第73話 謝罪

 小さな歩幅で、たった十五メートルほどの距離を、じっくり時間をかけて進む。

 あー。もう着いちゃった……。

 生徒会室の前に立って、引き戸に手を伸ばしかけてから引っ込める。

 何やってんの、私。まずはノックしなきゃ。

 緊張しているせいで全然頭が働かない。

 喉はカラカラでほんの少しのつばもうまく飲み込めないし、何だか胃のあたりがキリキリするし……。

 もう、やだ。本当は今すぐ逃げ出したい。

 だけど、ここで逃げたら絶対に後悔する。

 根性、見せなきゃ。自分で踏ん張るって決めたんだから。

 コンコンコン、とノックを三回。


「はい」


 中からの返事を受けて、ゆっくり引き戸を開ける。

 部屋の中、一人きりで椅子に座っていた土谷さんが、こっちの顔を見るなり慌てて立ち上がった。


「えっ。あっ……、嘘……。日崎さん? どうして……」


 土谷さんは、目を大きくしたままでその場に固まってしまう。

 謝らなきゃ。謝らなきゃ。

 そう思っているのに、昨日たくさん考えた言葉が、用意していたはずの言葉が、全然出てこない。真っ白だ。


 土谷さんから目をそらして下唇をかむ。

 ここまで来たのに……。あと一歩、あと一歩なのに……。

 声が、出ない……。

 土谷さんはとても困った様子で、


「あの、私はね、えっと、先生にここで待っててって言われてて……。その……。日崎さん、は、何か取りに来たの? 私、外、出てよっか? そのほうが、いいよね?」


 そんなことを言いながら、鞄を抱えていそいそと部屋を出ていこうとする。

 そっか。そりゃ嫌だよね。

 大っ嫌いなやつと二人きりでいるなんて、我慢できるわけないよね……。


 私、期待してたのかな。

 月坂から、ちょこっと土谷さんの話を聞いただけなのに、それで土谷さんのことをわかった気になって、土谷さんなら、何も言わなくても、自分が頑張らなくても、優しく受け入れてくれるかもって、そんなふうに思っていたのかも。


「あっ……」


 土谷さんが、すぐ横をすり抜けて廊下に出てしまう。

 バカだ、私。そんなの卑怯に決まってる。

 私みたいなやつ、これくらい嫌われてて当然なんだよ。

 ひどいことして、土谷さんのこと傷つけたんだから。

 だから。だから。言わないと。勇気振り絞って。言うんだ。

 びびってたら全部終わっちゃうぞ!

 今日しかないんだ! 今しかないんだ! 叫べ!


「ごめんなさいっ!」


 ぎゅっと目をつむって思いきり頭を下げる。

 遠ざかっていた靴音がやむ。気づくと、土谷さんは立ち止まってくれていた。

 恐る恐る顔を上げて、でも怖くて、とても目は合わせられそうにもないから、ちょっとうつむいたまま、土谷さんの膝のあたりに向かってしゃべる。


「ノート、家まで持ってきてくれた日のこと、ずっと謝りたくて……。それで、先生に頼んで、土谷さんのこと、呼び出してもらったの……。普通に会っても、しゃべってもらえないかもって、思って……。それで、こんな……。ごめんなさい……。先生と二人で、土谷さんのこと、騙すみたいなことして……。でもね、私、どうしても、ちゃんと謝りたくて。だから、その……、本当にごめんなさい……」


 もう一度頭を下げる。


「ううっ……。うっ……。うぐっ……」


 土谷さんは廊下の床にへたり込むと、両手で自分の顔を覆った。

 半分土下座みたいな格好で、小さく、丸くなって、体を震わせてひたすらむせび泣く。

 すぐそばにまで寄ってしゃがみ込みはしたものの、肩や背中を触るのは失礼な気がして、


「ああっ……。えっと……。あの……」


 と、何て言葉をかけたらいいのかもわからずに戸惑っていると、土谷さんが、ぽろぽろと涙を流しながらも、ふっ、とこっちを見上げてきた。

 泣き顔の土谷さんと目が合ってしまって、


「あっ……。ごめん……」


 と、とっさに顔を横に向ける。

 私、どうしてたらいいの、これ……。何もわかんないんだけど……。

 土谷さんが両手を使って涙をぬぐう姿にはっとして、スカートからハンカチを取り出す。


「これ。使って」

「ありがと……」


 土谷さんが涙を拭く。

 ハンカチ一枚じゃとても足りなさそうだ。


「ごめん……」

「いいから、気にしなくて。それよりスカート、汚れるよ。立てる?」

「ふぐうっ……。ありがと……。ごめんなさい……」


 よろよろと立ち上がりかけた土谷さんを支えて、どうにかこうにか部屋の中に戻って椅子に座らせる。

 ただ、椅子に座っても、土谷さんはわんわん言いながらさらに激しく泣き出してしまっていた。

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