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――惚れた、女。
今、彼はそう言ったのか。わたしの聞き間違い? いや、確かにそう言った、そう聞こえた。
頭がふわふわとして、思考が追い付かない。力が抜けて、そのまま、すとんと座り込んでしまった。こういうのを、腰が抜けた、というのだろうか。
わたしが呆然としている一方で、ディルミックも口を滑らせた、という表情をしていた。涙が引っ込んでいる。
「ち、ちが――いや、違わないが、言うつもりはなくて……。僕なんかに、好きだと言われても、気持ち悪いだけ――」
「また、僕、なんか、って言った」
ディルミックの言葉に、わたしは思わずぽつりと呟いた。
ディルミックが少し、息を飲んだのが分かる。この部屋には、わたしたちしかいないのだから。わたしが押し黙れば、ディルミックの呼吸する音も、聞こえる。
何か考え込んでいたのか知らないが、ディルミックが黙り――わたしと目線を合わせるように、跪いた。
「僕が、『僕なんか』と言って、咎めてくれるのは、世界中探しても、きっと君だけだ」
そう言うディルミックは、まるで愛おしいものを見るような目をしていた。その先には、当然わたしがいる。
その視線を浴びて、ああ、本当に、惚れた女、というのは聞き間違いじゃなかったんだな、と思い知らされる。
わたしのことを、好きだと雄弁に語るその瞳を見て、ぎゅうっと胸が締め付けられるようだった。
わたし、わたしだって、ディルミックのこと――。
墓場まで持っていこう、と思っていたはずの言葉が、形になってしまいそうだった。
でも――でも。
「――……こわい」
代わりに出たのは、そんな言葉で。
「貴方が、怖いんじゃないです。違うの。わたしが、『わたし』が怖いんです」
『怖いおじさん』の怒鳴り声。母の所在を尋ねてもただ謝るだけの父。――写真の中の母。
ぐるぐると、頭の中で、前世と――今世の記憶がめぐる。
前世も、今世も、似たような親で、同じような行動をしている親だった。全くの別人のはずなのに、同じ人に見えてしまうような。
二度あることは三度ある。
三度目の正直。
同じような親から生まれたのであれば、わたしは彼ら、あるいは彼女らと、同じように育ってしまうのではないかと。
――写真の中の、母の様になるのではないかと。
ずっと、ずっと怖かった。怖くて、何より。自分が一番、信用出来なかった。
でも、ただ、今、どうしても、ディルミックに、この恐怖を、伝えたかった。
この話をして、嫌われたらどうしようとは、思う。前世のことをぼかして話したとしても、ずっと、ずっとわたしが悩んできたことなのだ。
それでも、もしかしたら、ディルミックなら、わたしの話を聞いてくれるんじゃないかって、ほんの少し、期待してしまうのだ。
「ディルミック、あのね――」
力の入らない手で、祈る様に、指を組んだ。
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