第1話

 四月。

 桜の花びらがそよ風の中を泳ぐように舞っている。季節は春。この国に於いて、それは始まりの季節であり、多くの人間が新たな門出を迎える時期である。

 無論、人と違わぬ生活を送る俺にも、そうした門出は平等に訪れるわけで。つまりはこの俺も同年代の人間同様、今春より高校生活を始めるに至るという事に他ならなかった。

 つまるところ今日はその初日。所謂、入学の日というやつであった。

 そんな晴れの日の朝、俺は淡紅色に染まる並木に囲まれながら、新たに通う事となった高等学校へと続く道をひた歩いていた。

 学校まで後僅か。遠目にだが校舎を視認できる程度に近づく頃には、周りに俺と同じ境遇と思しき、畳皺のくっきりと付いたお揃いの制服に身を包んだ人影が増えていた。彼等は皆一様に晴れやかな面持ちをしており、新生活の始まりに心踊らせているであろう事が容易に窺えた。

 だがしかし、そんな活気ある情景に於いて、その場に似つかわしくない張り詰めた空気を身に纏い、慎重な足取りで歩を進める男が一人。

 ――俺である。

 無論、俺とて人間とそう変わらない思考が働く故、彼等と同様に高校生活という門出に胸踊らせていないわけではなかった。しかし、いや、だからこそと言うべきか、俺はこの有り様にならざるを得なかったのだ。

 一体どういう事か。

 そりゃまあ、俺の生い立ちに由来するところが大きいと言わざるを得ないだろう。

 現状、俺は人間社会に於いて何不自由無く過ごせているわけだが、それでも無条件で全く苦労をしていないかというと、そういうわけではない。外面内面双方で人間と遜色ない俺とて、流石に生まれながらに持ち合わせてしまっている霊能力を消し去る事は出来ぬもので、そうであれば必然的にその事実を伏せる必要が発生するのである。なぜなら一般的に霊能力というものは一部の例外を除き、人間には理解されぬものであり、そうした事情は往々にして歪んだ認識を生むからである。

 もし俺がひとり何もない道路脇に向かい話しかけていたら、端からそれを目撃した人はどう思うだろうか?

 もし俺がひとり公園の片隅でエアコブラツイストを披露していたら?

 俺的には唯そこに居る妖とのコンタクトに過ぎなくとも、そこに理解の及ばぬ人間の目には、おかしな行動を取る怪しい人物としか映らないのである。そしてそれは所謂、巷で言う所のに分類されるという事であり、我が個人評価を著しく損ない、ともすれば望まぬ迫害を招くような忌むべき事態へと繋がる序章に他ならないのだ。

 となれば俺は自らの保身の為、そうした事態を招くような危険行為は回避しなければならないのである。なにせ俺は自身に中二病属性が加わって快感を覚えられるほど純粋ピュアな心の持ち主でもなければ、甘んじてそれを受け入れられる程寛大な御心の聖者でもない。感性的には年相応に平凡な男子高校生そのものなのだからな。

 そもそも俺的にそうした行動というのは現実を直視した結果に他ならず、にも拘らずそれを妄想と見做されてしまうというのは、言わば濡れ衣紛いのキャラ認定である。そうした不当なキャラ付けを押し付けられるというのは、自らの尊厳が脅かされる事態に他ならず、素直に受け入れられるわけがない。大体、そんな不順な経緯でのキャラ認定は本物の中二病の方々に大変失礼であろう。

 とにかくだ、俺は日々己の自尊心を守るため、妖との接触を周りの人間に悟られぬよう注意を払っているのである。

 ――と、まあここまでが大まかな理由、日々の振る舞いでの前提だ。

 そして今のナーバスな俺の現状は、それプラス本日が高校の入学式、とりわけ慣れ親しんだ地元から少し離れ、見知らぬ土地に赴いているという事情が深く関係しているのである。

 土地が変われば人が変わる。それは当然妖にも言える事で、家の近所とは異なり今俺が歩んでいる所の妖は、俺の事など全くご存知でない奴が殆どなのだ。それが何を意味するかといえば、長年の付き合いで俺の事情を理解してくれている我が家のご近所妖と違い、この辺の奴らは遠慮無しに、所構わずこちらにちょっかいを出してくると言う事なのだ。

 妖達が俺に寄って来る理由は様々であるが、概ね俺の事を霊力の強い人間と間違えている場合が殆どである。パッと見で人間と変らない俺の半妖属性正体は、人間程と言えないまでも、妖とて容易には見破れない。加えて基本的に人の目に映らぬが常の妖に取って、その常識を覆す存在は良くも悪くも目に付く存在で、そうした人間は皆一様に妖から襲われ易いという事情がある。故に人前での接触を避けたい俺の願いとは裏腹に、視える人間と誤認したあちらさんは己が本能むき出しで積極的に絡んでくるのである。もっとも半妖というのは妖にとっても物珍しい存在らしく、半妖であることがバレたらバレタでその希少性ゆえ絡まれたりするので、人間と誤認されなければ良いというものでもない。そういった意味でも、半妖の俺は相対的に人間の霊能力者よりその傾向が顕著にみられると言えなくもなかったりする。

