第42話 ケンカ
それからはとくに何事もなく一週間が過ぎて、宮火さんがあんなことをしたのは、あの日にたまたま嫌なことがあって、イライラしていて、ちょっとした出来心でやってしまっただけなのかも、加えて、上履きなら誰のものでもよかったのかも、とそんなふうに思うようになっていた頃だった。
昼休み、佳奈ちゃんのクラスに遊びに行って一緒にお弁当を食べて戻ってくると、数人のクラスメイトが体操服に着替えようとしているところだった。
今日は五限目が体育だったことを思い出して、自分ももう着替えておこうかな、と体操服入れを持ち上げようとすると、いつからか、短く結んでいたはずの巾着のひもがほどけてしまっていた。
結び方が緩かったのかなと思いながら、とくに気にすることもなく中の体操服を掴む。
と、なぜか冷たく湿った感触があった。
さっと手を引っ込める。濡れている。
手のひらにはじっとりとした感触が残ったままで、めちゃくちゃ気持ち悪い。
おかしい。今朝、体操服を準備したのは自分だ。
当然、そのときには濡れてなんかいなかった。
両手で巾着を開いて、そっと鼻を近づけてみる。
甘ったるいにおいがする。コーヒー牛乳のにおいだ。
顔を上げて教室の中を見回す。
予鈴のチャイムまではまだもう少し余裕がある。大半の生徒が、校庭に遊びに出ていたり、学食に行ったままだったりして、今、教室内にいる生徒は十人くらいだ。
この中に犯人がいる、とは断定できないけど、こんないたずらをしかける以上は引っかかったこっちの反応を見ていたいはずだ。
ひとり、じっとこっちを見ていた宮火さんと目が合う。
すると宮火さんは、こっちを見たまま、これみよがしに手もとで紙パック入りのコーヒー牛乳を揺らした。
宮火。またあの女か。
大股歩きで宮火の席の前まで行って、そのふてぶてしい顔を見下ろす。
「あんたがやったの?」
「は? 何?」
「私の体操服、濡らしたんでしょ?」
「知らねーし。何で私に言ってくんの?」
宮火の手にあるコーヒー牛乳を指差して言う。
「じゃあそれ見せてきたの何?」
「お前がこっち見てきたから挨拶してやったんじゃん」
嘘だ。そんなわけない。
「私さ。宮火さんに何かした? 言ってくれたら謝るから。こういうのやめてよ」
「へえー。謝るんだ。じゃあゴミが学校来てすいませんって言えよ」
「はぁ? 何でそんな話になんの?」
「うぜぇんだよ、お前。帰れよ。それか土下座しろ」
「何それ。だったらあんたが帰れば? どうせ授業ついてこれてないんでしょ、バカだから。バカだから嫌がらせして喜んでんだもんね」
宮火が目をつり上げる。その直後、右腕を振ってコーヒー牛乳を投げつけてきた。
紙パックが耳もとをかすめて後ろへ飛んでいく。
狙いは私の顔だったはずだ。
危なかった。空の紙パックなんて当たったところでどうってことはないけど。面白いから煽ってやろう。
「当たってないし、下手くそ」
「うるせーよ。一瞬びびってたくせに」
「だから何?」
「びびり。殴ってこいよ」
「あのさ。生理だからって人にあたるのやめてくれない? 薬飲んでよ」
宮火は自分の机を突き飛ばす。
倒れた机が、がたんっ、とけたたましい音を立てて床を打った。
今のもまた危なかった。とっさに後ろに下がったから何でもなかったけど、もう少しで足に当たるところだ。
「調子乗ってんなよ、カス」
宮火はそう言うと、床に落ちた鞄だけを拾って教室を出ていく。
何なの、あいつ。
しんと静まり返った教室で、まずは宮火の机を起こして、次に、後ずさりしたときにぶつかってしまったクラスメイトの机をもとの場所まで戻す。
ついでに、何で私がと思いながらも、コーヒー牛乳の紙パックをゴミ箱に捨てた。
「何? どうしたの? すごい怖かったんだけど……」
宮火とのやりとりを見ていた友達の一人にそう聞かれて、
「何かケンカ売られた」
と簡単にいきさつを説明したけど、そもそも宮火に目をつけられた理由がわからないから、どうして、何で、と質問されても答えようがなかった。
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