第3話

 それは入学式直後のホームルームに於ける定番のイベント、同じ学び場に集った新たな級友達との情報共有の席、いわゆる自己紹介での出来事だった。

 比較的早めに順番が回ってきた俺は、自身のそれを卒無くこなし、解放感から緩みきった態度で次々に消化されていく級友達のありがちな演説に何となく耳を傾けていた。

 そんな折りの事である。少しばかり……いや、わりと奇抜な自己紹介をする奴が現れたのだ。

如月きさらぎ耶代衣やよいです。霊感が強く霊や妖怪を視る事が出来ます。以上です」

 そう簡素であるが特異な文脈を言い放ったのは、僅かに青みがかった艶のある長い黒髪に端整な顔立ち、清純とか清楚といった言葉が如何にも似合いそうな女子だった。

 一間あった後、彼方此方から息を殺したようなざわめきが沸き起こり、静かな騒動となった。

 まあ当然であろう。彼女、如月耶代衣の公言したそれは所謂電波系というやつで、同じ趣味を持つ気の合う仲間や、純粋な心を失う前の幼子が相手ならばいざ知れず、出会って間もない高校年代の相手に対して、自己紹介としてする類のものではないのだから。皆リアクションに苦慮しての事だろうさ。実際、事態を収めようと声を上げた担任教諭ですら言葉選びに苦労している様子だったからな。

 ところがだ、そんな教師の動揺まで誘うざわめきが広がる教室内で、恐らく唯一と言って良いだろう、騒然とする教室内の空気に馴染むことなく、人知れず驚愕のあまり絶句している男子が一人いた。

 ――俺である。

 無論、半妖たる俺とてその他大勢の級友たちと同様の感性は持ち合わせており、だからこそ彼等の心情を推察出来るわけなので、本来ならば皆と同じどよめきの中にその身を置いていたはずである。

 だが生憎と俺の見ている場景は彼等のそれとは幾分異なっており、それ故一人だけ絶句せずにはいられなかったのだ。

 俺を驚愕させた、俺のみが視ている情景、それは如月の右肩口にあった。いや、この場合は居たと言うべきか。ともあれ、そこには何と一般的女子高生には似つかわしくないソフトボール大の毛むくじゃらな何かが鎮座していたのだ。イタチ、ハクビシン、アライグマ……等にしてはサイズ的に些か小さ過ぎるか……。とにかく明言は出来ないが、そんな感じで灰色の毛に覆われた小動物系と思しき何かだった。

 と言っても、別に俺はその珍妙な小動物が居た事に驚愕させられたわけではない。幾ら女子高生の肩口に小動物が鎮座している状況が物珍しかろうとも、流石にそれだけの事で身を打ち振るわせて衝撃を受けてしまうほど俺のメンタリティは脆弱ではないのだ。それに、そも教室内にファンシーな小動物が紛れ込んでいるのなら、自己紹介などそっちのけで皆の注目が集まっているはずで、そうであればそれは俺のみが見る場景とはなっていないはずである。だから俺が驚愕した理由はそこではなく別にあったのだ。

 ではその別にあった理由とは一体何なのかだが、それはという条件を組み合わせれば自ずと答えは見えてくるだろう。本来、小動物が居る時点で騒然となる筈の場に於いてそれが無く、それでいて俺の目には確かに映るその物珍しい場景。この矛盾を解消する要素は一つしか無いのだからな。

 まああれだ……早い話……その珍妙な小動物は妖だったのだ。

 俺の目に映る場景の正体が妖ならば一般人には視えない。よってクラスがその小動物絡みで騒然となる事もない。矛盾は見事に解消されるわけだからな。

 要するに俺は珍妙な小動物に驚愕したわけではなく、小動物が妖だったから絶句したわけだ。

 何せその小動物が妖であるならば、来年のクラス替えまで最低一年間は同じ釜の飯を食わにゃならん間柄である級友の中に、堂々と霊能力者宣言をする奴がいるだけでなく、そいつの身近には実際に妖がいるという事実が加わるからだ。これは俺を愕然とさせるのには十分過ぎる理由である。なぜなら如月耶代衣はと言えてしまうからだ。

 俺にとって、身近に親交を持たぬ霊能力者が居る事は、それ自体が自身の平穏を脅かす由々しき事態に他ならない。何せそういった輩は俺の正体を俺の意思や願いとは無関係に看破しうる存在だからである。今朝の登校時のように、如何に俺がそれらしくない振る舞いに終止したところで、そういった輩には側に佇む原因の姿が認識出来ているわけで、我が正体につながる諸々の要素を隠し通すのは困難になるからだ。

