二章 放浪編
第伍話 掏摸
ふぅ、と九郎丸は一息を吐いた。そう暑くもない季節にも拘わらず、少し汗ばむ首筋に巻いた三つ編みが張り付く。
日はもう真上を少し過ぎていた。どうものんびりが過ぎたらしく、早めに出たというのにマガリの屋敷から一番近い町に今ようやっと辿り着いたところだった。
足が万全であった頃は、迅や駆けに半刻程しか掛からなかった道も今や数刻がかりだ。一体何度後ろからきた者たちに追い抜かされたことか。
さて、ここからどうするか。
小腹も空いたし、何より足が疲れた。何処かに腰を落ち着けて休みたい。客を呼び込む声を心地ようく思いながら、手ごろな茶屋でも見つけて入ろうかと町の大通りを行きながら店を吟味していると、腰に軽く何かがぶつかった。本能的に九郎丸の手が閃き、脇を駆け抜けようとする、今しがた己の懐から銀の入った巾着を
「ッ……⁉」
「その巾着を返せ。それはおれの仲間たちが集めてくれた大事な銀だ。やる訳にはいかない」
厳しい口調でそう告げる。
銀は既に取り出して分けてあり、実際巾着にあるのはほんの僅かだ。治安の悪い場所を行く時の知恵である。しかし僅かなりともそれは九郎丸を思う隠密たちの心遣い。常ならばそのようなはした金くれてやってもよかったのだが、これだけはむざむざ盗られては仲間たちに申し訳が立たない。
子どもはどうにか九郎丸の手を振りほどこうと藻掻いているが、がっしりと襟を掴まれていては子どもの力でどうにかできるものでもない。やがて力尽きたように項垂れたその手から、九郎丸は己の巾着を取り返した。
取り返した巾着を追って子どもの視線が振り上げられる。その目と九郎丸の目が交錯し、途端にきゅう、と鳴ったのは子どもの腹の虫だった。
「腹が減っているのか」
九郎丸は呆気に取られて思わず子どもにそう問いかけた。
よく見れば、子どもは酷く薄汚れていて、襟や袖から覗く身体は枯れ枝のように痩せている。
みなし児だった。
久しく戦も飢饉も起こってはいないが、それでもこの世に生きる全ての人間が幸福で満たされることはない。戦時と比べれば少ないながらも、こうした不幸な子どもというのは何処にでも居た。
親亡き子。
その境遇に少しばかりの親近感を覚えた九郎丸は、己の問いに答えずに落ち着きなく視線を彷徨わせる子どもに、困ったように笑いかけた。
「おれはこれから団子でも食おうと思う。お前も一緒に如何だろうか?」
わかっている。九郎丸は理解している。ここで気まぐれに施しを与えようと、救いにはならない。このような子どもは探せばいくらでもいるのだ。そのうちの一人に食い物を与えようとも、それはなんら意味を成さない。
しかし、この時九郎丸は何の意味もなく、誰かに優しくしたかったのだ。
九郎丸の問いに、子どもは訝しむような視線を向けた。それでも空腹には勝てぬらしく、無言のまま一度こくんと頷くのだった。
「そうか」
九郎丸は、それが何故かとても嬉しかった。
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