第拾話 砂綾



 砂綾は板張りの廊下を急いでいた。兄と慕う九郎丸が足を負傷し一座を追放されたというその真偽を、マガリの長たる翁に直接問いただす為だ。



「翁!」



 乱暴に襖を開けると、部屋の中には先客が居たらしい。その背から放たれる厳格な気配でそれが誰であるかは瞭然であった。



「慎め砂綾! 断りもせず戸を開くとは何事か!」



 仁王のような顔をさらに猛らせ、磐見の叱責が飛ぶ。その威圧に砂綾はびくりと身体を震わせた。



「も、申し訳ございません……。どうかお許しを……」



 慌ててその場に片膝をつき、深く頭を垂れる。



「許す。面をあげよ」



 翁の許しを得て顔を上げると未だ厳めしい表情でこちらを睨む磐見と目が合い、砂綾は首を竦めた。



「九郎丸のことか」


「……はい」



 神妙に頷く砂綾に翁は目を閉じ、苦悩するような様子を見せた。



「磐見、外してくれるか」


「はっ」



 粗相をするなよ、と砂綾に一睨み利かせてから、磐見は退出した。それを見届けて砂綾はやっと息を吐く。磐見がいると息が詰まって仕方がないというのは砂綾だけでなく皆の総意である。


 磐見の足音が十分遠ざかったのを耳を欹てて確かめると、砂綾は駆け寄るような速さで翁へ迫った。



「翁、あに様ッ……九郎丸が一座を追放されたというのは誠ですか。一体何が、何故そのようなことに……」



 焦りを多分に含んだその声に、翁は険しい顔つきで真一文字に引き結んだ口を開いた。



「先の《血錆》討伐の折、九郎丸は片足に治癒する見込みのない怪我を負った。これでは任務の遂行は到底不可能と判断し、頭領の過半数の賛成をもって追放とした。以上じゃ。仕事をこなせぬ者は一座を去る。これがマガリの掟だとぬしも知っておろう。九郎丸とてそれは重々承知しておった。あれのことじゃ、ただ与えられる立場に甘んじることなど望まんだろう」


「ですがっ……!」



 声を荒げた砂綾だが寸でのところで堪え、一旦心を落ち着けた。自然と浮き上がった腰を下ろす。



「何故、私には何の通達も無かったのですか。私も一座の頭領が一人。裁決の場に参ずる権はあったはず」


「若し伝えていれば、ぬしは何もかも放り出してここに舞い戻ってきていたいたじゃろう」



 図星を突かれ、砂綾はぐ、と言葉に詰まる。



「義兄は、あに様は今どこに……」


「知れず、じゃ」


「どうして、私に何も告げず……」


「あれは聡い。告げればぬしが己を何としても引き止めようとするとわかっておった。そうなれば掟破りの咎をぬしが被ることになろうよ。ぬしが一座に居場所を失くさぬようにと気を使ったのじゃろう」



 無意識に膝の上に揃えた手が握りしめられ、着物の裾に深い皺を作っていた。その心遣いが、兄が自分を理解し慮っていてくれたことが嬉しい反面、言いようのない寂しさが怒りのような激しさを伴ってふつふつと湧き出してくる。



 私は、あに様と居られればどこでもよかったのに……。

 あに様の居ない居場所なんて、私には必要ない……。



「……翁、暇を頂とうございます」



 砂綾は意を決したように表情を正すと、深々と頭を垂れてそう願い出た。



「探しにゆくつもりか。見つけて、どうする」


「連れ戻します」


「あれは首を縦には振らんじゃろう。縄で縛って連れ戻すか」


「ならば、私も追放してください」


「ならぬ。九郎丸が居らぬ今、ぬしまでもが一座を去れば一座は立ち行かぬ。頭領としての自覚を持て」


「翁……!」


「ならぬと言っておろうッ!」



 枯れ枝のような老人のどこからそのような声が発せられるのかと思うほどに、重々しい怒声が空気を震わせた。



「くどいぞ砂綾。兄の気遣いを無駄にするつもりか!」


「ッ……!」



 そう言われてしまえば、もう砂綾に言い返せる言葉などなかった。背を丸め、身体を縮こまらせて俯く姿にマガリ一座参番隊頭領の威厳はなく、ただ齢十八の少女でしかなかった。



「話は終わりだ、下がりなさい。遠征の疲れも溜まっておるじゃろう」


「……はい……」



 気遣うような翁の言葉に砂綾は大人しく頷いた。確かに砂綾は酷く疲弊していた。しかし、それは遠征の疲れというよりもむしろ、義兄の追放に伴う心労の方が大きかった。


 力なく立ち上がり背を向けた砂綾に翁は嘆息した。



「お前も、いつまでも九郎丸に縋っている訳にはいくまい。これはよい機会だとは思わんか」


「……」



 磐見に知られれば拳骨では済まないと思いつつ、砂綾はそのまま何も言わず部屋を出る。ぱたりと閉められた襖の音に、翁は再び嘆息した。



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