第61話 父と母
さんざん泣きじゃくったあと、いつの間にか眠ってしまっていて、気がつくと夜の八時過ぎだった。
残業がなければ、父が帰っている頃だ。
部屋を出て、そーっと階段を下りる。
気が重い。それでも、後ろめたいながらも、叱られるだけはしっかり叱られよう、ちゃんと謝ろう、と覚悟してリビングへと入る。
父と母はテーブルを挟んで向かい合っていて、だけどもテレビもつけないで、お互いにしゃべることもなくて、二人して顔をうつむけていた。
会社から帰ってきたばかり、というわけではなさそうだけど、父はまだスーツ姿のままだった。
いつもなら、帰ってきたらすぐに部屋着に着替えるのに。
父は、リビングに入ってきたこっちに気づいていないわけはないのに、じっとしたまま顔も上げようとしない。
もうすでに母が代わりに話してくれたのだろう。
今日、学校で何があったのか、自分の口から説明する必要はなさそうだ。
母が話しかけてきてくれる。
「何か食べる? 食欲は?」
首を横に振る。
「そう……」
母の表情は心なしか疲れて見えたけど、声はいつもと変わりなかった。
気丈に、不安は見せまいとしてくれているんだってわかる。
二人のすぐそば、テーブルの前に立って軽く息をつく。
「あの、さ……」
「綾」
父の呼びかけに途中で口をつぐむ。
父が続けて言う。
「ちょっと無理してでも、何か食べておきなさい。ほんの少しでもいいから」
「あ……。うん……。じゃあ、そうする……」
「それと、今日はお母さんと一緒に寝なさい。お父さんはソファで寝るから」
「えっ? うん……」
一瞬、何の話かと思ったけど、すぐに理解した。
警察が来たら、当分、家族でゆっくり過ごすこともできなくなるだろうから、今のうちに甘えておけ、という意味だろうか。それか、家出だとか、自殺だとか、何か変な気を起こさないように監視するため、という意味合いもあるのかも……。
顔を見ると、母は微笑んで頷いてくれた。
母の隣で寝るなんて何年ぶりだろうか。
そういえば幼い頃、ベッドを買ってもらったことには大喜びしていたのに、夜、ひとりで寝ようとしても寝られなくて、心細くて大泣きしたことがあったっけ。
父が言う。
「綾。何も心配しなくていい。普段どおりにしてなさい」
ちょっと無駄遣いしたり、予定よりも帰りが遅くなったりすると目をつり上げて怒るのに、今日は怒らないんだ。変なの。
そう思ったけれど、それを口に出そうとは思わなかった。
中身の減っていないコーヒーカップを見下ろして、静かに息をついた父の横顔はとても寂しそうに見えていた。
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