第捌話 朝露
辻は頬に当たった雨の感触に目を覚ました
朝だ。
辻が居るのは大きな古木の洞の中で、九郎丸の懐に抱えられているのだった。
そうだ、と思い出す。
自分は、この人と共にあの町から歩いてきたのだった。
昨日の夜の出来事を思い起こし、辻は身震いした。恐ろしい夜盗の声に眠気が一気に吹き飛んだ。怯える辻の背を優しく叩いた大きな手。それで不思議と不安が和らいだのだ。
この人はあっという間にあんな恐ろしい夜盗を三人ものしてしまった。怖い人なのだろうか。
それでも、辻に辻という名をくれたこの人が辻にかける言葉、向ける表情はどれも優しかった。人との関りが、痛みを伴わないことに最初こそ奇妙な感覚を覚え警戒したが、それももう慣れてしまった。
大丈夫、この人は、怖い人じゃない。
見つけた洞の中にもぐりこんで、この人の懐で丸くなった。人の温かさに安堵を覚えて、吹き飛んだはずの眠気が襲ってきて……。
その夜辻は、久方ぶりに怖い夢も見ず、ぐっすりと眠ったのだ。
洞の入り口から、眩しい朝の光が帯のようになって、涼しい風と共に入り込んでくる。
あれ、晴れてる。
てっきり雨でも降っているのかと思ったが、しかし外は晴れているようだった。ではあの一粒の雫はどこから零れたのか。
朝露のありかを探して上を見上げた辻の目に、未だ眠る九郎丸の顔がうつった。
「…………」
……泣いている。
九郎丸が泣いている。
寝息を立てる穏やかな顔。閉じた瞼の隙間から、透明な雫が頬を伝って零れ落ちていく。
泣いている。
あれだけ強かった人が。
泣いている。
静かに、声も立てずに。
怖い夢を見ているのだろうか。
悲しい夢を見ているのだろうか。
あれだけ強い人の、涙する程に怖い夢とはなんだろうか。
辻は九郎丸の涙の訳を知らない。
何故、杖をついて歩くのか。
何故、あの町に一人でいたのか。
何故、一人が寂しかったのか。
何も知らない。
知っていることは、この人がとても優しいことと、とても強いこと。
ただそれだけ。
九郎丸の心の内を推し量るには、辻はまだ幼すぎたし、共に過ごした時間は短すぎた。
辻は何も知らない。
辻は何もわからない。
それでも辻は手を伸ばした。
伸ばした己の指先で、零れる涙を拭ってやった。
九郎丸の流す涙を己の小さな手で拭ってやった。
拭っても拭っても涙の源、その人の悲しみは枯れることなく、雫はあとからあとから零れてゆく。
それでも辻はその涙を拭い続けた。
九郎丸が目を覚ますまで、その悲しみが枯れるまで。
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