「用は済んだ。じゃあな」 「デカく咲けよ、アルゴの坊主」

 

「来たか」


 アルゴがおもむくと、くだんの金貸しは皮肉そうな笑みを浮かべた。


 少し太り気味で、目の下にクマのある男だ。


 住む場所に拘りはないらしく、最初に金貸業を始めたスラム街の近くにずっと住み続けている彼は、アルゴが自分で商売を始めた頃から、幾度か金を借りたことのある相手だった。


 年頃はアルゴより少し上で、目つきは鋭く、正直な印象で言えば胡散臭さが先に立つ相手である。


 ーーー金貸しソリッド。


 彼はそう呼ばれていた。

 本名かどうかは分からないが、治安の悪い場所に住んでいても殺されないのは、裏社会との繋がりが強いからだとまことしやかに囁かれている。


「貴方が契約をたがえる、とは意外でしたね」

 

 思いもしなかった、とは言わない。

 金貸しは、信用が重なる類いの職業ではないのだ。


 悪実に取り立てを行わなければ、金貸し業は成り立たない。

 ゆえに、暴力を背景に持つことは間違いないのである。


 ソリッドに関しては、確実な貸付けと、返済後の対応は信頼できたのだが、アルゴは裏切られた身だった。


「契約は違えたなァ。だが、信用を裏切った、とは思って欲しかねェね」


 笑みを消さないまま、何か書き付けをしている手を止めたソリッドは、ボロいカウンターで両肘をついて指を組んだ。


 ーーー何か、裏がありそうだな。


 だが、彼の信用が失われていることに変わりはない。

 事情を聞け、と言ったのが夫人でなければ、ここに来ることもなかっただろう。


 アルゴは両手をポケットに突っ込んでアゴを上げ、口を開いた。


「貴方の持っていた証券は、夫人が買い取ったと聞いた。その上で、何か話がある、ということだったが」

「売る相手を選んだ、ってェ話さ。どっちの件もなァ」


 ソリッドは、片眉を上げる。


「オデッセイの野郎は、役に立ったかィ?」

「……どういう意味だ?」

「俺が今回の件で思いついたのは、カークの野郎が最初さァ。奴は貸付けを焦げつかせた。その兄貴分がオデッセイだった……俺ァな、アルゴ。お前さんと奴の繋がりを知ってたのさァ」


 話が見えなかった。


「俺は、カークが借金をエサに隣国の手先になってたと聞いているんだがな。それはつまり、貴方が隣国の手先だったという話だ」

「へへへ。俺ァ、誰の手先にもならねーさァ。隣国と繋がりがあるのは事実だがねェ……王家派の夫人が俺を見逃し立ってェところで、何かあると、お前さんなら察してんじゃねーかィ?」


 王家派、というのは、彼女の貴族の中での立ち位置の話だろう。


「貴族の中での対立があるのは、たまに噂は聞くな。その中で、貴方は王家派との繋がりが欲しかった、ということか」

「やっぱアルゴは話が早ェ。そう、ここまで上手く行くとは思わなかったがねェ」


 スオーチェラとの繋がりを持つために、カークやオデッセイを焚きつけた、というのなら……それは迂遠過ぎる。


 アルゴはポケットから手を引き抜くと、軽く崩したオールバックの黒髪に指を通す。

 

「オデッセイを俺の元に向かわせるのが最初の目的だったのなら、それがどう夫人に繋がる?」

「イーサが、テメェのところにいたからなァ」


 アルゴは、表情を変えないように努めた。


 ーーーイーサのことまで、把握していたというのか?


 アルゴすら知らなかったイーサのことを知っている、というのなら、彼は相当この国の事情に通じている。


 ソリッドが隣国の間者、という話が急激に真実味を帯びてきたように感じるのと同時に、それを知っていたのならなぜイーサに何も手出ししなかったのか、という疑問も湧いた。

 

「どういう話か、全く分からんな」

「そいつを話すために、俺はお前さんを呼んだのさァ。夫人にも同じ話をした。俺が通じている隣国の相手はな……大公さ」


 大公。

 それは隣国、アンデルセン大公国のトップである。


 隣国に王位はなく、貴族連の中から頭となる家が、合議か力関係によって選ばれると聞いていた。


「向こうの国にも、この国と同じような貴族同士の争いがある……」

「当然だなァ。権力に争いはつきモンだ。そして俺ァな、この国の事情を向こうにたしかに流してた。だがそいつは、あくまでも経済の状況みてェなモンで……お前さんをハメた連中とは、別の派閥だ」

「その別の派閥、とやらがあるのは分からない話ではない。だが、俺を狙ったのが大公側ではない、という保証はないな」

「あるさァ。夫人が俺を捕らえもせずに生かしてるってェ部分でな」


 言われてみれば、それ自体は肯定要素になりうる。


 今のところ夫人はアルゴを買ってくれているのだ。

 疑わしい相手と、わざわざ今のタイミングで会わせようとするとは思えない。


「なるほどな。では、その大公側である場合、夫人はなぜ見逃す?」

「隣国と王家、そして夫人はズブズブなんだよなァ。彼女の前夫は向こうの国で、獣人でありながらも参謀に成り上がった男でねェ。お前さんなら、この辺りで構図が見えてきてんじゃねェかィ?」


