第7話

 観念した俺は取り敢えず自分が霊能力を持っている事を、改めて如月に告げた。中途半端な情報を元に誤った認識をされるのも嫌だからな――と言うのは建前で、実際にはその逆、此方から適度な情報を与える事により、如月の誤認を誘うためであった。

 これまでの如月の言動を見る限り、バレたのは飽く迄も霊能力の有無である事が伺える。対して俺にとって最悪なのは、俺の正体、即ち半妖である事が露呈してしまう事態である。何せ霊能力者と半妖では、世間から受ける風当たりに天と地ほどの差が有るからだ。なので、そうした最悪の事態を避ける為、敢えて人間霊能力者であると主張する事により、半妖という発想から遠ざけようというわけだ。

 そりゃまあ霊能力の有無も出来れば誰にも知られたくはなかったので、不本意なのは否めない。だが覆水盆に帰らずと言うように、既にバレてしまったものはどうしようもないので、気持ちを切り替えて対処する他ないのだ。

 幸い、事は概ね俺の推察通りと思われる。如月が俺に対して半妖疑惑を懐いた様子は見受けられず、なんだったら話の流れで「霊能力者似た者同士、仲良くしましょう」なんて台詞を聞かされるくらいには人間認定されている様子だったからだ。

 てなわけで、俺が自身の正体を隠す為に、しがない霊能力者を装っていると、

「ところでその……貴方に忠告があるのだけど……」

 如月が遠慮気味に言ってきた。

「忠告? 何の?」

「ええ、その……コジローをそろそろ放してもらえないかと思って……。コジローっていうのは、既に気付いていると思うけど、貴方がいま鷲掴みにしているその妖の名前ね」

 如月は目配せと人差し指で俺の手元を示していた。

「ああ、そういえば……」

 いろいろと思案を巡らせていた事もあり、すっかり忘れていたが、俺の手の内には例の小動物系妖改めコジローの胴体部分がしっかりと収まったままだった。

「うっ、済まん」

 四肢をバタつかせて藻掻いているコジローを見て、慌ててその手を離そうとする俺であったが、ここでふと疑問が脳裏に浮かんだ。

「でも何で忠告なんだ? こういう場合って要求とか要望とかそんな言い方のほうがよかないか?」

 如月は艶やかな長い黒髪を軽く掻きあげながら答える。

「そんな事は無いわ、だって明松君の身の危険を憂いての発言ですもの」

「俺の身の危険?」

 益々もって困惑する。それとも単に俺の思慮が足らな過ぎるのか?

 如月の言い分をまとめるに、妖のコジローを放さないと俺の身に危険が及ぶという事になる。

 だが、それはおかしくなかろうか?

 だって、そうだろ。俺がコジローを離さない事で都合が悪いのは、普通に考えてコジローであろう。俺がこの手を放さなければ、コジローは身動きが取れないわけだからな。拘束状態のコジローが俺に危害を加えるなんて事もないだろうし、寧ろ放して自由を与えた方が機に乗じて襲われそうに思えるのだが……。

 そこまで思案を巡らせた時だった。

 如月がやれやれといった様子で顔を左右に揺らしながら、「あーもう、だから言ったのに」と嘆息した。

 そして俺は如月の言った忠告の意味を知る事となる。

 突然、目が眩むほどの閃光と火花が爆ぜたような乾いた音が空を走った。「え?」と声を上げる間もなく、俺は体の芯を鈍器で殴られたかのような痛みと衝撃に襲われる。同時に俺の意思とは無関係に体全体が脈打つように飛び跳ねたかと思うと、勢いよく背中から地面に叩きつけられていた。

