貧乏
あたしは、思っていたよりも貧乏性だった。優しくて、怒ると怖いけど、あたしのために一生懸命働いてくれていたおかあさんのいる、幸せな家庭で育った。でも君と暮らし初めてようやく、……いや、高校生になった時には薄々気付いていた気がする。というか、気づかないふりをしていたが、うちは貧乏だった。今考えると、普通の家庭は一人娘が高校を出てすぐ働く必要なんてないし、制服を買うのに節食なんかしないし、給食費が払えなくていじめられたりなんてしないはずだ。なんでおかあさんはあたしのきゅうしょくを買ってくれないんだろう。あ、先生がきた。はやくちゃくせきしなきゃ。いたっ、なにかある。がびょうだ。クラスで二ばん目にかわいいリエちゃんがあたしのほうを見ていじわるなかおで笑ってる。なんでこんなことをするんだろう。いたいよぅ、いたい、痛い……。
小学生の頃の嫌な記憶で目が覚める。最悪の目覚めだ。おしりがすごく痛い、と思ったらスマホが体の下で唸っていた。隣を見ると君がすぅすぅといびきをかいている。あの後、映画を見ながら寝てしまったのだった。それも無理はない。先日レンタルショップで借りてきた、旧作コーナーの端のほうにあったクソみたいなB級映画は、死ぬほど面白くなかった。君は意外にも恋愛映画が好きで、絶対面白くないから、と言ったが「どうしても!」と君が言うので借りてきてしまった。なんかヒロインが二人の幼馴染に告白されて、なんやかんや、みたいな内容だった気がする。途中で寝てしまったのでよく覚えていない。なによりヒロインの演技を大変すり下ろしたくなった。ドジでグズでのろまな彼を選んだ大根ちゃんは、あの後どうなったんだろう。重い瞼を無理やり開きながらそんなことを考える。君が飲み残したジュースが、二本、机の上に置いてある。二本とも、少しづつだが中身が残っている。それは、飲んだ時のあの清涼感が嘘のように、黒く、淀んでいるようにみえた。
君はいつもそれを少しだけ残す。君曰く、「時間たつと不味くなって飲めないんだよね」らしい。そう言ってその辺に放置するから、あたしが処理をしなきゃいけないのだが、勿体ないと思ってしまってどうしても捨てられない。かといって飲む気も起きないので冷蔵庫に一旦入れておく。そうやっているうちに、冷蔵庫の下段のほうは少しづつ残ったそれが溜まっていた。どっかで飲むか、捨てるかしなきゃな……と思いつつも中々やる気が起きない。あとでいっか、と思って冷蔵庫を閉める。仕事があるから時間がないのはほんとだし、と言い訳をしながら時計を見ると、起床予定の時間を大幅に過ぎている。慌ててスマホを見ると、スムーズだ。気づかなかった。急いで準備しなきゃ。
「…もう仕事?」
どたばたと準備をしていると君が起きた。
「うん、行ってくるね!」
痛い身体と頭をフル回転させながら返事をする。
「ごはん、冷蔵庫の適当にあっためて食べて!」
急いで玄関に向かう。まだ間に合う時間だ。ハイヒールの踵がようやく入る。
「いってきます!」
顔を上げる。君はいない。前までは来てくれてたのに。ドアの奥では君の身体がゆっくりと動くのが見え、二度寝に入ったのが分かる。
「……いってきます」
君の頼りない背中に呟く。やっぱり返事はない。いつから、来てくれなくなったっけ、そんなことを考える。九月にしては強すぎる朝日がうなじを焼くのを感じる。君のサンダルを見る目に力が入る。こんなこと考えるの、やめよう。唾を呑んで前を向く。
「……いってきます!」
もう一度言って、扉を閉める。急に明るいところに出たから、目が眩む。階段を勢いよく降りると乾いた音が響いた。まだ夏を諦めきれないセミが鳴いている。君の声は、しなかった。
黒い水 ましょ @masho0726
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