第弐話 追放



 何か悪い夢を見た気がして、九郎丸はぱちりと目を覚ました。どうやら自分はマガリの屋敷の一室に寝かされているらしい。起き上がろうと身動ぎをして、途端全身に走った痛みに蒲団の中に倒れこむ。



 そうか、おれは《血錆》に吹き飛ばされた後、助かったのか……。



 痛みに意識が鮮明になるにつれ、あの夜のことが思い出される。己の身体の状態を顧みれば、あちこちに白い布が巻かれ、皮膚の引き攣り具合から縫合も施されているのだろう。あれからどれ程の時が経ったのか、皆目見当もつかない。障子を透かす光はまだ白く、今が朝だということだけがわかった。



 マガリとは正しくをマガリ一座という。魔物を狩る、魔を狩るという魔狩りが転じてマガリとなった。その名の通り人知の及ばぬ存在たる魔物を狩り、集団戦法を得意とし、それぞれが専門的な知識と技術を有する一団である。

 九郎丸は若干二十にして、その斥候部隊の筆頭であった。


 倒れ込んだ物音に誰かが九郎丸の意識が回復したのを察したらしい。俄かに奥座敷が騒がしくなり、すっと襖が開いた。



「九郎丸殿、お目覚めか」



 そこに居たのは一座の中でもよく言葉を交わす男だった。大きな図体に違わぬ怪力の持ち主で魔物の頸を落とす大太刀を振るう。名を野帯といった。



「オビ、おれは……」


「九郎丸殿、目覚めて直ぐに申し訳ないが、翁がお呼びだ」


「わかった、直ちに」



 恐らくは生存者と仲間を救う為とはいえ、一座の規律を破ってその場に留まり、あまつさえこのような大怪我を負ったことに対する叱責だろう。その程度、九郎丸は甘んじて受け入れるつもりでいた。


 ぐ、と蒲団に手をついて立ち上がろうとしたが、九郎丸はそれが出来なかった。体制を崩し、先程よりも盛大に倒れ込む。その直前で野帯が支えに入った。



 あぁ、成程。

 どうやら呼び出しは叱責だけでは済まぬらしい。



 九郎丸は自分でも驚く程冷静に、己の置かれた状況というものを理解した。



「九郎丸殿……」



 野帯はそんな九郎丸を痛まし気な目で見た。己より年若いこの人物の運命に同情しているようだった。野帯はその図体の割に、気性の穏やかで優しい質の人間だった。



「オビ、肩を貸してくれ」


「あ、あぁ……」



 九郎丸は万が一の時の手間を省く死に装束に似た白い病人着に羽織一枚をひっかけ、また肩甲骨を覆うまでの黒髪を何時ものように一本に編むこともせぬまま、野帯に支えられながら一座の長、翁と呼ばれる老人の元へと向かった。



「翁、九郎丸が参った」


「入れ」



 その声を待ってから九郎丸は付き添いの野帯と共に襖を開け、翁の待つ一室に立ち入った。翁は入って正面に座し、その左右に各部隊の頭が並ぶ。二つある空席の一つは、本来ならば九郎丸が座すべき場所であった。



「野帯、下がれ」


「はっ」



 翁の命に野帯は九郎丸の傍を離れて退室した。襖の閉まる音の後、九郎丸は口を開く。



「病み上がり故、このような……」


「良い、楽にせい。傷が開いても困る」



 年老いて尚風格衰えぬマガリの長が、身なりについて詫びる九郎丸の言葉を遮ってそう言った。



「済まぬな、目覚めて時も経たぬ内に。痛むであろう」


「いえ……」



 とは言うものの、全身の傷がじくじくと呻き九郎丸の額には脂汗が浮かんだ。今だけは翁の楽にせいという言葉に甘えよう。九郎丸は正座を崩した。



「呼び出したのは他でもない。此度のことで、ぬしの処遇を決めねばならぬ」


「覚悟はできて御座います」



 ずん、とその場に重々しい空気が漂った。その中に、不機嫌な気配を感じて九郎丸は視線のみをそちらにやった。その先に居たのは案の定、予想した通りの男だった。上手く取り繕っているつもりだろうが、隠密という性質上、九郎丸は気配に鋭敏であった。


 壱番隊を率いる二刀使い、薊丸。

 髪を短く刈り込んだ三白眼のこの男は、己の率いる部隊が名誉ある一番槍を担うことを誇りとし、ほかの部隊、特に戦闘に直接関与しない毒や罠作成班、武器や防具の手入れを手掛ける裏方の者たちを軽蔑している節があった。殊更、戦わない癖に自分たちより先に《獲物》に接触する斥候隊が気に食わないらしく、また九郎丸に各部隊の頭領最年少の座を奪われたことを根に持っていた。他の者たちからすれば彼が九郎丸を毛嫌いする理由は他にもあるのだが、九郎丸自身はそれが最もたる原因だと信じて疑わなかった。