 体の中と外から滲む鈍い痛みに浸かりながら、俺は自身の身に何が起きたのか解らずに、倒れたまま唖然としてしまう。

 すると、如月が哀れみの目で覗き込むように見下ろしてきて、

「コジローは身の危険を感じたり機嫌を損ねたりすると、今みたいに放電して威嚇する癖があるのよ」

「放電……?」

「そう、放電」

 如月は先の衝撃の際に俺の手から逃れて足元に擦り寄ってきたコジローを、静かに抱き上げる。

「雷獣なの、この子。その気になれば人ひとり丸焦げにするのもわけないのよ、凄いでしょ」

「凄いでしょ、じゃねぇよ! 今の衝撃、感電かよ。なにサラッと丸焦げとか恐ろしい事、口走ってんの? そんな危険デンジャラスな妖を安易に人にけしかけるなよな」

 生命の危機を感じた俺は思わず口調が荒くなる。

 対して如月は変らず淡々とした口調で、

「あら、だから忠告したんじゃない」

「忠告以前の問題だ! そもそも忠告ならもっと簡潔、的確にしろよな!」

 今のは完全に如月の遠回しな言い分が、手放すのが遅れた原因である。シンプルに「危ないから放して」とでも要求されていたら、すぐさま放していただろうし、そうなれば俺は電撃をくらわずに済んでいたと思うのだがな。

「とんだ言い掛かりね。勝手に深読みしたのは貴方の方でしょ。此方に不備はないわ。それにコジローは賢い子だから、ちゃんと加減を弁えているわよ。現に貴方は丸焦げていないでしょうに」

「俺は言い掛かりではなく事実を述べているんだ。大体、丸焦げにならなきゃ何したって良いわけでもないだろ。前提がおかしいんだよ」

「些末な事にいちいちと――まあいいわ。そんな事よりも、そろそろ本題に入りましょうか」

 聞く耳を持たないといった具合で、澄ました顔の如月に不満を覚えた。俺の方が被害者であるのに、「まあいいわ」とか「そんな事」とかで訴えを一方的に一蹴されてたまるか。

 しかしながら、そんな俺の訴えは本当にまるごと一蹴される事となる。

「明松君、貴方エヌオーケーブって知ってる?」

 俺の不満を華麗に無視スルーした如月が、強制的ゴリ押しで話を進めやがったのだ。

 勿論、それでも執拗に引き下がれば、もう少し主張の場を引き伸ばせたかもしれない。だが、そうしようとした途端、雷獣で機嫌を損ねると時に人ひとり丸焦げにし兼ねない放電をするコジロー君が、「シャーッ!」と牙を剥いて威嚇してきたので、断念せざるを得なかった。俺は些細な拘りで、その身を危機に晒すような愚か者にはなりたくないからな。

 とは言え、一方的な要求の押し付けである。嫌気が差すのは避けられない。よって俺はそっけなく答えてやった。

「知らねえよ」

 だがこうした俺の対応は、コジローの危険性を知った後に取る行動としては、やはり悪手だったようである。

 バチンッ!!!

 先の返答をした刹那、鈍い閃光と共に乾いた衝撃音が鼓膜を揺らした。僅かな時間差を経て何かが焦げた臭いが鼻を突く。臭いは俺のすぐ側、足元数センチのところからだった。コンクリート製の床が黒く変色してほのかに白い煙が立ち上っていたので間違いない。

 何が起こったのかはすぐに察しがついた。

 俺は焦げ目から離れるようにそっと足を退けながら如月を見る。

 すると彼女は薄っすら笑顔を浮かべてコジローの頭部を撫で回しながら、淡白な口調で、

「もう、駄目じゃないコジロー、明松君を病院送りにでもする気?」と物騒な事を口走るのだった。

 俺がそこはかとなく背筋に冷水をたらされたかのような悪寒を覚えたのは言うまでもなかった。

「明松君、貴方エヌオーケーブって知ってる?」

 再び先程と全く同じ問いが如月から投げられたのはそんな折だった。

「まっ、待て! 脅したところで俺が知らんという事実は変わらないぞ」

 慌てふためく俺に再び表情を殺した如月が、

「あら、脅しだなんて人聞きが悪いわね。先刻さっきのは偶々コジローが癇癪を起こしてしまっただけよ。他意は無いわ。例えこの先、ね」

 よくもまあ抜け抜けと、完全に確信犯である。不満がフツフツと沸き立つも、当然ながらそれを表に出す事はしなかった。如月の言うところの偶然による丸焦げで多忙な医療従事者の方々に御迷惑をかけるわけにはいかないからな。

