54

 王子の挨拶と婚約者の紹介が終われば、乾杯である。皆が一様にグラスを掲げる。


「我らに祝福を、グラベインに栄光を!」


 王子が高らかに叫ぶと、王子と婚約者の令嬢がグラスを仰ぎ、中身を一気に飲み干す。それを見た皆も、グラスに口をつけ、中身を飲む。わたしも周囲から浮かないように、同じようにしてグラスを傾けた。


 色からして柑橘系だろうか、と思っていたのだが、意外にも、どろりと甘い。勝手に想像していた爽やかさはどこにもなく、一瞬むせそうになったが、わたしは気合で飲み切る。

 これは王子に祝福を送りたい、という石を表すものなそうなので。祝福と栄光を願った王子と同じ行動をすることで、自分も同じ考えだとアピールすることになるのだとか。

 だから下手にむせて飲むのをやめるわけにはいかないのである。あと今、会場内が結構静かなので、咳き込もうものならめちゃくちゃ目立つだろう。ディルミックの顔云々以前に大注目間違いなしだ。


 全員が飲み干したのを確認したのか、王子が再び口を開く。


「みなの同意、感謝する! 今日は楽しんでいってくれ」


 王子の言葉に、再び音楽が流れ始める。拍手はならない。王子が挨拶周りに来て、この飲み干したグラスを回収するまで、グラスを手放してはならないそうなので。

 王子の言葉に同意し、その同意を照明するのがこのグラスなのである。


 異文化って面白いよなあ。わたしだったらつい拍手したくなるものだが。


 王子と婚約者のご令嬢が階段を下りて、二階からわたしたちのいるホールへとやってくる。これから、公爵家から順に挨拶に周るはずだ。

 ざわざわと、人々の話し声が戻ってくる。王子との挨拶がない貴族たちが会話を始めたのだろう。


 王子と婚約者の挨拶周りが終われば、彼らがホール中央で伝統芸能であるというダンスを踊り、その後は立食会になる――らしいが、わたしたちはダンスを見終えた辺りで帰宅する。二次会のような立食会には参加しない。

 これから先、本当に突っ立っているだけだが、わたしたちのところにも王子が挨拶に来るのだと思うと、緊張する。わたしは何も話さない予定だが。


 漫画なんかだと、キャラクターに王子がいれば、すごく身近というか、気安い存在に感じてしまうように思うが、現実だとそんなわけがない。普通だったら、警備に囲まれた王子を、遠目で見られればいい方なのである。

 それなのに、目の前に来るとか。マルルセーヌの王子を、遠目ですら見たことがないし、姿絵でも知らないのに、まさか先にグラベインの王子を見ることになろうとは。


 そう思ってしまうと、急激に緊張が恐怖へ変わる。


 うまくやれるかな、という緊張が、失敗したらどうしよう、という不安にすり変わる。

 落ち着け、大丈夫。義叔母様にあれだけ指導されたじゃないか。


 ぎゅう、と気持ちを紛らわすように、グラスを両手で持っていると、ふと、目の前に腕が差し出された。――ディルミックの腕である。

 肘を軽くまげたその腕は、エスコートされるときに掴んでいた腕、そのものである。


 ――あ。


 わたしが手を伸ばし、腕を組めば、「基本的にはこの形で移動する」と、ドレスを疲労したときに、教えてくれた形になる。


 わたしは、その腕に、グラスを持っていない方の手を伸ばし、不自然にならない様に腕を組んだ。

 ディルミックの袖と、わたしの長手袋が二人の肌を隔てていて、彼の温かさが伝わってくるわけじゃない。

 それでも、彼が隣にいてくれるのだと思い出させてくれるのには十分だった。


 手の震えは、いつの間にか止まっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る