105.5

 護衛を連れ、私室に戻っていく彼女を見送り、僕も部屋に戻る。

 これから考えなければいけないことや、やらなければいけないことが山の様にあるのに、頭に思い浮かぶのはロディナのことばかりだった。


 まだ手に、ロディナが握った感触が残っている気がして、我ながら気持ち悪いな、と思いながら自身の手を撫でる。

 人生で、こんな時がくるとは夢にも思っていなかった。

 誰かを愛することも、誰かに認めてもらうことも、どこか遠い、憧れることすらおこがましい、夢物語だと思っていたのだから。


 先ほど死にかけたというのに、気を抜けば口元が緩んでしまう。いや、でもあればかりは肝が冷えた。本当に二度とやらないで欲しい。


 気持ちを切り替えるか、と、顔を洗うつもりで予備の仮面を取ろうとしたとき、ドアがノックされる。


「……アストです。旦那様、少々よろしいでしょうか」


 少し声が固い。何故だ、と思って、そう言えば顔を見られたんだった、と思い出す。ロディナといると、どうにも僕が醜男であることを忘れてしまう。それだけ、彼女が凄いということであるのだが、これが現実だ。

 とはいえ、もう慣れたこと。ロディナや叔母様など、認めてくれる人間が増えるのは嬉しいが、認めてくれないからといって、嘆くようなことはない。


「入れ」


 短くそう言うと、アストが扉を開け、入室する。表情は真剣な物だったが、僕が仮面を付けているのを見て、少し気が緩んだようだった。まあ、それも一瞬で、すぐに元の表情に戻ったのだが。


「ご報告を。――先ほどの不審者が、死亡いたしました」


「……早いな」


 情報を吐かせろ、とは命じたが、殺せとは一言も言っていない。となると、あの男自身が自害したか。

 案の定、アストからの報告は、自ら口を封じだ、というものだった。

 手慣れている、と言うべきが、準備がいいというべきか。明らかに素人の行動ではない。


「ですが、彼を通した場所は判明いたしました。……五番口だそうです」


「そうか……」


 やはり、という言葉を、僕は飲み込んだ。

 一般公開において、一番、二番口は平民の来客用、三番口は露店の店員、四番口は荷物の搬入に使われ――問題の五番口は、貴族関連の来客を通す門だ。

 五番口では荷物検査をしない。護衛以外の人間があからさまな武器を持っていたら流石に止めるが、荷物にまぎれこます程度なら、そのまま通してしまう。


 自己防衛に、と護身用の武器を隠し持つ貴族は何人かいるし、それを咎めることを、グラベイン貴族界ではよしとしない。隠し持つ武器を暴こうとするのは「何かすると疑っているのか」と言われるし、「これから何かするから護身用の武器を持っていると不都合なのか」と疑念を抱かせることになる。

 あからさまな物でない限りは、見て見ぬふりをするのが、グラベイン貴族の間では暗黙の了解なのだ。そして同時に、見て見ぬふりをしてもらった武器で、護身用以外の用途で使った場合、相当に非難される。


 それにしても、あの不審な男に見覚えはない。

 しかし、五番口から入ったということは、貴族とのつながりがあるということだ。しかも、見逃してもらった護身用の武器であんな凶行に及ぶとは、よほど地位の高い貴族家とつながりがあるか、もしくは暗黙の了解など構っていられないほどの状況なのか……。


 まあ、この報告を受ける前から、なんとなく心あたりはあったわけだが。


「後はこちらで何とかする。今日はもう一般公開は終了だ、客を誘導して帰らせろ。……ああ、そうだ。この話、ロディナにはするなよ」


 そう言って、僕はアストを下がらせる。

 ロディナに、血生臭い話は聞かせたくないのだ。これから先の進展も、あまり詳しく聞かせるつもりはない。


 はつらつと笑う彼女に、こんな血生臭い話は、似合わない。

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