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「ディル、ミック……?」


 恐る恐る、わたしを抱きしめるその背中に、手を回した。でも、どれだけ背中を撫でまわしても、突起らしきものは、何もない。肌触りのいい、布の感触しかなく、濡れている様子もなかった。


 ――刺されていない?


 じゃあ、あの血は、何……?

 何が起きたかを見ようと、体を乗り出そうとして、ディルミックにもう一度、強く抱きしめられる。


「見るな」


 命令とも懇願とも取れるような、震えた声でディルミックが言う。

 ざわざわと、周りが騒がしくなる。駆けつける護衛、それに命令するような叫ぶような声。――血が流れているのに比べて、不自然な周りのざわめき。


「怪我は」


「な、ないです……」


 ふと、ディルミックの声に違和感を覚えた。いつも、外で聞く彼の声じゃない。むしろ、寝室や二人きりの時で聞くような、こもっていない、すっきりとした――。


 そこまで気が付いて、わたしは顔を上げた。


「仮面……え、ディルミック、仮面! 顔が……!」


 わたしを引っ張り返したときの衝撃だろうか。いつの間にか彼の顔には、先ほどまではあったはずの仮面がなくなっている。

 慌てて辺りの地面を見れば、少し離れたところに仮面が飛んでいるのが見えた。


 顔が。

 彼が、ずっと隠したがっていた顔が。


 ――白日の元に、晒されている。


 わたしのせいだ。

 わたしのせいで、ディルミックの顔が晒されることになってしまった。

 わたしが引っ張ったから? それともわたしを引っ張り返したから?


 一体どのタイミングで仮面が落ちたのか分からないが、わたしのせいであるというのは、間違いない。


「ディアールはバジーを呼んで来い。アスト、その不審者を捕らえて情報を吐かせろ。ヴァインツとドリッドは僕について来い。……一度、ロディナと共に屋敷へ戻る」


 でも、ディルミックは顔を隠すことなく、集まった護衛の人たちにあれこれ指示を出している。

 その腕の中で周りを見れば、皆、顔をしかめていた。


 ディルミックが貴族なのは分かっているから、表立って罵声を浴びせることはないにしても、不快そうな様子は、あまり隠しきれていない。

 ディルミックに感謝をし、領民思いだと褒めていたパン屋のおじさんも、忌々しそうに、こちらを見ている。目があったエルーラには、目をそらされてしまった。


「ディルミック、仮面……顔が……」


「今、そんなことはどうでもいい」


 わたしの腕を、引っ張りながら、ディルミックはつかつかと屋敷に向かって歩く。

 仮面が落ちてしまった、その顔を隠すことなく。

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