 よって俺が取ったのは、

「わ、悪かった……今のは言葉の綾だ。俺が言いたかったのは本当にエヌオーケーブなるものに心当たりが無いという事でだな……」

 と、このように謝罪と言い訳である。我ながら情けなく思うが致し方ない。弱者が強者に媚びるのは世の常である。雷獣でコジローという安直なネーミングとは裏腹に、極めて獰猛な力を手にする如月に対し、俺が白旗を上げるのは必然なのだ。

 まあそれでも、如月から返って来たのが冷めた溜め息混じりの、「……そう、じゃあ次からは、初めから真面目に答えてね」だったのには、遣る瀬無さを覚えずにはいられなかった。

 何にせよ、反論の自由は無くなった。こうなりゃ俺の出来る事は一つしか無い。

 俺は自身の湧き起こる負の感情を滅却し、取り敢えず如月の話に耳を傾ける事にした。こうなってしまった以上、感情的な行動は慎み、状況に応じてクールに対処する方が被害を最小限に抑えられるというものだ。拒めないのならば受け流すまで、つまりはそういう事だ。

 そうこうしているうちに如月によるエヌオーケーブのレクチャーが始まった。

「エヌオーケーブというのはアルファベットで『N』『O』『K』、部は部活の部。正式名称『ネオNeoオカルトOkaruto研究Kenkyu』の略称よ」

 なんだ、部活か。と率直な感想を抱きつつ、同時に首を傾げずにはいられない。

「ネオって何だよ? オカルト研究部の間違いじゃないのか?」

 思わず俺は素っ気なく聞き返してしまった。

 言ってから、即刻クールさを見失った事を後悔する。今の俺は迂闊な事を口走ると電気ショックで丸焦げになる恐れがあり、発言はコジローの、否、如月のご機嫌を窺いながら慎重に行わなければならないというのに。

 俺は咄嗟に目を閉じ、歯を食いしばって防御態勢を取った。電撃に対し、それがどれ程の効果を発揮するのかは疑わしい限りだが、それでも耐えるという意味では、心構えは無いより有った方がマシである。まあ気休めみたいなもんだがな。

 尤も、幸か不幸かこうした俺の無駄なあがきは文字通り無駄に終わる事となった。なぜなら電撃対策で体を硬直させる事、約五秒。待てど暮らせど一向に、それらしい衝撃や痛みに襲われる事が無かったからだ。

 恐る恐る閉じていた瞳を開いて如月及びコジローに向けると、冷めた様子でこちらを覗う四つの瞳と目が合った。

 俺が唖然としていると、冷めた視線の片割れ如月が、一際冷めた口調で、

「何してるの? 脱糞?」

 んなわけあるか。どんな発想だよ、脱糞て!

 ――と内心では発狂しそうになりながらも、身の安全を優先する俺は懇切丁寧な言葉遣いに翻訳して抗議する。

 すると如月が、

「力んでいたから、出したくなったのかと」

 まて、状況的に有り得ないだろ。もっと的確な可能性を模索しろよな。ナチュラルにそんな発想されると、俺が変人みたいになっちまうだろ。今のはお前の恐喝に対する囁かな対抗措置で、コジローの電撃に備えたんだよ、バカタレが!

