは自分がそうだってことを周りに隠してるんだよ。そうしないと虐げられるかもしれないから」
「LGBTQのことでしょ? 性的マイノリティとかって言われる。それは中学のとき教科書で習ったからわかるけど……。でも差別するのなんてごく一部の人たちだけでしょ」
「そうだったらいいんだけど……。でもそういう人が学校にいないって断言できる?」
「待ってよ……。綾は、クラスのみんなに赤居君がおホモさんだって話したら、どうなると思ってるの?」
「いじめられるよ、きっと」
「そんなはずない! そんなはずないよっ! それだけで赤居君のこと仲間外れにしたりだとか……、私たちのクラスにそんなひどい子なんていないよ!」
「美咲……。残念だけど、それはただの理想だよ」
「そんなことないっ!」
「赤居もそれをわかってるから、先生と私たちだけにしゃべってくれたんでしょ? 逆に言っちゃえばそれって、みんなのこと疑ってるってことなんじゃないの?」
「違うよ! ね、違うよねっ? 赤居君!」
気まずそうに顔を伏せながらも、赤居はしっかりと美咲に答える。
「日崎さんの言うとおりだよ……。みんなに嫌われちゃうかもって思うと、すごく怖い……」
「大丈夫だってば! 話せばわかってもらえるし、そんなことになったら私がちゃんと言うから!」
首を横に振って否定する赤居に、美咲は苦々しく黙り込む。
ずっと病気がちだった美咲にとっては、学校生活そのものが神聖なものに見えていて、だからクラスメイトに性根の腐ったやつなんていない、みんな人格者なんだって、そう思いたいのかもしれない。その気持ちはわかるけど……。
今は赤居との話し合いを進めよう。
「話、戻すよ……。森白にカミングアウトしたいっていうのが、赤居の気持ち?」
「うん」
「それは森白との関係を進展させたいってこと?」
「うん。告白して、ちゃんと受け入れてもらって、高望みしすぎってわかってるけど、恋人みたいになれたらって……」
「赤居……。厳しいこと言っちゃうけど、それはやめといたほうがいいと思う。せめて卒業までは……」
「あはは……。やっぱ、そう、だよね……」
赤居の苦しそうな笑い方が胸に痛い。
たぶん先生からも、あるいは赤居のお母さんからも似たようなことを言われたんだろう。それでもやっぱり我慢できなくて、破裂しちゃいそうで、わらにもすがる思いで相談してくれているに違いないのに……、だけど……。
「ごめんね……。せっかく相談してくれたのに……」
私が言い切る前に美咲が声をかぶせてくる。
「待ってよ。さっきの、やめといたほうがいいって、どうして?」
「たぶん、うまくいかないよ……。赤居が傷つくだけ」
「なんでさ。そんなのわかんないじゃんか」
「わかるよ……。だって……」
「だって、何?」
「ううん。何でもない……」
「ごまかさないでよ。ちゃんと言って」
「それが普通だから……」
「普通? 普通って何?」
「美咲……。もうやめよう……」
「おかしいよ、綾……。さっきからずっとさ。何でそんなネガティブなことばっか言うの?」
「そうじゃないよ……」
「何が違うのさ!」
美咲は椅子から立つと、私をにらみつけてまくしたてる。
「赤居君だって、何もそんなこと言われたくって私たちに相談してくれてるんじゃないはずだよ! もっとちゃんと赤居君の力になってあげようって、応援してあげようって、そういうふうには思わないの? 男の子が男の子のことを好きになるのって、そんなにダメなことっ? そんなにおかしいのっ?」
まったくだよ……。美咲は何一つ間違ってなんかない。正しいよ。
一瞬、目をそらしかけて、だけどやっぱり美咲の目を見て言う。
「私、ちゃんと赤居のこと考えてしゃべってるつもりだよ」
「私だって考えてるよっ!」
不安定な呼吸、震える唇、うるんだ瞳、こんなに切なそうにしている美咲、初めて見る。
見入ってしまってまばたきもできない。気圧されて謝ってしまいそうだ。
「ごめん……」
だけど謝ったのは美咲のほうだった。そっと椅子に腰を下ろす。
「ううん……」
私が言えたのはそれだけだった。
うつむく美咲の長い髪をしばらく見つめて、意味もなく自分の爪を触る。
そりゃあ、ものすごく楽観的な見方をすれば、実は森白もゲイってことをひた隠しにしていて、二人は相思相愛で、赤居が告白したらハッピーエンドでおしまい、めでたしめでたし、ってそうなる可能性もゼロではないんだろうけど……。それにしたって、たとえば今日とか明日にでも告白するっていう決断はあまりにもリスクが大きすぎる。
ふと先生が言った言葉を思い出す。
答えを出さなくてもいい、赤居の悩みを聞いてやるだけでも十分、そんなふうに言ってくれていたんだっけ。今思うと、あれは警告だったのかもしれない。先生には、私たちの間で意見が対立するんじゃないかって予感めいたものがあったのかも。
「赤居。本当、ごめん……。今日はこのへんにしとかない? 近いうちに絶対ちゃんと、もう一回時間つくるから」
美咲は何も言わない。
「そう、だね……。うん。そうしよっか……。今日は、その、ありがとう。じゃあ僕、先に帰るね。また明日……」
「うん。またね」
赤居は椅子を直すと足早に部屋を出ていく。引き戸を閉めるとき、極力音がしないようにそっと閉めたのは、赤居なりの謝罪の気持ちだったんだろう。
よかった。赤居が気の利くやつで。
こんな険悪な雰囲気のままじゃ話し合いを続けたって意味なんかない。それに何より、美咲と口論なんて……。
「ねぇ、綾……。さっきのってさ、全部、本気だった?」
こっちは向かないまま、美咲はひとり言みたいにしゃべる。
「ほら、綾ってさ、月坂君と言い合いになったりしたときとか、たまにわざと怒らせるようなこと言ってカマをかけるっていうか、本音を引き出すとき、あるでしょ? そういうの、だったのかなって……」
「ごめん……。美咲、今日はもう帰ろう。ね? お願い……」
「そ、だね。帰ろっか。うん……」
美咲がにこっと微笑みかけてくれる。
だけど、仲良しになった今だからこそわかる。今、美咲がどんなに無理をして笑顔をつくってくれているか。いつもの笑顔と比べてどんなにぎこちないか。その後ろめたさも、痛いくらいにわかる。
これはちょっと、時間かかるかも……。
はは……。あー……。気を張ってないと、泣いちゃいそうだ……。
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