 アルゴは、鼻から大きく息を吐くと、入り口から一歩、ソリッドに近づいた。


「つまり、腐っているのは両国のトップではない、ということか」

「親民派のトップは、甘い汁を吸いたい連中にしてみりゃやりづれェだろうからねェ」

「肝心の貴方の目的は」

「夫人との繋がりさァ。なんやと言いつつ、俺の商売は後ろ暗ェ。正面から信用してもらうにゃ、ちっとばかし遠かった。隣国に夫人自ら確認を取ってもらわにゃ、疑わしさは大きィままだろう?」


 アルゴはうなずいた。


「俺をハメて、無理やり繋がりを作ろうとした、というわけではないんだな?」

「もしそうなら、それこそ迂遠に過ぎる上に、荷物を潰した相手の立ち位置が悪ィね。お前さんにモノを頼んだ貴族は、親王家派だからねェ」


 話に、矛盾はないようだった。


 この国で、親王家派と反王家派の貴族の対立があり。

 隣国でも、同様に親大公派と、反大公派の対立がある。


 そして、王家と大公はどちらも『親民派』であり親密に繋がっている、と。


 ソリッドはそうした中で、大公派とだけでなく、この国の親王家派の上に近い人物との繋がりも求めていたのだろう。


 そこで、アルゴが苦境に陥って金を借りにきた。

 彼にしてみれば、チャンスだったのだ。


 貸し付けた相手の中から、カークに目をつけて、アルゴと繋がりがあるオデッセイを引っ張り出した。

 そして彼に、証文を売りつければ、アルゴの元に赴くと踏んで、その通りになり。


 イーサが、アルゴと夫人を繋ぐことで、ソリッドの狙い通り、夫人との面識を得る機会を作った。


「オデッセイが俺のところに来る、俺にイーサが夫人を紹介する、俺が夫人に認められる……という段階は、やはり不確定要素が多いように思えるがな」

「オデッセイは直情で、イーサはバカじゃねェ。そして俺からすりゃ、お前さんが夫人を説得するなんてェのは確定事項だ。……何かおかしなことが、あるかィ?」


 相変わらず、彼の顔に浮かぶのは、底の読めない皮肉な笑みだが。

 

 ーーーずいぶんと、俺を買ってくれていたようだな。


 それに関しては、少し気分が良かった。

 こんな場末にいるが、ソリッドは王国で五指に入る金貸しなのである。


 だが、まだ分からないことがある。


「事情は理解した。しかし、そこにある貴方の腹は?」


 繋がりが欲しい、というのは、金儲けのためだろう。

 より自分の地盤を固めることを望むのは、商売人としておかしくはないが。


「甘い汁が吸いたいのなら、反王家・大公派についたほうが利益が出ると思うがな。金に困る奴が増えると儲かるのが金貸しだろう?」

「分かってねェな、アルゴ。花を枯らしたら蜜は吸えねェのさァ」


 クク、と喉を鳴らしたソリッドは、組んでいた指を解いて肩をすくめた。


「誰かが金を溜め込むよりも、マトモに金が回った方が、結果的に大きく金が動くようになる。金貸しが、貸し付けなきゃ儲からねェのと理屈は一緒さァ」


 民衆という花に、金という水をやらねーとなァ、と。

 ソリッドはずいぶんとロマンのある表現をした。


「花が咲き誇りゃ、俺がおこぼれに預かる可能性も高くなる。貧乏人に金貸しても、デカくは返ってこねェからなァ。そいつは、お前さんも一緒だ」

「俺が?」

「おうとも。俺ァ、いずれお前さんがデカくなると見込んでたから、金を貸してた。今回の件だって、まァ派手だったがお前さんの目が死んでなかったから貸してやったのさァ」

「……なるほどな」

「あんなチンケな証文で、同じようにイイと思ったオデッセイをお前さんにつかせて、夫人とお前さんの将来的な信用を買えるなら、多少のリスクは安い。違うかィ?」


 皮肉な笑みを浮かべるソリッドに、アルゴは片頬を上げた。


「よく分かった。機会があれば、また金を借りに来よう。……ただし、信用が消えた事実に変わりはない。理由はどうであれ、貴方は約束を破ったんだからな」

「そうかい。じゃ、また一から積み立てるかねェ。……まぁ、お前さんが俺に金を借りにくる機会は、もうなさそうだがねェ」

「かもしれないな。だが、デカい金が動く時に、一つ噛ませてやるくらいのことは出来る」

「期待せずに待っとくさァ。言った通り、俺の目的はもう達成されたからねェ。そっから先は全部利益だ」


 アルゴは一つうなずいて、ソリッドに背を向けた。


「用は済んだ。じゃあな」

「デカく咲けよ、アルゴの坊主」


 それは懐かしい呼び方だった。

 まだ駆け出しの頃に、ソリッドにそう呼ばれていたのである。


 アルゴは背を向けたまま、彼にひらりと軽く右手を振ってみせた。

 

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