第47話 気持ち悪い

 雲浦先生のあとに続いて進路指導室へと入る。

 テーブルを挟んで、互いに椅子に腰かけて向かい合う。

 まず話を切り出したのは先生だった。


「中間テストの結果だけど……」

「えっ? あ、はい……」

「日崎さん。どの教科もすごくいい成績ね」

「そう、ですか? ありがとうございます」

「部活もよく頑張ってるみたいだけど、大変じゃない?」

「いえ、別に。普通だと思いますけど」

「そう……。それなら、いいんだけどね……」


 少し首をかしげてしまう。

 こっちの緊張をほぐすための雑談だったのか、先生なりの気遣いなんだとしたらありがたいことではあるけど、今はそんな話どうでもいい。


「宮火のことなんですけど」

「そうね。宮火さんの話、よね……」

「先生。注意してくれたんですよね? 宮火に」


 先生はわずかに肩を震わせた。

 何か言いにくいことでもあるのか、なかなか話し始めてくれない。

 少し待って、言葉を付け足す。


「宮火は、何て言ってたんですか?」


 先生は黙ったまま、なかなか目を合わせてはくれずに、腕時計の位置をなおしたり、髪をなでつけたりと、どこか落ち着かない様子だった。

 さらに少ししたところで、ようやく口を開いてくれる。


「その……、実は、まだゆっくりは話せてなくて……」

「まだ? まだって何ですか? 反省させてくれたんじゃないんですか? 宮火と話するって、先生、言ってくれてましたよね?」

「いや、まぁ、近いうちに、とは思ってたんだけどね。テストつくったりだとか、こっちもちょっとゴタついてて……」

「何ですか、それ……。宮火と話する時間もつくれなかったって言うんですか? 私の教科書、燃やされたんですよ!」

「もちろん、それはわかるけど。日崎さん。ちょっと落ち着いて」

「こうやって私とはしゃべる時間あるのに、どうして宮火とはしゃべれないんですか」

「違うのよ。あのね、日崎さん。私、少し考えたんだけど、こういうことって、みだりに教師が口を出すことじゃないんじゃないかなって思うのね」


 眉をひそめながらも、反論したい気持ちをぐっとこらえて先生の話を聞く。


「ほら、社会に出たら、人間関係とか、仕事のこととかで、もっと難しい問題にぶつかることもあるわけ。そういうときに自分自身で対応する力っていうのも、この学校生活の中で身につけてもらえたらなって思うわけね。わかる? 私があなたに代わって宮火さんをきつく叱ることもできるけど、それだと、ほら……、ね? 今後の日崎さんのためにはならないんじゃないかなって、そういったことも考えちゃうのよ」


 急に饒舌になったかと思ったら、くっだらないきれいごとばっかり並べ立てやがって。

 きっ、と先生の目をにらみつける。


「怖いんですか? 宮火のことが?」


 先生はすぐに否定してこない。あるいは動揺のために、とっさに言葉が出てこないのか。

 目線をほんの少し横にずらして、まばたきを繰り返す。


「いいえ。別に、そんな……」


 嘘だ。信用できるか。


「宮火に仕返しされたりしたら嫌だから、私を巻き込むな、お前らだけで勝手にやってろ、ってそう言いたいんですか?」

「ちがっ……。そんなこと言ってません。今は、その……、それほど深刻な状況じゃないでしょう?」


 その言葉に、ふっ、とつい吹き出してしまった。


「どうなれば深刻な状況なんですか?」

「そんな話をしたいんじゃないの。だからね……。まずはあなたと宮火さんで話し合いをしてみて、それでも解決できないようだったら、そのときには……」

「だったら先生が仲介してくださいよ。私は、今この場に宮火を呼んできてもらったって構いませんから」

「それだと私が邪魔になっちゃうでしょ。そうじゃなくて、あなたたちの成長のためにも、あなたたち二人で解決できるなら、それが最善じゃないかって思うわけ」

「すぐに怒鳴り散らして、土下座しろとか、金よこせとか言ってくるようなやつと、まともに話し合いなんてできるわけないじゃないですか」

「でもどこかで折り合いはつけていかないと。クラスメイトなんだから。ね? そうでしょ? 大丈夫よ。こういうことに悩むのも、きっといい経験になるから」


 だめだ、この人。

 こっちの言うことなんて最初から聞く気もないんだ……。


「三階のトイレ、たまにタバコ臭いの知ってますか?」

「えっ? あぁ、いいえ……。そうなの?」

「宮火です。あいつがタバコ吸ってるんです」

「あ……、そう……」

「それも私が注意しなきゃダメなんですか?」

「それは……」

「ていうか、宮火の非行と私の成長と、何の関係があるって言うんですか」


 先生は唇を固く結んだまま黙り込んでしまった。

 長い時間、顔も上げようとしない。

 そうしてまた困ったように腕時計を触る。


「もういいです。ほかの先生に相談します」


 椅子を引いて立ち上がる。


「ちょっと待って! 日崎さん!」


 先生を見下ろす。


「あなたなら、自分で何とかできない? ほら、あなた、賢いし……。ね? わかるでしょ? 私もいろいろときついのよ……」

「保身のために言ってるんですか?」

「保身だなんて、そんな……、私は、ただ……」


 言いよどみながら、先生は、まるでこびへつらうような、中途半端な笑顔で笑いかけてくる。

 気持ち悪い。


「教師の仕事って、楽でいいですね」


 進路指導室を出て引き戸を閉める。

 部屋の前で期待して少し待ったけど、雲浦は何も言い返してこなかった。

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