 そして先にも述べた通り、俺にとって人前での妖との戯れは死活問題である。しかも、一時の恥で済む旅先での事ならいざ知らず、今居る此処、向かっている学校、そこに至る通学路ルートはこれから三年間は否応なくお世話になるであろう場所。今後の高校生活を謳歌するにあたり、絶対に失敗の許されぬシチュエーションである。

 となれば必然的に疲労の蓄積が増し、今のこの有り様に至ってしまうのも避けられないというわけだ。

 因みに、本日最寄りの駅から此処に至る道すがらだけで、既に俺はRPGの魔王城ラストダンジョン並に高いエンカウント率で出現する妖の処置を余儀なくされている。学校に辿り着くまでに、あと何回見知らぬ妖を相手にせにゃならんのだと、先の見えない不安から殊更憂鬱さを覚えずには居られない事も加えて主張しておきたい。

 まあそれでも、今のところは絡んでくる妖が雑魚ばかりなので、対応そのものは差して苦ではなく、それがせめてもの救いではあったがな。強力な妖は何かと自己主張が強く扱いが難しかったりするものだが、その点雑魚は物分りがよく、至ってシンプルな対応で事足りるからだ。

 そうこうしているうちに、言っている側からまた新たなお客さんが現れた。

「――お前……この私が……視えるのかい?」

 道端に佇んでいた、見るからに不気味な白装束の老婆が俺と目が合った途端、酷く掠れた声を発しながら一目散に此方へ向かってきたのだ。

 あっという間に俺の眼前に立ちはだかる老婆。見ると瞳は白目が無く真っ黒で、口の端からは見た目の年齢に似つかわしくない鋭利な白い牙を覗かせていた。それはまさに妖以外の何者でもなかった。

 腰が九十度近くまで折れ曲がっているのに、目線の高さは俺と同じという異様なスケール感のその老婆は、仕方なく立ち止まった俺を確認すると改めて「視えているんだろ?」と訊ねて来た。

 対する俺は至って平静を装いながら不自然にならぬよう周りを見渡し、人々の視線が自分に向いていない事を入念に確認する。当然ながら、これは俺の社会的地位保全の為の安全確認行動である。同級生と思しき人影が多い。下手なところを見られたら初日からどんな奇行エピソード武勇伝を背負わされるか分かったものではないからな。

 そうした俺の行動は老婆のお気に召さなかったのだろう。三度目に口を開いた老婆は、

「無視するんじゃないよ! 食っちまうぞ!!!」

 図太く嗄れた声を轟かせ、勢いよく俺の鼻先へとその妙にデカく皺だらけの顔を近づけて来た。

 それは如何にも耳を覆いたくなるような怨念じみた声であり、目を背けたくなるような悪趣味な光景だった。

 しかしながら、俺はそのどちらの行動も実行に移すわけにはいかない。妖である老婆の姿も、その声も、周囲の人間には視えても聞こえてもおらず、それらに反応する俺というのは、彼等からすれば奇抜な行動をとる変人以外の何者でもないからだ。

 なので、代わりに俺は今一度それとなく周囲を確認すると、自然且つ必要最低限の動作をもって右手を一旦ズボンのポケットに突っ込んだ後、再びポケットから抜き出したその拳の甲を、それとなく裏拳のような形で老婆の頬に押し当てるのだった。

「ほぶぅわぁっッッ!!!!!」

 言葉というよりも効果音に近い絶叫を残しながら、老婆はフルスイングされた金属バットで真芯を捉えられた白球のように、勢い良く俺の右手方向に吹き飛んでいった。

 道路を挟んだ対面にある民家の塀にぶち当たる老婆。その瞬間、辺りには鈍い衝撃音が派手に響き渡った。

 尤も、周りの人間は誰一人そうした音に反応をみせる事はない。当然である。彼等には妖の姿が見えないし、妖の起こす音も聞こえない。俺が巧妙にその行為を悟られぬよう遂行した以上、彼等にとってそれは何事もないのと同意だからだ。

 そして俺は別段何事もなかったかのように再び学校への道を歩み出した。

 老婆の妖がその後どうなったのかは知らない。唯でさえオーバーワークを強いられているのだ。そんな事後経過まで気にしていたら身が持たんからな。

 まあそれでも、本日何度目であろうか、度重なる作業をまた一つ終えて、我が心身の蓄積疲労が否応なしに増したのは事実である。憂鬱な溜め息が無意識に口から零れ落ちた事までは否定しないがな。

 ともあれだ。こうした苦悩も今暫くの辛抱である。なぜなら現在こうして被っている苦労は、人と妖の間に生まれた俺としては、避けては通れぬ通過儀礼の様なものであり、永続的に続くものでは決して無い。今はただ、新たに足を踏み入れた妖達のコミューンに於いて、新参且つ異端の者として馴染めていないだけで、一旦彼らに認知されてしまえば、その中で存在が浮く事もなくなり平穏が訪れるからである。小中学校と程度は違えど同様の経験し存知しているので、この認識に間違いはないだろう。

 つまるところ、一時的困難に苛まれて心身面での衰弱が見られはするが、それでも現時点において俺の高校生活は概ね良好なスタートを切れていたわけである。

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