第17話 謝ってやれよ

 日崎のことは、一緒に登校した日にケンカになったときから嫌いだったけど、土谷大泣き事件があってからは、俺の日崎に対するイメージは最悪になった。


 話に飽きて途中で何か口を挟んでくるかなと警戒していたけど、意外にも、真剣に聞く、という言葉のとおり日崎はおとなしく静かに話を聞いていた。

 その反応を見ていると、日崎だって、胸のうちではあの日のことを反省しているんだろうな、となんとなく感じ取れていた。

 率直に疑問をぶつけてみる。


「何で受け取ってやらなかったんだよ、ノート」

「いらなかったから」

「土谷はお前のためにって、わざわざ持ってきてくれたんだろ」

「あの子も豊橋に指示されてただけなんじゃないの?」

「先生つけろ。それは、ちょっとどうかわかんねぇけど……」

「どっちにしたって、ありがた迷惑なだけ」

「何で。普通にありがたいだろ」

「学校行かないのにテスト対策の勉強して何の意味があんの?」


 なるほど。そりゃそうだ。言っていることはひん曲がっているのに、筋だけは通っているように聞こえる。腹立たしいけども。


「受け取るだけ受け取ってやればよかったろ」

「あとで見返りないのかって言われても困るでしょ」

「土谷はそんなせこいこと言わねぇよ」

「あの子の性格なんて知らないし」

「あのな……。あいつは本気でお前のこと心配して、お前のためにって、頑張って……」


 そこまで言って、最後まで言えずにつっかえてしまった。


 ふと、夏期講習受けようよ、と誘ってくれた土谷の顔を思い出す。

 あのとき土谷は、純粋に親切心で講習に出ることを勧めてくれていた。それなのに土谷の気持ちを考えもしないで、部活を言い訳にして断って……。


 そのあと豊橋先生から講習の強制参加を聞かされたときもそうだ。親だけじゃなくて、サッカー部にまで話を通したってことだったし、先生は、そのほうが俺のためになるって思って動いてくれたのだろうけど、そんな手間かけてくれなくても放っておいてくれたらよかったのに、って今でも思う。


 それを逆に感謝しろ、だなんて説教されたら、ふざけんなと突っぱねたくもなる。

 そもそも自分の成績が悪いのがダメなんだろうけど……。それはまぁ、いったん横に置いといて……。


 一方的に善意を押しつけられても嬉しくないときだってある。

 日崎も同じで、土谷の気遣いをそんなふうに思っていたんだろう。

 うつむいてでこを押さえる。

 何だよ。だったら自分だって似たようなもんじゃないか。

 考えるほどに日崎の気持ちがわかるような気がして頭が痛くなってくる。

 あの日泣いていた土谷の悔しさを代弁してやらなきゃいけないってのに……。


「ねぇ。いきなり黙んないでよ。何か怖いんだけど……」


 いや、まだだ。もう一個ある。気持ち切り替えろ。


「何にしたって、ノート叩いたのはやりすぎだろ」

「あれは……。あの子がしつこかったから、ちょっとむしゃくしゃしただけ」

「謝ってやれよ」

「私が? 何で?」

「何で? 当たり前だろ。悪いことしたんだから」

「何それ。言っとくけど私、悪いことしたなんて思ってないから」

「バカ言えよ。どう考えたって悪いことだろ」

「だからあの子がしつこかったんだって。いきなり家まで押しかけてきて、帰ってって言っても帰ってくれなかったし」

「ボロ泣きしてたんだぞ、あいつ」

「それはあの子が泣き虫なだけでしょ」

「違う。お前がそれだけ傷つけるようなことしたんだよ」

「そんなことない」

「謝れよ」

「嫌」

「謝れっつってんだよ」


 日崎はうっとうしそうにため息をつくと、背もたれに寄りかかってまた窓の外を眺める。

 この話は終わり、そう言いたいらしい。

 やっぱり相容れない。こんな偏屈とわかり合えるわけがない。一つや二つ、いや、百以上の共通点があったとしたって、この溝は埋まらない。根本的に人間としてのレベルが違うんだ。


「ばーか」


 日崎が黒目だけをこっちに滑らせる。


「何か言った?」

「バカにバカって教えてやってんだよ。わかってねぇみてぇだから」


 瞬間、左のすねを衝撃が突き抜けた。


「いったっ! いったあっ!」


 激痛にすぐさま足を引き寄せてすねをこする。

 骨にひびが入ったんじゃないかってくらい痛い。


「うるさいんだけど」

「バッカ! お前が蹴ってきたからだろ!」

「あんたが足開いてるから当たったんでしょ」

「くっそっ……。俺は絶対に許さねぇからな」

「言ってれば。私だってあんたなんかに許してもらおうなんて思わないし」


 火花を散らして日崎とにらみ合う。

 自分勝手で、高飛車で、頑固で。神様にでもなったつもりか、この勘違い女。

 浮かせていた左足を下ろす前に、ズボンの裾をめくってすねの状態を確認する。痛みはひどいけど、血は出ていない。


「出てるわけないでしょ」

「うっせーなっ」


 蹴られたところをしばらく撫でてから裾を戻す。


「それで。お前の話は?」

「何?」

「中学がどうとかって話だよ。さっき何か言ってたろ」

「あれね。いい。面倒くさいから」

「何で。聞かせろって」

「だからいいって」

「お前……。ホントは俺にだけしゃべらせて、自分は最初っからしゃべる気なかったろ」

「へえ。意外。ちょっとは頭回るんだ」

「お前な。ふざっけんのも大概にしろよ」

「何言われたって話す気ないから」


 あー。もうやめだ。限界だ。こんなのにいつまでも付き合ってられるか。これ以上は頭がどうにかなる。


「お前。どこまで行くんだよ」

「あんたに関係ないでしょ」

「かもな。まぁ俺はいいよ。けど、おばさんにまで言ってないのはおかしいだろ」

「高校生にもなって、出かけるのにいちいち親に行き先言う必要ある?」

「ほとんど高校生してないだろ、お前」

「うっ……。いいでしょ、別に。てか、そういう意味で言ったんじゃないし……」

「つーかそんなん、うちのじいちゃんだっていっつも、将棋指してくるとか、医者行ってくるって、ちゃんと言ってるぞ」

「あんたの家の事情とか知らないし」

「まぁいいや。そんで、どこまで行くんだよ」

「言わない」

「何で?」

「もう黙っててよ」

「おばさん、心配させんなって言ってんだよ」


 日崎は一度口を開きかけたものの、息を吸っただけですぐに閉じてしまった。同時に視線をそらす。何か言い返す言葉を思いついたのに、直前でためらってやめたような、そんな曖昧な仕草に見えた。

 少ししてから、日崎がこっちを見てくる。


「あんたさ。私が行き先言ったら帰ってくれんの?」

「当然だろ。次で降りてやるよ」


 そう断言してからはっとする。


「あー、そっか……。結局ついてくかもな……。お前、どうせ嘘しか言わねぇんだろ」


 日崎がだるそうに息をつく。

 それらしいことを言っておけば追っ払えるだろうと企んでいたに決まってる。

 騙されたばっかりじゃなかったらホイホイ信じていたかもしれない。でも、ってことはまだ日崎からは離れられないってことなのか。

 うんざりだ……。やめないけど。

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