 兎も角、この九郎丸を執拗なまでに敵視する男が不機嫌な理由はわかっている。己が情けなくも畳に額を擦りつけ、恥も外聞もなく翁にここに残してくれと醜く懇願する様を期待していたのだ。



「……」



 無言の九郎丸と目が合うと、薊丸は慌てて視線を反らした。九郎丸は関心もない人間からの悪意だのなんだのはあまり気にかけない類の人間だが、薊丸からしてみれば多少の後ろ暗さから非難されたとでも感じたのであろうか。



「斥候隊頭領隠密頭九郎丸。此度の規律違反、否、これまで目を瞑ってきたもの全て

の処罰をここで言い渡す。ぬしは破門じゃ。これまでは其方の一座に対する貢献故に見逃してきたが、その足ではもうそれもできまい。恨むなよ、九郎丸」



 低く告げられた己の処遇に九郎丸は眉一つ動かさず、平静に努める。



「いえ、むしろ今までお見逃し下さったことに感謝したします。せめてもの償いにと粉骨砕身で尽くしてきましたが、それもままならぬ身となればそれも妥当な判断かと。杖を一本用立てて下されば今日にでもここを去りましょう」



 マガリの魔物退治は慈善ではない。故に利益を優先する。利益とは魔物を狩ることによって得られる報酬と、魔物の血肉。それ即ち一座の糧。しかして九郎丸は利益よりも人命を優先することが多々あった。そのツケがここで回ってきたのだ。



「そう急くこともなかろう」



 翁は一つ嘆息する。



「皆、席を外してくれぬか。こやつと少し、……話したい」


「翁、しかし……」



 翁の言葉に異を唱えたのは一座で最多数を誇る弐番隊の頭領だった。

 野帯と比べても遜色ない体躯に仁王のような顔を張り付けた、厳格が服を着たようなその男は名を磐見という。一座の古株で皆の纏め役を担う彼は野帯と違って一座の者全員に恐れられていた。



「磐見、頼む」



 だが、その磐見でさえこの老爺の頼みには逆らえぬらしかった。磐見が御意と低く呟くと、九郎丸以外の頭領もそれに続いて御意と応じた。



 皆が座敷から退き、がらんとした座敷に翁と九郎丸の二人のみが居る。



「九郎丸」



 翁が九郎丸を呼ぶその声は、重さが抜けどこか優しさを含んでいた。



「済まなんだな、九郎丸」


「いえ」



 その言葉に偽りはなかった。今回のことで翁に非はない。全ては自身がしでかしたこと。自業自得、身から出た錆である。



「お前がここに来た時のことを覚えている。儂の胸の高さまでもなかった。大きくなったな、九郎丸よ」


「はい」


「お前は儂の可愛い子どものようなものだ。一座の者は皆、儂の子どもだ。だがそれ

故に、儂は皆の父として皆を守らねばならぬ」


「わかっております」



 投げかける言葉全てに短く淡々と返す血の繋がらぬ我が子に、翁は悲し気に顔を歪めた。



「お前を追放したと砂綾に知れれば、どうなるかのう」


「あれももう、聞き分けのない子どもではありませぬ。一部隊を預かる頭領の一人。一座の為ならば、納得するでしょう」



 実のところ、九郎丸はもう最年少頭領ではない。薊丸からその座を奪ったのは確かに九郎丸であったが、今現在その座に或るのは砂綾と呼ばれる十八の少女だった。今は遠征に出ており不在である。



「儂は恨むな、と言ったがな、本当のところは恨まれたいのじゃ。今までお前のように追放した者、狩りで命を落とした者たちに……」



 翁はしんみりとそう言った。一座の長であるが故に、皆の前では口にできぬこと、一座を去る九郎丸だからこそ、言えることだ。



「翁……」



 この時初めて、九郎丸の声に感情が宿った。



「九郎丸、近うこい」



 翁の招く手に応えて、九郎丸は多少苦労しながら翁に寄った。



「もっと近う」



 更に距離を詰める。



「もっと近う。手が届くように」



 言われて、更に近くに寄れば、九郎丸の頭に翁の皺だらけの掌がぽんと乗った。そのまま子どものように頭を撫でられる。



「恨めと言おうと、お前たちが儂を恨んでくれることはないのだろうな……」


「……もちろんですとも。おれたちは皆、翁が大好きなのだから」



 始終無表情を通していた九郎丸の顔はこの時、穏やかに微笑んでいた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る