 それに大抵の視える人間はその事で何かと迷惑を被っていることが多く、妖に対し明確に悪印象を懐いている場合が殆どである。そしてこれがまた厄介で、そうした感情はそのまま俺への敵意となり得るのだ。何せ俺の正体は半分妖の半妖なのだから。妖に対し狭量な人間が、半分とはいえ妖である俺にどんな感情を懐くのかは想像に難くない。学校からの排除を目論み、俺にとって迷惑極まりない奔走をする事だって十分考えられるだろう。そんな事になれば俺の立場は大いに揺らぎ、それこそ下手をすれば学校に居られなくなる事態にだってなり兼ねない。

 なので見知らぬ本物の霊能力者がいるとなると、もはや俺が事前に想定していた高校生活における危機的状況なんぞ比べ物にならないくらい、遥かに危険で不幸極まりない状況まったなしという事になるのだ。

 そんな由々しき事態なれば、他の級友みたいに面白半分で騒然とするなんて呑気な事など、していられようはずもないというものだ。


 ――さて、どうする?

 クラス内のざわめきが失笑や嘲笑へと変わり始める中で、俺はこの如何ともし難い問題を乗り切るために、如月を注視し思考を巡らせていた。

 先ず理想は如月が実は霊能力者ではなく、単に虚言妄想癖を持った厨二病患者である事だ。肩の上の小動物系妖は偶々偶然そこに居合わせただけで、如月とは何の因果関係も無いというパターン。その可能性はないだろうか?

 だが悲しい事に、その可能性はチョコレート菓子の金のエンゼル当たりを一箱目で引き当てるよりも希薄そうであった。周囲の動揺を余所に平然と着席した如月が件の小動物系妖をそっとひと撫でするのを目撃していたからである。視えていなければ、そういった仕草はまず見せないはずだからな。それどころか、妖が視えるだけでなく触れられる事まで判明したようなものなので、寧ろ確信が深まってしまったくらいである。

 となれば、やはり如月が霊能力者である前提で対処すべきだろう。しかも、只視えるだけではなく触ることが出来、それなりに妖とのコンタクトを取って引き連れる事が可能なレベルにあると仮定すべきだ。

 であるのならば――。

 考察すること数秒、俺は思わず片手で顔を覆うようにして消沈してしまった。なぜなら早々と起死回生の名案など無い事を悟ってしまったからである。そりゃそうだ。如月が視える奴ってだけで、有効手段が碌に思い付かず絶望に打ち拉がれそうになるというのに、妖と対話可能な中級能力者以上という追加要素まで加われば、希望的観測すら儘ならないのは明々白々なのだからな。


 ――かくして、俺は晴れて絶望の淵に立たされた訳であるが、意外や意外、然程時間を擁する事無く気持ちを立て直す事に成功する。理由は至って簡単であった。こうした窮地で人が取る行動と言ったら、大抵は嘆くか開き直るかの二択であり、俺はこう見えて意外と楽観主義的思考な所があるからだ。つまり、後者を選択する事に吝かではないということだ。解決策が無いと分っているのにその模索に時間を浪費するのは愚の骨頂。どうにもならんと分っているのであれば、運命にその身を委ね開き直った方が精神衛生上良いに決まっている。つまりはそういう事だ。つまりはそういう事なのだ。

 故にそこから更に考察を進め、俺が辿り着いた結論は、如月とは一定の距離を保ち極力接触を避けるという極々ありきたりなものであった。危険人物には近づかない、安全確保の基本だな、うん。まあ今のところ目立ちたがり屋ではない俺はクラス内で注目を集めるような振舞いなど一切していないし、今後もするつもりはない。加えて如月は先の台詞のようなイタい発言を公然と言ってのけるにあたり、余りコミュニケーション能力が高い人間ではないと見受けられる。こちらから近づきさえしなければ、やり過ごすのはそれ程難儀な事ではないはずだ。幸いにも教室内での互いの席は適度に離れており、なし崩し的に関係が進展してしまうという可能性も低そうで、そういった意味での条件は決して悪くはなかった。

 そんなわけで俺は半ばやけくそ気味に……元い、ポジティブに自身を納得させ、これから始まる学園生活の謳歌にこれまた無理矢理……ではなく能動的に淡い希望を懐く事にするのだった。いや、マジでね。

 実際、この判断は良策とは言えないまでも、決して失策の類ではなかったと思う。そのあと俺と如月は特にニアミスする事も無く高校初日を無事に終えており、思惑を現実とすべく見出した結論に疑いを持つ要素は見当たらなかったのだからな。

 だが――――

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