「コジローのは偶々って言ったじゃない。偶然に対する対処だとは普通思わないでしょ」

 如月は平然と俺の懇切丁寧な翻訳口撃を躱すと、

「まあ、貴方の便意の話はどうでもいいわ。話を戻しましょう」

 まてまて、今の件を勝手に俺の便意の話として結論付けないでくれるか。事実無根の生理現象を持ち出したのはお前だけだぞ。本人は一度足りとも便意も糞も主張してないからね。

 しかしながら、そんな俺の懇切丁寧な訴えは華麗に無視された。

「NOK部のオカルト研究部疑惑だけど、単刀直入に言うと答えはノーね」

 如月は何事もなかったかのように語り出したのだ。しかもそれは有り難くも迷惑な事に、元々の俺の問に対する答えだった。これでは質問した手前、制止し辛いったらありゃしない。

 とは言え、これは俺の名誉に関わる話である。安易な泣き寝入りは出来ない。今の俺にとって大事なのは、俺の不当な便意疑惑の解消であり、優先すべきはNOK部なんぞよりもそっちなのだ。

 まあ無論……俺の置かれている現在の立場では、それは叶わぬ願いであったがな。

 食い下がろうとした矢先である。

 バチチンッ!

 もの凄く聞き覚えのある、空気が引き裂かれるような音と共に、これまた鮮明に見覚えのある閃光が迸り、更に頗る記憶に新しい焦げた匂いが鼻をついたのだ。視界の端で白い煙が昇るのを捉えたが、最早その出処を確認する事はしない。何が起きたのかは明白だったからだ。

 代わりに俺は如月に、正確には如月に抱きかかえられたコジローに目を向ける。するとコジローはつぶらな瞳で此方を凝視しており、俺と目が合うと「シャーッ!」と犬歯を剥き出しにしてみせた。

 次に俺が発した言葉が「続けてくれ……」だったのは言うまでもなかった。

 かくして話題は再びNOK部へと戻る事となった。

 早速、口火を切ったのは当然ながら如月だ。

「NOK部とオカルト研究部は全くの別物よ。現在、どちらも存在し、部活登録も別々に成されているから間違いないわ。尤もオカ研は定員割れで部ではなく同好会扱いになっているけどね。因みに複数の教師に確認したところ、過去に両者の間に因縁めいた出来事があったという事実は無く、元々一つだったものが袂を分けたわけでもない、完全に無関係な間柄だそうよ」

 如月は悠然と佇みながら語ると、俺を見据えて、

「だからNOK部とオカ研を私が混同しているわけではないってことよ、解った?」

 俺はコジローの様子をチラリと窺ってから、恐る恐る答える。

「はい……まあ……」

 そんな俺の態度が気に入らなかったのだろうか。如月は僅かに眉を吊り上げて、

「ちょっと明松君、貴方の疑問に答えたのだから、返事はもっとはっきりして貰えないかしら。そういう態度は相手に失礼よ」

 無茶言うな、こちとら感電の恐怖が常に付き纏っているのだ。自己防衛本能から逡巡を伴うのは必然なんだよ。そして、そうさせているのは紛れも無く如月、お前だからな。

 ――と内心では愚痴りながらも、俺は「さーせんしたーッ!」と体育会系さながらの滑舌良好な謝罪で応答していた。ヘタレと思われるかもしれないが致し方ない。これもまた感電に対する恐怖故であり、自己防衛本能のなせる技。必然の対処なのだ。

 そんな俺に如月は「まあいいわ――あなたがNOK部を知っていようが知っていまいが本筋にはさして影響がないのだから」と嘆息してみせた。

 あ、そうですか……――――なんて不服に満ちた嫌味な返事は、如月に抱えられた小動物系妖のつぶらな瞳に凝視されていては口が裂けても言えないので、例にもれず「で、俺に頼みたい事って何でしょう?」と冷や汗混じりで懇切丁寧に訊ねたのは言うまでもなかった。

 果たして俺はこの後、如月から何を迫られ……頼まれてしまうのだろうか。不安を懐きながら、これ以上厄介な状況にならぬ事を切に願うばかりである。

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